44話
「んぁ……」
長い事気を失っていた永新は、全身の末端に至るまで意識と言う名の電気を通すかのようにして起動して覚醒していき、これまで感じ得なかった感覚を肌に覚えてゆっくりと瞼を持ち上げていく。
「おはようございます、永新」
「白……」
「まだ動かない方が良いですよ。傷付いた体を治すのに、かなり消耗していますから」
目を覚まして一番に飛び込んできたのは、下から見上げる白の彫刻のように美しく整った顔。決して中性的で骨ばっていてあくどい笑みを浮かべる憎たらしい顔付きではなく、永新の目に馴染むような白磁のような儚くも母性を感じさせる白の顔に、永新は安心感すら覚えたのか柔らかな笑みを浮かべる。
目に映る白の姿はいつもの着物姿ではなく、学園で支給された永新の名前が刺繍されたジャージを見に纏っていた。それには永新の血と汗と涙と泥が染み付いていると言うのに、白はそれが良いと言って永新の二人きりの時なんかは頻繁に袖を通していた。
そんなジャージの布一枚を隔てた永新の頭の下には心地良い肉の感触――白の太腿が感じられ、自分は今白に膝枕されているのだと理解した永新は少しばかりの羞恥で頬を色付けながらも、白の白魚のような指がサワサワと髪を梳く感覚と白の脳を震わす蠱惑な声音に心地良さを感じて、白に身体を委ねる。
そのまま暫く二人は見つめ合って無言の時が過ぎると、白が徐に永新が気絶してからの事をポツリと語り出す。
「……永新はあの時、間違いなく生死の境を彷徨いました。無茶な黒炎の使い方をして、あそこまでボロボロになって……」
呆れと怒り、それから悲しみと言った感情を綯い交ぜにして目を伏せる白が言うように、永新はあの時、非常に危険な状態だった。
妖魔を焼き尽くす黒い炎を妖魔の体で放ち、満月の祝福による高揚で痛みに対して鈍化して纏炎の防御を過信したような状況が幾つもあった。結果、暴走した白による攻撃はどれも永新の肉体に致命傷を与えており、あまつさえ永新の体は「まだ動ける」と判断したが為に「無事である」と認識した脳が無理矢理永新の体を動かしていた状況は、正しく緊張の糸が切れた瞬間に永新が意識を失ったのは死に瀕したからに過ぎなかったのだ。
白の言葉に思い返した永新はあの吐血の量はまず間違いなく内臓、もしくは最悪の場合呼吸器に異常があるのではないかと思えたのだが、続く白の言葉にそれが事実であったと思い知らされる。
「折れた肋骨は内臓の多くを傷付けていましたし、右腕なんかは炭化が肉にまで及んでいました。その上、背面はもっとひどい有様でした。本来なら、永新は今頃五体満足ではいられなかったのかもしれなかったんですよ?」
「でも、今はこうして無事に五体満足だ」
それをやったのは白である、なんて言葉は、白が心から心配していると分かる声音から口にすることは無いからこそ、永新は軽口で答える。
永新の言葉通り、鉛のように重たい体に力を込めて右腕を持ち上げてみると、そこには今までよりも妖魔の部分が色濃くなり、禍々しさを増して変容した右腕があった。
その右手を白の頬に近付けると、白はどこか呆れながらもその手に頬を寄せ、愛おしそうに空いた手を重ねる。
「結果論ではありますが……。私は、貴方にはあまり――」
「傷付いてほしくない、か?」
「……えぇ。その通りです」
「悪いが、それは出来ない約束だな。俺はお前を殺す為ならば、幾らでも無茶をする。命を懸けて無茶をする。その結果死んだとしても、それは俺が弱かっただけの話。だからこそ、誰にも負けないくらい、殺されないくらいの強さを死ぬ気で藻掻いて、足掻いて、手に入れてみせる。……それが、俺の望みだ」
「永新……。少し見ない間に、貴方は大きく変わりましたね。それでこそ、私の永新。自慢の――」
永新の変わった姿勢を見て恍惚とした眼を向ける白。
彼女が最後何を言おうとしたのかは定かではないが、笑みを深めた白はそこで言葉を切って口を閉ざす。
永新の成長を喜ばしく思う一方で、やはりこれだけは言わなければならない、と白は再度口を一文字に結んだ後に再び言葉を口にするのだった。
「でも、今回の無茶は本当に危険でした。それこそ、霊力を封印したばかりの私しかいなければ永新は五体満足でも不思議でなかったですし、最悪の場合は命の保証すらなかったのですよ。あの時、真宵が間に合っていなければ今頃は――」
「真宵先生が……?」
まるで自分の体だとは思えないくらい重みを増した上体を起こすと、白が物足りなさそうに唇を尖らせるのだが、永新が辺りを見渡すと白のすぐ傍で微動だにせずに正座して待機する真宵の姿を見つけた。
「い、いつからそこに……」
「……お前の治療が終わってから、ずっとだ」
「それって、どれくらい……?」
「二日、だな」
「……。大変、申し訳ございませんでしたぁ……ッ!!」
真宵がそう言うと、永新は自分が二日間も眠って居たままだったと言う事を自覚し、それだけ回復に時間を費やした事実に改めて自分がどれだけ危険な状態だったかを思い知る。
白の口から情報をもたらされるよりも、実際に数字として聞く事で事態の大きさをようやく把握できる当たり、永新の頭はまだまだ寝惚けていたのだろう。
白と真宵の力を合わせての治癒術をもってして危険な状態かつ、治療を終えた後に二日間の休眠が必要だったと言う事は、自分の状態は相当なもので、それだけの苦労と迷惑をかけてしまった事に対して永新は平謝りを続けるしか無かった。
真宵と凍吉に修行を付けてもらい、万全の状態で送り出してもらってこの様なのだ。
これは永新の力不足に他ならず、真宵と凍吉の顔に泥を塗ったも同然の出来事。
普段の鬼畜暴力妖魔こと、荒れ狂う真宵からすれば永新をもう一度鍛え直すと言って更に過酷な修行を課せられると考えていた永新であったが、正座して佇む真宵は無言を貫くばかりで反応の色は伺えない。
何か悪いものでも拾って食べたのだろうか、と永新が様子を伺っていると、永新の下げた頭を上げさせた白が代弁するかのように口を挟む。
「真宵は、本来であれば永新が戦闘を始める頃には戻って来られる予定でした。真宵であれば頂点を過ぎた満月の影響など無いに等しいですから。……ですが、彼女にはどうしてもその場を離れる事が出来ない理由があったのです」
「理由……?」
「……白麗様、そこから先は、オレの口から……」
「これは私が課した命でしたので、真宵に非はありません。真宵には倶利伽羅に身を隠す同じ妖魔を探すよう命じていたのですが、それが満月の影響を受けてようやく尻尾を出した、と言う事です」
「白麗様の命令は、何を以てしても優先されるべきもの。それが例え、オレの命に関わる場面だとしても」
「ふふっ、嬉しい事を言ってくれるでしょう? でも私としては、いつでも始末できる勘違いした馬鹿な妖魔に手を煩わされるよりも、永新の命の方が大切。そう言ったら、真宵はこうして動かなくなってしまったのですよ」
「白麗様の御意思を汲み取れなかったオレの失態ですので、罰を受けて然るべきなのです。ですので、白麗様に罰を告げてもらうまでこうして待機しているばかりなのです」
「どうせなので、永新に罰を決めて貰おうかと思っていたのですが……。永新、どうしますか?」
そう言って永新に向いた四つの目に、永新は狼狽える。
真宵は何も悪い事をした訳ではない。むしろ白一人では手に負えなかった自分の傷を治すことに手を貸してくれた、永新からしても命の恩人である。そんな人物に罰を与えるなど出来るはずがない。
故にその権利を放棄する旨を訴えると、白は「そうですか」と呟いた後、まるで用意していたかのように真宵に対して判決を言い渡した。
「その邪魔者の排除は、永新に任せたいと思います。貴女はその為の準備を、しなさい。それを罰とします」
「ハッ! 白麗様の温情に感謝申し上げます。オレの命は、全て白麗様の為に」
「用は済みましたね。さっさと去るように」
「――はいッ!!」
白からの指令と命令口調に上気した顔を見せ、息を荒げた挨拶を口にした真宵は、まるで尻尾を振る飼い犬のようで、尻尾が見えていたならば千切れんばかりに左右に振られているのが透けて見える程に上機嫌であった。白の一声で去っていく真宵は去り際まで決して振り返る事はないまま白の領域から姿を消していった。
そうして二人きりになった空間で、白はスススッ、と永新との距離を詰め、すっかり追い越された身長差を利用して永新の肩に頭を乗せ、永新が意識しても決して口にしない事を口走る。
「これで、二人きりですね」
「……ん、うん」
「真宵には、あぁやってペコペコするんですか?」
「一応、先生、だったから」
「へぇ、永新は教師と言う存在が好みなんですね?」
「そう言うんじゃ、無い……」
「変な間がありましたが」
「違う。単純に、尊敬してるってだけだ。あの人は、真っ直ぐでいて、強い。真宵先生は、俺の理想の人なんだ。俺も、あれだけの強さがあれば、今すぐにでも白の願いを叶えてやれたんだけどな」
「……アレは、強いだけです。永新が望む力に最も近いですが、アレでは決して届かない。何せアレは、不器用ですからね」
「不器用……。それはそうかもしれないけど、俺はあの人の真っ直ぐなところは、見習いたいと思う」
「へぇ……、永新はあぁ言うタイプが好みなんですか。永新の初めては、私が全て奪ったと思っていたんですがね」
「どうしてそういう話になる。そういう話に……」
永新が素直な答えをそのまま口にしたかと思えば、今度は白がムスッとした様子を見せる。
白としては何か他にも言いたい事があるようだが、突然不機嫌になった白に対して永新は所在無さげに彼女の手を取る事でしか機嫌を直す方法は知らない為、お互いの手と手を、指と指とを絡み合わせて白の表情に小さな笑みが戻って来たのを見計らって話題を変える。
「……俺が戦った白。あれは、白じゃ無い。そうだな?」
「……」
「嫌なら答えなくてもいい。これまで満月の夜に会えなかったのはよく理解したから。答えられない事情が、あるんだろうから」
永新が戦った相手、アレは永新から見ても異質であり、白と共に一つの体に二つの精神が同居している様と言うのは、妖魔と混じり合った永新からしても酷く恐ろしく、片方が異常に強い我を持っていると言うのは、いつ自分の体が乗っ取られてもおかしくない状況と言う事。
満月の夜が来る度に、誰も傷付けない為に自らを傷付け、その恐怖に耐え忍ぶ白に対して、永新は真宵同様に尊敬の念を抱く。
もし仮に、例え白が肉体を作り替える事が出来て残虐な一面を持っていたとしても、あれが白ではない事は、彼女が永新にとって短くない時間を過ごした相手である以上、良く分かっている。
「……私は、永新の憎むべき存在。お母さんの仇でしょう?」
「今更それを言うのか。あれを見た後では、それすらも疑わしいけどな」
自分は憎まれるべきだ、とでも言うかのように誘導しようとする白に対して、永新はその意見を跳ね退けて白の顔を覗き込むが、白は永新の視線から逃れるようにして顔を背けてしまう。
「……いいえ。あれは間違いなく私が――」
「もし仮に、例えそうであったとしても、俺は自分が信じた道を往くつもりだ。それが親不孝な道であったとしても、もう二度とあんな後悔する思いはしたくないから……。その為に、俺は強くならなくちゃいけない。そうだろう?」
「……永新は、すっかり変わりましたね」
「こんな俺は嫌か?」
「いいえ。……とっても、魅力的ですよ」
「……。その為にも、俺は足を止めている場合じゃないんだ」
「ふふっ、少し照れましたね?」
「うるさい」
白の領域と言う名の、彼女が作り出した異界では二人の生み出す音以外のノイズは存在しておらず、文字通り二人だけの世界がそこにはあった。
大地は抉れ、瓦礫は積もる荒れ果てた空間だとしても、そこは紛う事無く二人だけの世界。それを盗み見るのは天高く昇った太陽だけで、今はそれすらも雲で隠されて誰の邪魔も介入されない。
時に安穏で、時に淫靡な空気に満ち溢れた豊かで至福な一時が二人の間に延々と流れる。
白にとって何物にも代え難い時間に身を置く中で、それでも拭い去れない不安を顔には出さずに問いかける。それが彼女の持つ答えに最も近いとも知らずに、永新は間を置かずに答えるのだった。
「……もしも、その行き着く先が地獄だとしても、貴方は迷わずに進み続けますか?」
「当たり前だ。白や、皆と一緒なら、地獄だってきっと面白くなる。そう思わないか?」
「……みんな一緒に、ですか」
「悪くないと思わないか? それに、白の願いを叶える為には俺一人じゃ間に合わない。今回の事でそう思わざるを得なかったから――って、何か変なこと言ったか?」
「いいえ、何も。ただ、永新は変わってしまったと言うだけです。……ふふっ」
永新の回答は白の望んだものではなかった。けれども、間違いでもなかった。
それがなんとも可笑しくて、白は噴き出して、涙まで浮かべて笑ってしまう。
当の永新には訳も分からず突然白が笑いだしたように思えたが、何よりも楽しそうな白の姿が見れた事で永新もまた頬が緩んでしまうのであった。
一頻り笑い終えたところで、永新はこれからの展望について白に尋ねる。
「……そう言えば、俺はこれからどうすればいい?」
「これまで通り永新の望むままに――と言いたいところですが、永新には課せられた任務があります」
「任務……?」
「えぇ。これより三日後に控える新たな妖魔退治に、永新は参加しなければならないのです。それまでに今回の事で鈍った体を起こすのと、今回掴んだ感覚を自分のものにする為に――私と一緒に、リハビリですっ」
「リハビリ……?」
「はいっ」
何が待っているかも分からない永新は、白の花開いた笑みを前に首を横に振る事は叶わない。
何よりも楽しそうに語る白の様子を見て拒否する事など出来るはずもなく頷いたは良いものの、永新はこの後、今この瞬間の安請負いをした自分を恨むことになるなど、露程も理解していなかった。




