45話
「――おい燼月。お前、随分と疲れた顔をしているじゃないか。白麗様の相手はそんなに大変だったか?」
「うぅ……、リハビリなんかじゃ、無かったんですけど……!」
白とのリハビリは、永新が想像していた内容の数倍激しいものであった。
それは迎えにやって来た、かの鬼畜暴力妖魔である真宵が永新の疲れ果てた姿を目にして一番に心配の声を掛ける程であった。
真宵が言うには、「ただでさえ普通ではない妖魔の王がオレ達の体の程度を理解しているはずが無い」との事で、そもそも白には人や妖魔の体に備えられた限界値と言う天井を理解していないかのように次から次へとハードな訓練を永新に課した。
治癒術に関しては真宵の方が上なのか、永新は常にボロボロの状態で望まなければならない状態で、その上昼も夜も関係なく扱かれたのであった。
「……お前が無理だと言えば、白麗様は止めてくれただろうに。何故言わなかった?」
「…………言ったんですよ。言ったんです……。でも、白がその度に捨て犬みたいな顔をするから……!!」
「何ィッ!? 白麗様の、そんな愛らしい顔が見られただと……ッ!?」
永新が弱音を吐こうとする度に、白は「そう、ですよね……」と言って悲し気に目を伏せる為、その度に永新は既に底を尽いたはずの気力を振り絞って立ち上がる羽目になった。
何よりも困るのが、白のその振る舞いが永新をやる気にさせる為の演技や謀略ではなく、本当に心の底から寂しがっているのが分かるのが、永新にとっては辛い部分があった。人生の半分近い時間を過ごした白の事であれば、お互いにその一挙手一投足の全てが嘘か本当かを瞬時に見分けられる程度には付き合っているが故に、白のその顔を見る度に永新は罪悪感に駆られてしまうのであった。
そんな罪悪感と永新の肉体の限界を超えた先では、改めて対峙した白と言う妖魔の王たる高みを思い知らされる羽目になった。
「今のままじゃ、手も足も出ない……。実際、手も足も出せませんでした」
「……白麗様の中の、白麗様か。アレは、確かに強い」
永新が対峙した相手、あれを知るのは永新の他にもう一人だけ存在していた。
それが、先日の満月の夜以外では必ず立ち会っていた真宵であり、その真宵をもってしてもあれが異常なまでの強さを誇っていると言うのは、例え相手が逆立ちしていようとも今の永新では相手にならないと言う事でもある。
何せ、実際にはあの時、白の瞳の奥に見えたもう一人の白は、「四本の杭による大幅な脆弱状態」、「外部からの干渉を妨げる妨害工作に処理能力を割いていた」事に加えて、「人を妖魔に変える外法を用いた後の霊力の減衰」と言う負荷を抱えた状態であるにも拘らず、永新は手も足も出なかった。
この三つは、例えるなら四肢に重りを付けた上で両手両足を封じられ、顎の力だけで逆立ちをしていると言うような、本来では有り得ない状態とも言える。
それでも尚も猛威を振るった相手に生き残る事が出来たのは偏に、満月の夜がもたらす破壊や殺戮の衝動と、強者としての慢心が招いた一瞬の隙のお陰であった。本来であれば攻勢に出るべき隙さえも、圧倒的な実力の前では生き延びる唯一の道。
そんな、幾ら手を伸ばしても届きはしない高みを前にして、永新は生き残る事が出来た。それは大きな一歩とも言えるもので、実際に遥か高みと対峙して生き残った成果はこの三日間で嫌と言う程実感を得た。
「あいつと戦って、殺されかけて……それでやっと、霊力の使い方が分かった気がします」
「と言う事は、この三日間は有益だった訳だ」
「はい。この力の使い方が分かれば、戦い方も変わってくる。……今度はもう、手も足も出ないで負けるなんて情けない負け方は、白の前じゃ見せられませんから」
白はこのまま領域に残って失った霊力の療養に務めるようで、寂しそうに「行ってらっしゃい」と手を振る白に対して永新は腹を据える思いでキュッと、口を結ぶ。
そうして一人格好つける永新に対して、移動に際しての足と永新の保護者を兼ねる真宵は永新の素振りに素っ気ない反応を返すに留まっては、「ウ゛ウ゛ウ゛ウ゛」と唸り声を上げて爪を噛む。
「――ンギギギギ……。白麗様の恩寵を間近で味わうだなんて羨ましいったらありゃしねぇ……! どうやったら白麗様のご尊顔を燼月と同じ目線で見る事が出来る……!? ――ハッ! そうか、こいつの脳を引きずり出して直近の記憶を読み取れば――」
「……冗談、ですよね? ……いや、目が本気だ!! クソッ、そんな事で俺はまだ死ぬわけにはァ!!!」
「いいからお前は黙ってオレに脳を差し出せ……! なんだ、丸齧りが嫌ならストローを持ってきてやる! ほ、ホラ……! これで文句は無いだろ!?!」
「文句しかない!! どうしてそれでイケると思うんですか!? 今良い雰囲気だったのに!! ――うわぁっ!? よ、涎が髪に付いた!! どうして先生はいつも肝心な時に頭おかしくなるんですか!!?」
「お前の覚悟なんて正直どうだっていいんだよ!! オレは白麗様がお前にしか見せない顔が見てぇんだよ!! 分かったらさっさと脳髄啜らせろやクソ弟子ィッ!!!」
「あーーー!!! ぶっちゃけましたね! ぶっちゃけ過ぎましたね真宵先生!! 言って良い事と悪い事があるって知らないんですか!! そんな事言われると、俺は、俺は――!!」
白が関わると、まるで別人のように変わり果てる真宵は、次から次へと爆弾発言を投下していく。
妖魔の中には、対象の脳を喰らう事で意識や記憶を読み取る事が出来る妖魔も存在していて、真宵もそれが可能。普段は無視して喰らってる、とは言うが、意識すれば読み取る事が出来るのもまた事実。そんな真宵は、白が永新にだけ見せる表情を知りたいが為に永新を殺して脳髄を啜るなどと宣う始末で、実際に永新の頭に齧り付いて来た時点で冗談ではなく本気で永新の脳を喰らおうと考えており、当然永新も全力で抵抗する姿を見せる。
しかし、普段の修行からこうして罵詈雑言を飛び交わせて言い合っているとは言え、白が関わった途端に豹変して一線を余裕で飛び越えてくる真宵に対して、永新は我慢ならずに最終手段の切り札を迷わず切る。
「……ぐす。真宵先生だけは、分かってくれると思ったのに……!」
「は? 燼月、お前何嘘泣きして……ッ!? お前――ッ!?!」
「――真宵。貴女、永新を、泣かせましたね?」
「――ッ!? 白麗様……? これは、違ッ……!!」
「問答は無用です」
「……冷静さを失っておりました。大変、申し訳ございません……」
暗黒微笑を携えた白は永新が涙を流した瞬間に、既に真宵の背後に立っていて、肩に置かれた手は、体温の高い真宵の熱すらも全て奪い去ってしまうような冷たさを放っていた。
白の手がヒートアップした真宵の熱も奪い去ったのか、体の芯から震わせた真宵は忽ち冷静さを取り戻して、謝罪を口にする。
「へへへ……ッ!? は、白……?」
「永新」
真宵が「やり過ぎた」と謝罪を口にして終わりかと思いきや、白は続けてしゃがんだままの永新へと詰め寄り、地面に押し倒す。その目は永新の嘘泣きなどお見通しで、鼻先が触れ合う程に近い白の眼差しに目を泳がせる永新は逃げられない事を覚悟して固唾を飲む。
純白のカーテンが降りて二人の表情を隠す中で、片時も目を離さない白に見つめられた永新はその目の奥に羨望や嫉妬のようなものが滲んでいる事に気付いて、白が何を訴えているのかを察する。
そして、白は永新の緊張した様子を見てクスリと笑ったかと思うと、ぬらりと艶めく舌先で永新の唇をそっとなぞったかと思うと、何事も無かったかのように起き上がっては不敵に微笑んだ。
「――永新、今度は約束の、デートをしましょうね。もちろん、二人きりで、ね?」
「あ、あぁ……」
「行ってらっしゃい、永新」
真宵に聞こえるように囁いたその声に永新は手を振るが、濡れた唇の感触が頭から離れずに呆然としたまま。その間にも真宵は尻尾の陽炎を持ち出しては、永新の手を引いてさっさと白の領域を飛び出すのであった。
「――中間地点だ。ほら、次は事務所に帰るんだから、さっさろ人化の術を使え。使えるようになったんだろ?」
「もちろん」
永新が人化の術を施して、四肢の妖魔の部位を人の皮に擬態させ、漏れ出る霊力を完全に押し隠す。これは常に腹筋に力を入れているような状態である為にそれなりに疲労するのだが、妖魔と倶利伽羅の中間である存在の永新にとっては常に励起されているような状態であって、微量ながらも霊力の増幅に役立っている。ちなみに真宵が言うには、通常の妖魔にとっては常に尻の穴を締めているような感覚なだけで霊力は増えも減りもしないのだと言う。永新だけの特権なのだ。
「ハァ……、少し怖い白麗様も、嫉妬する白麗様も初めて見た表情だったなぁ……。本当に愛らしかった……! 次はどんな顔を見せてくれるんだろうか……!!」
「……それで、俺はこれから何をさせられるんですか? この前言ってた、倶利伽羅に身を潜めてるやつを殺すんですか?」
「今は余韻に浸ってるんだ、話しかけるな――っと言いたいところだが、それは違う。その件はまだ少し準備に時間がかかりそうだ。少し、キナ臭い動きがあってな……。だから、お前にはまず先に羅威竿達の仕事を手伝って貰う。そこでもっと力を付けて来い」
「力を、付ける……?」
「実践が一番の経験だって話だ。恐らくも何も、倶利伽羅絡みだろうが、気張って行けよ」
「……はい」
「それが終われば、オレが迎えに行くからな。まるで成長してないようだったら、その時点でオレがぶっ殺す。いいな」
「はいッ!」
「うし、良い返事だ。あぁそうだ、凍吉の奴には別の仕事を与えてあるから心配すんな」
にやり、と獰猛な笑みを浮かべた真宵を見て、永新はここには居ない凍吉に向けて「ご愁傷様です」と念を送る。真宵の事だから、本当に無理難題を押し付けているかもしれないと考えると不憫に思わざるを得ないのだが、生きて欲しいとエゴを押し付けた永新としては余計な事を考えさせる暇を与えないと言うのは実体験からも学んでいる為、悪くは無いかと判断して捨て置く。
真宵によって永新の発動した人化の術が問題無いと判断され、永新達は事務所に向かっての移動に差し掛かった辺りで、真宵の瞬間移動にて荒らされた事務所を思い出して永新は前回の反省を踏まえるよう進言すると、真宵は不愉快そうに眉をハの字に歪めて溜め息を吐いた。
「……ハァ、オレを誰だと思ってんだ。同じ失敗は二度繰り返さない。これは万事に通ずるもので、わざわざ口にするまでもねぇ事なんだ。だから安心しな、今度は事務所の中じゃなくて、外に瞬間移動してやるからよ。まぁ見てろって」
「おお……! 流石真宵先生だ……!」
大仰に肩を竦めて見せた真宵は、溜め息まで吐いて「ヤレヤレ」とアピールして見せ、言った通りに尻尾の陽炎の奥に事務所の扉が見える。飛ぶ先は事務所前の廊下。確実に学習している、と永新が拳を握って目を輝かせたのを見て得意げになる真宵。
さぁ、いざ行かん――と、二人して陽炎を潜った、次の瞬間。
「「……あ」」
ガギィイン、と金属が悲鳴を上げる音が廊下に響いたかと思うと、一陣の熱風が過ぎ去ると共に扉の金具が破壊され、大きな音を立てて外開きのはずの扉が内向きに倒れると共に熱風を事務所内に招き入れる。
後に残るのは永新と真宵、二人の重なった情けない声があるだけで、一瞬の静寂が事務所内にもたらされる。
そうなれば迎えられる事態は前回と全く同じで、突如として吹き荒れた熱風によって撒き散らされた書類の束と、どこか懐かしい怒号が永新達を出迎えるのであった。
「――ッッ、ぎゃああああああああ!!!!! 何してくれとんじゃ、ボケェェェェェエエエ!!!!」
「……その、すまん」
「ごめんなさい……」
余りにもデジャヴな光景を前に、二人は素直に謝罪の言葉を口にするのであった。




