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43話

 


 ――来る。

 視界に捉えていた(ハク)の体がブレて姿が消えたと同時にそう確信した、次の瞬間。



「ぐうぅ、うッ……!?」



 音もなく、影すら見せずに永新の死角に出現した(ハク)による、強烈な蹴りの一撃が永新の頭蓋を破壊せんと迫った。


 永新はそのハイキックを超反応とも言える動きを見せて間一髪のところで防いだものの、防いでも尚余りある威力で防御に回した右腕が悲鳴を上げるのだが、肉体が悲鳴を上げているのは永新のみならず、(ハク)の右脚もまた、その蹴りの威力に耐え切れずに激しい音と共に壊れていく。


 両者の競り合いはほんの僅かな一瞬であり、蹴りの勢いに乗って大きく後退すると、(ハク)は自分の力で壊れた右足を観察するかのように眺めた。



(……反応出来たのは、完全にまぐれだ。もう一度防げと言われたら、無理だとしか思えない程の速さ、そして強さだった……。(ハク)の足の方が脆かったお陰で右腕を失わずに済んだけど、もしも今のが完璧に決まっていたら、俺の右腕は圧し折れていたかもしれない……いや、そもそも防御も間に合っていなかっただろう。真宵先生の言っていた事が、やっと理解出来た気がする。……死ぬ気で生きろ、か。(ハク)相手には、無茶だとしか思えないんだけど、やらなきゃ本当に、俺が死ぬかもしれないんだ……!)



 たった一瞬の攻防だけで彼我の実力差を思い知らされた永新は、未だにビリビリと痺れる右腕の無事を確かめるように開いて閉じてを繰り返し、改めて(ハク)と対峙する。


 永新がこの場で(ハク)に勝利する条件は、夜明けまで耐え抜く事。逃げ回るのではなく、(ハク)が苦しんでいる衝動の興味を惹き付けて、その上で生き延びる事だ。

 もしも万が一、(ハク)の衝動が永新から興味を失い、自己を統御して領域(テリトリー)を解除した場合、それは永新の敗北を意味する。腹を空かせた妖魔の王を、野に解き放つ訳だから。けれどもその条件を満たす為には、妖魔が生まれ持って備える破壊衝動や殺戮衝動を解消させた末の話。目の前の永新が生存し続ける限りは(ハク)が永新を放って領域から外に出ようと画策する事はまず無い。それが妖魔の習性だから。


 その妖魔の習性と呼べる衝動は、妖魔として内包する霊力の多寡によって満月の夜に増幅する幅が決まっているのだが、全ての妖魔の頂点に君臨する妖魔の王を駆り立てる衝動と言うのは、側近を自称する真宵をもってしても計り知れないと言う。

 そしてそれを必死に抑え込もうとする(ハク)の考えもまた、誰にも分からないのだとも言っていた。



『「……」』



 そんな(ハク)は、肉が断裂し、粉砕された骨が肉を割って顔を出す、誰が見ても分かる通りに壊れてしまっている右脚を黙って見つめていたかと思うと、突如としてその足をまるで地団太を踏むかのように何度も何度も地面に叩き付け始めた。



「んな……ッ!?」



 その光景は余りにも狂気じみていて、永新は驚愕を隠せない。

 砕かれた足を更に痛めつけるかのように何度も、何度も、何度も、何度も叩き付けては、地面に血肉が、骨片が飛び散っていく。


 健康的で美しかった(ハク)の脚は瞬く間に見るも無残な形に成り果て、白一色だった境内を血で汚していく。


 何を考えているのか、何をしているのかなど、考える以前に全く理解できない惨劇を前に永新は開いた口が塞がらないばかりか、そのあまりにも悍ましい光景に目を疑うばかり。


 しかし、始めは(ハク)自身の血と肉が飛び散るような水音だけだったのに対し、時間が経てば経つほど音がはっきりとしたものに変わっていく。



「脚が、再生した……」



 (ハク)を縫い留めていた杭の効果は杭自体が砕け散ったとしても健在で、(ハク)の四肢に穿たれた孔は霊力による干渉を全て弾いてしまう事でその孔を塞ぐことは(ハク)をもってしても不可能だった。孔は(ハク)の体に溢れる霊力を垂れ流しにする役割も担っており、(ハク)は常に慢性的な「酔い」と呼ばれる状態に身を置かざるを得なかった。


 そのような状態でもあれだけの速度と威力を発揮できるのであれば、本気となった(ハク)はどれだけの力を持っているのかと考え得る永新であったが、今はそれ以上に自ら破壊した右脚が再生していく光景に「あの時と同じだ」と言う感想を抱く。


 永新の記憶にあるのは、老教師によって両断された右腕を(ハク)が手ずから再生させた時の光景。

 まるで粘土を捏ねて形作るかのような繊細で乱雑な手の感触と、以前の形そのままで再生した右腕。

 誰かにやってのける手法を自分に使わないはずもないと思えば納得いくが、それはつまり、次の(ハク)の行動は先程よりも鋭いものになると考え至った永新は、冷や汗を滲ませた。


 赤いブーツを履いたかのように血で塗れた足で降り立った(ハク)は、焦りに満ちた表情を浮かべる永新に向けて嘲笑うかのように俯かせていた顔を上げる。



『「……ふむ、悪くナい。待たせて済まナカったな。褒美に、殺してヤろう」』



「お前は、誰だ――」




 顔を上げた(ハク)は、永新が知る(ハク)の顔では無かった。


 人が変わった、と言うのは酷く簡単である。

 しかし、中身が変わったと言う意味しか持たないその言葉では足りないくらい、(ハク)の外見は変貌しており、衝動に駆られているのだと断定するにはおかしな点が多すぎる。


 先程までは苦悶に満ちていても尚、見る者を虜にする程の絶世の美女であった(ハク)の顔は、永新が一目見て判別できるくらい変化していて、女性の顔付きがいつの間にか、中性的とはいえ骨ばった男の顔に変わってしまっていた。よく見れば作り替わった右脚も、女性のそれとは異なるような筋肉質と化しており、(ハク)の均整の取れた美しさからは遠くかけ離れた、女性と男性が渾然一体となった姿をしていた。


 生まれ変わったと言うにはあまりにも突然の出来事であり、警戒を強めると同時に疑問を口にした永新であったが、(ハク)は問答するつもりは無いのか、再度姿がブレた後に、今度は「防いでみろ」とでも言わんばかりに挑発的で好戦的な笑みを浮かべた(ハク)が永新の眼前に姿を現す。



「――カハッ……!!?」



 右脚しか使えない状態だと言うのに先程よりも速度が増した(ハク)に、永新は反応すら出来ずに腹部に(ハク)の右脚が突き刺さるのが見えた途端、永新の体はゴムボールのように軽々と上空へ撃ち出されてしまう。


 纏炎で防御を増しているにもかかわらず、永新の腹部を突いた衝撃は永新の体重をものともせずにその体を軽々と蹴り上げた。その衝撃と言うのは、たった一撃で永新の体が肉塊になっていてもおかしくないもので、纏炎による身体機能を向上させる霊力を全て防御に回していたからこそ肉体を無事に留めていられたようなものだった。しかし、それでも尚も衝撃は全て殺しきれず、今の一撃で永新の肋骨は数本が折れてしまっているのが自分でも理解できる。


 これだけの威力を(ハク)は軽々しく放つ事が出来ると言うのであれば、時間一杯防御に回ると言う考えは下策だと思い知る。霊力が尽きる以前に、身体が持たない。受け流すにも、そもそも永新は(ハク)の動きを捉えられないのだからやりようが無い以上、永新が(ハク)を相手に取れる戦法と言うのは一つしかない。


 それは――。






「スゥッ……。――渾成気闘(こんせいきとう)(ほむら)ッ!!」






 即ち、攻めに転じるのみ。


 上空に蹴り飛ばされて無防備になった永新であったが、喉の奥から血が上ってくるのも構わずに永新の肉体が、存在が人ある事を否定する忌々しくも救いとなった妖魔と化した四肢に、永新はなんの躊躇いも無く霊力を注いだ。



「ぐ、ぅう……っ!!」



 途端、流れ込んでくる負の感情たち。

 全てを憎んで、全てを壊さんと欲する、妖魔の怨念――否、永新の体に眠る、妖魔としての本性が、騒ぎ立てる。

 頭の中に流れ込んでくるイメージは、到底今の状況では折り合いなんて付けられない程の激情。けれども、今はその激情がどこか心地好い。


 倶利伽羅として生まれたにもかかわらず、霊力に恵まれなかった自分。

 妖魔に生まれ変わっても尚、満月に祝福されない自分。


 何処にいても自分の居場所が無い。そんな中途半端な自分が、永新は嫌いだった。

 それでも、好きになるよう、努力した。好きになれる自分に変わろうと、努力した。


 ――その結果が、これだ。



『「……たかガ人間風情が、肉塊にならズに済んだノは、そうイウ事か……!! 面白い!!」』



「――なりたい自分に変わる。それが俺の出した答えだ。受け取れ、(ハク)……!!」



 霊力に恵まれないのであれば自ら励起させ、蓄えればいい。

 満月に祝福されないのであれば、より一層妖魔に近付けばいい。


 答えはいつだって単純で、必要なのは目標(理想の自分)に向かって踏み出す一歩。


 四肢に溢れんばかりの霊力を込めた永新の体は、大きく変化した。

 肘から下、膝から下までしか浸食の無かった妖魔の肉体が成長し、今では永新の二の腕をも覆い、太腿の中ほどまで浸食が進んでしまっている。

 しかし、永新の肉体における妖魔の比率が増したことにより、永新の肉体にかかる妖魔の影響が増加。それによって満月による祝福を授かる事が出来、浸食の進んだ四肢はより凶悪に、より強靭なものへと変化していた。

 更には、その上からかかる倶利伽羅の至宝の技術たる「纏炎」による強化効果も乗り、一時的とはいえ永新の肉体はあの真宵にも匹敵する程の身体能力を得たのであった。


 物理法則を無視する真宵のように永新は空を蹴り、眼下で嬉しそうに瞳の中の瞳を瞬かせる(ハク)へと向けて襲撃を行う。


 ダンッ、と大きな音を立てて(ハク)の領域に一つのクレーターを作ると同時に、舞い上がった砂塵を割って飛び出して来た(ハク)に続いて、後を追う永新の手に(ハク)の腕だった物が握られているのが見える。


 攻めに転じた永新は、防御に回った(ハク)が差し出した脆くなった右腕を容赦なく捥ぎ取り、それを投げ捨てる。蜥蜴の尻尾切りよろしく、杭に穿たれて脆くなっていた部位を捨てて逃げに徹する(ハク)は、先の右脚同様に杭の霊力に干渉する効果が消えた事で右腕の再生に取り掛かるのは目に見えている為、それを一切許さんと永新は攻めの手を緩めることなく攻撃の勢いをさらに増していく。



「――逃が、さない……ッ!!!」



 時間を稼ぐべく背を向けて逃げていく(ハク)

 裏を返せばそれは、腕の再生が伴わなければ満月の祝福を受けた永新に太刀打ちできないと言っているようなもの。数瞬前まで逆だった立場がすっかり逆転した事に対して永新は決して慢心することなく、一撃で仕留めんとばかりに妖魔化した右腕に霊力を注ぐ。


 そうして放つのは、倶利伽羅の象徴である浄化の力を宿した紅蓮の炎。

 右腕にこれでもかと注がれた莫大な霊力はその手に炎を宿し、指向性を持って放たれる。


 ――纏炎闘術(てんえんとうじゅつ)無手焼灼(むてしょうしゃく)(りゅう)残火(ざんか)


 倶利伽羅は、例え得物を失ったとしても素手のみで妖魔を浄滅させる手段を持っている。

 霊力を扱う上での効率はすこぶる悪いと言わざるを得ないが、それでもその効果は今日まで引き継がれている事からも明白。そして、その最たるものが――纏炎闘術無手焼灼流であった。


 しかし、永新の放つ「残火」は通常の倶利伽羅が用いる「残火」とは異なる点が一つあった。


 それは、炎の色。



『「黒イ炎とはまた面妖な……。しかし、まサかお前は、俱利伽羅か……?」』



 倶利伽羅が到達し得る最高の浄滅の炎として全ての倶利伽羅が目指すべき炎の色、それこそが黒。黒炎であり、実際に黒炎を発現させたことがある倶利伽羅と言うのは、歴史上に僅か一人しか存在していない。それこそが、永新の目の前の存在である妖魔の王を封印した、最強の倶利伽羅ただ一人のみであった。その血は妖魔達の手によって途絶えてしまっている為、現代には正当な後継者と言うのが存在していなかった。


 黒い炎と言うのは、一度火が点いたが最後、妖魔の全てを燃やし尽くすまで決して消える事は無いと謳われる伝説の炎であり、全ての妖魔を葬る事に加えて黒炎の再現こそが倶利伽羅の本懐となっていた。

 倶利伽羅としての本懐である「黒炎の再現」であるが、妖魔堕ちした永新は真宵との修行を経てそれを自分の意思で見事に発言させたものだから、妖魔の力を合わせる事が黒炎を生み出すのに必要なプロセスなのかと逡巡するも、何ともおかしな話である、と真宵と二人して苦笑したのを思い出す。


 しかし、かつては黒い炎にその身を焼かれ、遥か過去の遠いかつての日に黒い炎の実物を知る妖魔の王である(ハク)をもってして苦悶の表情を見せる他無く、それに加えて妖魔の体をして妖魔を滅する倶利伽羅の技を用いる永新の姿に驚きを隠せずに、(ハク)は背後に迫る黒い炎を忌々し気に睨んだ。


 再生させた右脚で踏ん張って黒炎の進行方向から横に逸れて躱そうと画策した(ハク)であったが、永新の放った炎の勢いは永新の半分近い霊力を注ぎ込んだお陰か(ハク)の想像を上回り、黒炎は(ハク)が残した脚部に僅かに触れたかと思えば、黒炎は瞬く間に広がって、(ハク)の全身はたちまち黒炎に飲み込まれていく。



「ぜぇ、はぁ……! これで、どう、だ……!」



 妖魔の身を焼き尽くす、となれば当然永新自身の妖魔化した四肢も対象であり、永新が放った「残火」は使用者の皮膚が炭になるまで燃やし尽くした。

 生じた深い火傷は、骨の髄まで燃えるような痛みが延々と続く為永新の表情から苦悶は消せない。けれども、妖魔化した四肢であれば人の体を再生するよりも簡単らしく、真宵の治癒術さえあればまたすぐに使えるようになるはず。それ故に修行では幾度となく傷付き、折られ、粉砕されたか覚えていない。そのお陰で防御する際にどうすれば威力を打ち消せるか、受け流せるかを徹底的に考えさせられて叩き込まれたので、(ハク)の最初の一撃を防げた、という点では非常に役立ったと言える。


 (ハク)との戦闘において、右腕一本を犠牲にした以上目に見えるだけの効果が出てくれなければ困る、と願望の混じった目線を黒炎に燃やされる(ハク)の姿を目に収めるのだが、――次の瞬間。黒い炎が映し出す影のシルエットが、自らの心臓を貫く光景が永新の目に映った。



「――っ!?」



 (ハク)の死に伴って霊力が拡散していき、遂にはばたりと倒れる(ハク)

 それは間違いなく(ハク)が死んだ証拠に他ならず、永新は息を飲んで(ハク)の身を包んでいた黒い炎が消えるのを、ただ黙って見守るばかり。


 (ハク)を構成していた霊力が散って、やがて黒い炎も消えていく中、黒い炎が消えて行った端から永新の右腕同様に(ハク)の体だったものが炭と化しているのが目に映る。


 如何に妖魔の王と言えど、妖魔として在る命を自ら破壊し、全身が炭になるまで焼き尽くされたのならひとたまりもないだろう、と受け取った永新がこれで終わりか、と視線を逸らそうとした、その時だった。


 ズクン、と大気が――否、(ハク)が生み出すこの空間自体が鳴動したかと思えば、続けて(ハク)の炭化した亡骸から、散ったはずの霊力が集約した訳でもなく、息を吹き返したかのように再度確認できる事に永新は警戒を露にする。

 しかし、次の瞬間にはそれがもう遅いものだと知った永新は、続けて絶望の表情を浮かべるに至る。



『「……」』


「不死身、か……!?」



 全身に張った垢をこすり落とすかのように、まるで脱皮する蝶のように、炭と化した肉体と言う殻を脱ぎ捨てて(ハク)は起き上がる。

 起き上がった(ハク)の肉体は変貌しており、あるはずの乳房が、生殖器が取り除かれた滑らかな肉体は正しく神様が完璧な生き物を創造したかのような奇跡を感じずにはいられない。

 しかし中身は永新が良く知る(ハク)のものとは変わらず別物のままで、瞳の中にある瞳が怪しく光って永新を捉えながら永新の零した問いに返答をする。



『「黒炎には一度焼かれた事があったからな。思い付いた対策は、見事に正解だったようだ。――黒炎は妖魔を必ず死に至らしめる。とすれば、一度死んでしまえば消えると言うものだ。自死を装って復活するなど、俺にしてみれば容易い事だからな。……それで、次は俺の番だな? お前のその状態も、長くは持たないのは目に見えているとも。早急に終わらせてやろう」』



 先程まで声がブレて重なっていたせいで片言に聞こえていた声も、完全変態を迎えた今の(ハク)からは正常に言葉が聞こえてきて、向けられる明確な殺意もはっきりと感じられた。



『「しかし、黒炎を扱える妖魔擬きの存在は厄介だ。疾く、死ぬがよい。――そら、終わりだ」』



 明確な殺意は受け取れど、(ハク)の動きは決して読み取れないまま、気が付けば永新は自分の胸に(ハク)の白魚のような手指が這っている事にようやく気が付く。防御など疎か、反応すら許さない(ハク)の動きに永新は咄嗟に動こうとしたものの、次の瞬間には添えられた(ハク)の掌を伝って激しい衝撃が永新を襲った。



「――が、あァッ!??」


『「ほう、まだ死なぬか。頑丈なだけと言うのは、苦痛が長引くだけだと言うのにな」』



 (ハク)がやって見せたのは、(ハク)が内包する莫大な霊力の一部を、ただ爆発させただけ。

 それには何の緻密な操作も必要無ければ、霊力を練る必要も無く、過剰に集約させて爆発させるだけでいい。ただそれだけで、永新の纏炎の防御を貫いて後方へ弾き飛ばすに至るのであった。

 莫大な霊力を有する妖魔と言うのは、そうやって無暗矢鱈に霊力を放出するだけでも危険な存在。それに加えて、妖魔の王たる(ハク)は当然、霊力の扱いにも長けているはずで、永新が確認した以上の手をまだまだ持っているはずだった。


 満月の夜が終わるまで、永新はそれを捌き続けなければならない。耐え続けなければならないと言うのに、肺が潰れてしまったかのように呼吸が整わない。咳き込めば鮮血が地面に飛び散るのだが、それでも前を向いて――。



『「ほら、次はこれだ」』


「むご――ッ!?」



 永新が無理にでも頭を上げようとした刹那、永新の顔面は(ハク)の手の中に収まってしまい、微かな浮遊感の後に、後頭部から勢い良く地面に叩きつけられる。


 永新が悲鳴に喘ぐ暇すら与える事無く、(ハク)はこのだだっ広い境内に敷き詰められた砂利の上を永新の頭を持って強引に駆けずり回り始める。


 簡単に挽き肉にでもなってしまいかねない勢いは、永新の身を守る纏炎をゴリゴリと削って剥がしていき、永新の背面が激しい摩擦によって血肉を散らし始めた頃に、(ハク)はようやくその手を放して乱雑に永新の体を放り投げた。



「がっ、ぁぐ……」



 最早起き上がる事すら激しい苦痛が生じていると言うのに永新は再び立ち上がるべく膝を立てていく。


 気が狂うような激痛が意識を朦朧とさせる中で永新は自分の脚で立ち上がり、残された無事な左腕を身構える。永新の状況は、完全に腰が引けて踏ん張りも聞かない状態であり、正しく虫の息と言う状況である為、誰がどう見てもこれ以上(ハク)を相手取るのは不可能だと思える。しかし、そんな状態でありながらも、左腕越しに覗く永新の眼差しは決して死んでいなかった。



『「……全身が傷と血と泥に塗れても尚、諦める事を知らない愚かなお前には、それらを遥かに上回る絶望と苦痛を叩き込んで、死なせてやろう」』



 そう言った(ハク)は、瞬き一つの間に永新の背中側に回り込む。

 既に永新の目はその動きを捉えられる程の余力は残っておらず、(ハク)の目には無防備に晒された傷塗れの背中が見えるのみ。永新の反応を待つかのように緩慢な動きで足を上げた(ハク)は、それでも尚も反応が見えない永新の脚を、裏から踏み砕き、まともに立つ事さえ出来なくさせる。


 しかし、永新は(ハク)が望むような悲鳴を上げる事は無く、ただ荒い呼吸と脂汗をとめどなく流し続けるばかり。

 首だけを振り返らせて横目に(ハク)を睨むその目は尚も輝きを失わず、(ハク)には理解できない、耐えきって見せるのだと言う感情を宿らせては一際強く輝かせる。


 (ハク)にとって不愉快なその視線を受け、(ハク)は舌打ちを一つして破壊衝動に駆られるようにして更に永新の肩を破壊して永新の前へと移動した。



『「……お前のそれは、天晴とも言えぬただの泥臭い根性だ。何をそこまでお前を突き動かすものがある? 俺にはそれが理解できないが……、もう遊びは終わりだ。一息に殺してやろう。そうしよう」』



 永新の胸に添えた手を、今度は永新の額に掌を当てる。

 纏炎による防御も剥がれた今、永新の額に置かれた掌の先で霊力の集約による爆発を引き起こせば、永新は脳漿を撒き散らして死に至るのは間違いない。


 どこまでも愉快に、どこまでも無邪気に、どこまでも悪辣に笑った(ハク)は、永新の水音の混じる呼吸音をバックに睨みつける視線を無視して霊力を高めていく。


 あと三秒、二秒――と掌を通じて霊力の高まりを感じる永新は自分の死が近付いている事を知る。


 しかし当の永新は、殺されるまでのカウントダウンが始まったと言うのに、不思議と走馬灯の類を一切見る事は無く、ただひたすらに指の隙間から覗く(ハク)に対して強い意志が宿る視線を向け続けるのみであった。

 もしもこの時永新の喉に血が詰まっておらずに普通に喋る事が出来たのならば、永新は「やってみろ」と不敵に笑っていた事だろう。



「……」



 べろり、と大量の血を吐くだけの永新の口は言葉を紡ぐことは出来ずに、ただ笑って見せるのみ。


 向けられる永新の目付きと、意趣返しとばかりに浮かぶ挑発的な笑み。

 それを目の当たりにした(ハク)の瞳の中の瞳は不気味に揺れ動くのだが、そこで永新は(ハク)が初めて見せた「動揺」にさらに笑みを深めた。



『「……吹き飛んで、死ね――」』



 (ハク)が集約させた霊力を放出し、その先に在るものを吹き飛ばす衝撃でもって永新の頭蓋を爆散させようとした――その瞬間。



『「――ッ!??」』



 突如として霊力の流れが変化したかと思えば、永新の額を掴んでいた(ハク)の右腕が音を立てて破壊されていく。

 永新の頭を吹き飛ばす霊力がそのまま自分の体に返って来た事実に驚きを隠せない(ハク)は、困惑しながら後退せざるを得ない。そして何が起こったのか分からないのは永新もまた同じであり、(ハク)の腕から飛び散った血を顔面に浴びながら、覚束ない足取りで立ち上がって(ハク)に視線を向けると、何が起こったのか全てを理解する。



「私の……っ、体で、随分、遊んでくれたヨうでスね?『完全に沈黙さセたはずのお前が、何故、起きて――ッ! あぁそうか……、満月が……!!』――時間も忘レて遊んでくれたトは、()()永新は、気に入ッテもらえたようで、何よリですね」



 頭上を見上げれば、いつの間にか満月は白み始めた空に霞み始めていて、永新の四肢からも妖魔の力や本能と言った物が抜け落ちていくような激しい脱力感を覚えていた。


 一人で会話を繰り返す(ハク)は明らかに狂人のようにしか見えないが、瞳の中の瞳が閉ざされていくのが確認できる。会話を終えた(ハク)がゆっくりと永新の方を向いた時には、中性的で骨ばった骨格を有する(ハク)の姿は嘘のように、憑き物が取れたかのように元の見知った(ハク)に戻っていた。


 それでも永新はふらつく足で(ハク)に詰め寄ると、ゴロゴロと鳴る喉を精一杯震わせて、(ハク)の瞳の中から消えようとしていく瞳に向かって言葉を叩き付けた。



「ぉあっ……。おま゛えは……ッ、必ず俺、が……、こ゛ろ゛す゛ッ!! ぜぇ、はぁ……! 覚悟、していろ……っ!!」


「……えぇ。楽しみにしていますよ、永新」



 腹の奥から溢れてくる血をごぼごぼと鳴らして地面に垂らしながら、はっきりとは聞き取れないような物言いで真正面から(ハク)に宣戦布告をする永新に対して、(ハク)はどこか悲し気に目を伏せた後に柔らかな微笑みを浮かべるばかり。


 永新が「違う」と口にしようとするも、満月の祝福によって持ち堪えていたに過ぎない永新は満月の効力を失った瞬間に体力の限界が訪れたのか、突如としてガクンと膝から崩れ落ちるかのように倒れる。しかし、(ハク)の手によって地面に倒れる事は防がれるのであった。



「――お前は、俺、が……」



 霊力の喪失により、体から蒸気を上げて女体に変わる(ハク)にしなだれかかる永新は、うわ言のようにそれだけを繰り返し口にしながら意識を飛ばしていく。


 反対に、永新の血で汚れるのも厭わずに永新を抱き留めた(ハク)は、何を言うでもなく、ただひたすらに愛おしそうに永新の体を抱き締めるのみ。

 永新が馬鹿ではない事を知っている(ハク)は今回の一件を通して、それでも尚も「殺す」と表明した永新に対してこれまで以上に深い愛情を抱かずにはいられず、永新が死に絶えない加減で治癒術を繰り返しながら真宵の到来を待つのであった。


 こうして、満月の夜に人知れず起こった妖魔の王の復活を妨げた燼月永新の活躍は、誰に語られるでもなく、ただ一人だけが知るものとして記憶されるのであった――。







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