41話
関東南地区第十二区画に集う倶利伽羅は、総じて百余名。
その内、連絡が途絶えた地域の南二丁目、及び三丁目にかかる繁華街から離れた集合住宅が並ぶ地域に配属された倶利伽羅の数は、二十七名。総数における約三割近い倶利伽羅に連絡が通じないと言う事は、つまり最悪の事態を迎えたと言える。
虎徹は、満月の夜に対抗するべく、倶利伽羅同士の横の繋がりと言うものを重要視して、一時間毎に代表者が定期連絡をする決まりを徹底しており、問題の南二丁目及び一丁目の地域の代表者からの定期連絡は二時間前まで届いていた。それが午前三時現在において届いていない事に気が付いたのは、定期連絡の代わりに虎徹に届けられた緊急支援要請によるもの。
絶え絶えの呼吸と、耳をつんざくような断末魔。
それらが電話口から聞こえて来てからと言うもの、虎徹の判断は早かった。
即座に地区統括の権限を用いて、作戦段階と呼ばれる危険推移を「上級妖魔出現相当」に更新。同時に南地区第十二区画に残る倶利伽羅達を南二丁目に移動するよう指示を出し、連盟にもこの旨を伝達。あわよくば救援を期待しての事だが、夜明けも近付いて来た時頃、余り期待出来そうもない状況は理解していた。
「――竜ヶ谷隊長!! 上級妖魔って……、マジですか!?」
「まだ推測の域を出ないが、十中八九そうだろうな。何せ、定期連絡を送る部隊を選別して殺し回ってやがる。南二丁目から一丁目の奴らは……もう手遅れだろう」
「そんな……っ!!」
向かう道中、一つ、二つと倶利伽羅のチームが増えていく中、虎徹は自分の憶測を物語る。
もしこれが上級ではなく中級であれば、それでいい。常に最悪を踏まえて行動する事は、今のように状況の把握が難しい事態では欠かせない。常に最悪を考えていれば、その最悪を前にしたとて体が動けなくなる事は無くなるだろうから。
虎徹の考えでは、この上級妖魔は間違いなく満月の出現と共に姿を現していながらも身を隠し、倶利伽羅が完全に散った上で放置してから狩りに臨んだはず。それ程までに知恵が回るとすればまず間違いなく上級。それも、満月による血の暴走を制御しているとも言える程の上級妖魔であると推測できる。
もしそうなれば、集結していく倶利伽羅の数では対処は難しいかもしれない。千夏に言った万が一が、万が一ではなくなるかもしれない、と天音にだけ伝わる目線を送ってさらに速度を上げた。
「だけど、北の盟主は単体で上級妖魔を屠ったと聞く。僕達が力を合わせれば、勝てない事は無いはずだよ。北の盟主に続いて、僕達が第二の上級妖魔を討伐して見せよう!」
「ははっ。進藤さんがそう言うんだ! 俺達に出来ない事はねぇはずだ!!」
「「――おぉッ!!」」
いつの間にか、五十近い人数の倶利伽羅が虎徹の下に集結しており、上級妖魔の出現に震える倶利伽羅達を鼓舞するように、天音が声高らかに鬨の声を上げる。
それは死地へ歩みを進めるのを理解していながら、歩まざるを得ない者達の恐怖をひた隠した最期の雄叫び。
かくして、関東南地区第十二区画に集った倶利伽羅の多くは、上級妖魔の胃袋と化した地獄の二丁目へと足を踏み入れていくのであった。
ここは地獄の二丁目。
足を踏み入れただけで分かる、濃密な死の気配。
陰鬱な緊迫感は歴戦の倶利伽羅でさえも眉を顰め、上級妖魔の残忍さを目の当たりにする。
「――血が……。あちこちに……!」
「ここで一体、何があったんだ……!?」
「……っ」
虎徹達先行組に遅れて二丁目に踏み入れた後方支援組の七星、晴也、永恋とその守護者たる千夏の四名は先行組が歩んだ道をなぞって進む道すがら、アスファルトや縁石に破壊された痕と、人間の血がこびりついている惨状を目の当たりにして眉を顰める。
人払いの結界が町中に張られていて、住民は外で何が起ころうとも外に出てくることは無いし、既に外にいる人物は早々に道を引き返す。そして夜が終わった後に、連盟の手によって家屋の被害は偽装工作されて全てが事故と片付けられるのだが、永恋達が足を踏み入れた二丁目ではそれを嘲笑うかのような破壊痕とただ事ではない血痕が残されており、ここで惨劇が繰り広げられた事は容易に想像できる。
「小暮日ちゃん、天炎くん、御厨ちゃん。護符は何時でも起動できる状態で待機しておいて。それと、纏炎は私が良い、って言うまで絶対に解除しないように。分かった?」
永恋達を先導する千夏はその横顔に焦燥を浮かべており、南二丁目に入ってから張り詰めた様子で緊張を走らせていた。その焦燥が、緊張が何を意味しているかは、付き合いの浅い永恋達には読み取れない。
それでも、先達である千夏の忠告を確かに受け取り、三人は恐る恐ると言った様子で頷きを返して彼女の背に付いて行く。
そんな中で、永恋は目の間の惨状にある違和感を覚え、的確にそれを指摘する。
「……死体が、無い」
「本当だ。妖魔に殺された倶利伽羅でも、死体は残るはずだ。連盟が持ち去った……にしては雑な仕事だしな」
「それじゃあ、妖魔が持ち去った、って事? 一体、何の為に」
「――妖魔の考えている事なんて、分かる訳ない。私達はただ、妖魔を殺す事だけ考えればそれでいい――っと、お姉さんが緊張しちゃって、みんなも大変だよねぇ……。ごめんねぇ、アハハ……」
七星の言葉に緊迫した空気に飲まれた様子の千夏が恐ろしい顔を覗かせて早口で捲し立てるのだが、千夏は三人の視線に晒された事で正気を取り戻し、精神を安定させるべく深呼吸を繰り返す。
集合住宅がひしめき合う団地の中に充満する、嫌な空気。
緊張と不安に包まれて正気を失いかねないのは、新人もベテランも関係なく、恐怖に飲まれた者から狂わされていく。それが例え上級妖魔に対する恐怖でなくとも、何かを失うのを酷く拒絶し恐怖する千夏は、まんまとその空気に当てられてしまったのであった。
これが上級妖魔が作り出す悍ましい世界の正体。ありとあらゆる負の感情を煽り、精神を不安定にさせる、独特の緊迫感。心の弱い者はもちろん、如何に心が強くとも倶利伽羅として守りたい物を多く抱える者程、この空気に狂わされてしまう。
しかし、永恋も晴也も七星も緊張はしていてその目に不安を宿しているものの、恐怖の色は一切浮かんでいない。それは幼き頃より倶利伽羅としての心構えを強く叩き込まれたお陰でもあった。
「――この音っ、隊長たちが、戦ってる……!」
そんな中、前を行く先行組の動きが激しくなったのを察知して、本来であれば慎重に動くべきところを千夏は居ても立っても居られない様子で走り出し、永恋達も油断なく弓矢と護符を構えながらその後に続く。
千夏に続いた先、入り組んだ団地を潜り抜けるように駆け抜けた開けた場所で、先行組は激しい戦闘を繰り広げていた。
――同じ、倶利伽羅同士で。
「ッ!? これは、一体……!?」
「――」
「千夏さん! 避けて!!」
「くっ!? 貴方は……! さっきの――」
衝撃の光景を前に硬直したのも束の間、飛び出した千夏に襲い掛かる影に気付いた永恋が声を張り上げたお陰で千夏は敵の凶刃から逃れることが出来たものの、襲い掛かって来た影が街灯の下に躍り出て正体が判明した事でも更なる衝撃が永恋達を襲う。
勢い余って地面に倒れ伏した敵の影がくゆり、と上体を逸らして起き上がり、街灯に照らされて正体が浮かび上がる。その正体と言うのが、つい先程天音の鬨の声に勢いを付けた倶利伽羅の一人であり、千夏も良く知る人物であった。
「――っ」
「ッ、どうして、貴方が……ッ!? この、臭いは……!? くぅっ……!!」
刀を打ち交わして見えた倶利伽羅の目は既に光を失っており、意識も無い。
口からは涎を垂れ流し、土気色した肌は乾燥してひび割れている。一体いつ殺されたのかも分からないような状態に、千夏は悲痛な面持ちで刀を打ち返す。
周りを見渡してみれば、そこかしこで倶利伽羅と妖魔が打ち合う中に、倶利伽羅と倶利伽羅が切り結んでいる光景が捉えられる。
共に戦場を潜り抜けて来た戦友を、自分たちの手で殺さなければならない苦痛と言うのは想像を絶するもので、見知った顔を己が刀で切り伏せる事は、倶利伽羅として、人としての倫理がそれを妨げる。考え得る中でも最低最悪の妖魔の能力に、反吐が出るような思いをしながらも千夏は目の前の同胞を殺す選択が取れないでいた。
「千夏さん、そいつの動きを止めて!!」
「っ!!」
「俺がやります! ――紅蓮一刀流初伝、赤牙波羅!!」
しかし、自分よりも若く冷静な七星の声にハッと我に返った千夏は、再度襲い掛かってくる同胞の刀に対して己の刀を垂直に合わせて、刃止めを行う。かっちりと噛み合った刃は押す事も引く事も出来なくなって死者と化した同胞が困惑の色を見せた刹那、炎を纏った刀が同胞の首を分かち、相対していた千夏の鼻先を掠めた。
「フゥーーーっ……。千夏さん、大丈夫ですか!?」
「う、うん……、ごめんなさい。それと、ありがとう」
本来であれば手を汚すのは年長者たる千夏であるべきところを、晴也に任せてしまった事に罪悪感を抱きつつも感謝を告げ、息を整えたのも束の間、次は千夏を呼ぶ永恋が指を差して訴える。
「千夏さん、あそこ!!」
「――っ! あれは……隊長、と……天音先輩!?」
永恋が指差す先、団地の広場には、大量の倶利伽羅や妖魔が混じる多勢を強いる上級妖魔と、それに相対する虎徹が率いる先行組が鍔迫り合いよろしく切り結んでいる姿がその目で確認できた。
「キヒャハッ!! そらそら、どうした!! 時間が経てば経つほど、俺の手駒は増えていくだけだぜェ!?」
「くっ……。天音っ、すまない……!」
「――」
国威を纏っていても尚も目立つ長い四肢に、狐のような糸目は開眼して血走っていて、蛇のように長い舌を垂らした人型の妖魔は、仲間同士で殺し合う光景を前に愉悦に満ちた表情を浮かべて高らかに嗤う。
放出する霊力は異常とも取れる大それた存在。まさしく上級妖魔の名に相応しい下衆以下の存在。それは涎の滴った肉厚な舌を震わせて、文字通りの肉壁の背後で悠々と手を広げるばかり。
この開けた空間で、虎徹の一声で集まった倶利伽羅達を相手しても尚も余るほどの手駒を用意していると言う事は、この南二丁目での惨劇を生み出したのはこの妖魔で間違いないと言う事になる。
それだけでも倶利伽羅として腸が煮えくり返りそうになる程の怒りに見舞われるのだが、虎徹が相手する倶利伽羅の中に混じる非常に見慣れた人の影に、千夏は我慢ならずに駆け出していく。永恋も、晴也も、七星も置き去りにして、持ち得る限りの力を振り絞って上級妖魔へと突っ込んでいく。
「貴ッ、様ぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ!!!!!」
「――千夏ッ!! やめろ!!!!」
「キャヒハッ! 新しい手駒が自分から飛び込んできやがったァ」
怒り狂った千夏が護符と刀を手に飛び込んでくるのを見て、上級妖魔は舌なめずりするかのように唇に舌を這わせた後、虎徹と相対する人影を一つ引き抜くような動作を見せると、千夏の動線上に人影が割り込んでくる。
それは、非常によく見覚えのある人影で、千夏は霊力を通した刀と護符から霊力を霧散させ、勢いのままに地面を転がる。
「――ッ、天音、先輩……っ!!!」
『おいで――ちな、つ』
「っ、やっぱり、天音先輩、は――え……?」
千夏を前に柔らかな笑みを見せる天音。穏やかに両手を広げて微笑む姿は、千夏が良く知る優しくも厳しい先輩である進藤天音そのものであり、現実を受け入れがたい千夏は無防備にも近寄って行った結果、天音手ずから突き立てた刃が脇腹を貫通する。
「千夏ッ……! この……っ、邪魔、だぁあああああああ!!!」
「キャヒハヒハハッ!!! 人間ってのは本当に騙しやすいなァ。俺の声真似、上手かっただろォ!? 対象の記憶をちょびっと見るくらい、造作もないからねェ! それじゃあ、大好きなセンパイの手で殺される気持ちを一言、どうぞォ? って、分かんないか!!! まァいいさァ。死んでから、聞けばいいからね――ッ!?」
「――天、音ぇぇぇッ!!! 紅蓮一刀流・奥伝、朧花月ぅぅああああああ!!!!」
上級妖魔が操る天音が、千夏の血で濡れた刀を振り上げた、次の瞬間。
先行組に襲い掛かっていた倶利伽羅と妖魔が一撃で薙ぎ払われる。
それと同時に発現する爆発的な霊力の放出に、上級妖魔は思わず自分の身を守る事を最優先し、それぞれの制御が緩む。しかし、その爆発的な霊力は直接上級妖魔に襲い掛かる事は無く、千夏に刀を突き立てようとする天音を、離れた距離から両断した。
体が二つに分かたれるその時も、天音の目に光が戻る事は無く、ただ元あった在るべき形に戻ったに過ぎなかった。
「隊、長ぅ……!!」
「…………千夏よぉ、お前、俺達の最期の命令を無視してくれやがったなこんちくしょう」
「わた、私、も……! 戦います……! 戦わせて、下さい……!!」
「そんな体で着いて来られても足手纏いだ、この野郎。言ったはずだぞ。お前は、ガキ共を守り通せってな。それも守れねぇような奴は、俺のチームには要らねぇ。お前は今日限りでクビだ、クビ。さっさと失せな」
「そんな……っ、隊長、お願いです……! 私を――」
「――それでもっ!! どうしても俺達の力になりてぇっつうなら、――俺の仇を討て。為すべき事を為せ。俺達の分まで、長生きしやがれ。……簡単に死ぬんじゃねぇぞ、馬鹿妹め」
「……ッ」
それだけを言い残して、虎徹は刀を振り翳す。
それだけを胸に留めて、千夏は逃げ帰る。血のような涙を流して、決して振り返らずに。
そんな二人に追い風を吹かせるように上級妖魔の隙を突いた先行組が天音の死体一人が抜けた事で形勢逆転し、同胞も妖魔も関係なく切り伏せて虎徹と共に立ち向かう。その目には、死者を愚弄する上級妖魔に対する紛れもない怒りを湛えており、それに応えるかのようにして倶利伽羅達の霊力が燃え滾る炎のように揺らめき立つ。
しかし、上級妖魔はそれすらも笑いの種かのように気味の悪い笑みを浮かべ、虎徹らを歓迎する。それは満月の夜が故に生じる慢心か、それとも絶対的な自信の表れかは分からずとも、まだまだ余力を残している事がハッキリと分かる。
「それそれ、もっと踊って見せろよ、肉人間共がよォ!! ――ほゥら。隣の奴が敵じゃないって、いつ勘違いしたんだァ??」
「――ぅぐふっ……!」
上級妖魔の自信を裏付けるかのように、虎徹の周囲に立っていた倶利伽羅数人が、無防備な背中を晒す虎徹に刀を突き立てた。
「新鮮な死体っつうのは、生者と見分けがつかねェだろォ? そらそらそらそら! もっと悲鳴を上げろ、もっともっと悲鳴を聞かせてくれよォ!!!」
「……生憎、そんなヤワな鍛え方をしているんじゃ、ねぇからよ……。――紅蓮一刀流・奥伝、朧花月……ッ!!!!」
「バケモン、かよォッ!?!?」
虎徹を心配する声は上がらない。
誰もが此処を死地と定めているからこそ、屍を越えて往く決意を定めているからこそ、最低限の息遣いだけで連携が図れる。虎徹の背中に刺さった刀はそのまま、怒りのままに放たれた奥伝は、人の弱さを知っていながらも人の強さを知らないが故に油断した上級妖魔に襲い掛かり、激しい負傷を負わせる。
けれどもそれで倒すには至らず、上級妖魔が更なる反撃に出る光景を離れた位置で見守っていた永恋達は、顔を青くさせて引き返してきた千夏に肩を貸す。
「……私達は、退きます。これは、敗走ではありません。次に繋ぐ、撤退なのです……! 残っている倶利伽羅は、全員撤退を!!」
決して後ろを振り返らないのは、振り返ってしまえば命を捨ててでも虎徹と死地を同じくしてしまうからか。腹部に生じた傷が痛むのか、大量の大粒の涙を流して統括代理の任を果たす千夏は、決して俯かない。
永恋、晴也、七星以外にもその場に居合わせた倶利伽羅は撤退する最中、生まれて初めて目にする上級妖魔と、一切臆することなく勇猛果敢に立ち向かい自分達が撤退する時間を守り抜き、満月の効果が喪失する夜明けまで戦い続けた倶利伽羅達の背を、生涯忘れる事は無いだろう。
その日、関東南地区第十二区画における満月の夜の被害は甚大だった。
配属された倶利伽羅百二十六名の内、死者もしくは行方不明者の総数は八十七名にも及び、逃げ延びた倶利伽羅達も総じて重軽傷を負っていた。満月の夜が明けてからの連盟による調査の結果、上級妖魔との戦闘の跡は残されていたものの上級妖魔の死体は見当たらなかった事から、「死霊術師」と仮称する上級妖魔は討伐を確認されていないものと言う見解を発表。
残された南地区の倶利伽羅達が総じて復讐を誓う中で、改めて妖魔の脅威を思い知らされ、眩しい程の倶利伽羅の命の輝きを見せつけられた永恋は、倶利伽羅であるべき自分と妖魔に堕ちた永新を想う自分とで再度板挟みに逢い、自分と見つめ合う時間を必要とするのであった。




