33話
「――破魔弓術中級・併せ技、焼軍燕ッ!!」
巨体に見合わぬ鋭い足運びで迫る上級妖魔フブキに対して、ササラは用意していた中級の併せ技、焼軍燕をお見舞いする。
ササラの霊力によって炎を灯した一本の矢が二つに。二つの炎が四つに。四つの炎が――。
倍々になって増えていく炎はやがて燕の形を象って、フブキへと襲い掛かる。槍衾もかくやと思しき隙間の無い乱撃は、フブキの突進の勢いを殺していく。
――KYURAAAAA!!
大量の火炎燕がフブキの体を傷付けていく中、フブキが上げた声は悲鳴にも歓喜の声に聞こえるものでササラは思わず眉を顰めてしまう。
しかし、相手は一世紀近くも出現した記録の無い上級妖魔。どこまで耐えられて、何を仕出かすかも分からない相手に気を緩める事は死に繋がりかねない以上、ササラは攻撃の手を緩める事は無い。
「――定道、今ッ!!」
「はい、お嬢様!! ――破魔弓術中級、灼落紅葉・三連ッ!!」
ササラの声に、いち早く後退した定道が構えていた弓矢を上空へ向けて放つ。
何処を狙っているのか、と笑われるような軌道を描く三本の矢は、小さな種火を鏃に灯しながら天へと昇っていく。
その時、焼軍燕の嵐に晒されるフブキが長い首だけを前に伸ばして、始めの一撃同様にしなる首での攻撃を仕掛けてくる。
焼軍燕による絶え間ない攻撃を受けるフブキの体には目立った傷は見られず、「キュララ」と鳴くフブキは何でもないかのように大地を抉った。
しかし、焼軍燕によって視界を封じられたフブキがその場にササラ達が居ない事に気が付いたのは手応えの無い頭から感じ取ったため。
そうして生まれた大きな隙を、定道は今度こそ逃さない。
「落ちろ――っ!」
定道の指示により、上空にはなった矢に込められた時限式の霊力が炸裂し、三本の矢が項垂れるように地面に頭を垂らしたフブキの頭目掛けて強襲する。
その威力は込められた霊力の分だけ増加し、焼軍燕の三倍もの破壊力をもってフブキに襲い掛かる。
どんな生き物でも、眼球を、そして脳を破壊されれば満足に動く事も出来ないはず。
ササラが思い付いた上級妖魔に対抗する術として、早期の決着をつける為にまずはフブキの動きを制する事が肝心であるため、これはまず最初の段階。
フブキの頭が潰れた後に続く行動として、既に動き始めたササラ。
しかし、定道の灼落紅葉がフブキに迫った――次の瞬間。ササラと定道は己の目を疑うような光景を目の当たりにする。
「「ッ!?」」
地面に嘴のような頭を突き刺したままのフブキは、顔面の半分を占めるギョロリとした眼を動かしたかと思うと、突如として「ぷぅ」と可愛らしくも状況に応じて悍ましくすら感じる音を発したかと思うと、頭を大きく膨らませた。
そう、まるで風船が膨らんでいくかのようにフブキの後頭部が丸々と膨らんでいったのだ。
しかし、頭部が風船のように膨らんでいったかと思えば、灼落紅葉がフブキに到達する次の瞬間、フブキの頭の風船が破裂すると同時に当たりに凄まじい勢いの冷気が撒かれ、迫り来る灼落紅葉をいとも容易く吹き飛ばすのであった。
――KYURARARARA!!
「定道、危ないっ! 下がって!!」
「くっ……!!」
「間に、合え……! ――破魔弓術中級・併せ技、炎導式・舞踏松毬!!」
しかし、フブキの放った大量の冷気は灼落紅葉を吹き飛ばしただけに留まらず、大量の冷気に包まれたフブキはケタケタと笑って霊力を発露させる。
頭が破裂したとて変わらず活動する姿は常軌を逸しており、それだけでも恐怖を抱かずにはいられないのだが、更に爆発的な霊力を冷気に走らせる姿勢を見て、ササラは発動しかけていた霊術を乱暴に切り替え、フブキの攻撃による被害を最小限に収めるべく霊術を放った。
――炎導式・舞踏松毬。
拡散式の炎を宿した矢を分裂させ、フブキの周囲に突き立たせる。
直後、フブキの叫び声に反応して霊力が震え、大量の冷気が氷塊を生み出すと同時に、ササラの霊術もまた炸裂する。
氷塊が生まれると同時に拡散する炎が炸裂し、氷塊を破壊していく。
その様はまるで火の中で弾ける松毬の如くであり、弾ける音はリズムを刻んでいるかのようにも聞こえてくる程に、ササラの破魔弓術はフブキの力と同格であった。
――KYURARA!!
同格であるように見せてやっている、とでも言っているかのように聞こえる嗤い声が煙の中から届いたかと思えば、ササラの破魔弓術を越えて複数の氷塊が周囲に噴出されていく。
「ぐっ、うぅ……っ!!」
「お嬢様!!?」
「掠っただけ!! 平気だから、回避に専念して!!」
「くっ、かしこまり、ました……!」
「これが止んだら、仕掛ける――!」
噴出された氷塊はササラの腿を掠め、流血させるも、ササラの言葉の通り掠り傷でしかない。
そう判断したササラは、圧倒的な力の差を見せつけるかの如く次から次へと氷塊を放つフブキに次の一手を仕掛けるべく霊力を練り始める。
しかし、上級妖魔相手にそう簡単に攻撃の隙を生ませる事は厳しく、ササラの舞踏松毬もとうに効力を失ってフブキの氷塊が全方位に射出されるようになり、その猛威をふんだんに振るって瞬く間に独壇場と化してしまう。
いつ訪れるかも分からない相手の攻勢が止むその時を待つべく回避に専念するが、焼軍燕を彷彿とさせる逃げ場のない氷塊の嵐は次第にササラを追い詰めていく。ササラでさえも追い込まれているのだから、定道に至っては傷を増やしていく始末。
このままでは隙を突くどころかこのまま押し切られかねない状況の中、ササラは思いがけない援護を受けることになる。
「――破魔弓術中級、灼ぁ落っ、紅葉ぃッ!!」
――KYURAAA!!?
突如として降って湧いた声は、ササラが隔絶した炎の橋の向こうから聞こえてきたもので、声と同時に上空から降り注ぐのは大量の灼落紅葉。
それらは一寸の狂いもなく冷気の中心で嗤っていたフブキに襲い掛かり、フブキの口から初めて悲鳴のような声が上がって氷塊の生成が止まる。
「――炎導、ササラぁ!!! 私達を、舐めるなっ!! 例え上級妖魔が相手であろうとも、貴様のような子供に守られる程、温く生きてきたわけでは無いわァ!!!」
「……っ、そう言うなら、初めから大人であるところを見せてもらいたかったんですけどね……! でも、背に腹は、代えられない、か――!!」
援護の一撃と共に、誰よりも目先の欲に眩んで大人らしからぬ言動を取っていた下火蔵からの怒号が投げ込まれる事に対して悪態吐いた後に、ササラは炎の橋を解除する。
定道と二人でフブキを相手取る事が難しい以上、更なる人の手を借りる他無い事は事実。例えその手が、自分の首に手を伸ばしていたとしても、ここでフブキを討伐しないと言う選択は有り得ないのであった。
炎の橋の維持に回していた霊力を戦闘に向けられるとなったササラは、熱い吐息を漏らして手にする武器を弓から刀へと変える。
「――二人一組で動いて冷気に近付き過ぎない事、攻めの手を緩めない事。それさえ守っていただければ――」
「貴様に言われずとも分かっておるわ!! 総員、牽制に務めろ! 決して前に出てはならぬ!! 分かったな!!」
「「ハッ!!」」
――KYURARA……
欲に目が眩みやすいとは言え、的確に物事を判断できるだけの指揮能力は有しており、何よりも人望に厚い下火蔵は、名家なだけあってやはり優秀のよう。その優秀さをもっと別の方向で生かしてもらえれば、と考えるのも一瞬。フブキが再び行動に出ようと頭を持ち上げるのを確認すると同時に、ササラは地面を蹴ってフブキに接近し、刀を振るう。
「――紅蓮一刀流・初伝、桜火一閃」
刃が描く斬撃に乗って尾を引く火花が、冬の盛りに似つかわしくない桜吹雪に見えるその一閃は、纏炎によって引き上げられた身体能力と、天才と呼ばれしササラの巧みな技術によって底上げされてフブキに襲い掛かる。
――KYURARA
しかし、流線形の体に変化したフブキの肉体は、まるで雪の上を泳ぐようにして体を運んだかと思えば、ササラの一閃を何の気も無しに軽々と避けて見せる。
更には、刀を振り抜いた姿勢で隙を作るササラに対して、追撃とばかりに強靭な尻尾を振り下ろすのだが、尻尾が地面を叩く頃には既にササラは後方に引いていて、地面に対して垂直になる姿勢でバネを生かすかのように木の幹に足を掛け、膝を曲げて次の行動に繋げるべく、尋常ではない規模の霊力を励起させる。
「――定道!!」
「破魔弓術初級・併せ技、乱れ燦花!!」
「――続けぇ!!」
「「破魔弓術中級、火炎蜂!!」」
――KYURAAAA!!
ササラに注目を向けたフブキに対して、定道と下火蔵率いる調査隊が牽制すべく技を放つ。
それらはフブキが攻勢に出るのを妨げる役割を担っている為、攻撃そのものが直撃してもしなくても問題は無く、攻撃にさらされる中でフブキが忌々し気に彼らに目を向けた、刹那。
「――紅蓮一刀流・奥伝、神炎乱舞」
刀の反り返った刃に煌々と金に輝く炎を宿したササラが一息の間にフブキの元へ飛来し、勢いのままにフブキの体を切りつける。
――KYURAAAAAAAAAAA!!!?
ササラの振るった刀は見事にフブキの体に傷を付け、傷口から人間とは違う色の血液を噴出させる。
中級以上の妖魔には再生能力が付与されていることが多く、当然フブキの肉体にも機能していたのだが、ササラの刀に這う金色の炎は妖魔の再生能力を著しく阻害する効力をも発揮して見せる。
そして、乱舞の名の如くササラの猛攻はたった一撃で終わるはずもなく、自然な動きで切り返したササラはフブキの横を通り過ぎる度に傷を一つ、また一つと増やしていき、その度にフブキの体からは出血が増えていく。
当然フブキもただやられてばかりとはいかずに反撃に出ようとするも、ササラの多面的かつ全方位からの猛攻に加え、定道による的確な支援牽制によって反撃行動が封じられてしまい、フブキの中には苛立ちばかりが募っていく。
――KYURAAA!!!!
「はぅっ、く……! 仕留めきれなかった……!」
「ですが、十分深手を負わせられはしました!!」
「ならば、もう一度同じ事をすればよかろう。総員、構え――」
乱舞を受けるフブキは、これ以上は堪らない、とばかりにその巨体を大きく捩らせ、自身の周囲に大きな氷柱を生み出す。
しかしそれもササラには避けられてしまうものの、金の炎に身を裂かれる感覚からは解放され、邪魔な氷柱を消していく。
――KYURAAッ!!!!
雪上を己の血で染めたフブキは彼我の距離が離れたと同時に、再度冷気を撒き散らす。
先程は炎の橋による熱気で極小の氷の粒はその効力を発しなかった為に自身の周囲に濃く配置すると言うくらいには知恵を回したのだが、その炎の橋が他の誰でもないササラの手によって解除された今、今度は気を遣う必要も無く全方位に際限なく撒き散らす事で、冷気に混じって飛散させた極小の氷の粒は猛威を振るう。
「な、なんだ……!? 喉が……!」
「ゲホッ、カハッ……!?」
「さ、寒さまで感じて、ゲホッ、ゲホゲホっ!!」
「ッ、全員、身体の熱を上げて対処して――」
「そんな事をすれば、満足に動ける訳がなかろう……ぅぐっ、総員、更に距離を取って――」
――KYURARRRRAAA!!!
「っ、不味い……! 全員、防御態勢!! ――紅蓮一刀流・中伝、火翼の帳」
極小の氷の粒によって瞬く間に戦線を崩壊させられる倶利伽羅達。そんな隙を妖魔が見逃すはずもなく、冷気の範囲の外に出る事すら許さずにフブキはお返しとばかりに強靭な尻尾で目の前の地面を薙ぎ、扇状に氷柱を飛散させる。
それらは困惑する俱利伽羅達の元に漏れなく飛来し、まともに動くことも出来ない者はまず間違いなく致命傷を避けられないだろう。
故に、まともに動けるササラが防御術を発動するのは必至であり、広大な範囲に炎のカーテンを巡らせる。
それらによって一時的に冷気に混じる氷の粒から解消されるも、その炎のカーテンには差し迫る氷柱を一瞬にして融解させる程の熱量は有しておらず、氷柱は勢いを保ったまま炎のカーテンを突き破って来る。
「ぐぁっ!!」
「がっ……!」
「う゛っ……」
むしろ、火翼の帳によって視界を遮られた事によって迫り来る氷柱に対応出来ず、突如として出現した氷柱を回避できなかった倶利伽羅達は、熱によって先端の尖りを失った氷柱によって殴打され、強制的に意識を刈り取られていく。
「ぐ、うぅ……、貴様、炎導、ササラ……! よ、くも……」
「っ、定道……!」
「――お嬢様は、正しい事を為されました! 気に病まれぬよう……。それよりも、振り出しに戻ってしまった訳ですが……」
氷柱によって貫かれる予定だった調査隊のメンバーはササラのお陰で一命を取り留めたものの、揃って地面に伏してしまった。
唯一悪運の強い下火蔵だけは気を失ってはいないものの、頭に氷柱を受けたせいで激しい脳震盪に襲われていて満足に立ち上がる事すらままならない。
故に、定道以外の援護は無くなったものとして立ち回らなければならず、定道の言う通り振り出しに戻されたのは事実。
「……当初の目的通り、隙を見つけて、もう一度奥伝をぶつける。もし、それでも駄目だったら――」
「……かしこまりました。身命を、賭しましょう」
「――紅蓮一刀流・初伝。重ね技――」
「破魔弓術中級・併せ技、跳ね威し鳳仙火ッ――」
ササラの言葉の意を汲み、定道は覚悟を定める。
手足の調子を確認した後、声を合わせるでもなく飛び出して行くササラに合わせて、破魔弓術を放つ。
ササラは定吉が合わせてくれると言う信頼の下、定吉はササラならばやってくれると言う信頼をもって挑む上級妖魔は、尻尾の弾みと肉体のしなりでもって迫るササラに対して、巨体で押し潰さんとばかりに跳び上がる。
しかし、フブキが上空に跳んだのを確認した直後、ササラは好機、とばかりに膝を屈め、あろう事かフブキに向かって跳躍――したかと思えば、定吉の破魔弓術がササラを追い越して、上空に手無防備なフブキに直撃。
キュラぁ、と悲鳴を上げて失速するフブキに対して、ササラはフブキを越えて頭上へと陣取り、空気を断つ音を鳴らしながら刀を振り下ろす。
「――火仙鳳ッ!!」
フブキの体に打ち付けた刀は炎を噴き上げ、込めた霊力に応じて落下速度が増していく。雄叫びを上げながら地面目掛けて落ちていく姿は、まるで流れ星のよう。
金の炎を纏っていた時よりも鈍い手応えに顔を顰めるも、斬撃以上に落下によるダメージを狙ったこの技は遥か上空からフブキの体を下に敷いて地面に激突し、膨大な熱量と重量によって大きな雪煙を巻き上げる。
余りの衝撃に地面を転がったササラは受け身を取って立ち上がり、この雪煙が晴れる前に決着を、と更なる追撃を図って刀に霊力を漲らせる。
宿った炎が金色に変わっていく中、薄らと晴れていく雪煙の向こうで、キラリ、と輝く光をササラの目は捉えた。
「――ッ!?」
直後、――轟、と音を立てて冷気の形をした霊力が物凄い勢いでササラに迫る。
咄嗟の事で、無様な姿でありながらも地面を転がって迫る冷気の塊を回避する事に成功するも、それが通った場所はことごとくが凍り付いてしまっている事に肝を冷やす。
もしも直撃していたら。
そんな事を考えると、戦闘の口火となった氷像と化した火久保の姿が脳裏に過るのだが、同時に再度の霊力の高まりを感知して視線を向けると、雪煙立ち込める中であんぐりと口を大きく開けて霊力を射出しようとするフブキの姿が視認でき、今の一撃を再度放とうとするのが見て取れた。
「連発っ、できるの!? 逃げなきゃ――ッ!?」
目を皿にして驚嘆するササラであったが、不意に走った脚部への鈍痛と、思ったように動かない右脚に視線を落とさざるを得なくなる。
そうして下ろした視線の先では、先に受けた氷塊の傷口にいつの間にか大きな霜が降りていて、満足に動かす事が出来ない事に気が付く。
一体いつから、一体何がきっかけで、と疑問が積み上がってくるも、ササラの体は今も尚フブキの射線上にある為、ここで悩んでいる場合ではない。しかし、先の一撃と同等の威力で在るとするならば、今から逃げたところで体の一部を犠牲にしなければならず、一部を欠いた状態で奥伝を放ったところで十全の威力は発揮されない。あまつさえ天才であるが故に、自分の置かれた状況が詰みの状態である事に気付いてしまい、悔しさから歯噛みせざるを得ない。
「くっ、うぅ……!!」
それでも、諦めてなるものかと必死で体を動かすのだが、雪煙の向こうから見えた光の輝きが一層強くなるのを認識する。
「ああ゛ぁ……!! あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!!!」
少しでも遠くに。少しでも被害を最小限に、と務めるササラが魂の叫びを上げた、次の瞬間――。
非情にも、先程よりも大きな威力でもって冷気が吐き出され、ササラの眼前は白に染まり尽くす。
襲い来る冷気に身を晒し、いつ死んだかも分からずに死を迎える事が酷く恐ろしく感じて、ササラは瞼を固く閉じて、心の中で大きく一つ「ごめんなさい」と呟く。
瞼を閉じた先、轟轟と吹雪く冷気の中、暗闇に覆われる世界こそが死後の世界なのかと独り言ちるササラの耳に、ノイズに混じって聞こえてくる音が彼女の瞼を再び開かせる。
「――う様、お嬢様――ッ!!!」
「ッ!? さ、定道――ッ、どうして……!?」
耳に馴染んだ声に瞼を開いた先、そこはササラが思い描く天国ではなければ地獄でもない、吹き荒ぶ冷気の中にササラは身を置いていて、顔を上げれば鬼気迫る定吉の顔が見える。
「言、った、でしょう……。身命を、賭します、って……!」
「ッ……!!」
「これが、最後の、機会……です……! お嬢、様、なら――」
ササラを庇うように身を挺する定吉に、ササラは送る言葉一つさえ口に出来ず、定吉の体が凍り付いていく様を見届ける事しか出来ないでいた。
見上げれば定吉の体にもササラの腿の傷と同じような霜がいくつも降りていて、動くだけでも苦痛が生じるはずだった。そんな中で、定吉はササラのためにと彼の霊力の全てを使って、その身を挺して襲い来る冷気からササラを守ったのであった。
そんな定吉の献身に涙を目に溜めるササラであったが、瞬く間に凍り付いていく定吉の言葉の意を汲んで、涙は流さずに彼の目を見て一つ、肯いを返すのみに留めたのを確認したかの如く、定吉は笑みを浮かべて氷像と化していく。
――KYURURUUUUU
そんな事など露知らず、人一人の氷像が出来上がったのを確認したフブキが氷像の下へ歩みを進めてくる。倶利伽羅の死を確認する為か、それとも氷像を破壊する為か。妖魔の考えている事など理解したくもない思考回路を持ったフブキに、ササラは殺意を抱いて息を潜める。
定吉の氷像は見事で、妖魔と化したフブキはそれがもう一人を庇っていたとは考え及ばない様子で定吉の氷像に手を伸ばした、刹那。
「――紅蓮一刀流・奥伝。絶天ッ!!!!!!!」
降り積もった雪に息を殺し、霊力を潜めて身を埋めていたササラが飛び出し、フブキへと斬りかかった。
金色に輝く炎はササラの激情に呼応して激しさを増しており、先の神炎乱舞とは比にならない程の苛烈さを見せて、完全に不意を突いたフブキの右腕を切り飛ばす。
「――ああああああああああああぁぁぁぁぁぁあッッッ!!!!!!!」
フブキが抵抗に動く事も許さないササラは、二の太刀でもってフブキの体を両断すべく、殺意を持って斬り下ろす。
その目には、かつての想い人であったフブキへの恋慕は欠片も有しておらず、妖魔を滅するただ一人の倶利伽羅としてのササラが、そこには立っていた。
『――』
金色の炎がうねりを上げて燃え盛る中、その刀を決して止める事が出来ない勢いを得たところで、妖魔と化したフブキの目に初めて温かみが宿る。
その表情は、どこか温かみを含んでいるかのようで、壁を越えたササラを祝福しているようにも思える眼差し。当然、フブキから一瞬たりとも目を離さないササラはその事に気付いたものの、気付いた時には既に振り下ろす刀は止まらない。
「ッ――!!」
振り下ろすべき、振り下ろす事が正解だと分かっていながら、ササラは降って湧いた恋情を思い出してその手にブレーキをかけようとした最中、自由となったフブキの尻尾が柄を握るササラの手に優しく振れる。
それだけで彼の想いが伝わってくるようで、ササラの目から涙が溢れて止まらない。
しかし、振り下ろした刀は決して加減はされず、フブキの体を切り裂いて進んでいった、次の瞬間――。
「えっ……?」
ササラが振り下ろした金色の炎は周辺の積雪もまとめて吹き飛ばし、花弁のように宙を舞う。
しかしてそれは上級妖魔を跡形もなく消し飛ばしたかのように思えてその実――、ササラの手には何の手応えも返ってきていなかった。
だがしかし、実際に残されたのはササラが切り飛ばしたフブキの右腕だけであり、誰が見てもササラの最後の一撃が上級妖魔を消し飛ばしたとしか思えない現状。右腕以外のフブキの肉体が欠片も残されていない事実と、自分の感覚に生じた凄まじい乖離に、ササラは違和感を覚えて仕方が無かった。
「――お嬢、様……?」
「ッ、定、道……!?」
巨大な困惑の渦の中にあったササラだが、背中越しに聞こえた不意の声に振り返ってみると、そこには自分の体を不思議そうに見下ろして自分とは違う意味で困惑する定道の姿を視認した直後、定道へと駆け寄って目の前の事が現実かどうかを確かめるように腕を回す。
「お、お嬢様、これは一体……?」
「わたしにも、分からなくて……! でも、本当に、無事で、良かった……」
「ん、んむぅ……」
誰よりも心優しい北の盟主にして使える主人に抱擁され、定道はその背中に腕を回そうとして躊躇ってしまうが、代わりに鼻を啜る彼女の頭を優しく撫でるに留める。
しばらくして、二人の後方でも火久保が困惑しつつも動けるようになった下火蔵に激しい抱擁を受け、次々と目を覚ましていく倶利伽羅達からも無事を祝われ、次第に騒がしさを増していく中で、ようやく二人は現実へと気を取り直すのであった。
「――いやはや、ササラ様、実に見事な戦いっぷりでした」
「下火蔵、お前な……」
「だッ、黙れぃ、鴻野!! 前代未聞の上級妖魔の襲来、それを滅したササラ様は、まさしく今世紀最強の倶利伽羅と言っても過言では無かろう!!」
「よっ! ササラ様!!」
「火久保まで……。どういたしますか、お嬢様」
「……まずは、異界の穴が本当に開いたのかを確認しに行く。もしも本当に開いているとしたら、少しでも手助けは必要なはずだから」
「たっ、確かにぃ! あの上級妖魔が私達の足止めに来た、とすれば異界の穴が開かれたのも分かりますな!? むしろ、それを返り討ちにしてしまえる、ササラ様の落ちからとは実にお見事!!」
「異界の、穴……? う゛……!?」
「……黙っとれよ、火久保ぉ――」
「しかし、お嬢様含め、調査隊がこの状態で駆け付けたところで、力になれるかは……。まずはお休みになられるのが先決ではないでしょうか。上級妖魔の出現及び浄滅の報告も含め、異界の穴の早期封印に動ける人員を派遣するのが得策ではないでしょうか」
「いいや。異界の穴が開いた以上、北の盟主であるわたしが行かねばならない。疲れていて戦えない、などと言っていては、北の盟主として不適格。故に、わたしが行くべきなんだ。御託を並べている暇はない。さっさと行こう」
「かしこまりました、お嬢様」
ササラならばそう言うであろうことを考えていた定道はそれ以上反対する様子もなく受け入れ、疲弊する様子を見せながらも先行していくササラの後を追っていく。
その間、ササラは手応えの無かったフブキの結末に頭を悩ませ、山道を下っていく。成果である右腕をぶら下げ歩くササラの脳裏に、フブキが見せた最期の表情が焼き付いて消えてくれないのだ。
(……フブキは、妖魔。妖魔は滅するべき。……定道を凍らせて、仲間も殺そうとしたフブキの事を、わたしは憎んだ。殺したい程憎んだのは、間違いない。……それなのにフブキの最期の、あの顔。それから、手応えの無かったあの感覚――)
「――! ササラ様!!」
「貴方は……、観測隊の……! 異界の穴は、大丈夫なの!?」
「はっ、はい! その事で、ご報告をと思って調査隊の足跡をたどっていたところであります!」
「もしかして、山頂はもう……?」
道中、気に掛かっていた事について思案していたササラであったが、向かいから駆け込んでくる人影に気が付いて考え事を止め、その人物に集中する。
異界の穴、急ぎの報告、と事項が並べば最悪が想定されるもので、ササラもまた例外なく最悪を頭に思い浮かべるに至る。調査隊の面々もまた最悪を思い浮かべたのか暗い顔付きに変わって伝令の言葉に耳を傾ける。
「――はい! 何者かの手によって異界の穴の封印が開かれたのですが、それと同時に何処からともなく襲来した、妖魔堕ちした燼月永新、及び謎の妖魔の手によって異界の穴は再封印が為され、現在は漏れた下級妖魔の掃討に当たっている次第でございます!! そちらもまた終わりの目途が立っている為、ササラ様には――」
「「「……は?」」」
「…………え? 今、なんて?」
しかし、誰もが思い浮かべた最悪をひっくり返すかのような伝令の言葉に、耳を傾けた調査隊の面々は総じて己が耳を疑い、聞き取れなかった訳でも無いのにもう一度聞き直す。
けれども、何度聞き直したところで伝令の口からもたらされる情報に変化はなく、むしろより一層頭がこんがらがってしまうばかりであった。
「はわわ……。た、確かに、少し休んだ方がいいのかも……」
「お嬢様、素が出てしまっています、が、確かに、疲れているのかもしれません……」
「それにしても、ササラ様達は見るからに満身創痍のご様子……。そちらでは何があったのですか?」
「ちょっと、上級妖魔とな……」
「じょっ、上級妖魔ですと!? そ、そちらの方が大問題ではありませんか!!!」
「「――そんな訳あるか!!!」」
妖魔の王の復活の一件で、上級妖魔が存在している事は明るみになっていた為、出現自体は時間の問題だと考えられていた。
しかし、倶利伽羅の間で指名手配となっている燼月永新の出現に加えて、共に現れた謎の妖魔の一件。それだけでも東と西が揃って注目してしまうような大問題である事に加えて、あまつさえ異界の穴を再封印だなんて何を考えているか――と考えを巡らせたところで、ササラの疲れた頭ではまともな答えが出てくるはずも無い。
次から次へと生まれてくる新しい問題に見舞われたササラは、激しい目眩と頭痛に見舞われながらも最後まで自分の足で歩いて帰路につくのであった。この後に待ち受けるであろう、大量の報告書に重くなる足を引きずりながら、何も知らないこのみが待つ家へと帰っていくのであった。
「……北の盟主に丸投げしてしまおう、そうしよう――」
「なんて都合の良い事を……! 下火蔵、貴様――」
「……しばらくは、何も考えたくない……」




