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32話

 


 体も心から凍るような冷気を放つ妖魔を前に、指先がかじかんでいく感覚の中ササラは体の内からカッ、と燃えるような熱が湧き上がるのを感じる。


 ササラの目の前にいる彼こそが、数年に渡って関係を築いた妖魔、フブキ。

 その関係と言うのが、正しく男女の関係。お互いに好き合った後に、お互いの運命を悟って別れざるを得なかった、悲恋の関係。


 けれども、ササラは離れている間も片時もフブキの事を忘れた事は無く、今もまだ愛情を向ける事に躊躇いは無い。当然、それは倶利伽羅として、北の盟主として超えてはならない一線である事は理解している。だがそれでも、彼女を突き動かす愛欲は冷気をモノとも感じぬほどの熱を生み出し、胸を高鳴らせるのであった。


 それでも、状況が状況故に再会を分かち合うような状況ではないのだが、感動の再会に目が眩んだササラに対して、フブキは明確に敵意を放って相対する。


 倶利伽羅と妖魔。

 その二つが出会ったときには「敵対」以外の選択肢が生まれる事はあってはならず、その運命すらも越えて愛欲を覚えるササラに対して、邪な横槍が加えられる。



「――ハハハハハッ!!! ――やはり、やはりだ!! ササラ様……、いいや、炎導ササラよ! 貴様が妖魔と繋がっていた証拠は我々が捉えた!! 後は目の前の妖魔を葬り去り、貴様を吊るし上げれば事が済む! 良いかお前達!! お前達は今、この私が北の盟主に挿げ変わるその瞬間を目の当たりにしているのだ!! 火久保よ……、火久保は何処にいる!!?」

「――はいはい! 俺はここに居ます!! 少し手間取っちまって……」

「許す!! 火久保よ、これより新世代の北の盟主たるこの私が活躍する瞬間を、記録に収めるのだ」

「いいやお待ちを下火蔵様!! 人型に成りすます妖魔と言うのは初めて目にする形。ここはこの俺に任せて下さい。この程度の霊力しか持ち得ない妖魔……。北の盟主がわざわざ手を下すまでもありませんでしょう?」

「ふむ……。それもそうだな。ではそこのお前! 炎導家の没落とこの私、下火蔵の栄華を記録する大役任せてやろう」

「えっ?! あ、はぁ――」



 高らかに声を張り上げて二人の男女の再会に水を差すのは、炎導家が全力を持って隠し通して来たササラとフブキの関係を一端とは言え掴んだ男、下火蔵。その懐刀とも言える火久保は、下火蔵に続いて駆け付けた調査隊よりも遅れて現場に到着し、意気揚々と下火蔵を持ち上げた後にフブキに向かって歩を進める。


 楔の下でただでさえ疑念がかけられていたところに、フブキの出現。

 傍付からの制止の手によって辛うじてフブキに駆け寄る事は無かったものの、それでも妖魔と面識がある時点で倶利伽羅としての使命から手を離したと見做されてもおかしくは無い。

 念願のフブキとの再会に舞い上がってしまったが故に取ってしまった迂闊な行動に、ササラは自分を責めるばかり。それでも、胸に宿ったこの想いを否定してフブキと相対する事など、果たして今のササラには出来るものなのか、それは彼女自身にも分からないでいた。



「……」

「へへへっ、悪く思うなよササラ様ぁ。ガキ同然の身形で、中級もいかない霊力しか持たない妖魔なんぞ、この俺一人でも十分狩れるってものですよ」



 ササラに一瞥した後も沈黙を貫くフブキ。

 一人の異性としての側面しか知らないササラにとっても、目の前にいるフブキから感じられるのは火久保が言う通り、中級にも届かない程度の霊力。下火蔵も火久保も、腐っても名家と呼ばれるだけあってその名に不足しないだけの実力を持っている以上、フブキが火久保に敵う未来は見えない。そうであるにも拘らず、尚も上着のポケットに手を突っ込んだまま冷たい視線を僅かたりとも動かそうとしないフブキは沈黙を貫いたままであった。


 このままでは、ササラの愛したヒトが、火久保などと言う腐った相手に消し炭にされてしまいかねない。

 そんな状況でもフブキを守る為に動く事が許されない現状に、汗を滲ませる。その様相は、身を挺してササラを制する傍付にのみ伺える反応であって、ササラは自分でも何が最善か、何が最良なのかを判断しかねていた。



「そんじゃあ、さっさと終わらせるとしますか。紅蓮一刀流、中で――」



 悠然と歩を進める火久保が、拳を固く握り締めて歯痒い思いをするササラの横を通り過ぎ、腰に佩く刀に手をかけた、その瞬間。


 ――ゴウッ、と細かな雪の粒を舞い上げる一陣の吹雪が吹き荒れる。


 誰もが目元を覆わずにはいられないような、猛吹雪。立っているのもやっとと思えるような猛吹雪が倶利伽羅に襲い掛かるが、それも束の間。数分と経たずして吹雪は収まっていくのだが、閉ざされた視界が晴れ行く刹那、倶利伽羅一同の目に衝撃の光景が飛び込んでくる。



「――」


「火久、保……っ!?」



 倶利伽羅達の目に跳び込んできたのは、ササラの目の前で氷像と化した火久保の姿。

 その姿は吹雪が吹き荒ぶ前と変わらぬ姿勢で、意気揚々と刀を抜こうとする姿勢のまま全身が凍り付いていたのだ。それはつまり、火久保自身、凍り付く事すら認識できぬほどの冷気に襲われた証拠であり、この場においてそれを為す者など、考えを巡らせるまでもなく目の前に佇んでいる。



「ッ、総員、戦闘態勢!!!!」


「……そうだ。それでいい」


「な……っ、んだ、この霊力はぁ……!??」



 いつの間にか、揃いの三つ編みを解いていたフブキは、ササラでさえも慄かせる上級妖魔もかくやと言った霊力を解放しており、身に纏う冷気が彼の周囲を凍て付かせる。

 その姿と霊力、明確な敵対行動を目の当たりにしたササラは、自分の感情を胸の内に押し殺し、倶利伽羅としての姿勢を前面に押し出す。



「総員、あの妖魔には決して近付かずいてはならない! わたしの援護に尽力せよ!!」

「「――ハッ!!」」


「ふ、ふふ、今更取り繕ったところでもう遅い……! 貴様と妖魔の関係はこのカメラにきちんと――」



「……ならば俺から近付いてやろう」



「ッ!!? 避けろ! 後ろだっ、下火蔵!!」

「くっ……! こちらですっ!!」

「――は? アァッ!? か、カメラが、カメラが……!!」



 調査隊のメンバーは総じて八名。その内の一人が早々に凍結。

 メンバーの誰もが倶利伽羅の中では一線級の実力を誇り、中級妖魔相手では誰一人として欠ける事無く完封することだって出来る程の精鋭部隊。しかし、今回ばかりは相手が悪かった。


 フブキが臨戦態勢を取ると同時に、ササラが声を張り上げ部隊に緊張を持たせた。それによって調査隊全員が発動していた【纏炎】を最大出力にまで上げたのだが、たった一人、下火蔵だけはササラの盟主の座の簒奪と言う欲に目を眩ませていた為に反応が遅れてしまった。

 そこを見逃してくれる程フブキは甘くはなく、雪の上を滑走するようにして高速移動を用いて下火蔵の背後に回ったフブキは地面に手をつき、霊力を放出。フブキの霊力が前方に向かって氷柱を生み出し、下火蔵を串刺しにしようと迫った。しかし、すんでのところで調査隊のメンバーによって体を引き寄せられた事で下火蔵は無事に済むが、乱暴に引き寄せられた際に手からビデオカメラを落としてしまい、それはフブキの生み出した氷柱によって運悪く貫かれてしまうのであった。



「貴様らッ、まさか、記録諸共目撃者である私達を消すつもりだな……!? 死人に口なしとはよく言ったものだが、この私をそう簡単に始末できると思うなよ……!? お前達!! 目標は妖魔の浄滅、および炎導ササラの無力化だ!! 分かっているな!?」



「……仲間割れか? 好都合だな」



「そんな事、言っている場合じゃ、ないでしょ……っ! 今はわたしを信じて、わたしに協力して! お願いっ」


「貴様の事など信じられるか、馬鹿な女め!! まずは妖魔の方からだ! 氷の妖魔など、我等倶利伽羅の前では敵ではない!! 行くぞ、北の底力を見せつけてやるのだ!!」


「っ、駄目!! ――破魔弓術中級、二天・火渡し(にてん・ひわたし)



 下火蔵は、妖魔に殺されかけた事実を以てササラへの糾弾の足掛かりにするつもりなのだろうが、欲に目を奪われ過ぎていて、現状の冷静な判断が全くと言っていい程出来ていない。

 下火蔵の仰々しい物言いに説得力を見出したが故に困惑の色を隠せない調査隊のメンバーが、下火蔵の鬨の声に乗せられてフブキへと接近を試みてしまう。


 ササラは調査隊の中で最も地位の高い人物。故に調査隊における全責任はササラの下に集約しており、調査隊メンバーの命こそが最優先される事象。それ故に、フブキが両手に冷気を発生させて倶利伽羅達が懐に飛び込んでくるのを待ち構えているのを確認して、ササラは迷った末に矢を放った。


 ――破魔弓術中級、二天・火渡し。

 破魔弓術は中級以降、あらゆる霊力の用い方によって形を変え、威力を変える事によって上級へと昇華させる技法が存在し、この「二天・火渡し」はそれに繋がる中級における基礎的な技。

 一つの矢を霊力によって分かち、二つの炎の橋を架ける霊技。そこから更に技を繋げることで様々な破魔弓術へと変化する事の出来る技であるが、今回ササラはそれを単体で放つ事によって調査隊のメンバーがフブキに近付くのを炎の橋と言う名の壁で妨げたのであった。



「……チッ」



「――のわぁっ!? く、あぁッ、鼻先が焦げてしまったではないかぁ!! 貴様、遂に尻尾を出しおったな!? そんなに妖魔が大事か!! ならば、まずは貴様から――」


「……援護をお願い、定道(さだみち)


「俺の命は、お嬢様と共に」



 下火蔵の勢いに飲まれ、ササラの命令に従いそうも無い調査隊をこれ以上巻き込む訳にはいかない、と判断したササラは、傍付の鴻野(こうの)定道(さだみち)を伴って、自分が生み出した二本の炎の間に足を踏み入れていく。それ以上余計な手が加わらぬよう、蓋をして。


 それと同時に、先程までササラたちが立っていた隣の山から尋常では無い程の霊力の圧が、結界を貫いて襲い来る。

 これには鋭敏なササラのみならず、フブキや定道、炎の外に置かれた調査隊のメンバーも感じ取ったのか、慄くような悲鳴が聞こえてくる。



「……異界の穴が、開いたな」


「ッ!? どうして、それを……まさか、貴方が……!?」


「……さてな」



 この時、もしもササラが炎の外にいたならば、慌てふためいて氷像と化した火久保と手元で視線を彷徨わせる下火蔵の姿が拝め、そこから即座に事態の把握が出来ていたはずで、目の前の愛しいフブキを疑うような真似などしなかった。

 けれどもフブキは多くを語らない。故に、冷気を纏う彼の妖魔としての姿に、ササラはここで初めて敵意を抱くのであった。



「――お嬢様、来ます!」

「定道はわたしのフォローを。貴方には決して近づかせないから、安心して」

「どうか、ご無事で――」


「……本気で、殺す気で来い――」



 三つ編みが解かれ、風に揺れる水色の髪はフブキの表情を全て覆い隠す。

 揺れる髪の間から覗いた目が赤く輝いたかと思うと、突如としてフブキの首が伸びて襲い来る。



「なんて速さ、なんて鋭さ……! だが、こちらも……、破魔弓術――」


「ッ、定道、舞う氷を吸い込んでは駄目!」


「――ッ!? ゲホッ、カハッ……!?」



 地面に口先を突き立てると言う予測困難なフブキの攻撃は確かに脅威。けれども、そうして生まれた隙を突いて破魔弓術を放とうとした定道が大きく退いた位置で矢を番えた次の瞬間、フブキが動いていないにもかかわらず定道の喉に激痛が走り、破魔弓術を放つに必要な霊力を霧散させてしまう。



 ――KYURAAAAAAAA!!


「定道ッ!! くっ……!」



 却って隙を晒してしまった定道に対して、喉を震わせて響かせる鳴き声を上げたフブキが肌の色どころか、肌質すらも変化させた青い肌と化した腕を、定道に向かって地面を舐めるように振るう。

 直後、下火蔵を襲った時のように、先に見せた氷柱が地面を這って生成されて激しく咳き込む定道に襲い掛かるも、即座に切り返したササラの手によって定道は救出される。



「体の熱を上げて! 氷が解けるだけの熱を保てれば、氷は脅威じゃなくなるから……!」


「ハァッ、フゥ……! お嬢様、申し訳ございません。ゲホッ、早々に足を引っ張ってしまい……!」


「謝らなくていい。これは気付けなかったわたしの落ち度。これを巻いておけば、気管に侵入する氷は防げるから。……炎の壁が散らしてくれてはいるけど、もしそれが無かったらと思うとゾッとするわね」


「――あれが、上級妖魔の姿ですか……」



 ササラが首に巻いていたマフラーを定道の口と鼻を覆うように巻いてあげると、定道の呼吸は落ち着きを取り戻す。

 フブキが妖魔の姿を取ると同時に舞い始めた細かい氷の粒。それらを吸い込んでしまえばたちまち粘膜が傷付けられ、あらゆる生物がその排除に動かざるを得なくなったところで仕留めに襲い来る恐ろしい妖魔。さしもの倶利伽羅と言えども、体の内側が発する痛みに対する訓練を積むことは不可能で、一線級の俱利伽羅であるはずの定道でさえも動きを止めざるを得なかった。


 そんな悍ましい攻撃でさえも妖魔の生態の一部でしかなく、上級妖魔の本領はまだ序盤にも到達していない事実に、ただでさえ生まれて初めて目にする上級妖魔と言う存在の真の姿にササラと定道の目にはフブキの姿が更に恐ろしく映る。



 ――KYURARA……。



 人の形をしていたフブキの面影は、高くなった頭頂で風に揺れる鬣のような水色の毛髪のみで、後は二本足で立っている事くらいしか無い。

 全身を青い鱗肌に変質させ、尖った頭はその半分以上を大きな眼球が占めている。その様はまるで深海魚のよう。更には、伸びた首は鎌首をもたげるかのようにS字に歪曲していてエラのようなものまで確認できる上に、ヒレに腕が付随した形の両腕は、定道に襲い掛かったように非常に高い霊力によって生成された冷気を大量に帯びているのが分かる。

 そして、見るからに強靭な二本の足も腕同様にヒレのように変化しており、巨大な尻尾は軽く地面を撫でただけで大木を粉砕してしまえるような逞しさ。


 キュララ、と甲高い声で鳴くフブキの姿は深海魚のようでありながら、神性さすら感じられる哺乳類のような、威厳さを醸し出す爬虫類のような性質を持ち合わせた極めて異質な存在であった。



「……異界の穴が開いたのが本当なら、ここで時間をかける暇は、無い」


「しかし、上級妖魔を相手にそんな簡単に……」


「分かってる。でも、やらなくちゃならないの。だから、お願い」


「……かしこまりました。お嬢様に、合わせます」


「――行くよ」



 人の意思など介さない薄気味悪い二つの眼球を晒すフブキが、覚悟を決めたササラと定道に対してニンマリと笑みを深める。その笑みは人間にとって厭悪を示す悪意の塊のような笑みでありながらも、フブキを知るササラにとってはあらゆる感情が混じり合った酷く複雑な笑みに見えて仕方が無かった。


 それでも戦わなければならない以上、一度決めた覚悟を貫き通すべく、天才と呼ばれる所以を十分に発揮する。


 霊力の高まりに興奮する様子のフブキは、誰が合図を鳴らすでもなく襲い来る。



 ――KYURAAAAAAA!!!






「――破魔弓術中級・併せ技、焼軍燕(しょうぐんつばめ)ッ!!!」






 巨体に似つかわしくない速度で迫るフブキに対して、ササラは怯むことなく矢を番え、技を放ちて迎え撃つのであった。






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