27話
「――やっと、小屋が、見え、た……!」
真宵の瞬間移動によって突然見知らぬ森に連れて来られたかと思いきや、何の前触れもなく唐突に置き去りにされた永新は、長い時間をかけてようやく指定された小屋を視界に収めることが出来た。その時には永新の様相は疲労困憊に満身創痍を何重にも重ね合わせたかのような状態であり、その様は見た者に森の過酷さを体感せずとも分かるくらいに、ボロボロの状態だった。
まず、言ってしまえば、真宵の口にした忠告と言うのは決して荒唐無稽であったり誇張したものではなく、森の状況を鑑みた上での忠告であったのは間違いなく、永新の精神を追い込むには十分に過酷な環境であった。
――真宵が適当な忠告を置いて去って行った後。
暫く呆然としていた永新は何も考えずに真宵が指差した先、北と思しき方角に向けて足を踏み出す。
しかし、季節は冬の盛り。
暦の上では年末を数えるこの時期に森の中で迷う事が何を意味するか、と言うのは、歩き出して数分もせずに思い知る。
「――さ、寒いっ……!!?」
何せ、永新はあれから常に肉体を晒しているような薄着でしかなく、真宵から授かったライダースジャケット一枚を素肌の上に掛けている程度の防寒対策。そのような恰好で雪が降り積もった森の中を歩き回るなど自殺行為でしかなかった。
真宵の瞬間移動が熱や衝撃を生むせいか、彼女と共に現れた場所周辺は雪も払われていて、呆然としていた永新にとってみればそこは室内か、はたまた春の気候だと勘違いしてしまえたのだが、現実は冬真っ盛り。踏み込めば膝まで沈むような積雪に、永新は堪らず叫ぶに至る。
「――う、わっ、ぅわぁっ!??」
更に加えて、積もった雪で不鮮明な足場に気を取られたお陰で、歩き出して早々に永新は足を踏み外してしまい、雪を撒き散らしながら木々の隙間を転がり落ちてしまう。
幸か不幸か、足を踏み外す要因となった積雪のお陰で怪我の一つもしなかったものの、曝け出された素肌に雪が触れて、永新の体感温度を更に下げる。
「さ、さささささ、サブいぃ……っ。な、何か、何か暖を取れるものを……!」
全身に冷たい雪を被った永新は、肌を刺すような痛みを伴う寒さを受けて暖を取ろうとするも、周辺に火を起こせるような道具が転がっているはずも無い。ジャケットのポケットも空で、永新は途端に絶望に打ちひしがれてしまう。
手足の末端から感覚を失っていく恐怖と募る絶望感によって、永新の脳裏には碌な思い出などほとんどない走馬灯が駆け巡るのだが、駆け巡った走馬灯のお陰でこの窮地を抜け出す解決策を思い至る。
それが、【纏炎】。
白の手によって生まれ変わる前、落ちこぼれの倶利伽羅として地を這っていた際には、身体機能を向上させる俱利伽羅としての基礎技能たる「纏炎」を発動する事すらままならなかったと言うのに、生まれ変わって得た今の新しい肉体ではいとも容易く「纏炎」を発動する事が出来た。
纏炎は、文字通り倶利伽羅の象徴である炎を身に纏うと言われているだけあって、発動した途端、永新の意識を刈り取ろうと迫っていた寒さを大きく緩和してくれる。
妖魔に堕ちた自分が、倶利伽羅の技術によって命を長らえている現実に苦笑を漏らしてしまいたくなったが、今の永新にそんな余裕など存在していない。
「まだ少し、寒い、けど……!」
纏炎を発動する事に成功したとは言え、多少なりとも肌寒さは感じられるが、それでも命の危険を感じる程の冷気からは遠ざける事に成功した。これ以上の贅沢を望めば自分が破滅する事は十分に理解できている以上、少しでも体の熱を逃がしまい、とより強くジャケットに包まるようになる永新。
だがしかし、纏炎を使えるようになったものの未だ油断ならない現状は変わってはいない。
その最たる原因と言うのが、現在の永新の体は力の使い方を理解していない点にあった。
問題のその力の使い方を学ぶために真宵に拉致されたのだが、肝心のその力を覚える為には北にあると言う小屋に向かわなければならない。だがその為には、今この状況で纏炎を使えるだけの力の使い方を覚えなければならないと言う派手なマッチポンプに頭を悩ませる。
それでも、今ここで少なくとも纏炎を安定させない限り、永新の体は寒さに耐えられずに限界を迎えてしまうが故に、やらなければならなかった。
「……纏炎は、確か――」
永新が知る霊技の知識は、全て軽く聞きかじった程度。
学園における永新の成績と言うのは目も当てられない程に酷いもので、十五歳になっても破魔弓術初級の枠から抜け出せる事は無かった。それでも活路を見出せない中でも修練場に通っていたのは、霊力を使い果たしてダウンする横で行われる別の霊技の講習を盗み聞く為でもあった。
少しでも可能性をと、使えるはずもない破魔弓術中級に挑んでみたり、纏炎を使ってみようとしたり。破魔弓術初級も満足に扱えない永新が飛び級出来るはずも無いのは承知の上で無駄な努力を積み重ねてきたのだが、その経験が今になって微弱ながらも活きる結果に繋がるとは思いもよらなかった。
その過程で盗み聞いた纏炎の使い方と言うのが、『――励起させた霊力を薄く延ばすようにして全身に行き渡らせる』と言うもの。口にしてみれば単純で、至って簡単なようにも思えるのだが、今の永新にとっては至難の業とも言えた。
今の永新の肉体に宿る霊力と言うのは、一万匹の妖魔そのものを宿した莫大なもの。
霊力を満足に扱えない永新にとっては宝の持ち腐れ――とまでは言わないが、豚に真珠のようなものであるのは間違いなかった。それこそ、六つの子供に神童と呼ばれるだけの霊力を施したような、器の伴わない力であるのは確か。
そして、その霊力が大きければ大きい程、纏炎を発動するために霊力を薄く引き伸ばして全身に纏う作業に、困難と言う大きな壁が立ちはだかる。
本来であれば、纏炎を教えるのは霊力の少ない時期、霊力の励起を繰り返して成長していく過程である少年期が適しており、その理由と言うのが「少ない霊力の方が扱い易いから」と言う単純なもの。しかし、単純故に大人が扱う上では高等技術と呼ばれる纏炎も、子供の時に感覚を掴ませる事によって倶利伽羅全体に纏炎を普及させることが出来るようなったのは、倶利伽羅にとって過去に教育革命と呼ばれるものではあったのだがそれはまた別の話。いざ大人になってから纏炎を習得しようとなると、その苦労は計り知れない。
今の永新で例えるなら、火を点けるだけなのにガソリンを火種に直接注いでいるような状況であり、これが霊力の少ない子供であったなら、息を吹き込んで火種を育てるような苦労の違い。
そんな風に、根底から大きく異なる条件の下で同じ技術を習得するとなれば、苦労するのは当然前者である大人の方であり、感覚的な違いを修正するところから始めなければならなかった。
「――っ、駄目だ、これじゃ、すぐにガス欠になる……っ!」
纏炎を発動するには至った永新。
それでも、持続させるにはそもそもの根底から違っており、火を点ける事には成功したものの、瞬く間にガソリンに引火して燃え盛った挙句、すぐに枯れ果ててしまう状況。
それでも問題無い程の霊力が有り余っていればそれで問題無いのだが、永新は違う。一万匹の妖魔の霊力がその身に宿っていたとしても、纏炎はその霊力を嘲笑うかのように霊力を糧に燃え盛っていくのだ。それに加えて、妖魔の肉体を手にした永新が霊力を励起させられるとは言っても、それがどの程度できるのかは現状不明である以上、出来る限り霊力を節約しなければならない。その上、励起出来る霊力の程度は永新が倶利伽羅であった時代と感覚としては何ら変わっていないのも、永新の霊力行使に枷を付けている要因の一つでもあった。
故に、息をするように長時間纏炎を用いる倶利伽羅の多くがどれだけ化け物染みた霊力の精密なコントロールをしているのかを思い知るのと同時に、永新は己の未熟さを嫌と言う程理解して、八方ふさがりの状況に力なく俯かざるを得ない。
「……っ」
例え肉体が生まれ変わったとしても、才能まで生まれ変わる訳ではない。
肉体の操縦士が変わらないのであれば、いくら肉体の性能が向上したとしても中身の才能は永遠に据え置きのまま。
どれだけ霊力に恵まれていようとも永新は落ちこぼれのまま。
このまま何の成果も得られずに霊力だけを消費し続けるようなら、いつか霊力は底をついて雪に埋もれていく未来だけが待ち受けている。
そうなってしまえば、母親の仇である白をこの手で殺すと言う目的も果たすことなく、快く受け入れてくれて、送り出してくれた羅威竿と誠一郎にも顔向けが出来ない。ましてや、あれだけ覚悟を決めて倶利伽羅と敵対した意味が、無くなってしまう。
その先にある未来は、間違いなく笑い者にされる光景だけが待ち受けているだろう。そうなるくらいなら、何もせずに、ただ黙って日々を享受し、何者にもなれないまま死んでいく方がずっとマシだろう。光も当てられないまま、重たい澱の泥濘の中に沈んでいくように、物言わぬ亡骸となる方が、ずっと良かっただろう。
――それでも、今こうして白の手を取ったのは、永新の中に自分を変えたいと言う強い思いがあったからに違いない。
母親にもう一度会って謝る為、白に見限られない為。
そんなものは、永新の崩壊した心をそれ以上欠けさせないための建前でしかなく、本当は永新は「変わりたい」と願っていた。母親が亡くなってから――否、それよりもずっと前から。永恋と並び立ちたい、倶利伽羅として、立派な大人になりたいと願う幼心は、必死になって「変わりたい」と叫んでいたに違いない。
その声が、周囲の誰にも届く事が無かずに妖魔の王たる白に届いてしまったとしても、永新の心は、延々と叫びたがっていた。叫び、続けていたのであった。
それ故に、無駄に燃えていく霊力が騙る愚かな未来と、弱い自分を振り払うかのようにして、永新は俯いていた顔をゆっくりと持ち上げる。
「――それでも……ッ、やるしか、ないんだ……!!」
――変わりたい。
永新はそう叫ぶ自分の心を奥歯で噛み砕いて黙らせる。
いつまでもそうやって誰かの助けを求め続ける自分のままでは、変わる事なんてできない。
むしろ、ここに至る状況まで、永新は全て誰かの手によって連れてきてもらった。
白に力を与えられ、羅威竿と誠一郎に背中を押され、真宵に運んできてもらった。
ここまでお膳立てされた状況で、まだ「変わりたい」と誰かが手を差し伸べてくれるのを待つそんな自分に、嫌気が差す。
ここまで来たなら「変わりたい」のではなく、変わらなければならないのだ。
白も言っていた。ここから先、強くなる為には自分の努力次第だと。
彼女を殺す為には、自分の力でなければならないのだと。
目的を同じくする人たちの前で、あれだけ啖呵を切ったと言うのにこの体たらく。
失望されても文句は言えないような状況に、己の不甲斐なさを噛み締めて浮かんだ涙を乱暴に拭う。
そうして紡ぐのは、自分の心を真に表した言葉。ただ一言――。
「――変わ、るんだっ! 僕は……、俺は、変わらなくちゃ、強く、なれないから……ッ!!」
誰に言い聞かせるでもない、自分を奮い立たせる言の葉は、胸の前で固く握った拳に熱を灯す。
――変わるんだ。
そう新しく叫んだ心に、永新の霊力は熱く呼応する。
全身を包む霊力は均等で、纏炎が永新の体を覆う。
それでも余剰分の霊力は漏れ出ている上、初めての完成度に気を抜いた所為かすぐに纏炎は解けてしまう。
「今の、感覚で――!」
だが、一度でもその感覚を掴めたとなれば、後は忘れないうちに詰めていくだけでいい。
そうして霊力の程度の調整を何度も繰り返し試行錯誤していく事で、永新は次第に纏炎を少しずつモノにしていく。
「これなら、問題無いはず……」
ようやく完成した纏炎は、現役の倶利伽羅は疎か、数年前の四家や永恋と比べて非常に拙いレベル。
ほぼ無意識でオンとオフを実行できる彼らとは違って、常に意識の傍らに置いておかねば維持もままならないような拙い纏炎ではあるが、出力としては彼らと遜色ない出来に永新は達成感による多幸感を得る。
ほぼ手探りで辿り着いた正解に満足する永新であったが、本来の目的は纏炎を習得する事ではなく、北にある小屋に向かわなければならない事を思い出した永新は、ようやくと言っていい程時間が経った頃に再び歩き始める。
真宵に言われた通りに川を探して彷徨い歩く森の中は、纏炎の習得に集中していた時には気付かなかったのだが、静寂が音となって聞こえてくるくらい人の手が入っていない針葉樹の満ちる環境は、森、と言うより樹海に近い環境。その為、永新の足音と呼吸の音以外が聞こえてくればすぐに分かるような中で、永新は凍り付くような寒さの中でも絶えず流れ続ける急流へと森を抜ける。
冬の盛りである以上、獣の類は見かけず、纏炎が切れる度に休憩を兼ねて再度施す行為を繰り返しながら真宵の言葉通りに川を遡上していくのだが、登れども登れども一向に辿り着く気配はしない。
そうこうしている間に時間は瞬く間に過ぎていき、永新の出発が遅かったとは言え、日が暮れても目的の小屋が見えてくることは無い上に、日が暮れてから足元を照らす灯りにと霊力を使って生み出していた光球諸共、永新の霊力が道半ばにて遂に底を尽いてしまうと言う緊急事態に陥る。
「――こんなに、早く……ッ!?」
永新が想定していたよりも早くに尽きた霊力であったが、永新は自分の体の中にまだ霊力が留まっているのを感じる。残っているのに、尽きた。そんなおかしな状況に息を荒げるが、これが妖魔の持つ霊力を蓄えるタンクなのかと理解し、そこから取り出す方法を考える。けれどもその方法はどんなに考えても思い付かず、一度考え出したら「そもそもタンクなんて体の何処に――」と謎が発展していき堂々巡り。
纏炎も切れた状態で立ち止まって何の答えも導き出せない思考を続けるなど愚の骨頂だ、と思考を中断して夜間の冷え込みを残った僅かな体の熱で寒さに耐えるようにして川を上っていく。それには「ここまで上って来たのだから、小屋まで後少しなはず」と言う期待からの楽観が永新の体を無理やりにでも突き動かしているのであって、月明かりも満足に無い夜闇に包まれる冷え込んだ樹海を纏炎も光も無しに歩き進めるなど、到底冷静な判断とは呼べない。
しかし、却ってその冷静さを失った行動は偶然にも功を奏し、遂に小屋が見える所まで足を運んで来れた。
「やっと、見え、た――」
――だと言うのに、その希望の光が目に映った途端、永新の視界が唐突に黒に染まる。
「え、なん、で……」
視界が黒に染まった事に驚いたものの、僅かに遅れて自分が地面に寝そべっている事に気が付く。
それが霊力の枯渇による意識の喪失である事は、すぐに分かった。何度も経験していたから。
まだ体の奥底にはいくらでも霊力が眠っていると言うのに、霊力が尽きてから歩き続けていたのに、どうして今になって――、と幾つもの混乱と言う名の苛立ちが募るものの、永新の意識は否応なしにブラックアウトしていく。
「あと、すこし、なのに……!」
意識が朦朧とする中、永新は呪詛を吐くかのように悔いを口にしながら、小屋に向かって手を伸ばす。
しかし、当然の如く、目と鼻の先とは言え木々を抜けた先にある小屋には決して届く事のない手が限界を迎えてゆっくりと地面に落ちる。
後悔に苛まれる脳内を嘲笑うかのように途絶えていく意識の中、落ちてたまるか、と歯を食い縛ってでも耐え忍ぶ永新の脳裏にふと沸き上がるのは「このままでいいのか」と問い叫ぶ自分。
――このままでいいのか。結局、何も果たせずに気を失ってばかりで、本当にいいのか。
そう叫ぶ自分の声に、永新の体が答えるように限界を迎える肉体が自然と動き出す。
――良い訳、無い……ッ!!
地面に倒れた体は、膝が笑っていても、肉体が悲鳴を上げていても、知った事かと笑い飛ばすかのように永新の心に応えて動き出す。
――変わるって、決めたんだ。ここで気絶してたら、今までと何も変わらないから。
諦める選択肢は永新には、無い。例え肉体が先に折れたとしても、這いずってでも辿り着いてみせる、とばかりに飢えた獣のような眼差しでほぼ意識の無い状態で小屋に向かうその姿は、正しく狂気の沙汰。
だとしても、それこそが永新の覚悟の表れとでも言わんばかりに泥臭いその姿は、小屋の中から見守っていた人物の表情に笑みをもたらす。
最後の障害となる小屋の扉も、まるで永新を歓迎するかのように緩く開け放たれ、ガンっ、と音を立てて倒れ込むようにして飛び込んできた永新を、小屋の中の人物は体で受け止める。
「――及第点、ってのは、どうやら本当みたいだな」
「やって、やっ、た……。俺は、変われ、るん、だ――」
「あぁ、よく頑張った。後はゆっくり休め――」
体の末端に霜が降りるくらい冷え切って震えが止まらない永新の肉体だが、身体の芯は相対するように熱く燃え盛っており、身体の震えが感動によるものかと錯覚してしまえる。
抱き留められた腕は永新の体から冷気を奪っても尚温かく、迎え入れられた永新は安堵したのも束の間、それが誰かも分からぬまま意識を失う。
その様子を見て悪態吐くもう一人の存在が居る事にも気付かずに――。
「……及第点? 白麗様も妥協が過ぎるんじゃないのか?」
「強さは必ずしも、一方向だけのベクトルに過ぎるものでは無いんだよ」
「……強さの本質は、他者を踏み躙る圧倒的な凶悪さこそだろう。こいつには、その素養を感じられない」
「なら、オレも例外だな?」
「……何を、言っているんだお前は?」
「冗談だ。お前には、力だけが全てではない事を知ってもらおうかと思ってね――」
「何を言おうが、力のないヤツはすぐに死ぬ。ただそれだけだ――」




