25話
「――妖魔の王の、殺害だ」
真宵の発言に、永新は息を飲むのと同時に懐疑心を抱く。
妖魔の王とは、白の事だ。
そして、白と真宵らのやり取りを見るに、敵対しているようには到底思えなかった。むしろ彼女らは白の事を様付けして呼び慕い、敬愛していると言っても過言ではないように見えていた。
だからこそ、彼女らと白の間に一体どのような確執があるのか、現段階では永新には推測しようも無い領域にある話を受け、同じ妖魔である者達同士、繁栄を願うものでは無いのかと疑念を感じずにはいられなかった。
何かの冗談か、と真宵と並ぶ誠一郎に視線を向けるも、彼もまた至って真剣な様子で佇むばかりで真宵の発言を訂正しようとすら動かない。
「……冗談、ですか?」
「冗談でこんな事、言うか。オレ達は一人残らず白麗様をお慕いしている。白麗様が、この世の烏は白いと一言でも言えば、オレ達はそうであるように動く。それがオレ達。白麗様を慕い、彼女の未来を憂う集まりなんだ」
真宵の言葉を何一つとして理解できない永新は更に頭を抱えて悩むのだが、そこで天井に突き刺さっていた羅威竿がようやく抜け出して傷一つない頭を横に振って埃を軽く払った後に、永新のこんがらがった脳内を整理するべく口を挟む。
「……答えを急ぎ過ぎだ、後輩。真宵も、お前ももっと懇切丁寧に説明してやれよ。誰も彼もがお前みたいに一を聞いて十を知るような連中じゃねぇんだからよ」
「そうだったな。自称感覚派のクソガキが言うと妙に説得力があるってもんだ」
「……一言余計だ」
「お茶を淹れ直しますか。コーヒーの方が良かったりします?」
「コーヒーは毒だ」
「真宵はおこちゃま舌だからコーヒー飲めねぇだけだろ。俺様は飲めるからな。あ、ミルクと砂糖多めで頼む」
「ハッ、あんな泥水啜ってるからお前はいつまでも脳足りんなクソガキなんだ。お茶でも飲んで少しでも落ち着いてから話しかけて来い。それからミルクと砂糖の入ったコーヒーはただのジュースだ鼻垂れ坊主」
「ガキ、ガキ、うっせぇなぁ。俺様は最近レバーを喰えるようになったんだからな!?」
「オレは肝臓なんざ生まれた時から食い散らかしてんだ! オレにマウントで勝てるとでも思ったか、まだまだ青臭い坊やの分際で! この調子なら、燼月に抜かれるのもそう遠くないかもなぁ!!」
「――ンだと、ゴラァ!!? あんな貧相で幸薄いボロガキが俺様に勝てる日なんざ百年早いわボケぇ!!」
「はいはい、すぐに持ってきますよ。永新君も、お茶でいいかい?」
「あ、はい……」
「この二人は顔合わせる度に喧嘩するからね。永新君もその内慣れるから心配しなくていいよ」
「は、はぁ」
稚拙な中身で罵り合う二人を肴に、一触即発の空気の中でも冷静沈着な誠一郎が淹れ直してくれたお茶を一啜りしていると自然と喧嘩は形を潜めていき、ようやく本題へと移る。
「――順を追って話していくぞ。オレ達が妖魔だ、って事はもう聞いたんだよな?」
「はい。まだ正直信じられないですけど……」
「燼月、お前だって十分に妖魔の方に足を踏み入れているんだからな? ……これが白麗様の思し召しじゃぁなかったら、オレは舌を噛み切っていたいただろうな」
「それは、先生としての、立場ですか」
「学園では、何も助けてやれなくて、済まなかった……。白麗様の落とし子だと知っていれば、もっと贔屓にしてやれたんだが……」
「……いえ。もう、過ぎた事ですから……」
「……そうか」
「「……」」
過ぎた事だ、と口にする永新の表情が一切晴れ渡っていないのは誰が見ても確定的に明らかであり、倶利伽羅を倶利伽羅たらしめんと調教し育て上げる学園施設で永新の身に何かがあった事を蚊帳の外である二人にも簡単に想像できてしまう。そしてそれは、偽の立場とは言え見知った顔の少年が過酷な状況に耐え忍んでいた日々を知る真宵にとってはさらに重く圧し掛かり、「そうか」の一言でさえも先程のような軽口とは大きく異なって絞り出すようにしてようやく吐き出せたものであった。
流石の羅威竿も、この状況下で真宵の揚げ足を取って嘲笑する程落ちぶれてはおらず、真宵の様子に気付かない振りを貫きながら会話の舵が動かされるのを待つばかり。
それから、一度沈んだ空気を持ち上げるようにして真宵が話し始める。
「――順を追って、とは言え、どこから話したものか。……オレ達妖魔がどこから生まれるかは、知っているか?」
「はい。……確か、今から千年以上前、日本のどこかに異界からの門が開いたのが原初の妖魔の発生ですよね? その異界から漏れた空気、霊力が人間に作用し、異界からの侵略者である妖魔を対峙し始めた……。と言うのが倶利伽羅と妖魔の歴史の始まりで、今でもどこかで異界の門は開き続けていて、そこから溢れた霊力がこちらの世界で妖魔に変化している――。そう習いました」
「あぁ、よく勉強しているな。その通り、そうして生まれた妖魔こそが、倶利伽羅の間で【最下級】と呼ばれる妖魔達。貧弱な霊力と低俗な知性の身を持ち合わせた、愚者。――オレ達の起こりも、漏れなくはそこからスタートだった」
「最下級の、妖魔から……」
「成人の儀を突破しても、初めての任務で命を落とす倶利伽羅の割合を知っているか? たったの一割だ。その数がどれだけ少なかったとしても、犠牲者は必ず出る。油断や、予期せぬアクシデント等でな。そこでオレ達は偶然にも、運の悪かった倶利伽羅を喰らう事で知性を得た」
「知性を得た妖魔は、中級……」
「そうだ。オレ達は知性を用いて倶利伽羅や人間を罠に嵌め、霊力を蓄え続けて成長し続けた。その間、何度も俱利伽羅に命を狙われた事か。それでもオレ達は生き延びてきた。とにかく、運が良かったからだ。いつしか肉体は変化し、俱利伽羅が言うところの【上級】の妖魔に到達する頃には、同じ妖魔を喰らう事で俱利伽羅から目を付けられる事を回避しながら力を蓄え続けた」
「霊力を蓄える為には、人間や俱利伽羅を襲う必要は無い、か」
「……そうして今のように人間の世界に身を潜めて過ごしていたある時だ。オレ達の前に白麗様が現れた。一目見ただけで、彼女が『王』なのだと、すぐに気付いた。お前達も、そうだろ?」
「はい。僕の時は、僕を殺しに来た倶利伽羅を蹂躙して命を救っていただきました。あの時の輝きと言ったら、今でも思い出しただけで興奮出来ます」
「俺様は一目見た瞬間に襲い掛かったぜ? あれだけの強者だ。力試しをしたくなるのも無理ねぇだろって。まあ、結果を言わずもがなって感じだ」
「――ん、どうした。何か聞きたい事でもあるのか?」
「あの、連盟の目は、どうやって……?」
「連盟……。あぁ、灼火導連盟の腐れ野郎共か」
「腐れ野郎共……」
真宵達の話で永新が気にかかったのは、倶利伽羅の目から逃れてきたと言う点。
運が良かっただけでこれまで生き延びてきた三者。それがどれだけ凄まじい事かは、実際に倶利伽羅に身を置いている永新が非常に良く理解している。
倶利伽羅には、倶利伽羅全体を指揮する人体で言えば脳にあたる組織が倶利伽羅を統括している。
それが、【灼火導連盟】。通称、連盟。
西の灼骨家。東の火加々美家。北の炎導家。
日本の各地域を代表する倶利伽羅の三家が手を結び造られた組織。
倶利伽羅に在籍する限り、その連盟には名を連ねる事が義務付けられており、火加々美家の統括区域の下である以上、燼月家も漏れなく在籍している。
組織の人材の殆どは、倶利伽羅の道を頓挫する羽目になった人達。霊力に素質を持たずとも、倶利伽羅として一族の為に生きることが出来る、働く場所を提供する組織でもあった。もしも永新が成人の儀を突破できなければ組織で下働きさせられる日々が待っていただろう。連盟では学園以上に家柄の上下関係が激しいと噂されていた為、永新は興味も何も持たなかったが。
しかし、その連盟が持つ情報網は、正しく異次元。
真宵たちが語った妖魔の成長過程において、通常であれば妖魔が下級以上に成った時点で組織は倶利伽羅に調査を命令。調査によって情報の納入、精査を施して倶利伽羅の派遣がなされ、妖魔の殆どは数日とかからずに即座に駆逐される。それら一連の流れが常日頃から行われており、過去には上級相当とされる中級妖魔の出現場所を事前に予測して倶利伽羅の派遣が行われた結果、中級妖魔が動き出す前に浄滅させられたとさえ聞かされる。
倶利伽羅が言う「安泰の時」と言うのは、その情報網に中級以上の妖魔が一切確認されていない事が前提であり、その声が叫ばれている以上目の前の三方は本当に連盟の情報網に引っ掛かる事無く生き延びて来られたと言う事になる。
「――奴らの真骨頂は、人の目だ。情報も全て、人の目さえ欺ければその出来事の裏にいる本当のオレ達には気付かないもんだ。人ってのは、信じたいものしか信じられない生き物だからな」
「要は、偽装工作ですよ、永新君。僕達の仕業でも、下級の妖魔の仕業に見せかければ、勝手に討伐されて事件解決。それが僕達に仕組まれているとさえ気付かないのが、倶利伽羅ご自慢の連盟なんです」
「俺様達の姿を目撃した倶利伽羅も、抹殺してしちまえば目撃者はゼロだ。後は手頃な妖魔を餌に釣り出して、そいつを殺させる。好きに解釈させつつ、俺様達には辿り着かせないってのは意外と骨が折れるんだぜ?」
「とは言え、全部が全部上手く行くわけじゃない。倶利伽羅に潜っている妖魔に、何度情報の始末を頼んだ事か」
「恐らく上手く行った回数よりも、疑念を持たれそうな情報の始末を頼んだ回数の方が多いかもしれませんね」
「だがまぁ、真宵がこうして戻って来たって事は、白麗様の復活が堂々と知れ渡ったんだろ? ンだったら、今後はみみっちい偽装工作もしなくて済むって事だな」
「……他にも、妖魔が? と言うか、倶利伽羅に、潜入……?」
「ん? 言ってなかったのか? オレ達には志を同じくする妖魔が、後三人いるんだよ」
学園の医務官であった真宵が妖魔であったと言う事実だけでもひっくり返りそうになっていたのにも拘らず、別の妖魔も倶利伽羅の、それも倶利伽羅の中心たる連盟内部に潜り込んでいるとなると、もしそれがバレた暁には、真宵が妖魔であった事や永新が外法に堕ちた以上の衝撃が倶利伽羅を襲うに違いない。
「正確には四人居た、か」
「あ? なんだお前、もしかして俺達の事を誰かに明かした、ってのか!?」
「羅威竿、落ち着いて下さい。真宵さんの考えあっての事でしょう? そして実際に今まで僕達の元に届いた倶利伽羅は存在しない。つまりはそう言う事でしょう」
「……信じられる、ねぇ。倶利伽羅は総じて敵だろうがよ」
「敵なのは変わりない。目的が同じなだけだ。その為には、一つでも多く可能性があればと思っただけさ。それがまさか、白麗様自ら本命候補を調達してくるとは思っても無かったけどね」
「本命、候補?」
「随分と遠回りしたけど、オレ達が白麗様を殺す理由。それは……、白麗様から頼まれたからだ。私を殺してくれ、ってな」
真宵の言葉に横の二人に視線を動かせば、揃って首を縦に振る。
永新が誘われたように、彼女らもまた白から「殺してくれ」と頼まれたのであれば、きっと断らない。彼女たちにとって白は王だから。それがどんなに無理な話でも、真宵達は全霊を賭してでも白の願いを叶えるべく動くだろう。
そこまで言い終えた真宵は、永新に最後の覚悟を問う為に湯呑の中身を一気に飲み干してテーブルに叩きつけた後、立ち上がって長い手足を永新に向けて問いかける。
「そして、燼月。お前は白麗様を殺す為に必要だった、最後のピースだ。お前の意思が本当に白麗様を殺したいと願うのであれば、オレ達は助力を惜しまない。……覚悟は、出来ているか?」
真宵の鋭い眼は本気を物語っていて、横に並ぶ二人の眼差しも、また本気だった。
突き刺さる本気の眼差しを受け、永新は首を縦に振るのを躊躇ってしまう。
何故ならば、真宵の問いが、まるで永新の意思が偽物のように語っているように聞こえてしまったから。
植え付けられた感情に踊らされているのではないか、と疑念を差し向けて来たから。
――僕は本当に、白を殺したいのか。
未熟にも足が掛からない、落ちこぼれだった倶利伽羅である永新は、白に与えられた妖魔としての力を自覚する。それと同時に、白に差し向けた憎悪と言う名の激情もまた、白によって植え付けられ、育てられた偽の感情なのでは無いかと疑念が湧いてくる。
それでも、白が口にした「母を殺した」と言う発言は、決して許すことのできない言動。
もしもこの怒りが偽物だとしたら、今度こそ母親が浮かばれない。故にこそ、永新の口は自然に動いて、一つの問いを口にしていた。
「……白は、どうして死にたいと願ったの?」
「……オレには、白麗様の考えている事は分からない。あの方は、現在ではなく、未来を見据えて動いているからだ。今を生きる事しか出来ないオレには、白麗様の考えている事は理解できない。だがそれでも、妖魔として生を受けた以上、妖魔の王たるあの御方がオレ達に願った事象は、全てを叶えるのがオレ達の使命。そしてお前は、偶然目的を同じくしているに過ぎない。それでもオレは、白麗様の願いを叶えるべく、全てを賭す覚悟だ」
「右に同じ、ですね」
「気に喰わんが、その通りだ」
「……そっか、……そうか。なら俺も、俺の憎悪に従って、真宵さん達の願いを叶えるために、尽力する事を此処に誓う。――だからどうか、俺に力の使い方を、教えて下さい。お願いします」
真宵の答えを受け、噛み締めるように頷いた永新は立ち上がり、深々と頭を下げる。
これが先駆者に知恵と力を借りるに当たって必要な事だと考えたから。
如何に生まれ変わったからと言って、永新の染み付いた心根の良さ、人の好さと言うものはそう簡単には消える事は無く、不遜になり切れない。母親が好きだと言ってくれた永新の心根の良さを前に、三人からは感嘆の息が漏れるのが聞こえ、それに続いて下げた頭をくしゃくしゃと乱暴に撫でられる。
「……今度こそ、オレがしっかりと面倒を見てやるからな」
「後輩、俺様は優しくはないぜ?」
「僕は最初から、歓迎していましたけどね?」
「そうと決まれば、まずはオレと力の使い方を学ぶところからだ。これは白麗様直々に申し付けられた命令だからな。羅威竿、お前が口出しできることではない」
「くっ……! その次は、俺様だからな!?」
「さてな。羅威竿程度に燼月を教えることが出来るとは思えないが?」
「後輩を独り占めたぁ、随分と気に入ってるじゃねぇか! えぇ? どういう風の吹き回しだァ!?」
「ふっ。何せ、白麗様のご命令だからな」
「ぐぬぬ……。そればっかりは、言い返せねぇ……っ!!」
永新の覚悟もそこそこに、口喧嘩を繰り広げていく二人を他所に誠一郎は永新の耳元で囁きかける。
「……永新君。先ほどの問い、僕の方でも調べてみますね。三人いる味方の内、一人が白麗様と同じ視点を持つ方なので、聞いてみようかと思います。だから安心して、修行してきてくださいね」
「……! ありがとう、ございます」
「それでですね、もし問いの答えを見つけられた暁には、永新君のその足で背中を踏んでもらいたく――あぁっ、その、ゴミを見るような眼が……、いいっ!!」
「あ、いえ、その……」
「――燼月! そうと決まればさっさと始めようか! そこの変態と馬鹿に構っていられる程、時間は余っちゃいないからね」
「あっ、はい! い、行ってきます!」
「気を付けていってらっしゃい」
「真宵の扱き、覚悟しといた方が良いぜ、後輩。いつでも逃げてきて良いからなぁ」
誠一郎の悍ましい取引に思わず顰め面を表情に浮かべてしまったものの、彼の気遣いは非常に助かる。永新の中で、白が死にたい理由と言うのは魚の小骨の如く取れないまま刺さっており、自分の手では決して解消できない類の悩みだったから。
真宵の手に首根っこを掴まれて引きずられる向こう側で「行ってらっしゃい」と笑顔で手を振る誠一郎と、ぶっきらぼうに手を掲げながら顔を青褪めさせる羅威竿の光景に、永新は心を躍らせる。
これまで絶対に叶う事のなかった夢のような光景が繰り広げられている空間と言うのは、永新が欲しくても手に入れられなかった夢の空間。そんな小さな夢が叶っただけでも、白に着いてきて良かったとさえ思える永新は次の瞬間、視界が暗転する。
そうして一瞬の時が過ぎた後、永新の目に映るのは、針葉樹が満ちる森の景色が広がっているのであった。
「――何処ですか、此処!?」
「見て分かるだろ。森だよ、森。このまま北に進むと小屋があるから、霊力でもなんでも使って小屋まで来い。オレはそこで待ってるからな」
木々が茂る方角を指差して冗談だと思い込みたい発言を軽々と口にする真宵に、永新は完全に言葉を失って立ち尽くすばかり。
「迷ったら普通に死ぬから、そこんところ気を付けろよ。危なくなったら川を探して遡上すればいい。それじゃ、先に行ってるからな」
「――は、えっ!? 本当に、マジですか……?」
アドバイスでもなんでもない、無理難題を押し付けた真宵はそれだけ言い残して姿を虚空へと消す。彼女の言う通りならば、その小屋に先回りしているのだろうが、そもそも視界を遮る木々に降り積もった雪の所為で真宵の言う北の方角すら満足に分からない状況。
永新の決死の困惑の叫びに返ってくる答えは無く、ただひたすらに「は……?」と言う声が虚しく風に溶けて消えてゆくばかりであった。




