11話
「永新~~~~ッ!!!!」
「わ、永恋。く、苦しいよ……」
翌日、あれだけの騒ぎがあったと言うのに、永新は今日も学園へと足を運んでいく。
騒ぎの内容は永政に伝えられていた。永新の身体を見て軽く心配はされたものの、その心配が新夏に伝わっていないかどうか、と言う内容である事に永新は気付いていない。
昨日の一件が新夏に伝わってしまえばそれこそ彼女の実家を巻き込んで大きく騒ぎ立てるだろうと判断した永政は「新夏を不安にさせ病状を悪化させない為にも黙っておけ」と永新に言い含め、永新はそれを快諾。それが母の為、ひいては父親の為であると分かれば黙って何でも言う事を聞く程に、自覚が無いまま無償の愛を欲していた。
こうすれば褒めてもらえる、と言う考えはいつの間にか顔色を伺うまでに変化しており、永新が一にも二にもなく快諾したのは永政が忠告した際の顔色を見て判断したからに過ぎない。だが、永新自身はそう言った自分の変化を読み取ることは出来ておらず、また、それを教えてくれる人材は永新の周りには存在していないのであった。
昨日の一件で燼月家における変化はその程度で、それ以上に昨日の一件で荒ぶっていたのは、場が乱れるのを憂いた火加々美甘奈によって気絶させられた永恋の方だった。
「本当に怪我は大丈夫なの? 何処も痛くない?」
「だ、大丈夫だから、み、みんなが、見てるから……!」
「昨日なんて、帰らされてからもずぅっと永新の事が心配で気が気じゃなかったんだから!」
「え、永恋、心配してくれたのは嬉しいけど、く、苦しいよ……!」
「あぁっ!! 永新の顔が真っ青に!! やっぱり怪我のせいで……!?」
「違っ。くる、くるしく、って。はな、離し、て……!!」
永新への心配が積もり積もった果てに、永恋は永新を固くホールドして離さない。
それだけ本気で心配してくれていたのだと理解できると同時に、朧げな記憶の中に在る垣間見た死の境を昨日の今日で再び渡りかけるとは思ってもいなかった永新は必死になってギブアップのサインを永恋に示し続けるのであった。
「ご、ごめんね、永新。ちょっと、嬉しくなっちゃって……。大丈夫? もう苦しくない?」
「ケㇹっ、う、うん。もう大丈夫だよ。でも、もう少し離れても……」
「嫌だよ? これから、永新の事は私が守るんだから」
普段であれば永恋は小暮日家の車が学園の門前まで送り届けてくれるのだが、今日に限っては永新の通学路の真ん中で永新を待ち構えており、二人並んで徒歩での登校となっていた。
当然、朝の通学通勤の時間帯であるその通学路には倶利伽羅の卵達以外にも、ただ人が多く混じっている人の往来の中であり、そんな中でも永恋は構わず永新に抱き着いてくる。未だ幼さが残るとは言え、ただでさえ美人な永恋が冴えない永新に構っている光景は世間一般から見ても特殊なようで、様々な人の目を引いているのが分かる永新にとっては通い慣れた通学路が居心地の悪いように感じられてしまう。
「……お爺様に言ったの。永新をあんな目に逢わせたヤツを、どうにかしてって。そしたらなんて言ったと思う? 永新の家から訴えが出ない限り、家は動かせない、なんて言ったんだよ! 相手は腐っても名家に数えられる家の子供だから、永新の家がなんとか言えるはずも無いのに、ってお爺様に怒ったんだから」
「……永恋の気持ちは嬉しいけど、僕は……やり返したいなんて、思って無いよ」
常人から見れば微笑ましい一幕のように映る少年少女がくっ付いて歩く姿も、可憐な童女が言葉にする内容は荒々しさ満載で、恐ろしい内容である事は誰も知らない。
そんな血の気の多い永恋の実家、小暮日家は、彼女が永新を大切に思う感情は子供が玩具を、宝物を大切にするようなものだと考えているため、今回の一件は静観を貫く事を決めている。そもそも、燼月永新と言うどこの馬の骨かも分からない男児を婿に選ぶ事などは初めから選択肢に無いからこそ、無理難題を永新に押し付けて手助けもさせないのであった。一時期彼が神童と呼ばれていた際には目の色を変えていたが、それも子供の範疇だと分かった暁には以前よりも冷たい対応を取る事を決めており、永新に夢中な永恋には機を見計らって別の婚約者を宛がう事を思案していた。
水面下でそんな事が起こっているとも露知らず、永新と結ばれると信じて疑わない永恋は、家の力で永新を傷付けた連中を亡き者にできると豪語するのだが、当の永新はそんな事は望んでなどいなかった。
「……永新は、それでいいの?」
「うん。きっと、僕が悪かったのもあるだろうし……」
けれどもそれは憎む事よりも赦す事を選んだ、と言う訳ではなく、永新に染み付いた自罰的な考えがもたらした一つの答えであり、それが間違いである事に永新は元より、父親である永政でさえも気付いていない確かな歪みであった。
だが、永恋だけはその歪みに気が付いていて、いつでも笑顔を絶やさないはずの永恋が、永新の言葉を受けたその時だけは真剣そのものと言った表情で、真っ向から否定を突き付ける。
「そんな事無い!!」
「え、永恋……?」
「永新は、もっと自分の事を、大切にして……? もっと私の事、頼ってほしいの……。永新の為なら、私はなんでもするよ。永新の事が、大好きだから、なんだってできるよ。……永新には、もっと自分を大切にして欲しいの」
それくらい大切なんだ、と告げる永恋の瞳は微かに震えており、昨日の一件で最も心に傷を負ったのは永恋かと思える程に永新に「居なくならないで」と告げられる。
自分の感情を正直に、真っ直ぐに伝える事による羞恥から耳まで真っ赤にさせているものの、永恋は決して永新から目を逸らす事は無く、それだけ本気なのだと伝わって来るよう。
だが、永新の不完全で未成熟な心に注がれた永恋の純粋な思いの丈は余りにも大きすぎて、この時の永新には受け止めきれなかった。故に曖昧な返事をすることで精一杯で、その後に漂う微妙な空気感は二人の間に沈黙をもたらす。その空気は、学園に辿り着いてもまだ引きずられたままであった。
「――おい、燼月。ちょっと来い」
その日の休み時間、永新はこの日初めて学園内で声を掛けられる。
昨日の一件が発端で一人の生徒がクラスを移動した事が公になり、クラスの中では永新とは関わり合いにならないようただひたすらに遠巻きにされていた。あの老教師でさえもその現状を理解していながらも口出しする事は無く、それが却って永新を八分にするような真似に追い風を吹かしている気配すらあった。
そんな中で永新に声を掛けてきたのは、銀縁の眼鏡の奥にキラリと光る鋭い眼光が見える青年、神来戸獅子王であり、選ばれし血筋たる四家の内の一家、その息子であった。
有無を言わせぬ獅子王に連れられてやって来たのは、人目に付きにくい階段の裏手側。
休み時間、と言う訳で階段に人の往来があるが、わざわざ足を止めて覗き込むような子供はおらず、学園の中からあらゆる喧騒がささやかに聞こえてくる中で、獅子王は足を止めてようやく永新へと振り返り、端的に目的を口にした。
「――お前はいつまで永恋に迷惑をかけるつもりだ?」
「え……?」
「え、じゃない。今朝、お前が永恋を泣かせたと言う話も耳に入っているし、お前が永恋の周りに居るせいで周りから永恋がなんて言われているか、知らないのか?」
予想だにしていなかった質問に、永新は思わず目を泳がせる。
不服さを露わにしている獅子王を前に、たじたじとせざるを得ない永新は返答に困る中、今日一日の永恋の動きを思い返していた。
永恋は今日一日、いつも以上に周囲に気を遣っている様子があった。
それは自分達のクラスメイトだけでなく、他クラスの生徒達に対してもだ。
他クラスの生徒にも愛想良く対処している姿は、学園では良く見る光景で人気者の彼女からすれば何でもない日常に過ぎないのだが、それにしても今日は授業の合間に挟まる休み時間の度に現れる生徒達の対応に追われていた。
その会話の内容は不明だが、昨日の一件である事は察するに余りある。
近寄りがたい名家ばかりが揃うクラスメイトの中で、貴賎なく接してくれる相手であって尚且つ騒ぎの中心に近い永恋であれば、噂を聞きつけたい生徒の多くが集中するのは十分に理解できる。そしてその中で、そんな永恋に付き纏う最下級の家の者がいると言う噂について、ついでとばかりに聞き及んだとしても違和感はないはずだ。
そこまで思い至って、永新はハッとした様子で顔を上げる。
「永恋は――」
「――それもだ。まず家格も下の者から名前を呼び捨てにするなど、親しい間柄でなければ失礼に当たる。そんな事も知らないのか。そもそも、お前が在籍しているクラスに家格が同じ者など存在していないんだ、呼び捨てに出来る相手が存在している、などと思い上がらない方が身の為だ」
「ッ……、ごめん、なさい……」
永新と永恋の関係など知った事か、とばかりにきっぱりと正論と言う名の正義を振り翳す獅子王に詰め寄られ、永新は上げた顔もすぐに伏せて押し黙る他なく、幼さの欠片も有さないような冷酷な瞳を前に身を竦めるばかり。
それでも獅子王は満足いかない様子で、永新にさらに詰め寄っていく。
「それから、永恋はこうも言われていたぞ。お前のような、血筋に恵まれなければ勉学も出来ない、霊力もまともに扱えないような倶利伽羅として出来損ないを庇護するのは、永恋の家の品格を貶めている――とな。更には、小暮日家はその程度だと噂を鵜呑みにして、四家の次席たる小暮日家を貶める企てを立てる俱利伽羅も出てくる始末……。お前は存在しているだけで永恋は疎か、小暮日の名すらも汚し、あまつさえ永恋に危害が及びかけているんだ。これが何を意味するか、僕の口から言わなくても分かるだろう? ……お前が永恋に連れ回されていつも迷惑そうな顔をしているのは気付いていたさ。だがな、お前が自分の意思を持たず、彼女の優しさにつけ込み、甘え切っていたのが全て悪い! 人の所為にする前に、自分の行いを鑑みる事を優先すべきだ。分不相応な真似は止めて、お前は自分の身の丈に合った相手とつるむべきだ。これだけ言って、分からないって事は無いよな?」
「う……」
獅子王は永新が反論しようも無いまでに己が正義を叩き付け、出た杭を完膚なきまでに叩き潰す。
要は、これ以上永恋に近付くな、と言う事を言いたいのであろうが、これまで優れた教育を受けて来た四家のような名家とは違って、学園に来てようやくまともな教育を受けたばかりの永新のような、精神の涵養も芳しくない子供が面と向かって言葉と言う名の暴力を振るわれて、傷つかないはずも無い。
正論によって永新の意見は無理矢理丸め込まれ、口にすることも叶わぬまま壁へと追いやられ、喉の奥からせり上がってくる酸っぱいものを、どうにかして飲み込むことしか、永新には出来なかった。
「この場で言い返すことも出来ないお前に、永恋は相応しくない」
それだけを言い残して去って行く獅子王の背を見送る事無く、永新は壁に身体を預ける形で腰を落とし、改めて突き付けられた現実に一人、打ちひしがれるのであった。
「……僕が、永恋――小暮日、さんの脚を、引っ張ってる……。僕が、居なく、なれば……」
胸が締め付けられるような感覚に涙が溢れてくる。
言い返したくても言い返せなかった自分に腹が立つと同時に、永新の自分に対する余りにも低い評価が獅子王の言葉を受け入れなければならないと訴えてくる。
獅子王の言い分をそのまま受け入れるとすれば、永新は今度こそ学園で孤立する。
そうなれば、これまで永恋が傍に居るからと言う理由で形を潜めていた嫌がらせが加速する事はもちろん、永新の勉学にも影響が出るのは間違いない。その妨害を乗り越え、最低限の成績を維持しなければならないと考えると、永新の心の許容量はとっくの昔にピークを迎えていて、頭が重くなる程の頭痛に悩まされる。
「……授業。今日も、マラソン、行かなくちゃ……」
開始の鐘の音が校舎に鳴り響くのを聞いて、永新は無理矢理思考を振り払って教室へと戻っていく。重い足を、引きずるかのように。
「――永新、帰ろ?」
「っ……!」
今日も霊力の授業に参加できないまま一日を終えた頃、永恋はいつもと変わらぬ様子で永新に声を掛けてくれる。それがどれだけありがたく、永恋のその優しさに救われてきたかが、永新の脳裏に走馬灯のように横切っていく。学園に居る間、息つく暇も無いくらい窮屈だと思って来た時間の中で、唯一永恋と一緒に居る時間だけは心休まるような思いをしていた永新にとって、今からその優しさを裏切る真似をするというのは自ら舌を嚙み千切るような思いだった。
それでも、遠くから感じる複数の視線が監視して催促するかのように注がれ、今までのように振舞うと言う選択肢が無い事は永新にも分かっていた。だからこそ――やるしか無かった。
「えれ――小暮日、さんとは……もう、一緒に帰れないんだ」
「永新……?」
「ほ、ほら、僕は、皆よりも、たくさん遅れちゃってるから、先生が、放課後に、教えてくれるって言うから、さ……。だから、もう一緒に帰れないし、朝も、早く来なくちゃいけないんだ。だから、だから……」
「えい、しん……」
いつの間にか永恋の目を見ることが出来なくなって、しどろもどろのまま捲し立てるように言葉を並べていく。捲し立てながら、震える手で乱雑に鞄へと荷物を詰め込む様は、自分でもわかるくらいみっともない姿をしているのだと理解していながらもその手を止めることは出来ないまま帰り支度が済んでしまう。
対する永恋は、永新の口から名前ではなく、名字が吐かれた事への衝撃がひたすらに大きく、呆然と立ち尽くすばかり。
それでも、別れを告げる時は来てしまい、永新は振り絞るように別れを吐き出す。
「……さようなら、小暮日、さん」
「あ、待って、永新――」
「「永恋、一緒に帰ろー!!」」
「ま、待って、お願い、永新――」
永恋の声を聞けば振り返ってしまいそうになるからか、永新は全ての音をシャットアウトして逃げるように――否、事実、追い縋ろうとした永恋から逃げて教室から飛び出して行く。
その際、示し合わせたかのように入れ替わるようにして他クラスの永恋の友人たちが雪崩れ込んでくる。お陰で逃げることが出来たとは言え、永新は逃げ込んだ先の使われていない空き教室にて、鞄も投げ捨て頭を抱えて蹲る。
「――っ、――っ……!!」
この慟哭が聞こえてしまわないよう、必死で嗚咽を抑え込んで、鞄を抱きかかえて、蹲る。
胸が苦しくなっても、息が苦しくなっても、自分の所為で永恋が傷付けられない為に、永新は校舎から人の気配が無くなるまで、ただひたすらに息を殺して涙を流し続けた。
「……あんな顔、させるつもりじゃ、無かったのに……」
最後、別れの言葉を告げるその瞬間に見上げた永恋は不安げな様子で眉を寄せていて、いつだって決して絶える事のなかった笑顔が曇る、そんな表情を浮かべていた。まるで世界の滅亡を目の当たりにした時のような、そんな絶望の色が浮かんでいた永恋の表情は、今後一生永新の脳裏に焼き付いて離れる事は無いだろう。そう思える程に、永新の心に罪悪感と言う名の深い傷を植え付けていた。
「うっ、おぇ……っ」
ぽっかりと空いた胸に巣食うのは吐き気を催す程のトラウマと罪悪感。
だけれども、いくら嘔吐いたとしても空っぽになった胃袋からは何も吐き出されはしない。
「――誰か居るのかぁ? さっさと帰らねぇと――って、お前、昨日の……!! 凄い顔色してるな!? とりあえず、立てるか?」
校舎から生徒の音が消えたかと思えば、やって来たのは見回りの教師、もとい養護教諭である真宵。
彼女は空き教室の床に這い蹲る永新の顔を覗き込んですぐに異変を感じ取り、永新を保健室まで運ぶ。
その後、取り繕うかのように回復した永新は顔色を戻したのだが、担任にも両親にも言わないで欲しいと頼み込んだところ「困ったらオレを頼れ」と言う譲歩の末、永新は解放され帰路につくのであった。




