私たち、両思いだったみたい
私も油断していた。
アンネも貴族のお嬢様だし、あの護衛っぽい人も端々に良識的なものが感じられたからね。ストッパーがいるだろうとか思い込んでいたのかもしれない。もしくはそんな粘着質ではないだろうと楽観的に思っていたのかも。
昨日の今日でまさか。
「朝一で、誘拐ですかそうですか……」
あのお嬢様、破落戸を雇ったみたいです。
今日は早番だったので朝の開店作業をしないといけないから、いつもより早く家を出た。みんなの朝ご飯に並べるパンに焼きたてをお届けできるよう、パン屋の朝はすっごく早い。
朝もやの中、パン屋に到着する寸前だった。脇の細い路地からにゅっと腕が伸びてきて、私はあっという間にさらわれた。
それはもう、慣れてます? っていう感じの手際の良さで誘拐されました。
「あの、仕事があるので帰してほしいんですが」
「そうはいかねぇんだよなぁ。俺らの雇い主が、あんたをえらく恨んでるみたいでな。ちょーっと痛い目にあってもらいたいんだとよ」
私を恨む依頼主かぁ……そんなに私は目の上のたんこぶですか。
連れてこられたのは路地の先にある廃屋。この辺りは寂れていて人通りもない。怪しい人たちが出入りするからと、皆近寄らない区域の場所。その廃屋の一つに私は連れ込まれた。
「痛い目って……例えば?」
「さぁて。好きなようにしていいと言われてるからなぁ」
私を囲むのは三人の男たち。見るからによろしくない人相をしている。そんな奴らの言う「好きなように」って言葉はろくでもなさそう。
案の定。
「きゃあっ」
「おっ、可愛い声で泣けるじゃん。おら、そっち抑えろ」
男が二人係で手足を縛っている私をベッドに押し倒してきた。さぁーっと血の気が引いていくのが分かる。
これはまずいって! だめだって!
「ちょっ、やだっ、やめてっ!」
「大丈夫だ。お嫁に行けなくなることをするだけだぜ。別にいいだろ? 本当に貰い手がなくなったら俺が嫁にしてやるからさぁ」
後ろ手に手が縛られてるせいで、暴れた時に肩に変な力が入ったのか、ピリッと嫌な痛みが走る。痛くてちょっぴり涙が出た。
三人目の男が私の上に跨ってきた。ゾッとする。私は半狂乱になって叫んで。
「い、いやぁっ、エタン――」
その瞬間だった。
ダカンッとけたたましい音が響いて、部屋の扉が吹っ飛んできた。私を抑えつけていた男を一人巻き込んで、壁にぶち当たる。
その、飛んできた扉があったところには。
「ざっけんなコラ。その子は僕がお嫁さんにするんですけど」
すっごいガラの悪い顔で破落戸にガンを飛ばしてるエタンがいた。
私に跨っていた男がおもむろに腰を上げて、エタンのほうを警戒する。
「なんだお前!」
「エタン……っ」
よくここが分かったねっ! というかよく私が誘拐されたって気づいてくれたねっ!
涙を散らすように頭を振る。なんとか頭だけでも起こせないか悪戦苦闘していると、エタンが入り口のほうから柔らかく声をかけてくれた。
「ニケ、ごめん。遅くなったね。ちょーっと暴れるから、怖かったら目を閉じててくれるかい?」
「う、うん!」
逆光を背負ったエタンが私に笑いかけてくれた。それだけでもう大丈夫だっていう安心感が生まれてくる。
エタンは笑顔を浮かべたまま、今度は破落戸のほうへと顔を向けて。
「さーて。僕さ、今すごく虫の居所が悪いの。記憶が飛んでた自分の馬鹿さ加減とかさ、ニケにこんな怖い思いさせちゃったこととかさ。ちょっとばかし憂晴らしも兼ねるから、痛かったらごめんよ」
壁に手をかけて、ミシッとなんだか不安そうな音を鳴らしてから部屋に入ってくる。
エタンの声がびっくりするくらい低い。話しているうちにだんだん真顔になって、目が細くなる。
こ、これは。
自己申告通り怒っていらっしゃる……!
それも昨日以上に!
一瞬気圧された破落戸たちだけど、年季が入っているのかすぐに我に返ったらしい。扉の巻き添えを食らった人も復活していて、三人とも身構える。
私を襲おうとしていたリーダー格らしい男が怒鳴った。
「ごちゃごちゃ言ってんな! お前ら、やっちまえ!」
「オッケー、かかってこい。全員ぶっ飛ばす!」
そこからのエタンはすごかった。
三人の男を相手に大立ち回り。
エタン、かっこいい……!
私、エタンが騎士だってこと、初めて実感したかもしれない。力強い拳、しなやかに伸びる足、芯のある姿勢、リズミカルなステップ。
私の知ってるエタンじゃないみたいで、ドキドキしちゃう――
「くそ……っ、お前、なんでそこまでするんだよぉっ! 聞いてるぞ、この女は別にお前と関係ねぇんだろうがよぉっ!」
破落戸は既に一人伸びている。二人目の胸ぐらを掴んでいたエタンはそれを床に打ち捨てると、吠えるリーダー格の男のほうへと向き直って。
「全然、関係あるし。僕のお嫁さんに手ぇ出したこと、きっちり後悔しなよ。君の後ろにいる依頼主も騎士団通してみっちり絞るから、覚悟しな」
え……?
お嫁さん……?
エタンが絶対零度のような鋭い視線で男を睨みつける。男が最後の抵抗と言わんばかりにエタンに襲いかかる。
あっ、待って、その手にはナイフがっ!
エタン、危ない……っ!
思わずきゅっと目を閉じてしまう。
一拍後には男のうめき声と、カランと金物が床に落ちる音が響いて。
そろりと目を開けると、お腹を抑えて崩れ落ちた男の人と、その足元からナイフを拾い上げるエタンがいた。
エタン、勝ったの……?
「ニケ、大丈夫?」
「う、うん」
エタンがナイフを片手に私のほうに駆け寄ってくる。手際よく私の手足を縛っていたロープをナイフで切ってくれると、エタンは床にしゃがみこみ「は〜」と肩を落として大きく息を吐いた。
「パン屋行ったらニケがまだ来てないって言うからさー、めちゃくちゃ焦ったよ。馬鹿ニケ。心配させないで」
「う、ん……あの、エタン?」
「なんだい?」
ベッドに座っている私からはエタンの旋毛が見える。呼びかけるとアメジストの瞳が上目遣いで私を見上げてきて。
「雰囲気がいつもと違うような……ううん、昔に戻ったっていうか……あの、それよりお嫁さんって……?」
なんていうか……ガラの悪さが出てる。ほら、余所と身内じゃ、態度って違ったりするじゃない? 記憶を失くしていたエタンはどこかよそよそしいというか、私に対して軟派で軽薄な「外向き」みたいな態度をしてたのに。それが昔の……壁のない雰囲気になっている。
それに何より、お嫁さんってどういうこと?
まだちょっと混乱している頭でエタンをじっと眺めていれば、エタンは乱暴な手で髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜてしまう。
「あーあー、もう、かっこ悪い。かっこ悪過ぎるよ僕。あんなにかっこよくニケに『戦争が終わったら結婚するんだ』とか言って、こんなことになるんだからさ」
一瞬、エタンの言葉が耳を素通りしていった。
素通りした言葉を引き戻して反芻する。
ええと、つまり……?
「エタン……! 記憶が戻ったのね!」
「そういうこと」
私が前のめりになって聞けば、エタンが仕方ないなぁって顔で笑う。
なんでもパン屋に行ったら私がまだ出勤してないって聞いて、それはおかしいとお店を飛び出そうとしたらしい。探しに行こうと扉に手をかけた瞬間、入ってきたお客さんが押した扉で頭を強く打ったんだとか。その衝撃で記憶を取り戻したみたい。
もー、ばかばかエタン!
めっちゃ心配したんだからぁ……!
自分が助かった安心感と、エタンの記憶が戻ったことの喜びで、感情がぐちゃぐちゃになっちゃう。あーもー、涙出てきた。
ぽろりとこぼれるほんの一滴の涙。
それをエタンの逞しくなった指がぬぐってくれる。
「それでさ、ニケ」
「うん、うん、なに?」
エタンが私のことを思い出してくれて嬉しい。
エタンの手のひらに甘えたくなるのをぐっとこらえて、私は自分で涙をぬぐおうとする。その手をエタンは優しく掴んで、私の顔を覗き込んできて。
「僕、結婚したい人がいるんだけど」
「う、ん……」
忘れてた。そうだよ、エタンの婚約者。記憶が戻ったんだから、婚約者のことも思い出したんじゃない?
嬉しい気分が一瞬で落ちちゃう。祝福してあげないとって気持ちを胸の中から探してくる。でもちょっと待って、さっきエタンはお嫁さんって……?
荒れ狂う私の心境を、エタンはさらに波風立ててきて。
「こんなところで言うのはごめんだけどさ。でも、また忘れないうちに言わせてくれる?」
「う、うん」
エタンのアメジストの瞳に私が映りこむ。暴れたせいでくしゃくしゃになった赤い髪の女の子。ちょっと暗めのエメラルドの瞳が不安に揺れている。
そんな私をエタンはまっすぐに見上げてきて。
「ニケ。ずっと昔から、君のことが好きだった。僕のお嫁さんになってくれませんか」
エタンの視線に撃ち抜かれる。
え、待って、私?
「……エタン、からかってるの?」
「一世一代の告白を疑われるとか泣くよ? それはもうみっともなく泣くよ。ていうか、ちょっとこれかっこ悪すぎるから、もう一回記憶なくしてこようかな」
エタンの目が据わる。本当にそこら辺の壁に頭を打ちかねない雰囲気に私は慌てて止めた。
「ち、ちがう! 違う違う! あの、ちょっとびっくりしただけで……! だってエタン、今までそんなこと一言も……!」
「だって告白して付き合って、ニケと家を持ったらさ。僕、騎士だから。もし死んじゃったら、ニケが一人になっちまうだろ? そんな寂しい思い、ニケにはさせたくなかったから。母さんみたいな思いを、ニケにはさせたくない」
気がついた。
そうだ。エタンのお父さんは、エタンが生まれてすぐに亡くなった。エタンのお父さんも国境騎士で、確か事件に巻き込まれて。
フェリママが女手一つでエタンを育てた。私たち家族で支えていたけど、フェリママはきっと旦那さんがいない寂しさはきっとあったはずで。
「エタン……」
「でも、もういいだろ? 戦争は終わって、国境もしばらくは安泰だ。もっといっぱいお金が貯まるまで退役はしないけど、戦争がなければニケとずっと一緒にいられる。君に寂しい思いをさせなくて済む」
エタンが私の手をぎゅっと握る。その手は心なしか震えてる気がした。
「いっぱい、考えてくれてたんだね」
「戦場でニケのこと考えすぎて記憶を失くしちゃったのは誤算だったけどね」
「エタンの馬鹿」
「うん、そうだよ。そんな馬鹿な僕だけどさ……結婚してくれますか?」
大好きな人からの、一世一代のプロポーズ。
私は、初恋を捨てなくてもいいらしい。
私の手を握るエタンの手を、私からも握る。その手を胸へと抱いて。
「喜んで!」
きっと私は、今世紀一番の笑顔を浮かべれたはずだと思う。
その眼尻に涙がひと粒残っていた気がしたけど、それはエタンがぬぐってくれたから、もう大丈夫。
❖ ❖ ❖
私は国境近く、とある町のパン屋で働いている、しがない町の女の子です。
「ニケ、お疲れ様」
「エタン! もうそんな時間?」
「うん。さぁ、帰ろっか」
私の旦那様は、国境の砦に務めている騎士です。
戦争に行く前に「僕、この戦争から帰ったら結婚するんだ」とか行っていたのに、いざ戦争から帰ってきたら記憶を失くしていた大馬鹿者です。
でも今は無事に記憶を取り戻し、かねてより結婚したかった人と結ばれました。
そう、私です!
私が帰る家は、エタンの帰る場所です。
砦勤務の彼はたまにしか帰ってこないけど、終戦した今は、戦争の時のように彼が帰ってこないかもしれない不安はありません。まぁ、それでもちょっとした事件があれば駆り出されるので、そういう時は無事な姿を見るまでは安心できないけどさ。
そんな彼がいつも持ってるお守りがあります。
お花のレースを模した黄色いリボン。
ずっとなんだろうと思っていたアレ。
なんと聞いてくださいな。
私が初めてパン屋で売り子をした時の、クッキーのラッピングリボンなんですって!
よくまぁ、そんなものを持っていたなぁって飽きれちゃうよね。私だって忘れてたくらいなのに。
どうしてそれがお守りなのかって聞いたらさ。
「ニケが頑張って働いてるからさ。そんなニケが働かなくてもいいくらいお金を稼ぎたくて。これを見て、頑張ろうって思うんだよ」
はにかみながら言う、私の旦那様。
そこは生きて帰りたいとかさぁ、そういうさぁ……!
でもそういうところが、エタンらしくて好きなんだけどね。
【「この戦争から帰ったら結婚するんだ」と言っていた幼なじみ騎士が記憶を失くして帰ってきた。 完】
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