姐御の婚礼話
「それじゃあ、どうする?」
「商店街でも顔出すか」
そう言ってかなめは立ち上がる。そのままベランダのドアを開け、吉田の肩を叩いた。
「帰るのも当然こっちだろ?」
かなめはニヤつきながらベランダの向こうに垂れ下がっているロープを指差す。
「俺の車に乗るんだろ?ちゃんとロープは回収するから頼むわ」
そう言うと吉田はベランダに出てロープを一回弛ませる。すぐさま上から鉤爪が落ちて来るのを受け取るとロープをまとめ始める。
「そう言えば吉田。最近、叔父貴に仕事を頼まれたことあるか?」
部屋を出ようとする吉田にかなめが声をかける。
「仕事ねえ、年中頼まれてるがどんな仕事だ?」
「『カネミツ』がらみ、またはこいつの『クロームナイト』の関係でも良いや」
そう聞いて吉田は少し怪訝な顔をする。
「遼南叩きのサイトなんかで流れてたな、そんな噂。年中立つ噂だが、今回はちょっとソースが特殊なんでね」
頭を掻きながら玄関で吉田は靴に足を突っ込む。
「やっぱりデマか。でもどこだって言うんだ?ソースは」
「東モスレム解放戦線の公然組織、東和回教布教団だ。東モスレムの連中にしたら確かにあの化け物が央都に鎮座しているってことが安心して眠れない理由なんだろうが、持ち主の遼南軍とは情報の接点のの無い連中だから推測で叫んでいるだけなんじゃないかな。もし本当ならもっと早い段階で水漏れして俺のところにもいくつかの情報屋から知らせがくるもんだけどな」
そう言うと吉田はゆっくりと靴の紐を締めていく。
「つまり今回アタシが手に入れた情報は無意味だったと」
「まあそう言うこと。とりあえず騒ぐことが無いからでっち上げたんだろ。だが、東モスレムの情報が嘘だからといって豊川工場に『カネミツ』が存在しないかどうかは俺もわかんねえよ」
吉田はゆっくりと立ち上がる。かなめはそれ以上聞くつもりは無かった。ネット上の情報をほぼその神経デバイスにリアルタイムで流している吉田すら嵯峨の特殊な情報網は把握できてはいない。そして吉田もそのことを追求することは無い。
いつものことだ。そう割り切った誠はさっさとサンダルを履くかなめの後に続いて靴を履いた。
誰もいない踊り場からかなめを先頭にエレベータに向かう。
「しかし、西園寺が出てったらどうなるんだ?この建物。どうせお前さんの持ちもんだろ?」
吉田が人気の無いフロアーを見回している。シャムもそれをまねるように首をめぐらす。
「ああ、今度、京渓電鉄が向こうの造成地に駅作るって話だから売れるんじゃねえか?」
まるで他人事のようにかなめはそう言い残してエレベータに乗り込む。
「でも、凄いですね」
ここ数日、かなめと自分の暮らしていた世界が余りに遠いことを思い知らされた誠はそう言うしかなかった。
「胡州帝国宰相の娘とは思えない部屋だったしな」
「吉田。どういう意味だ?」
予想通り噛み付いてきたと振り返って眼を飛ばすかなめに吉田は笑顔を返す。
「言ったとおり。それ以外の意味なんかねえよ」
下っていくエレベータ。シャムが不安そうに眉間にしわを寄せているかなめの顔を見る。
「ああ、そう言えばシャム。花屋寄ってかんとまずいだろ」
「そうだよ!そのためにもかなめちゃんのところに来たんだから!」
吉田とシャムがかなめのタレ目を覗き込む。
「何が言いたいんだ?」
エレベータの扉が開く。すばやくその間を抜けて歩き始めたかなめが吉田達に振り向いた。
「聞いてないのか?」
「だから何をだよ!」
そうかなめが言い放つと、困惑したように吉田とシャムが顔を見合わせる。
「タコの奴、ようやく腹を決めたんだわ」
それだけではわからない。誠はその言葉の意味が分からず茫然と吉田の顔を覗き込んだ。
「来年の六月にね、同盟司法局本局の明石清海中佐と明華ちゃん結婚するんだって!」
一瞬の沈黙。マンションの自動ドアを通り過ぎた地点で、かなめはようやく意味が聞き取れたと言うように立ち止まった。本局付きで、クバルカ・ランの前任の司法局実働部隊副隊長だった明石清海中佐、そして技術部部長で司法局実働部隊の実力ナンバーワンの許明華大佐。その二人の名前を思い出し誠はようやく納得したようにうなづいた。
「姐御が……マジか?」
吉田を見つめるかなめ。誠は呆然と吉田達を眺めた。
「嘘ついてどうするんだよ。シャム、カウラには連絡したろ?」
シャムが吉田を不思議そうな顔で見つめている。吉田は頭を抱える。
「そう言うことは早く言えよ!それで渡す花束のコーディネートをアタシに頼もうってんだろ?」
ようやく納得がいったとでも言うようにかなめは目の前に止めてあった吉田のワンボックスカーのドアを開けた。
「吉田。重要なことはシャムに任せるんじゃねえよ。それにしても、暑いなあ。ったくクーラーくらい付けろっての!」
そう言うとかなめは石油エネルギー全盛期の地球製と思われる吉田の古いクーラーの無いワンボックスカーの後部座席に座り込む。
「夏は暑いから夏なんだよ!我慢しなきゃ!」
助手席のシャムは平気な顔をしている。一方でガムを口に放り込んでエンジンをかける吉田も平然とし
ている。誠は噴出す汗を感じてすぐに窓を全開に開けた。吉田の趣味らしく電子音が揺れているようなポップな音楽が大音量で流れる。
「花屋に任せりゃあ良いじゃねえか。それとも何か?アタシに指導料でもくれるのか?」
音楽に負けない程度の声でかなめが叫ぶ。
「同僚だろ?それに西園寺流華道家元の娘らしいことしてくれても罰は当たらないんじゃないか?」
そう言うと吉田は車を出した。
「それにこいつ。ほっとくと花とか食うからな」
「酷いよ俊平!アタシそんなもの食べないよ!」
シャムが口をとがらせて抗議する。誠は苦笑いを浮かべて様子をうかがっていた。市の中心部へと向かう大通りに入り込んだ車は、吉田の的確なハンドルさばきで次々と先行する車両を抜き去る。
「そう言えばパーラが華道やりたいとか言ってたぞ。教えてやれよ」
吉田がそれとなく振り向く。かなめは無視してそのまま車窓を眺めている。工事中の立体交差の大通りを前に左折し、裏道に入る。少しすすけたような旧市街の町並みが続く。
「しかし、タコの奴心境の変化でもあったのかね。独身主義者とか言ってただろ?」
開け放たれた窓からの風に前髪を揺らしながらかなめがつぶやく。
「まあ俺はあいつのプロポーズがいつになるか楽しみだったんだけど、アレは無いよなあ……」
吉田の口から漏れたその言葉に、かなめとシャムが食いつくように目を向けた。
「先に言っとくぞ。明石の旦那は一応俺の上司だ。あいつの不利になるようなことは言わねえからな」
「勿体付けんなよ。吉田のことだからカメラ仕掛けるとか盗聴器しかけるとかしてよく知ってるんだろ? 教えろよ」
かなめが運転している吉田の頬をぺたぺたと叩く。目を輝かせているシャムが黙って吉田を見つめる。
「だから、たいしたことは無いんだって!」
そう言うと車がすれ違うには難しいような細い路地へと吉田は車を向かわせる。
「まあいいか、どうせ叔父貴が言いふらすだろうからそっちから聞くわ」
そう言うとあきらめたようにかなめは後部座席で思い切り伸びをした。
「もう少し粘ったら教えてやったのにな……」
吉田の言葉にかなめは一瞬後悔するような顔をした後、思い直したように視線を車の進行方向に向けた。




