空虚な部屋
「ここは右折でよろしいですの?」
造成中の畑だったらしい土地を前にして道が途切れたT字路で嵯峨茜が声をかける。
「ああ、そうすればすぐ見える」
かなめは相変わらず火のついていないタバコをくわえたまま、砂埃を上げる作業用特機を眺めていた。茜がハンドルを切り、世界は回る。そんな視界の先に孤立した山城のようにも見えるマンションが見えた。周りの造成地が整備中か、雑草が茂る空き地か、そんなもので構成されている中にあって、そのマンションはきわめて異質なものに見える。
まるで戦場に立つ要塞のようだ。誠はマンションを見上げながらそう思った。茜は静かにその玄関に車を止める。
「ああ、ありがとな」
そう言いながらかなめはくわえていたタバコに火をつけて地面に降り立つ。
「ありがとうございました」
「いいえ、これからお世話になるんですもの。当然のことをしたまでですわ」
茜の左の袖が振られる。その様を見ながら誠は少し照れるように笑った。
「それじゃあごきげんよう」
そういい残して茜は車を走らせた。
「おい、何見てんだよ!」
タバコをくわえたままかなめは誠の肩に手をやる。
「別になにも……」
「じゃあ行くぞ」
そう言うとかなめはタバコを携帯灰皿でもみ消し、マンションの入り口の回転扉の前に立った。扉の横のセキュリティーシステムに暗証番号を入力する。それまで銀色の壁のように見えていた正面の扉の周りが透明になって汚れの一つ無いフロアーがガラス越しに覗けるようになった。
建物の中には大理石を模した壁。いや、本物の大理石かもしれない。何しろ胡州一の名門の一人娘の住まうところなのだから。
「ここって高いですよね?」
「そうか?まあ、親父が就職祝いがまだだったってんで、買ってくれたんだけどな」
根本的にかなめとは金銭感覚が違うことをひしひしと感じながら、開いた自動ドアを超えていくかなめに誠はついていく。
「茜ねえ……嵯峨親子はどうにも苦手でね。何を聞いても暖簾に腕押しさ、ぬらりくらりとかわされる」
かなめはそう言いながらエレベータのボタンを押した。その間も誠は静かな人気の無い一階フロアーを見回していた。すぐにその目は自分を見ていないことに気づいたかなめの責めるような視線に捕らわれる。仕方がないというように誠は先ほどのかなめの言葉を頭の中で反芻した。
「まあ、茜さんの考え方は隊長と似てますよね」
「気をつけな。下手すると茜の奴は叔父貴よりたちが悪いぞ」
エレベータが開きかなめが乗り込む。階は9階。誠は人気の無さを少しばかり不審に思ったが、あえて口には出さなかった。たぶんかなめのことである。このマンション全室が彼女のものであったとしても不思議なことは無い。そして、もしそんなことを口にしたら彼女の機嫌を損ねることはわかっていた。
「どうした?アタシの顔になんかついてるのか?」
「いえ、なんでもないです」
誠がそんな言葉を返す頃にはエレベータは9階に到着していた。
かなめは黙ってエレベータから降りる。誠もそれに続く。フロアーには相変わらず生活臭と言うものがしない。誠は少し不安を抱えたまま、慣れた調子で歩くかなめの後に続いた。東南角部屋。このマンションでも一番の物件であろうところでかなめは足を止める。
「ちょっと待ってろ」
そう言うとかなめはドアの横にあるセキュリティーディスプレイに10桁を超える数字を入力する。自動的に開かれるドア。かなめはそのまま部屋に入った。
「別に遠慮しなくても良いぜ」
かなめはブーツを脱ぎにかかる。誠は仕方なく一人暮らしには大きすぎる玄関に入った。ドアが閉まると同時に、染み付いたタバコの匂いが誠の鼻をついた。靴を脱ぎながら誠は周りを見渡した。玄関の手前のには楽に八畳はあるかという廊下のようなスペースが広がっている。開けっ放しの居間への扉の向こうには、安物のテーブルと、椅子が三つ置かれている。テーブルの上にはファイルが一つと、酒瓶が五本。その隣にはつまみの裂きイカの袋が空けっ放しになっている。
「あんま人に見せられたもんじゃねえな」
そう言いながらかなめはすでにタバコに火をつけて、誠が部屋に上がるのを待っていた。
「ビールでも飲むか?」
そう言うと返事も聞かずにかなめはそのまま廊下を歩き、奥の部屋に入る。ついて行った誠だが、そこには冷蔵庫以外は何も見るモノは無かった。
「西園寺さん。食事とかどうしてるんですか?」
「ああ、いつも外食で済ませてる。その方が楽だからな」
そう言ってかなめは冷蔵庫一杯に詰められた缶ビールを一つ手にすると誠に差し出す。
「空いてる部屋あったろ?あそこに椅子あるからそっちに行くか」
そう言うとかなめはスモークチーズを取り出して台所のようなところを出る。
「別に面白いものはねえよ」
居間に入った彼女は椅子に腰掛けると、テーブルに置きっぱなしのグラスに手元にあったウォッカを注いだ。
「まあ、冷蔵庫は置いていくつもりだからな。問題は隣の部屋のモノだ」
かなめは口に一口分、ウォッカを含む。グラスを置いた手で、スライス済みのスモークチーズを一切れ誠に差し出す。誠はビールのプルタブを切り、そのままのどに流し込んだ。
「隣は何の部屋なんですか?」
予想はついているが誠は念のため尋ねる。
「ああ、寝室だ。ベッドは置いていくから。とりあえず布団一式とちょっと必要なファイルがあってな」
今度はタバコを一回ふかして、そのまま安物のステンレスの灰皿に吸殻を押し付ける。
「まあ、色々とな」
かなめは今度はグラスの半分ほどあるウォッカを一息で飲み下してにやりと笑う。
「それにしても、茜さんにした『カネミツ』の話。本当ですか?」
かなめのタレ目がにやりと笑う。
「ああ、あれならカマかけてみたんだ。半分は噂みたいな話だし。結局茜の奴が何を考えてるかは読めなかったけどな」
かなめはまたグラスにウォッカを注ぐ。誠は半分呆れながらその手つきを観察していた。
「叔父貴は自分から状況を作るようなことはしねえよ。あくまでも相手に手を打たせてから様子を見てカウンターでけりをつけるのが叔父貴流だ。まあ、手札としての『カネミツ』の有効利用のために吉田辺りを使って噂を広めるくらいのことはするかもしれねえがな。まああの二人はどうにもねえ。お互い騙し騙されて数十年。なかなか不思議な縁と言う奴だな」
グラスを顔の前にかざして、かなめはいつもの悪党の笑顔を浮かべる。
「しかし、あの機体はほとんど戦略兵器じゃないですか!国際問題に発展する可能性だって……」
「その性能とやらもすべて叔父貴の息のかかった技術屋の口からでた数字だろ?当てになるもんじゃねえよ。まあ、叔父貴のことだから逆に過小評価している可能性もあるんだがな」
そう言うとまたかなめはウォッカの入ったグラスを傾けた。
「まあ叔父貴と吉田のお遊びの相手に主要国の情報機関が寝ずにがんばってくれているのには頭が下がるがね。そんな様子をあの御仁は腹抱えて大笑いしてるんじゃねえか?」
かなめはいかにも愉快そうに笑った。誠はただ自分の部隊の隊長のとんでもなさをひたすらかみしめていた。