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咆哮のグレーテル  作者: 胡桃ヌイ
★第九章 『太陽と月とターリア』――Kapitel 9:Sonne, Mond und Talia――
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Ⅶ 『痛み分け』

「どうやら、一旦嵐は過ぎ去ったようだな」

「ええ。まさか〈兄妹〉のほうから、退きに来るとは思いませんでしたね。あのまま戦闘が長引い

 ていれば、我々もどうなっていたか分かりませんよ」

「そうだな。瞬間的だったとはいえ、被験体【KHM15/1113/R】に魔女の面影が見えた時には、さす

 がに肝を冷やしたぞ」

「エルフ様。それは上層部からの通達に、間違いは無かったと言うことでよろしいのでしょうか?」

「ん? ああ……被験体【KHM15/1113/R】が、魔女の末裔だという話だな」

「はい」


今しがた争奪戦が行われていたであろう場所にて清談に論じる二人の男性。一人は教団の中で最も

背の高い狭長の優男で、一人は教団に属して、ようやく半月になろうかという若者だ。


二人は、お揃いの白いローブで身を纏い、争奪戦の痕跡を貴重な一級資料として、タブレット型端

末機『ローレライ』に秘録していた。


「ツヴェルフ……俺も現場を見るまでは、上層部の見当違い、誤謬(ごびゅう)なんじゃないのかと耳を疑って

 いた。だが……お前もその目で見ただろう。被験体【KHM15/1113/R】に、黒く禍々しい翼が浮か

 び上がったのを。あれは紛れもなく魔女の片輪だ。彼女の中で眠るかのごとく(くすぶ)っていた血統が、

 その日を境に煮えたぎり、(あるじ)の精神に〝揺さぶり〟をかけにきた――という証拠でもある」

「その日? 揺さぶり? ……でありますか?」


大抵の事案については、タブレット型端末機『ローレライ』を通じて、他の教団員と情報を共有す

ることが可能だが、今だアーカイブスに挙がっていない第一報については、知識・経験の豊富な先

輩教団員に訊ねるしかない。


「お前には、まだ説明していなかったか。《その日》というのは――」


ここにきて、先輩教団員エルフの話を遮るように『ローレライ』がけたたましい通知音を響かせる。


「……ツェーンからだ。どうやら今度はE地点にて、先ほどのうさを晴らすかのように〈双子〉が

 手当たり次第に暴れ回っているらしい」

「まったく、血の気の多い子たちですね」

「まあ、そう言ってやるな。あいつらのおかげで各被験体の瞬間ロマン値が上昇傾向にある。これ

 らは我々『ロマン主義教団クレメンス』にとっては朗報だ。人間という生き物は危機に陥れば陥

 るほど生命力を発揮するものだからな」

「では、今後はそちらへ向かえとの通達で?」

「ああ」


先輩教団員エルフがローブをひるがえす。それに続くかのようにツヴェルフも黒衣を舞った。


「でも、よいのですか。監視レベル『要脅威』を野放しにしておいて」


被験体の監視には格付けがある。それが、被験対象<保護対象<要保護対象<脅威的対象<潜在的

脅威対象<要脅威対象<排除対象だ。


現在〈兄妹〉二人の内、ヘンゼルが『要保護対象』、グレーテルが『要脅威対象』に位置づけされ

ている。監視レベルの優先順位で言えば、『脅威的対象』である〈双子〉よりも、『要脅威』に指

名されているグレーテルのほうを一番に巡邏(じゅんら)しなければならないのだが――


「構わんさ。あれだけ手ひどくやられたのだ。〈兄妹〉もしばらくは動くことが出来ぬまい」


地上から樹木へとエルフが飛び移る。ツヴェルフに「ついてこい」と言わないばかりに背を預けた。

彼の言うとおり〈兄妹〉の負傷は大きい。今すぐに動き出すという事はないのだろう。


次に〈兄妹〉を監視することがあるとすれば、その時はまず間違いなく〈双子〉との再戦だ。


「やれやれ。手のかかる子どもらを持つと『親』という者は大変だな」


それは教団員満堂の総意だった。


      ☆


『マホウノモリ』――そこは魔女の魔法がかかった不思議な森だ。『黒い森』とは一線を画し、魔

女によって選ばれた子どもたちだけが立ち入りを許可されている。


「……ハァ、ハァ、ハァ」


その『マホウノモリ』区域内で子どもたちは息を荒げていた。追い手であった〈双子〉の姿は、そ

こにはない。どうやら、上手く逃げ切ることが出来たようだ。


「みんな……大丈夫……かい?」


息も切れ切れに全員の安否を確かめたのはヘンゼル。ユーデリカとフラウミルは呼吸を整えつつも、

ここが魔法のかかった『マホウノモリ』だということに驚きを隠せていない。だが終始ヘンゼルに

しがみついていたフラウミルは、あのような出来事に巻き込まれたにもかかわらず、すぐに平気の

平左を取り戻している。


反対にユーデリカの肩を借りてどうにか走り切ったグレーテルは、争奪戦のゆくえもあってか、草

むらに横たわったまま、起き上がることすらままならないでいた。様子から察するにかなりの疲労

困憊だということが見て取れる。


「グレーテル!」 「グレーテルちゃん!!」


ヘンゼルにユーデリカ。それにフラウミルが、三者三様にグレーテルへと駆け寄り、彼女の症候具

合を案じた。軽症でないことは誰もが承知している。何たってあれほどの激戦を目の前で繰り広げ

られたのだ。グレーテルに痣づく無数の線条痕がそれら全てを物語っていることは言うまでもない。


ヘンゼルは、精疲力尽(せいひりきじん)なグレーテルを背中へと担ぎ上げ、


「みんな、この先に僕とグレーテルのホームがある。そこまで行こう」


ユーデリカとフラウミルにホームまでの道のりを示した。いくばく安全圏内に入ったからとはいえ、

まだまだそこは『マホウノモリ』の末端。身なりを隠せていようとも安断を下すには明朗な場所で

はなかったからだ。




いつもの何倍もの時間をかけ、ヘンゼルたちは、ようやくホーム『魔女の家』へと帰還した。鬱蒼

と茂る草深な松原――ひとかたならず屹立(きつりつ)とした大樹木――ゆくりなくも最初に目を輝かせたのは、

長く二の句が継げないでいたユーデリカだった。


「ここが……グレーテルちゃんのお家……」


動揺を隠しきれないのも無理はない。彼女の眼前に広がっているのは、朝日が西から出るような一

壷天(いっこてん)。えもいわれぬ美しさに、


「花園以外に、こんなにも素敵な場所があるなんて……」


思いがけず一歩前へと進み出る。どこを見渡しても、黒い森では十に一つ考えられないランドスケ

ープ。大樹と一体化したような木造家屋を始め、草花木果に囲まれた広大な庭園。観たこともない

鳥類に聴いたことのない(さえず)り……おおよそ名前も得体も知らない生き物たちばかりか、暑さも寒さ

も感じさせない穏やかな茶席風ときたのだから。


四人は光輪に包まれた中央の樹木へと歩き出す。まるでおとぎ話の世界に来たみたい――ユーデリ

カの心模様に箱庭がそう映った声の下、突如ホームの三和土戸(たたきど)がギィイっと音を立てて独りでに開

いた。


「ヘンゼルにグレーテル――〈双子〉を相手にしてよく帰ってきたね。戦況はマーガス【魔女の使

 い魔】からもろもろ聴いておるよ。さあ急いで家にお入り。先ずケガの手当てをせねばの。ほれ

 何をボーっとしておる。お前たちもじゃよ小娘」


木屋の式台からぬらりと現れたのは、背中を丸めた、しがない格好をした老婆。その(おうな)に手招きを

されて、ユーデリカはギョギョギョと目の玉が飛び出しそうになった。口をパクパクさせて何かを

発しようとはしているが、吸気が詰まって言葉が上手く出てこないでいる。そんな彼女に代わって

魔女の呼びかけに応じたのはフラウミルだった。


「おばあーちゃんはー、グレーテルちゃんのおばあーちゃん?」

「ホォッホッホッ……面白い娘だねぇ~私が怖くないのかえ?」


乱杭歯を剥き出しにして魔女がにんまりとほほ笑む。


フラウミルは平然とした様子で、


「わたし、フラウミル。10歳」

「おやおや……ちゃ~んと挨拶が出来て。偉いねぇ」


自分と同じ目線に立つ魔女からつむりを撫でられた。それを見たユーデリカが慌ててお辞儀をする。


「あ、あのわたしユーデリカと申します。グレーテルちゃんとは友達で……」


ユーデリカの右往左往する姿を見て魔女はユーデリカの頭にも手を差し伸べた。


「そんなに(かしこ)まらなくていいんだよ。お前さんたちの事はグレーテルからよーく聞いておる」


そう言って魔女は二人をホームへと招き入れ、ヘンゼルたちを最後に門口に灯りをともした。気が

付けば夕闇がすぐそこにまで迫っていた――




全員の治療後、軽い夕食を済ませたユーデリカとフラウミルは、魔女に促されヘンゼルたちがいつ

も寝ているベッドで二人仲良く眠りに就いた。幸いなことに二人のケガは浅く回復に向かっている。

しかしながら胸のつかえが下りたのも束の間。誰よりも先に解決しなければいけない問題を抱えて

いたのは傷つく傷を負ったグレーテルだった。


「とりあえず沈痛魔法と睡眠魔法で応急処置は施したが、グレーテルの手負い傷は、どうやら〝争

 奪戦によるものだけ〟ではなさそうだねぇ」


ソファーに横たわるグレーテル。彼女にそっと毛布をかけながら、魔女ドロテーアは小さく呟いた。


「グレーテルのケガが争奪戦によるものだけではない?」

「ふむ……お前さんには少し話しておいたほうがよいかもしれんのぅ」


ヘンゼルは魔女の口跡に眉を曇らせた。時刻はすでに23時を示している。暖炉の奥に焚き木を放

り込み、皆が寝静まった(よう)さり、魔女が静かに席に着く。ヘンゼルに伝えておかねばならないこと

があるようだ。


「ヘンゼル――以前私が語った《魔術》については覚えておるかえ?」

「魔術? えっと、魔女と呼ばれる者だけが使用できる秘術で、同一定義で存在する《童術》との

 併用は不可能である。だったよね?」


いつだったかニンフェと出会い、初めてホームへと招いた時にドロテーアから耳朶(じだ)に触れた内容だ。


たしか、闇の使い〝魔女〟はマレフィキウムと呼ばれる加害魔法の概念によって囚われており、超

自然的な能力《魔術》を得る変わりに悪魔との従属関係を結んでいて、希望や幸福、勇気と言った

光の結晶《民謡伝術》を使用することが体質的に不可能だということ。


たとえ強い想いがあったしても、それをカタチへと昇華する段階で闇の力が働いてしまい、光の術

式である《民謡伝術》が消滅してしまうということ。ゆえに魔女の血脈を受け継ぐ者は幸遺伝子を

有する『グリムの仔達』であっても《民謡伝術》を提唱することは出来ない――だ。


魔女がそのとおりだと二度頷く。その上で更なる事実をヘンゼルに突き付けた。


「矢次話になるんじゃが、その魔術の断片がグレーテルの体内から検出された」


思いがけない展開にヘンゼルが重い腰を上げ前のめりになる。


「おばあさん。それってどういう……」

「うむ。私も最初は自分の目を疑ったがね。いや、前々から感じてはおったのじゃ。グレーテルが

 魔女の血脈を引いているのではないかと」

「グレーテルが……魔女……?」


ヘンゼルが信じられないと言った顔になる。それに伴ってか様々な矛盾点が彼の脳を刺激した。


「で……でも、もしグレーテルが魔女なら《童術》は使えないし、それに魔女の血脈が血筋に関係

 しているのなら僕たちの母さんだって魔女だってことになるし、だいたいグレーテルは――」

「落ち着くんだよヘンゼル。お前さんの考察は間違っていないよ。しかし今は、目の前の現実を受

 け止めねばならんのじゃ話を続けるぞい」


魔女に訊ねたいことがたくさんある。頭の中がぐちゃぐちゃで眩暈がしそうだ。ドロテーアは質問

には順番を追って答えていくと言い、ヘンゼルを再び椅子に座らせた。


「先ほどグレーテルが魔女ではないかと伝えたが、正確には〝まだ魔女にはなっていない〟と訂正

 したほうがええじゃろう」

「ま、だ?」

「そうじゃ。言うなればグレーテルはまだ魔女の卵に過ぎん。血脈的に説明すると羽化する前の状

 態じゃな。魔女に成るためには、それぞれ『年齢に応じた時期』と『条件』があるのじゃよ」


時期? 条件?? ヘンゼルはメモを取るように思考を巡らせた。


「差し当っては『魔女の血脈』について述べねばのぅ」


魔女の血脈――そう遠くはない時代の古書にそれは書かれていた。魔女から生まれる子女は魔女で

       ありその魔女から生まれる魔女もまた魔女である。


「魔女の血液は母から娘に――つまり女系にしか伝承されず、時期によって狐影を変えていくと(いわ)

 れておる。その時期とは『継承期』『停滞期』『変格期』『覚醒期』『安定期』の5周期で、年

 齢別に『0~3歳』『3~7歳』『7~11歳』『11~13歳』『13歳~永年』までと分類

 されておるんじゃ」


一呼吸置いて魔女が続ける。古時計の針は24時を指そうとしていた。


「しいては、質問の一つに回答を挙げるとするならば、グレーテルの母親……お前さんたちの母親

 も、魔女の血液を代々受け継いできた正真正銘の魔女と云うことになる」

「母さんも……魔女……」


ヘンゼルの記憶に、グレーテルが発した、とある言葉が蘇る。


【お母さまはむかし……素手で木を倒したと聞きました】


これはまだ、故郷を出る前のグレーテルとの会話。村祭りで妹から聞いた母親の昔日(せきじつ)だ。


「言われて、みれば……」

「納得がいったのかえ?」


考えたくはないが、当時多くの魔女たちが魔女狩りから逃れるために、その身を隠したとドロテー

アは進言していた。


その中には『人間として暮らし始めた者もいた――』と。


少しずつではあるがヘンゼルの頭の中で点が線へとなり、バラバラだった情報がシナプスのシグナ

ル伝達ように繋がっていく。


「じゃあ……いずれはグレーテルも魔女に……」


今はまだ魔女になっていないと言っても、母親が正統の血統を引いているのならば、その娘である

妹が魔女になるのも時間の問題だ。ただ、


「魔女になったらどうなるの?」


魔女に成ったとしてもグレーテルはグレーテルのままのはず。何故なら母親がそれを証明している

からだ。自分たち人間と何も変わらない生活を送ってきた実績がある。それなら特に心配しなくて

もいいのでは――


「最悪の場合『死』にいたることになる」

「……え?」


ゴクリと生唾を飲み込む音がした。死……ぬ? 魔女に成ることを安易に考えていたヘンゼルは声

を失い耳を疑った。自鳴鐘が0時を示し、ゴーンゴーンと重く部屋に響き渡る。


「すまんなかった。驚かしてしまったね。死にいたると言っても〝絶対〟なわけではないのじゃよ」


魔女が水に慣れさすようヘンゼルに滋味豊かな詩文を送った。


「魔女の血脈には『時期』と『条件』があると話したね? それに(なら)うならグレーテルは先月11

 歳になったばかり――『時期』に当てはめるならちょうど『覚醒期』に入ったというところかね」

「覚醒期――」

「ふむ。要は魔女の血液が一番活発に動く時期じゃ」


紅茶でも用意しようかねと魔女が一旦席を外した。その間ヘンゼルは心臓の高鳴りを必死に抑え込

み、冷静さを取り戻そうと努めた。ドロテーアに聞きたいことは山ほどあるが、焦ったところで事

実が揺らいでくれるわけではない。


実の母親が魔女の家系であること。グレーテルがその血筋を受け継いでいてこれから魔女に成ろう

ということ。その際もしかしたら死亡してしまう可能性があるということ。


受け止めなければならない天網から目をそらしてはならない。逃げちゃだめなんだと言い聞かせた。


「ほれ、冷めないうちお飲み」


魔女が台所からティーカップを二つ用意して戻ってくる。その内の一つをヘンゼルの前に置き、自

分も椅子を引いた。カップの中からは甘い香りが漂ってくる。ミルクティーだ。シュガーの甘さが

ほどよく利いていて疲弊した脳内に休息を与えてくれる。一口二口ほど飲んで、魔女は話の続きに

戻った。


覚醒期――魔女の血脈を持つ者が11になった年から13になるまでの間。その二年間というのは、

     (さなぎ)が羽化して蝶になるまでのような期間で、体内で眠っていた悪魔がその身体に呼びか

     けを始める時期である。そのため精神状態が最も不安定になり、最悪の場合、悪魔に体

     ごと乗っ取られてしまうという。


「それが〝死にいたる〟ってこと?」

「言葉で表すならそういうことじゃの。付け加えるなら、悪魔に体を乗っ取られた魔女は自我を失

 い、それまでの記憶すら一切忘れてしまうんじゃ。つまるところ、姿形はグレーテルであっても、

 そこに居るのはグレーテルではなく、悪魔を宿した〝(しかばね)〟ということじゃの」

「じゃあどうすれば、グレーテルは悪魔にならなくて済むの?」


悪魔になる方法があるのなら、逆に悪魔にならないで済む方法もあるということになる。


「簡単なことではないが、もちろんその手法はある。それは『安定期』に入るまで強いストレスや

 精神崩壊を起こさなければよいだけじゃ」


安定期――覚醒期最後の13歳で血脈は安定し、その後は悪魔ではなく魔女となって生き続けると

     言われている時期。覚醒期で悪魔と主従関係を結び、魔術の使用を自己意識で出来るよ

     うになる。


「はてさて、少し長話になってしまったの。ヘンゼルお前も軽傷とはいえ争奪戦の疲れが残ってお

 ろう。少し横になったほうがええの。続きは《その日》が来たら必ずする。とりあえずはグレー

 テルを休ませ様子を見ていくしか方法がない。あとは今しがた話した内容は他の者や特にグレー

 テルには内緒にしておいてくれんか? 強い動揺も〝刺激〟になってしまうからのぅ」


      ☆


〈兄〉が〈妹〉の手を取って云った。


「母さんが死んでからぼくたちには良いことがちっともない。今の母さんはぼくたちを毎日ぶつし、

 そばに寄れば足で蹴飛ばすし、食べ物だって与えられるのは硬いパンの皮だ」


〈兄〉がとんまを続ける。


「テーブルの下の子犬のほうがまだマシだよ。今の母さんは、犬には時々おいしい物を投げてやる

 からね。本当に悲しいよ……ぼくたちの死んだ母さんがこんなことを知ったらどんなに嘆くだろ

 うか……」

「兄さま。それならいっそのこと二人で家を出てしまいましょうよ!」


〈双子〉は一日中、野ばらや畑、石ころだらけの道を超えて行き、雨が降ると〈妹〉は必ず手を合

わせ、こう唱えた。


「神さまもルーナたちの心も一緒に泣いているのだわ!」


どんよりとした雨雲は何も答えない。それでもルーナの瞳には『神さま』が映っていた。夕方、二

人は大きな森へと入って行った。ひもじさと心細さ、長い道のりに疲れ果て〈双子〉は、木のくぼ

みに座り込みそのまま深い眠りへと(いざな)われる。


あくる朝。ルーナが目を覚ますとお日様はもう高く上がっていて、


「兄さま、兄さま。ソーレ兄さま!」


〈妹〉が〈兄〉の身体を揺さぶって起こしにかかる。ソーレと呼ばれた兄は日差しから目を蔽いな

がら、喉が渇いたねと立ち上がった。


そうして二人は水を求め、再び森の中を歩き回った。


森の中は薄暗くて気色が悪かったが、継母に虐げられることもなくなったので、幾分と心は晴れて

いた。ソーレが太陽に向かって両手を掲げる。


「神さまもぼくたちの門出を祝福してくれてるようだね」


燦然(さんぜん)と照り付ける脚光は知らぬが花。何も語らない。それでもソーレの(こぶし)には、しっかりと『神さ

ま』のシェープが握られていた。それから数キロ歩いたところで〈双子〉は白妙(しろたえ)色に染まった不思

議な清水泉(しみずいずみ)に辿り着いた。


ソーレが辺りを徘徊する。近くに落ちていた小枝を拾い、水の中へと突き刺す。白く濁った水面に

いくつもの波紋が広がり棒を底へと飲み込んでいく。水位はそれほど高くない。だが乳濁液が透明

色に変化することはなく喉の渇きを潤すにはあまりにも不衛生だった。


「ルーナ。ここの水はだめそうだね。飲めそうにないや」

「あら? それはとても残念ね。他を探しましょう」


元の木阿弥だと飲水を諦め〈双子〉は今しがた来た道へと(きびす)を返した。そこに整然とした女性の声

が喫したのは二人が振り向いたのとほとんど同時だった。


「お姉さん……誰?」 「きれいな人……」


ソーレとルーナがのつつじに目をやった。女性にしては背の高い、くびれのはっきりとした麗人だ。

女性はカツカツとヒールの音を弾ませて、無表情な〈双子〉に圧を押し殺して詰め寄ってきた。


「安心なさい。貴方たちに危害を加えるつもりはないわ」


そうね……女性が腕を組みながら吐息を漏らす。何を考えているのかソーレとルーナには解らない。

ただ、悪い人ではなさそうだと肌が感じている。そしてそれは見事に的中した。


「喉が渇いているんでしょう? いいわ。うちにいらっしゃい」



〈双子〉が女性の後に付いて連れて来られた場所は、全面石造りで建てられた手腕家の洋館だった。


「どうぞ。遠慮はいらないわ」


屋敷に入り真っ先に通されたのは『食堂』と呼ぶに値する長方形の机が中央に置かれたリビングだ。

座席の数は全部で八つ。レースの付いた白いテーブルクロスの上には黒い蝋燭立てが三つ鎮座して

おり、真上には五本塔のシャンデリアが紫色の輝きを放っている。壁面には金色の額縁に飾られた

著名人たちのヴァリエティ。おおかた爵位持ちの面々なんだろう。もしかしたら、この洋館の歴代

の主たちなのかもしれない。


ソーレとルーナはそれぞれ机の両端に対面で座った。こんなに広いお屋敷なのに、女性以外に人の

気配をまったく感じない――使用人や召使いは雇っていないのだろうか?――そのくせ窓や床には

ほこり一つ溜まっておらず、部屋全体が不気味なほど清潔に保たれている。夢――ではなさそうだ、

と〈双子〉は顔を突き合わせた。


銀色の食器が女性の手から運ばれてくる。取っ手が細く飲み口が広いワイングラスにデキャンタだ。

グラスに水が注がれていく。女性は二人にグラスを渡し、自分も〈双子〉の間席へと腰を下ろした。


「好きなだけお飲みなさい。茶菓子も用意しようかしら」


そこからの記憶はほとんどない。ソーレとルーナが次に目を覚ました時には二人は『戦場』に居た

のだから。


しろめ【鉄】の匂いが鼻を刺す。血まみれで横たわる数人の童子をよそに、無邪気に男女が手を取

り合っている。二人の周りには硝煙と氷柱――その姿絵は筆舌に尽くしがたく、(よわい)8歳とは思えぬ

荒所業だ。


どこからか拍手が聞こえてくる。正体は上下紺色の服を着た女性。目を凝らすと、女性の奥に何人

かの人影があった。全員が紋章をあしらった白地のローブに身を纏い、ローブのフードを深々と被

っている。


「初陣にしてこのロマン数値か。見事なものだ」


ローブ姿の一人がニヤリと口元を緩める。素顔はフードで覆われているが〈双子〉はその人物を知

っていた。握り合う互いの小さな手の甲に刻印を焼き付けた当事者だったからだ。しかしながら彼

らに対する怒りは沸いてこなかった。


高揚しているのか、幸遺伝子が働き続けているのか。二人の『心音』には、そんな事どうでもいい

よと言わないばかりの感情が満ち溢れていたからだ。


むしろ彼らには感謝をしている。ボロ小屋で毎日継母に虐げられることも、硬いパンの皮を食べて

ひもじい思いをすることも全て無くなったのだから。


「ママ!」 「ママっ!」


子犬が親犬を見つけて尻尾を振るように〈双子〉が手をかざしながら女性の下へと駆け寄って来る。

教団の連中には興味がないのだろう。目もくれず真っ直ぐに女性の懐へと飛び込んで行き抱きしめ

てもらう。女は二人を我が子のように迎え入れ、


「お前たちは神様に愛された子。誰よりも大切な子。今からお前たちは〈アデム〉と〈イヴ〉だよ」


頭を撫でてやった。兄さま、神さまはやっぱり居たんだね! そうだね心が神さまが笑ってる――




「兄さま。わたし、長い夢を見ていた気がするわ」

「うん。そうだね。ぼくもおなじ夢を見ていたよ」


アデムとイヴが木のくぼみから起き上がる。


〈兄妹〉との争奪戦から一夜が明け、二人は再び戦場に立とうとしていた。


「あの子たち出てくるかなぁ」

「大丈夫。きっと出て来るよ」


〈双子〉が互いに顔を合わせ手を取り合う。自分たちは神さまに選ばれた子――〈兄妹〉を必ず倒し

て祝福を受ける権利があると誓いを起てる。


「良いときも悪いときも」 「富めるときも貧しきときも」

「病めるときも」 「健やかなるときも」


二人は神に向けて小さな手を絡め合い、そのまま唇を重ね合わせた。


「「死が二人を分かつまで」」

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