第一話「二人の巫女」
昔々あるところに、二柱の女神様と、それぞれの神殿に仕える二人の巫女がいました。
二柱の女神様はともに負けず嫌いな性質で、ことあるごとにどちらが優れているかと張り合い、喧嘩をしていました。
何度も力比べや知恵比べをしても決着はつかず、そのたびに天地が荒れるので、人間たちはすっかり困り果てていました。
そこで、二人の巫女は祈りと誓いを捧げました。
自分たちが代わりに勝負をするので、どうか喧嘩をやめてほしい、と。
それからというもの、二人の巫女は女神様の気を引くために、あらゆることを競い合うようになりました。
体力や知識、歌や踊り、料理に機織り――二人の巫女による勝負は、いつも互角で引き分けでした。片方が負けそうになると、女神様が割り込んできて手助けをしてしまうからです。
このままでは何も変わりません。ついに、女神様は他の神様へ助言を求めました。
すると、運命を司る神様が、二つの杯を差し出しました。見た目はまったく同じ杯ですが、一つの杯にはどんな生き物でも死に至る猛毒が、もう一つの杯には生命力を高める霊薬が入っていると言うのです。
女神様は受け取った杯を、二人の巫女の前に置きました。
どちらかが勝ち、どちらかが負ける。この運試しであれば、必ず勝敗が決まります。
二人の巫女は、女神様の言うとおり一つずつ杯を選び、一緒に中身を飲み干しました。
そして、一人の巫女は猛毒で命を落とし、一人の巫女は霊薬によって怪我や病気にならない体になりました。
一柱の女神様は大いに喜び、一柱の女神様は大いに嘆き悲しみました。
勝利で気をよくした女神様は、生き残った巫女に褒美を与えることにしました。
生き残った巫女が、運試しで使った猛毒の杯がほしいと言ったので、女神様は同じものを与えました。
巫女はその猛毒を飲み、死んでしまいました。二人の巫女は、どちらも死を選んだのです。
二柱の女神様は深く反省して、二人の巫女の魂を冥界からすくい上げ、再び人間の世界に還すことにしました。
ただし、二人の巫女が生まれ変わるには、気が遠くなるほど長い時間がかかります。
生まれ変わりがいつ現れるのかは、神様でもわかりません。もしかしたら、すでにどこかで普通の人間として生活しているかもしれません。
――女神と巫女のお話、これにておしまいです。
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ぱたん、と厚みのある絵本が閉じられる。
本屋の奥に集まっていた子供たちは、一斉に不満の声を漏らした。神話の時代の終わりを告げる物語は、幼い彼らにとって少しばかり物足りなかったらしい。
朗読を終えた店員は、集まっていた子供たちに安価な焼き菓子を配って歩いている。
その光景を少し離れた書棚の陰から眺めながら、少女は口角を上げた。
「いやぁ……実際、そんなシンプルな話でもなかったけどねぇ?」
口をついて出た嘲るような呟きは、散り散りに走り去っていく子供たちの賑やかな足音にかき消された。
たしかに、子供に聞かせるには綺麗にまとまっている。だが、所詮はおとぎ話だ。
猛毒で喉を焼かれた当事者からすれば、声を大にして言ってやりたいことが山ほどあった。
あの毒がどれほど苦しかったか。ひとり残された彼女が、どんな顔をしていたか。そして、女神たちがどれだけ身勝手で、派手に大泣きしながら自分たちの魂をこねくり回したか……などなど。
あれから、五百年が経っていた。
気が遠くなるほどの歳月を経て、かつてファウナと呼ばれた巫女は、クノスという国のポーラ・アイトリアとして現世に生を受けた。
物心つく頃には、ポーラのなかで徐々に前世の記憶が目覚めていた。
前世の記憶が混ざり合うことで精神の成熟は急速に進み、両親の過保護な愛情に感謝しつつも、自分の目的を見すえて行動する、年齢不相応な冷静さもおのずと備わった。
紺色の瞳で店内を見回したのち、手元に視線を落とす。ポーラが抱えていたのはおとぎ話の絵本などではなく、実用的なガイドブックだった。
「店主さん。これ、いただくわね」
ポーラは革の財布から銀貨を数枚取り出して、カウンターに置いた。そして、明るい琥珀色の髪を軽く指で払い、店主に視線を向ける。
シワだらけのエプロンをつけた老店主がカウンターに入ると、眼鏡の位置を直しながら微笑んだ。
「毎度。お嬢さん、クノスからの旅人かい? 一人歩きは気をつけなよ」
「えぇ、ありがとう。でも心配いらないわ。これでも結構、自分の身は守れるほうだから」
ポーラはにっこりと笑みを返し、軽やかな足取りで店を出た。
日の光を浴びて、ポーラはまぶしそうに目をしばたたかせた。
車輪が巻き上げる乾いた砂埃、あちこちの露店から漂う香りが鼻腔をくすぐる。耳を澄ませば行き交う人々の賑やかな話し声や、石畳を叩く靴音がせわしなく響いている。
ここはクノスの隣国、エクードの首都近郊にある活気あふれた交易街。ポーラは買ったばかりのガイドブックを広げ、街並みと見比べた。
当然のことながら、神々が地上を闊歩していた時代とは、文字通りすべてが様変わりしている。
人間が神の庇護対象でしかなかった時代は、とうの昔に終わった。人々は神に祈りを捧げることをやめ、代わりに自らの知恵と力で世界を切り開いていた。
大通りに設置された外灯には魔力を宿した石が組み込まれており、夜になれば淡い光を放つ。近くのパン屋では、店主が魔石のはめ込まれたオーブンに手をかざし、火をおこしている。
遠くに見える荷運び人は、風の魔法が組み込まれた台車を使い、指先ひとつで重い木箱を浮かび上がらせていた。
神代において、魔力とは神に連なる一部の選ばれし者――すなわち、巫女や神官だけが扱える、大いなる奇跡の力だった。しかし、研究が進んだ現代では、魔道具を介せば誰でも簡単に魔法の恩恵を享受できる。
それに伴い、神の威光は消え去った。神たちは役目を終えて、さらなる天空へと帰ってしまったのだろうと、人々が言うほどに。
「便利になったものよねぇ。あの時代にこんな魔道具があれば、神殿の水汲みだって苦労しなかったのに」
ポーラは感心半分、呆れ半分で息を吐いた。
現代の魔法は細分化され、効率的で洗練されている。かつて巫女や神官たちが使っていた、原始的かつ強大な魔法――現代では「神霊術」と称されるものの面影は、もうこの世界のどこにも残っていないように思える。
もっとも、ポーラ自身はその例外だった。
裕福な商家の一人娘として何不自由なく育てられた彼女は、生まれつき現世の人間としては異常なほどの魔力を宿していた。まるで前世の巫女としての取り分を、そのまま返還されたかのような、圧倒的な量だった。
悪用や誘拐を恐れた両親からは、「人前で強大な力を使ってはならない」と厳しく言いつけられていたが、ポーラはその力を自分自身の望みのために、着実に磨き上げてきた。
柔らかな髪を揺らしながら、ポーラは手にした大きな革製の旅行鞄を抱えた。
仕立ての良い上質なドレスは、母親の趣味でフリルやレースがふんだんにあしらわれており、一人旅の格好としては相応しいとは言えない。だが、本人は周囲の視線など一向に気に留めていなかった。
今も昔も衣服には無頓着で、ただ出されたものをそのまま着用する。そんな、ざっくばらんな性質の表われだ。
「――さて、と」
ポーラは地図を小さく折りたたみ、懐にしまい込んだ。
十七歳になった彼女が、親の反対を押し切ってまで単身で見知らぬ隣国へとやってきた理由。それは観光のためでも、実家の商売の手伝いのためでもない。
この世界のどこかに必ずいるはずの、あの懐かしい魂を探すためだ。猛毒の杯を飲み干した自分を追って、同じように命を捨てた、世界でたった一人の好敵手。
「待っていなさい、ウィルハ。この私が、必ず見つけ出してみせるんだから!」
ポーラは高く澄んだ青空を見上げ、明るい笑みを浮かべた。




