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紅椿ノ守 ―令和吉原綺譚―  作者: はの
第三章 破滅の契り

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十七軒目 大尽

「こちらです、黒江さん」

「ああ」

 

 夜も更けてきた頃。

 灯りに照らされる大門を、二人の男が潜り抜けた。

 高級な黒のスーツを身に纏い、胸を張って堂々と歩く。

 その風体から発せられる威圧感に、初の遊郭に戸惑う客も、馴染みを持つベテランの客も、思わず道を開ける。

 

「ここが遊郭か。なかなか美しい場所じゃないか」

 

 黒江(くろえ)春幸(はるゆき)は、観光地を楽しむように、辺りを見渡す。

 

「お! もしかして、ご新規さんっすか?」

 

 そんな春幸から金の匂いを嗅ぎつけた伊吹は、春幸の威圧感にひるむことなく、案内しようと話しかけた。

 しかし、令和吉原では嗅ぎなれない香水の匂いに、近づいてすぐに、一瞬たじろいだ。

 

「案内は結構。行きたい茶屋は、決まっているので」


 伊吹がたじろいだ隙に、春幸の同行者である宇佐美(うさみ)(けい)が春幸との間に入り、伊吹の案内を断った。

 春幸は、伊吹からの声掛けを気にする様子もなく、仲の町(なかのちょう)の奥行きと、その左右に並ぶ古めかしい茶屋の並びを見て、感慨にふけっていた。

 

「建物も、趣があって美しい。以前、江戸の街並みを模して作った博物館を見学したことはあるが、比べ物にならないな。本当に、町が生きている」

「そうでしょう? そうでしょう? こちら、仲の町と言いまして、この吉原のメインストリートなんです! 今は、ただの道ですが、春になると道の真ん中に桜並木が植えられまして、それはそれは美しい姿に変わるんです」

「ほう。桜並木か。後、二月(ふたつき)、早く来たかったな」

「是非、来年もご案内させてください!」

 

 好感触な春幸の様子を見て、慶は心の中でガッツポーズを決める。

 そして、ゆっくりと視線を大門の右手にある七軒の茶屋へ移すことで、春幸の視線を誘導した。

 

「黒江さん。吉原では、まず茶屋に入って、どこで遊ぶかを引き手に伝えるのです」

「そうか。では、茶屋に入ろう。茶屋の中も、ぜひ見てみたい」

「私のお勧めの茶屋は、あちらです。大門近くに並ぶ七軒の茶屋は、七軒茶屋(しちけんぢゃや)と呼ばれておりまして、吉原の中で最も格式の高い茶屋なんです」

「どうりで、入り口に近い場所にある訳だ」

「今日は、七軒の中でも私のお気に入り、『玄屋』をご紹介させてください」

「うむ、任せる」

 

 慶は、「こちらです」と言いながら、玄屋に向かって歩き始めた。

 春幸は、慶の後をついて歩きながら、玄屋以外の七軒茶屋の建物を興味深そうに眺める。

 色や形に差異はあるが、提灯が垂れていることと紋の描かれた札が何枚も貼り出されていることで、七軒茶屋の建物は共通している。

 

「宇佐美くん」

「はい。なんでしょう、黒江さん?」

「七軒の茶屋に、違いはあるのかな? 見たところ、茶屋によって札のデザインが違うようだが」

「さすが黒江さん。細かいところまで、よく見ていらっしゃる。おっしゃる通り、この吉原には妓楼が山のようにありまして、茶屋によって紹介できる妓楼が違うのです。あの札は、紹介できる妓楼を現しています」

 

 慶の説明を聞いた春幸は、札の紋に注目しながら、再度七軒茶屋を確認した。

 紋は、一つの茶屋にしか張り出されていないものもあれば、七軒全ての茶屋に張り出されているものもあった。

 

 春幸が気になったのは、茶屋に張り出されている札の中に、一回り大きな札があることだった。

 現在向かっている玄屋にも、一回り大きな札があり、赤色の紋が描かれていた。

 

「つまり、今向かっているのは、赤色の紋章の妓楼と懇意にしている茶屋ということか」

「さすが、黒江さん。一度見ただけでわかってしまうとは」

 

 一回り大きな青色の紋の札を張り出す『菊水屋(きくすいや)』。 

 一回り大きな緑色の紋の札を張り出す『若竹屋(わかたけや)』。

 そして、一回り大きな赤色の紋の札を張り出す『玄屋(げんや)』。

 慶と春幸は、玄屋の前で足を止めた。

 

「こんばんは、慶様。いつもご贔屓いただき、ありがとうございます」

 

 清次郎は玄屋の奥から出てくると、すぐに慶を迎えた。

 そして、隣に立つ春幸へと視線を向けた。

 

「この方は、黒江春幸さんです。広告会社を経営していて、うちもよくお世話になっているんです」

「黒江です。初めまして。」

「春幸さんですね。初めまして。引手の清次郎と申します」

 

 清次郎は、差し出された春幸の手を取って、握手を交わした。

 一方、春幸は眉をピクリと動かし、慶の方を見た。

 

「あ! 黒江さん、遊郭では客を下の名前で呼ぶ風習がありまして」

 

 慶は、何が春幸の機嫌を損ねたのかと急いで考え、即座に弁解をする。

 

「そういうことでしたか。馴れ馴れしく名を呼んでしまい、申し訳ございません」

 

 清次郎もまた、春幸の不快感を察し、手を放してから一礼する。

 

 一方の春幸は、清次郎の行動の意図を理解し、眉の位置を元に戻した。

 差し出していた手も戻した後、清次郎に向かって一礼を返した。

 

「いえ、こちらこそ。吉原の慣習を知らず、失礼いたしました」

 

 謝りあう二人を見て、慶は春幸を怒らせなかったことに安堵し、胸をなでおろす。

 そして、気を取り直して、清次郎へと注文をする。

 

「清次郎さん。春幸さんに最高の吉原体験を! 紅椿花魁をお願いします!」

 

 慶からの注文を聞き、清次郎は眉を下げて、慶に頭を下げる。

 

「申し訳ございません、慶様。本日、紅椿花魁の初会は満席となっておりまして」

「え!?」

 

 慶は、予想していなかった展開に焦り、『最高の体験』と口にしたことを後悔した。

 次に慶が何を提案しようとも、春幸に最高ではない体験を送ったという意味になってしまうのだから。

 

「紅椿花魁に代わり、薄紅花魁であればご案内が可能です。薄紅花魁も、紅椿花魁と同様、紅楼の太夫となります」

 

 清次郎からの提案を聞きながら、慶は必死に最善手を考える。

 このまま紅楼のナンバー3である薄紅を指名すべきか、それとも他の妓楼のナンバー1に変えるべきか。

 数秒言葉に詰まっている間に、春幸が代わりに返事をした。

 

「その方で構いませんよ。同じ太夫であれば、サービスのレベルも同じなのでしょう?」

「もちろんでございます。紅楼の誇る、最高の体験をお約束いたします」

「だ、そうだ。どうかな、宇佐美くん」

「え? あ、はい! 薄紅花魁でお願いします!」

 

 慶は、焦った表情のまま、春幸の決めたことに従った。

 自分は許されたのか、それとも失望されたのか、ぐるぐると思考を巡らせながら支払いを終える。

 

「では、こちらへどうぞ」

 

 清次郎に連れられながら、春幸と慶は、木戸門をくぐりって江戸町一丁目へと入る。

 春幸は、目に飛び込んできた妓楼の建物を興味深そうに見つめ、耳に飛び込んできた三味線の根を心地よさそうに聞いた。

 

「素晴らしい。仲の町の通りも美しかったが、ここはより美しいな」

「こちらは、江戸町一丁目と呼ばれる通りでございます」

「名前まで美しい。ここは素晴らしい場所だ。教えてくれて感謝するよ、宇佐美くん」

「え? あ、はい! 喜んでいただけたのなら、光栄です!」

 

 紅楼に到着すると、春幸と慶は、お万によって二階へと案内される。

 そして、引付座敷に通され、座布団の上に腰を下ろす。

 

「素晴らしい座敷だ。この座布団一つ一つも特注品……いや、手作りか? なんて細かい」

「あ、はは……。おや、まったく」

 

 今後のビジネス上の関係を考え、春幸を令和吉原に招いた慶だ。

 春幸が上機嫌であることを喜ぶ一方で、建物や物品にしか興味を示さない春幸の言葉に一抹の不安を抱いていた。

 

「建物や座敷も美しいですが、花魁たちも美女ぞろいではありませんでしたか?」

 

 不安ゆえに吐き出した慶の言葉に、春幸は座敷を眺めるのを止めて、慶の顔を見る。

 

「見た目は、確かに美しい」

「で、ですよね!」

「だが、あの目は好きではない。客を、金としか思っていない目だ」

 

 春幸の吐露した気持ちを前に、慶は口をつぐんだ。

 春幸は、既婚者ではあるが、付き合いでキャバクラに行くこともある。

 だからこそ慶は、春幸を女遊びが好きな一人であると考え、令和吉原の美女たちと触れさせることで、喜んでもらえるだろうと考えていた。

 

 しかし、春幸からの感想はこの様だ。

 当てをはずしたかと、慶は肩を落として落ち込んだ。

 

「む? そろそろ始まるようだ」

 

 春幸はと言えば、慶の様子を気にすることもなく、これから何が起こるのかに期待を寄せていた。

 部屋の明かりが落ちて、座敷にほんのりとした甘い香りが漂い始める。

 

 ペタン。

 パタン。

 

 座敷の隣にある廊下に足音が響き、上座側の扉がすーっと開く。

 

 

 

 現れたのは、禿も新造も付けぬ、一人の花魁。

 

 一人で襖を開ける。

 一人で座敷に入る。

 そして、一人で上座に座り、まるで劇の稽古でもするように礼をした。

 

「紅楼、薄紅と申すでありんす」

 

 薄紅が頭を上げ、下座を見つめる。

 その瞳は、この場にいる客の誰一人とも、視線が合っていなかった。

 ただただ、消えそうなほど儚い笑顔だけを、宙に浮かべていた。

 

 春幸は、薄紅の瞳へ鏡のように映る自分の顔を見て、大きく目を見開いた。 

 聊かも自分に興味を持っていない瞳が、逆に春幸の心をかき乱した。

 

「どうぞ、よしなに」

 

 薄紅は、決められていた台詞の暗唱を終えると立ち上がり、襖の方へと戻っていった。

 

「待っ……!」

 

 春幸は思わず腰を上げてしまい、座敷の壁際に待機していた廻し方によって、肩を抑えられた。

 

「花魁に話しかけること、座布団から動くことは、禁止しております」

「…………失礼」

 

 春幸は眉間にしわを寄せながら、座布団へと座り直す。

 隣に座っていた慶が春幸の行動に驚き、周囲に座っていた他の客も、規則を破りかけた春幸に厳しい視線を送る。

 しかし、薄紅はただの一度も視線を動かすことなく、やはり一人で襖を開け、一人で座敷を出ていった。

 まるで、春幸が立てた音など、耳にも入っていないように。

 

 襖が閉まり、座敷に灯りが戻ってきても、春幸の心は薄紅に引き付けられたままだった。

 手を伸ばしたくなるほど儚く、手を伸ばしても消え去ってしまいそうな朧げな姿に、春幸は手を伸ばさずにはいられなかった。

 

「君。彼女と、もう一度会えないか?」

 

 春幸は、抑えられない感情を抱えたまま、自身の肩を抑えていた廻し方に話しかける。

 

「申し訳御座いません。花魁と会えるのは、一日一度までとなっております」

「そうか。ならば、彼女に贈り物はできないかね?」

「贈り物、ですか。できるとは思いますが」

 

 贈り物とは、多くの場合、馴染みとなった客から花魁に対して行われる行為だ。

 初会直後に贈る例を知らない廻し方は、座敷に立っていたお万に視線を向ける。

 そして、お万が無言で頷いたのを見て、贈り物の乗った冊子を春幸に渡した。

 

「く、黒江さん?」

 

 困惑する慶に見守られながら、退室していく客たちに見届けられながら、春幸は一心不乱にページをめくる。

 そして、一つの贈り物を指差し、廻し方に告げた。

 

「この、惣花(そうばな)を頼む」

 

 惣花。

 目当ての花魁一人に対してではなく、妓楼で働く他の花魁及び若い者を含む奉公人全員へ贈る、妓楼最大の祝儀。

 春幸は、冊子に描かれた最も高い贈り物を、躊躇いなく選んでいた。

 

「惣花!? し、失礼ですが、お支払いの方は……」

 

 途方もない金額を前に、廻し方は恐る恐る尋ねた。

 それに対し晴彦は、鞄の中から札束を取り出し、廻し方へと手渡した。

 

「キャッシュ一括で払おう」

 

 妓楼の規則に則り、春幸はその日、薄紅に会うことはなかった。

 しかし、その日の紅楼には、薄紅のために贈られた華が無数に咲き誇った。

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