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紅椿ノ守 ―令和吉原綺譚―  作者: はの
第一章 紅楼の灯

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一軒目 令和吉原

 定時を迎えた午後五時半。

 会社員の陽介(ようすけ)は、二人の新入社員を連れて夜の街へと繰り出した。

 上京したばかりの二人にとって、東京は全てが輝く魅惑の街。

 中でも、現在向かっている場所は、二人にとって最も心惹かれる場所であった。

 

「もう少しだ」

 

 駅を降りて歩き、建物に囲まれた湾曲する一本道を歩けば、もう間もなく。

 ビルの隙間から、それは不意に姿を現した。

 

 名を、令和吉原。

 江戸時代の新吉原遊郭の跡地に再建された、新たな遊郭。

 遊郭全体が高い壁に囲まれており、その全貌は見えない。

 しかし、遊郭の入り口――大門(おおもん)からは、当時を再現した古めかしい建物と妖艶な赤い灯が垣間見える。

 

「す、すげえ」

「これが、遊郭」

 

 大門は、大きな門と小さな門が横並びになった、木製の門。

 飾り気のない簡素な造りではあったが、それが逆に、奥に見える遊郭の煌びやかさを増していた。

 

 現実離れした光景に二人が呆気にとられていると、大門の前に高級車が止まり、中から如何にも高そうなスーツに身を包んだ男たちが降りてきた。

 二人は、自分たちが着ている安物スーツを見て、恐る恐る陽介の方を見る。

 

「あの……。やっぱぼくたち、場違いなのでは」

「大丈夫だって」

「でも」

「遊郭の中じゃ、みんな平等。胸張って歩けばいいんだよ」

 

 江戸時代の遊郭においても、大門をくぐるときは、大名も駕籠を降りたと言う。

 それは、遊郭において客は客であり、それ以上でも以下でもないという『しきたり』。

 令和遊郭においても、その理念は引き継がれている。

 

 陽介は不安そうな二人を笑い飛ばし、大門をくぐっていった。

 二人も、引き返すには遊郭に近づきすぎたのだろう、恐る恐るその後に続く。

 大門をくぐると、どこからともなく三味線の音が流れてきて、甘い香りが鼻をくすぐった。

 

 陽介は大通りを手慣れた様子で歩き、一つの茶屋の前で足を止める。

 茶屋の中では着物を着た店員が歩き回り、客と思しき人々が赤い縁台に座って手元の冊子に目を落としている。

 陽介の存在に気づいた店員の一人が、茶屋の中から現れ、陽介に向かって礼をする。

 

「これはこれは、陽介様。いつも御贔屓いただき、ありがとうございます。本日は、お連れ様もいらっしゃるのですね」

「ああ。弊社(うち)の新人だ。遊郭に来たことないってんで、連れてきたんだ。俺の奢りで」

「左様で御座いますか。初めまして。玄屋の引手、清次郎(せいじろう)と申します。今後とも、よしなに」

 

 清次郎が二人に向かって頭を下げたので、二人も慌てて頭を下げる。

 清次郎の人懐っこそうな笑顔には、二人の装いに対する蔑みなどまるでなく、二人は自分たちが招かれざる客ではないと感じて胸をなでおろした。

 

「しかし、奢りとは。陽介様は、部下思いですね」

「まあ、このくらい上司としてな」

「それに、初の登楼(あが)りにうちを選んでいただき、ありがとうございます。陽介様にはお世話になってばかりですね」

「いやいや。やっぱ、玄屋(ここ)が一番間違いないからね」

「嬉しいお言葉を。陽介様のご期待に沿えるよう、本日も頑張らせていただきます」

 

 清次郎のトークに、陽介はどんどん機嫌を良くしていく。

 二言三言、雑談に花を咲かせた後、玄屋の壁に貼られている一枚の写真を指差した。

 

「初会、空いてる?」

紅椿(べにつばき)花魁ですね。陽介様のお連れ様の初登楼(とうろう)。空いてなくとも、手配いたしましょう」

 

 清次郎はそう言い残し、玄屋の奥へと消えていった。

 陽介は二人の新人へと振り返り、肩を叩く。

 

「運がいいな、お前ら。この遊郭の、最高位花魁に会えるぞ」

「最高位花魁?」

「そう、頂点だ」

「でもさっきの人、空いてないかもって言ってませんでした?」

「清次郎がなんとかするって言ったら、なんとかしてくれるんだよ。だから俺は、玄屋(ここ)を信用してるし、清次郎を信用してるんだ」

 

 数分ばかり待った後、清次郎が速足で陽介たちの元へと戻ってきた。

 親指と人差し指で丸を作っており、表情も笑顔だ。

 

「紅椿花魁の初会、とれました」

「さすが清次郎、信じてたぜ!」

「恐縮です。では、さっそくご案内いたします」

 

 清次郎は玄屋を出て、建物の隣にある門をくぐった。

 陽介と二人も、清次郎に続く。

 

「わあ」

 

 新入社員の一人が、思わず声を漏らす。

 門をくぐった先にあったのは、遊女たちが待ち受ける建物――妓楼。

 妓楼に設置された格子の窓からは、見た目麗しい女性たちが手を振っている。

 甘い香りも一層強くなり、新入社員は思わず意識が痺れた。

 

「こちらです」

 

 清次郎は、建ち並ぶ妓楼の中で最も大きく、最も煌びやかな妓楼の前で足を止めた。

 妓楼『紅楼(くれないろう)』。

 令和吉原において、最も格式の高い妓楼の一つである。

 

「おや、陽介。元気だったかい?」

「こんばんは、遣手婆(やりてばばあ)。見ての通り、ピンピンしてるよ」

 

 紅楼の前には、一人の女性が立っており、陽介を迎えた。

 白髪の混じった黒髪は後頭部でまとめられており、顔にはうっすらとしわが刻まれている。

 遣手婆と呼ばれた女性は、次に陽介の背後にいた二人を睨みつけ、上から下まで凝視する。

 あまりの威圧感に、新入社員の二人が緊張で固まる。

 

「遣手婆。あんまり、うちの新人を恐がらせないでくれ」

「ふん。本来、初めて登楼る客を紅椿と会わせることはない。あんたの連れだから、特別に見てやってるんだ。このくらいの挨拶は、当然だね」

「手厳しいな、遣手婆は」

 

 女性は、二人の身嗜みが最低限整っていることを確認すると、手に持ったキセルで紅楼の入り口を指した。

 

「来な」

「じゃあ、私はこれで」

 

 陽介たちが紅楼に引き渡ったことを確認した清次郎は、一礼をした後、玄屋へ戻っていった。

 

 陽介たちは、女性の後ろをついて歩き、紅楼の中へと進む。

 玄関で履物を脱ぎ、板の間を通って、畳敷きの広間に立つ。

 広間には二階へ続く階段が設置されており、一列になって上っていく。

 

 階段を上った先には古めかしい廊下が伸びており、たくさんの襖があった。

 廊下は、いくつもの廊下と交差していて、二階全体に格子状に伸びていることが伺える。

 天井の電灯は光量が落とされており、灯りを補うように、廊下の隅に蠟燭の形をした暖色のライトが置かれている。

 

「入んな」

 

 女性は、階段から二番目に近い座敷の襖を開け、陽介たちを中へと招き入れた。

 座敷の中には畳が敷き詰められており、畳の上には座布団が何十枚も置かれていた。

 先客がいるようで、八割以上の座布団の上には、既に客が座っていた。

 

「時代劇でしか見たことないですよ、こんな部屋……」

「エグいだろ」

 

 新入社員の一人が、思わず零す。

 陽介が足音を殺しながら、上座に近い位置の座布団へと座り、新入社員の二人が陽介の隣へと座る。

 多くの客がいるにも関わらず静寂に包まれた座敷の中、新入社員の二人は異様な空気に口を噤んだ。

 座敷に主役がいないような、不可思議な空気。

 

「……まだですか?」

 

 陽介たちが座敷に入って既に十分。

 新入社員たちは、痺れを切らして陽介に小声で話しかける。

 

「もう少し待て」

 

 陽介もまた、小声で返事をする。

 

 一人、また一人と、座敷に人が入って来る。

 ようやく座布団がすべて埋まり、座敷の静寂が一層増した。

 

 座敷の灯りが、一段階落とされる。

 

 ペタン。

 パタン。

 廊下を歩く音が、座敷に届く。

 陽介たちが入った襖とは違う、上座に近い襖がすーっと開く。

 

「ごめんくださいまし!」

 

 義務教育も終えておらぬだろう、あどけなさの残る女の子が入ってくる。

 座敷で待つ客に向かって頭を下げると、後ろで結んだ髪の毛がぴょこんと跳ねた。

 

「ごめんくださいまし」

 

 続いて、大人になったばかりの幼さと美しさを兼ね揃えた女性が入ってくる。

 同じく客に向かって頭を下げると、ゆるく巻かれた髪の毛がふわりと揺れた。

 

 座敷の主役でない二人は、客に名乗ることはない。

 代わりに、二人は襖を持って引き、一人分だけ開いていた襖を全開にした。

 

当楼(とうろう)の、紅椿花魁で御座います」

 

 ペタン。

 パタン。

 

 瞬間、その場の空気すべてが持っていかれた。

 

 高く結い上げられた黒髪には、紅の簪が何本も刺さっている。

 紅椿が一歩進む度、煌びやかな簪からは伸びる三段ビラがゆれ、その存在感を強調する。

 身を包むのは、婚礼衣装の最上である打掛(うちかけ)

 鮮やかな赤が、紅椿の白く透き通る肌を一層引き立てる。

 季節を問わぬ白い素足は、花魁の粋の証。

 

 紅椿は、一段上がった上座の中心までゆったりと歩き、客の方へ向いて正座した。

 

「紅椿で御座います。どうぞ、よしなに」

 

 紅椿が口にしたのは、ただ一言。

 滞在したのは、僅か数分。

 

 それだけで、座敷に座る全ての客が、魅了された。

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