第三十九話 妖精喰らい
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阿鼻叫喚の夜になる。アニスたちはそう覚悟していた。小妖精たちが死なぬ存在であるということは聞いていたが、いざとなれば迎え撃つことも視野に入れていた。
「待て待てぇ~い、た~べちゃうぞ~~~」
「キャー、イヤーッ」
「キャハハ、食べられちゃーう!」
追いかけっこだ。妖精喰らいも小妖精も実に楽しそうだ。これまでの旅で最も馬鹿げた光景が広がっている。
龍は見た目もさることながら、遣う言葉も威厳ゼロ。時折ゲハゲハと下品に笑う姿はまるで女を遊びで追いかける肥えた貴族のよう。
小妖精も小妖精だ。捕まれば食われるのだ。痛みがあるかどうかは聞いていないが、食われれば糞になる。嫌なはずだし故に討伐を依頼された。
だのに捕まった妖精とくればどうだ。「あーれー」などとわざとしい悲鳴を上げて最期の瞬間まで遊んでいる。狂気的にすら見えた。
「あれ、私、何のために反省をしていたのでしょう?」
「さあ……?」
小妖精たちにひどく冷たい扱いをされ、アニスやフォリントにも引かれてしまったあの時間は何だったのか。この内容でなぜあんなに怒ったのかレディエールには……否。三人ともに理解できなかった。
ヴォーネは強い。恐らく。だが、この夜はその片鱗をいささかも見せてはくれなかった。
子供たちの追いかけっこを見る夜は、馬鹿馬鹿しく過ぎ去っていった。
「あの、思ったんですけどヴォーネ……さん? って、普通にお話してなんとかなるんじゃないですか?」
明くる日、朝食を取りながらアニスがそんなことを言った。レディエール、フォリント共にこれには大いに頷いた。
「なんていうか、下品な感じだけど変な愛嬌も感じたわよねあいつ」
「遊んであげているようにも見えました。……妖精たちには言いませんが、本当にもう、このままでもいいんじゃないかと思えるほどに」
こほん、とレディエールが咳払いを一つ。妖精たちの目を気にしながら、改めて二人に向き合った。
「妖精たちは糞害と、景観を損ねているという理由でヴォーネを排したいんですよね。であれば必ずしも討伐する必要はないと思います。
アニス様の仰るとおり、まずは対話での解決を試みるのが妥当かと」
龍征の栄誉を見逃すのは惜しいが、安全に解決できるならそれ以上のことはない。
それに、見た目に拘るようでどうかとレディエール自身も思ったが、あの見た目の龍を狩ったところで、果たして自分は龍を狩ったと胸を張れるのか、という疑念もある。
見くびっているわけではないのだが、どうしたって龍以外のものに思えてならないのだ。
「龍は龍。戦わないに越したことは無いわよね。……いや、そりゃちょっと鱗とか取れたら高く売れそうだなって思わないでもないけど」
らしい言葉に、レディエールとアニスが顔を見合わせ、肩を竦めた。
「寝ている時に声をかけると機嫌を損ねてしまうかも知れませんし、起きたタイミングを見計らって声をかけてみましょう」
アニスの提案に二人が頷き、朝食を片付けたあとはヴォーネを見張ることとなった。
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実に、よく寝る龍である。高いびきに鼻提灯。仰向けに寝転びながら時折膨れた腹をぼりぼりと掻く仕草。どこの宿六だと思わず口に出してしまいそうなのを、フォリントは慌てて手で抑えた。
「起きない……ですねぇ……」
マンフォッツを啜りながら、茂みに隠れ様子を窺う一行。かれこれ四時間は経過している。もういい加減声をかけて起こしてもいいのでは……という雰囲気で満ち始めたその矢先、漸く大きな口を開けてあくびをこぼし、転がるように起き上がった。
寝ぼけているのかふがふがと何度か口を開閉させた後、深く息を吸い込んでから吐き出した。
「どあぁぁ~……よう寝たど……」
こいつ本当に龍か? ともう何度疑っただろうか。あまりにも挙動がおっさん臭い。ゴキゴキと首を鳴らしているところなどモロに中年男性そのものである。
レディエールは、この四時間と今の光景ですっかり討伐する気概が失せていた。仮にヴォーネが強かろうと、もはや龍征の栄誉など夢のまた夢だ。報告するのも恥ずかしい……そういう想いと疲労感が、目尻に皺として刻まれた。よくよく、目頭を揉み込んでおいた。
「んお? あり、そこにいるのは人間か? めっずらしい、ようあの妖精どもが招待したなあ」
目ざとくこちらを見つけたヴォーネが、アニスたちに手を振った。そう、手だ。
龍と竜を見分ける一番手っ取り早い方法、それは手――もっと言えば腕の有無だ。四本脚というわけでもなく、翼と同化しているわけでもなく、独立した腕を持っていること。無論例外はあるが、おおよそ手を使うドラゴンは龍と呼んでよい。
分かってはいたが、やはり龍なのだな、と再確認できてしまい、一行は気が抜けたように肩を落とした。
「え、ええっと……おはよう、ございます?」
アニスが一歩出て挨拶を受ける。こういう時、真っ先に声をかけるのはいつもアニスであった。
警戒心が薄いわけではないが、会話の通じる相手なら出来る限り会話をしたい。話ができるならまだ敵と決まったわけではない。
また、二人と違ってエルフというより自然に寄り添った種族というのも大きい。アニスには偏見がないのだ。
「だっはっは! おはようなんて、いつぶりに聞いたわからんど! オマエ、話せるヤツだなあ」
なんだかわからないが機嫌は良さそうだ。けたけたと笑う……が。
すん、とアニスに向けて鼻を揺らしたかと思えば、にたりと残忍な笑みを浮かべた。
「……あで? というかオマエ……ずいぶん美味そうなニオイさせてんなぁ。
ヒトなんて滅多に食わんけど、オマエ、食ってもいいかぁ?」
「……え?」
已然として寝ぼけ眼気味であったヴォーネの瞳が、獲物を見定めるかのように爛々と輝き始めた。
――勇者の祝福か!
一瞬にして剣呑な雰囲気に満ちた場に於いて、真っ先に反応したのはレディエールであった。
迂闊だった、と激しい後悔とともに剣を引き抜き、切先とともに鷹の如き形相をヴォーネに向ける。
アトリア・ベールトの祝福は、龍の力である。
であればヴォーネがそれに反応するかも知れないと、どうして思いつけなかったのか――ぎり、とレディエールは奥歯を噛み締めた。
「下がれ、ヴォーネッ!
それ以上その邪な目を向けるのであれば、我が嵐がお前の喉を引き裂くぞ!」
レディエールの怒号に、目が醒めたかのようにフォリントが弓を構えた。
アニスは――龍の殺意を思いがけず全身に浴びたせいか、全身を硬直とさせている。
分かっていたはずなのに。この龍は、随分マナを溜め込んでいる。危険な存在であると最初に察知したのは、アニスのはずであった。
だが、話せると思ってしまった。そして、自分の身の上をうっかりと忘れてしまった。恐怖が、足の先から腿を伝い、下腹から脊髄、そして脳を凍えさせる。
「ぐっぐっぐ。
その程度のマナで、ワガハイに傷をつけるだと?
面白い、やってみるといいど!」
ヴォーネが吠える。龍の雄叫びは空気を、大気中のマナを震えさせる。その振動は威圧と支配の相だ。
即ち、この場を狩場とするという合図。お前は餌であるという宣言。頂点捕食者のみが発せられる、王者の声である。
ヴォーネは、下位の、――龍なのだと、三人の全身が悲鳴とともに脳に訴える。
逃げろ、と。
「フォリントッッ!!」
レディエールが、アニスの肩を掴んでフォリントへと半ば投げるように突き飛ばす。
よろめきながらも、フォリントは受け止めた。
「ぅわっ、れ、レディさっ」
「アニス様!! 今は全力で生きることを考えてください!
敵の前で固まってはいけません!!」
レディエールの熱い叱咤がアニスの凍えきった脳を溶かす。
未だ本能が逃げろと叫ぶ中、その成功率が限りなく低いことを、エルフの拡張された視界が教えてくれた。
ここは異郷、妖精圏。土地勘はなく、また彼我の距離は限りなく近い。相手はよく食い、十分に休息した龍。
少なくとも現状のままでは三人が無事に逃げられるとは考えにくい。或いは妖精が手伝ってくれるなら話は変わるかもしれないが、周囲に姿が見えない。おそらく龍の声を恐れて出てこないのだ。
であれば、逃げるにしてもヴォーネの力を削ぐ必要がある。即ち、闘争の他ない。
――一瞬でそう判断したアニスは、自然と蛾のナイフを引き抜き、陣を描いていた。
「そうこなくっちゃ、ねぇ!」
カチコチに固まっていたアニスが青い蝶を生み出したのを見て、冷や汗を一条流しながらフォリントは不敵に笑み、再び矢をつがえ速射。
狙うは顎の下。大上段に叫んだヴォーネの喉元が、すっかりがら空きだったのだ。
レディエールは、蝶を待たずにオオッと雄叫びを上げながら斬突を、肥えた腹目掛けて繰り出した。
でっぷりと膨らんだ腹は如何にも硬質そうだが、自由の魔女から貰い受けた風のマナが、剣にとぐろを巻くように巻き付いている。
風よ、我らが運命を食らわんとする悪龍に、解放の一撃を!
ホルティナからの教え。それは、自由を希うことであった。
束縛を厭う自由の風は、その解放を目指す時もっとも吹き荒ぶという。研磨された刃が如き嵐ではなく、泡を割らんと渦巻く風を思えと。従わせるのではなく、解き放て――それこそが自由の権能だと。
そしてヴォーネはそれらを、避けることもなく受け止めた。
「ぐっぐっぐ。
そんなんじゃワガハイに傷一つつけられんど!」
矢は、刺さることなく折れ。
剣は、豊かな脂肪に弾かれ。
レディエールの頭上を、ヴォーネの剛爪が降り掛かった。




