第三十七話 紅の大地
1
一行がまず目を瞠ったのは、その植生であった。
草木が全体的に赤いのだ。紅葉で一時的に赤みを帯びているというわけではなく、もとから赤い葉をつけているのである。
辺り一面を覆い尽くす、燃えるような緋の光景――人々はこの地を、紅の大地と呼んだ。
「すごいすごいっ。
噂には聞いてましたけど、こんなに鮮やかなんてっ」
馬車から身を乗り出してアニスがはしゃぐ。
森と親しみのある彼女だからこそ、余計新鮮に感じるというものである。
とは言え、美しい光景に目を奪われているのはレディエールとフォリントも同じであった。
「キレイねーっ。
これって確か魔王のマナにあてられてこの色になったんでしょ?
じゃあ他の魔界もこんな感じになってるのかしら」
「西が特別と聞いています。
フェティアゴルは魔王の中でも特にマナが多いそうなので、及ぼす影響も大きいのでしょう。
紅の大地……まさにその名の通りと言ったところですか」
街道を走る他の馬車からも、時々似たような歓声が上がっている。
魔王フェティアゴルの直轄領グランフェティにて催される、一年に一度の祭り『カッサベルナ』目当ての観光客だ。
ただ、祭りだというのに子供の姿は見られない。アーザス関所を超える際、関守がアニスの姿を見てひどく驚いた後、レディエールとフォリントに怒りを持って詰問してきたほどだ。
「カッサベルナに子供を連れてくるなんてっ。
君たち、グランフェティをどんな街なのか知っているのかっ。
淫蕩の魔王フェティアゴルが治める街だぞっ、どういう神経をしてるんだ今すぐ帰れっ」
この説得には難儀した。結局はアニスはエルフであり子供ではないこと、冒険者であること、祭り目当てで行くわけではないことを告げ渋々通ることを許されたのだが、少々の騒ぎになり、目立つことを厭うアニスが赤面した。
「この光景を、子供にはあまり見せられないなんて……ちょっと残念ですね」
「まーしょうがないっしょ。
あたしだってできれば行きたくない街だしね。
……でもこっちにだって人間は住んでんのよね?
地元の子供って行ったりするのかしら」
「流石に周辺の街に住む子供などは親に止められる気もしますが……グランフェティに住む人もいるのでしょうか。
出自を考えると、なんだか憂鬱になってきますね」
淫蕩に溺れる王が治める街に住む子供。
真っ当な愛によって生まれた子供ばかりではないだろうことが容易く想像でき、一同顔を暗くさせたため、
「この話やめましょ」
とフォリントが締めた。
2
しばらく街道を走ったのち、日当たりの良い丘を見つけたのでそこで昼食を取ることにした。
赤い草原の中に白い花が咲いており、一層目を引く。
「草は赤一色でも、花は白かったりするのね」
などと素朴な感想をフォリントがこぼすので、向こうでも緑の花ばかりというわけではないでしょう、とレディエールが呆れた声で返した。
「でも、ここの植物って魔王のマナで赤くなってるんですよね?
マナで色が変わるのなら花の色も変わってもいい気がします」
肉を挟んだバケットにかじりつきながらアニスが呟くと、
「それはね、自然に赤くなってるんじゃなくて、葉っぱだけ赤く染めてるからなのよん」
という可愛らしい声が背後から聞こえてきた。
アニスがびくりと肩を震わせ、思わず振り向くと、手のひらほどの大きさの少女が宙に浮かんでいた。
背中には四枚の透明な翅があり、にまりと楽しげに笑っている。
小妖精だ。
「あなた達、このあたりは初めて?」
「珍しいマナの香りー、とっても古風だわ」
「女の子ばっかりでたのしそう! やっぱりお祭りに来たの?」
いつの間に来たのか、わらわらと四人の妖精が集まり、興味深そうにアニスの瞳を覗き込んできた。
その勢いに押され、たじろぐアニス。
「ちょ、ちょっと待ってください……。
えーっと、あなたたちは?」
「?
見ての通り、この辺に住んでるハルフェよん。
あたしはゾーイ。そっちの黄色いのはリーン。青いのがパスで、白いのがモルフ」
最初に声をかけてきた赤髪の小妖精がリーダー格なのだろう。紹介された小妖精たちは名を呼ばれるたびにはーい、と声を上げた。
「めっずらし、人前には中々出てこないんじゃなかったっけ。
あたし初めて見たかも」
「この辺の子はそんなことないわよん?
なんたって魔王サマのお膝下だし、人間なんて怖がる必要ないからねぇ」
この言にレディエールは強い危機感を覚えた。
小妖精は臆病で人前に中々出てこないというのは広く知られた話だが、魔界ではその常識が通用しない。
小妖精でこれなら、他の魔物は言わずもがなである。
いくらフェティアゴルが魔王の中では親人的と言えど、全ての魔物がそうとは限らない。
むしろ知性のない獣の如き魔物であれば、そのマナを吸って強くなりかつ人前にも出て来やすいということだ。
険しい顔を浮かべたレディエールに、ゾーイが楽しげに肩を揺らした。
「あはは、そんな身構えなくても噛みつきゃしないわよん。
ちょっとめずらしい"色"をしてるコがいたから声かけただけ。
で、花が赤くない理由の話だけどね、魔王サマがそうあれと望まれたからよん。
ぜーんぶまっかっかじゃ面白くないからね、魔王サマはそういうキビ? がわかるお人なの」
「それは……す、すごい? ですね?」
「そうっ、すっごいのよ!
だって葉っぱがマナで赤くなってるのはホントなのに、花だけピンポイントでその影響を払ってるのよ。
それも西の魔界全部の花! そんな細かなマナ操作ができるのは、四柱の中でもフェティサマだけ!」
ふんすと鼻息荒く語るゾーイに、他の小妖精たちが半ば呆れたような視線を送りつつ肩を竦めた。
「あいっかわらずゾーイは魔王サマにぞっこんよね~、もうその話何回してるのよ」
「この子ったら話しかけた旅人みんなにこの話聞かせてるのよ。
あたしらなんてもう何回聞いたかわかんないし。
ま、すごいのはそうなんだけどね~」
モルフの呆れたような声に、ゾーイがむっと頬を膨らませる。
「すごい人をすごいって言って何がいけないのよ、ふんっ!
……そういえば、みんなはやっぱりカッサベルナに行くのかしらん?
今の時期この辺に来るヒトなんてみんなそうだものね」
勢いに呑まれつつあったが、こほんと一つ咳払いをしてアニスが応えた。
「あ、いえ、お祭り目当てではないというか。
人探しをしてまして、グランフェティ自体に用があるんです」
「どちらかと言えば、人の流入が多い祭りの期間中は避けたいぐらいですね。
なのでさっさと行って情報だけ集めようかと」
レディエールの補足に小妖精たちが目を丸くし、次いで信じられないと言った声色で騒ぎ立てた。
「嘘でしょ!?
カッサベルナを見ずに帰るって、どんな神経してるの!?」
「絶対後悔するって!
ほんと~~~に、め~~っちゃくちゃ綺羅びやかで刺激的なお祭りなのよ!
人探しはそりゃ大変になっちゃうかもしれないけど、見ないって選択肢はないから!」
「こんな人間たち初めて見た……」
小妖精たちの引き気味な様子に心が揺れるアニスであったが、きゅっと唇を引き締め、眉の根を上げる。
「行方不明のお姉ちゃんを探しているんです。
確かにお祭りも少し気になりますけど、お姉ちゃんも探さずにお祭りを楽しむなんてできません。
大切な姉なんです、だから、その……ごめんなさいっ」
勢いよく頭を下げるアニスに、それぞれ顔を見合わせた後、ゾーイがため息を一つこぼしてアニスと向き合った。
「わかった、わかったからあたしたちに頭なんか下げないでっ。
もうっ、しょうがないわねん……そんなこと聞いちゃ、協力したくなっちゃうじゃないのん。
妖精圏を経由してグランフェティにひとっ飛びさせてあげるわよん」
「「「えっ!?」」」
三者の声が合わさった瞬間であった。
「もちろん、タダじゃないけどねん。
あなたたち、冒険者なんでしょ?
ちょーっとあたしたちのお願いを聞いてくれる?」
片目を伏せ可愛らしく舌を出したゾーイに慌てたのは、三人ではなく黄色い小妖精のリーンであった。
「ちょっとゾーイ!
こんな女の子たちだけのグループで本当にいいのっ!?」
「いーのっ。
それに他の冒険者だって見たけどぱっとしなかったじゃない!
このコたちはなにか違う、じゃあもう賭けてみるしかないっしょ!」
ふんすと息巻くゾーイに嫌な予感を覚えたレディエールが、冷や汗を垂らしながら声を上げる。
「随分難しい依頼のようですが、一体何をさせる気なのですか」
ゾーイがにまりと口角を上げる。
「あなたちにはね、ある魔物を討伐してほしいのよん」
「魔物? なあんだ、それじゃふっつーの冒険者依頼じゃない」
フォリントが肩透かしだと言わんばかりに軽口を叩くが、続くゾーイの言葉には目を見開いた。
「妖精喰らいヴォーネ……下位龍の討伐をね」
 




