第二十三話 襲撃
1
洒落になってないですから!
アニスの心臓がバクバクと激しく鼓動を繰り返しており、今にも破裂しそうであった。
想像したより何倍も罪の重い悪事に手を染めていて、聞いた瞬間頭が真っ白になってしまった。
部屋の外で待っていたミーシャの手前下手なことは言えないのがもどかしい。
「レディエール」
名だけ呼んで、じっと目線を交わらせた。
"協会長に連絡して!"という必死な思いが目を血走らせたのか、勢いに飲まれた様子でこくこくと二度頷いた。
「フォリント、急用を思い出しました。
アニス様を少しの間任せます」
「了解。しっかりね」
フォリントは事態を把握していないのではないかと不安であったレディエールであったが、やや緊迫した面持ちでフォリントが頷きを返したのでホッとしつつ、足早に去った。
ミーシャが不思議そうに首を傾げたが、アニスの"何でもありません、気にしないで"という言葉に頷いてそれ以上は聞かないでくれた。
「ところでミーシャ、少し聞きたいことがあるのですがいいですか?」
努めて平静を装って問う。
なんですか、と明るく振る舞うミーシャを見るに、主人が奴隷を扱っていることなど全く知らぬ様子である。
聞くのであれば、数年前から変わったという部分についてだ。
「今日の夕食はとても素晴らしいものでした。モルデオン公にもお伝えしたのですが、期待のずっと上を行くものでした。
ここまで羽振りがいいと、なにがあったんだろう、と知りたくなってしまいまして。
先程そのあたりをお伺いしようと思いましたら、公はすっかりお酔いになってらしたので聞けませんでして、もやもやが晴れないのです。
なにか、そう。きっかけなどご存知ではないかなと」
太い眉を山状に曲げながら腕組しミーシャが唸る。ちょこまかと忙しない動きが小動物を彷彿とさせ、見ていて飽きない。
「うーん……ごめんなさい、ちょっと心当たりがありません……。
急に集めだしたなあとは思っていたんですけどね。
まあ以前から珍しいものは好きなお方でしたのでそれほど不思議には思わなかったんですが」
「そう……ですか」
アニスの顔に影が差したのを見たミーシャが、むむむっと再度唸ってこめかみ部分をぽこぽこと叩き始めた。
長考するときの癖なのだろう。
「……あっ、そういえば。
関係あるかどうかはわかりませんが、ちょうど二年前ぐらいから出入りしている方がいます。
非常に大切なお客様ということでメイド長がいつもお給仕するので、私はお話したことないんですけどね。
どんな方か、明日聞いてみましょうか?」
アニスとフォリントは確信した。その人物こそが此度の事件の大本である。
そしてその大本と接触しているメイド長は、十中八九取り込まれているだろう。
直接聞くわけにはいくまい。
「いえ、そこまでは大丈夫ですよ。
ああでも、どんな方なのかはちょっと知りたいですね。お見かけしたことはあるのでしょう?」
「それが、いつもフードを目深に被っていらっしゃるのでお顔を拝見したことがないんですよね。
領主様によく似た体型ですし、ローブも随分仕立てが良かったのでおそらく貴族の方だとは思うのですが、それ以上は……」
バゲニーゼと同じ体格と言うと、随分腹回りが豊かなようだ。
それにしても顔を見せないというのが如何にもらしい。怪しすぎるが、結局は顔が分からぬので有効な手段である。
証拠はないが、知らせるに値する内容だ。レディエールが帰ってきたら追加で協会長に伝えてもらおう。
そう思っていると、一人の男がアニスたちの前に立ちふさがった。
この街の兵士の装備ではない。針金細工のような細身に薄い革鎧を黒く染めた元の纏っている。
「こらっ、なんですかあなたは!
此方の方はアニス姫様、領主様の大切なお客人ですよ! そこをどいて――」
ミーシャが言い切る前に、男の手刀がその首を強打し、気を失って倒れ込んでしまった。
フォリントの頬に冷や汗が一筋流れる。なんと早い手刀なのか。それに一撃で人の意識を刈り取るなど、常人の技術ではない。
熟練の、それも昏い技の使い手である。
「……あ、しまった。これは別に殺してもいいんだったか」
恐ろしく底冷えのする声でぼそりと呟きながら剣を抜くので、アニスは慌ててミーシャを庇うように両手を広げて立ち塞がった。
それと同時に、兜の奥からその目を垣間見た。なんという冷たい目なのか。人を人だと思わぬ者の目であった。
「姫さん、どきなよ。
残すとめんどくさいから殺らなきゃ」
「でっ、できません!
彼女はわたしのために尽くしてくれたのです、目の前で殺されるなど、看過できませんっ」
アニスの喝破と同時に、フォリントが後方から素早くナイフを三本投げつける。が、男はこともなげに身を揺らすだけでそれらを躱し、深く溜息をついた。
「めんどくさ……手足ぐらいなら赦してもらえるかな」
「っ、アニス逃げなさい!
コイツヤバいわよ!」
困惑するアニスを他所に連続してナイフを投げるが、その尽くを躱される。
ゆらりと陽炎が揺れめいたかと思うと、アニスを超えて一気にフォリントは詰め寄り白刃をその腕へと斜めがけに振り下ろした。
すんでのところでナイフを滑り込ませて防ぐと、ほお、と意外そうな声が聞こえた。
「見えるのか。目、いいね」
「あんたなんかに褒められてもぜんっぜん嬉しくないわよッ!」
怒号とともに男に蹴りをお見舞いするが、ふわりと浮かび元いた位置まで戻った。まるで蹴った心地がしない。
力の逃し方が異様に上手いのだ。暗殺を生業にしているのは間違いないが、対面でも十分に強い相手だ。
「あーもーっ、接近戦は苦手だってのに……!
アニス、ここは任せてレディ呼んで!
正直あたしじゃ敵いそうにないから大至急!」
「でっ、でもフォリントさんとミーシャさんがっ」
「いいから! あんたミーシャ運べるほど筋肉ないでしょ!
とっとと行く! それまではなんとか耐えてみせるから!」
一連のやり取りを見ていた男が、怪訝そうに目を細めた。
「あんたら、本当に主従?
どっちかっていうと姉妹とかに見えるんだけど。
……もしかして、あんたが姫でそっちは影武者とか?」
「さあて、どうかしらね?
どちらにせよあんたの相手は一旦あたしよ。
その後はこわーい騎士様が来るんだから覚悟してなさいよね!」
「……言ってて情けなくない、君」
「うっさいわね! ほらアニスッ! 早く行く!」
「はっ、はい!」
アニスが背を向けて走り出したと同時に、硬質な金属音が鳴り響いた。
アニスは目をキュッと閉じ、振り返ることなく全力で走った。
2
「はァッ!」
館の外、庭にて。
レディエールは月明かりの下、協会長へ報告するべく指輪にマナを通そうとした。
するとどこから現れたのか複数の男たちが急に襲い掛かってきたので、返り討ちにしてやったところだ。
十中八九、バゲニーゼの手の者だろう。奴隷売買の件がバレたと思い口封じに、といったところか。
流石に短絡的すぎるし、この程度の雑兵で止められると思われているのは心外であった。
……いや、違う。
こちらに送ったのはあくまで時間稼ぎで、本命はアニス様なのではないか?
まだアニス様が姫だと思われているのだとすれば、真に危険なのは――
レディエールの全身に悪寒が走った。フォリントは優秀な射手だが、接近戦は不得手のはずだ。
今来た程度の悪漢が一人二人程度なら対応できるかもしれないが、大勢であったり、より実力の高い相手であったりすると勝算は相当低くなる。
ましてや人を庇いながらである。このタイミングでアニス達と離れるべきではなかったと激しい後悔の念が襲う。
急いで二人の元へ向かおうとしたとき、聞き馴染みのある声がした。
「レディさーんっ、どこですかー!?」
「アニス様っ!」
声がする方へ向かうと、無傷のアニスが息を切らして走っているのを見て思わず抱きしめた。
「アニス様っ、よくぞ、よくぞご無事で……!」
「むぐぐっ、レディさっ、くるし……!」
その言葉で我に返りぱっと腕を広げ解放する。
息を切らすほどに走っていたこと、そしてこの場にフォリントがいないこと。
再開を喜んでいる時間はなさそうだ。
「話は走りながら聞きます。アニス様、首に腕を回してください」
身を屈めたレディエールがそんなことを言うので首を傾げながらその通りにしてみると、右腕でアニスの尻をひょい持ち上げそのまま走り出した。
正直結構恥ずかしかったが、確かにこの方が早いし文句を言っている場合ではない。
「部屋に戻ろうとしていたら知らない男の人が出てきて、ミーシャさんが手刀で気絶させられちゃったんです。
今はフォリントさんが応戦していますが、多分勝てないって……」
悪い予感というものは当たるものだと痛感する。
気性の荒いフォリントが素直に勝てぬ と言う相手である。それなりに腕が立つと見てよい。
「どんな相手でしたか、武器は?」
「すごい細身で軽やかな男性で、短めの剣を使っていました。 フォリントさんの投げナイフを少し身じろぎしただけで全部よけちゃうんです」
身軽なタイプか、それでは接近慣れしていないフォリントでは辛かろうな。
それに……
「あんな冷たい目、初めて見ました……人として見られていない、そんな風に思ってしまいました……」
相当怖い思いをしたのですね……。
腕の中で震えるアニスに目を伏せながら、ふつふつと臓腑が煮えくり返る思いであった。
己が体の中に“嵐”が激しく吹き荒んでいるのを感じる。怒りだ。怒りが嵐となって渦巻いているのだ。
バゲニーゼや襲撃犯にはもちろん、自らに対しても激しい憤りを感じていた。
今回はフォリントが機転を利かせアニスだけでも逃がしたので何とかなったが、相手がもっと執念深ければアニスを攫うことなど造作もないことだっただろう。
力及ばず守り切ることが出来なかったというわけではなく、その場にいないために守れなかったというのは――
――騎士、失格だ。
拳を痛いほど握り、歩調を早める。 その瞳には自らを焼き尽くすほどの闘志が燃え滾り、その上嵐が大いに煽り立てていた。
た。
「っ、ミーシャさん!」
会敵したという廊下にたどり着くが男もフォリントもおらず、メイドのミーシャが横たわっていた。
外傷はない。どうやらとどめを刺されたようではないようで両者とも胸を撫で下ろした。
よく見ると胸元に書置きがある。
“金髪は預かった。地下の宝物庫前で待つ”
宝物庫。バゲニーゼが諸国から集めたという宝をまとめた部屋だ。ご丁寧に行き方も記してあった。
今日購入した魔術具のようなものが大量にあると言うのであれば、相当厄介である。
だが、レディエールにとってはそんなことは関係がなかった。
バゲニーゼたちは、犯してはならぬ領域を犯したのだ。
罠だろうが魔術具だろうが、凄腕の暗殺者だろうがどうだってよい。
必ず誅するという明確な殺意がレディエールを突き動かす。
そして、それが顔に出ていたのだろう。乾いた音がはじけた。
アニスの平手打ちである。
「しっかりしてください!
いまのレディさんの顔、さっき出てきた男の人とそっくりですよ!」
嵐が、凪いだ。
品のいい眉をきっと吊り上げ、心の底から怒ってくれている。
手は、震えている。恐らく人に手を上げたことなど初めてだったのだろう。
或いは今回姫の真似事をしたことで、主人心がついたのかもしれない。
そんなことこそ、どうだってよい。
窓から差し込む光が、アニスの背中越しにレディエールを照らす。
それは暗い夜に迷い人を導く、まばゆい月光であった。
「申し訳ありません、アニス様。
自らのふがいなさに、取り乱しておりました。
もう、大丈夫です」
憑き物が落ちたようにすっきりとした表情を見せるレディエールに、しかし表情を戻さずにアニスが問うた。
「では、今一番の目的は何ですか?」
「それは……フォリントを、助けることです」
この答えで、ようやくアニスが口元を緩めた。
「よかった、いつものレディさんですね。
向こう側に行ってしまったらどうしようかと思いましたよ……」
心底ほっとした顔をひととき零して、すぐにきっと表情を戻す。
「さあ、ぐずぐずしていられません。 早くフォリントさんを助けに行きましょう!」
「はいっ!」
書置きを握りしめて二人は屋敷の地下、宝物庫へ向かった。




