第二十話 潜入前
1
「うーん、こっちもいいわねぇ。
でもやっぱりこのひらひらも捨てがたいし……」
「この青いのもお似合いになります、やはりアニス様は何を着せても絵になりますね!」
話が半ば強制的に纏まりアニスが引き摺られるようにして連れてこられたのは、協会の衣装室だ。
所狭しと様々な服が並べられており、如何にも冒険者然としたものから絢爛なドレスに至るまで充実に揃っていた。
なぜ協会にこんな物があるのかと問えば、"どんな任務にも即応するために、準備を怠らないのが冒険者というものさ"という納得できるんだか出来ないんだか分からない回答が帰ってきた。
その上アニスのような特別小柄な女性のものも抜かりなく用意されている。合わせてみると、なんと寸法もぴったりであった。
何を想定して用意していたのか甚だ疑問であったが、都合がいいことには変わりない。
早速レディエールとフォリントはアニスを着せ替え人形にするのであった。
「しっかし、こうして綺麗な服着せてみるとホントにお姫様にしか見えないわねえ。
案外知らないだけで本当にやんごとなかったりするんじゃない?」
「それを言うならフォリントさんだってお綺麗じゃないですかあ……どうしてわたしが……」
「そりゃしょうがないでしょ、エルフのお姫様って出回っちゃってるみたいだし。
それにあたしじゃだめよ、見た目が良くてもお貴族様のフリなんて無理無理!
お上品に振る舞うなんてしたことないんだから」
美人なことは自覚しているあたりが実にフォリントらしい。
確かにフォリントが貴族のように振る舞う姿など想像できず、アニスは溜息をついた。
「レディエールは顔もいいし礼儀作法の面も行けると思うけど、お姫様って体格じゃないしね。
どっちにしてもあんたしか適任はいないってわけ」
これにレディエールは大いに頷いた。今更めかし込んで王族の真似事などするつもりは毛頭ない。
このパーティで姫を選ぶとすれば、それは間違いなくアニスなのだ。
ある意味で、この状況はレディエールにとって望むところであった。
「だいじょーぶ。まだ付き合いそんなに長くないけど、アニスなら出来るって!
あたしもレディエールも側にいるから、頑張りましょ?」
なにか言いたげにアニスは口をモゴモゴと動かしたが、やがて観念したようにがっくりと肩を落として、再び息を深く吐き出した。
「もーっ!
わかりました、わかりましたよっ!
わたしのは自分で選びますから、二人はご自身の分を探して下さいっ」
半ば自棄になってドレス、そして装飾品を漁り始めたアニスに、レディエールとフォリントはお互いを見合わせ、肩を竦めた。
2
「おいおい、なんだよ。
せっかく君たちの晴れ着姿を見れると思ったのに、僕にはお預けかい?」
これ、とそれぞれが納得した衣装を選んで戻ると、ドリスタスが口を尖らせた。
普段着で戻ってきたことが気に入らないようだ。
「当たり前です。それに、あの服を着て乗り込むわけじゃないでしょう。
お忍びで冒険者としてやってくる、という体裁なんですから」
珍しくつんと突き放すような口ぶりのアニスに苦笑しながら、納得してくれたようで何よりだよと頷いた。
「それじゃあ改めて依頼内容を話すよ。
君たちにはバゲニーゼの調査を依頼したい。
何らかの魔法や魔術をかけられた痕跡がないか、周囲に怪しい術師はいないか、なにかきっかけのようなものがあったかどうか、とかね。
調査方法は任せるけど、まあメイドや使用人など周りにいる人達に聞くのが王道じゃないかな。
それから、これを……そうだな、レディエール嬢に渡しておく」
渡されたのは飾り気のない銀の指輪である。宝飾品や装飾のたぐいの一切ない、シンプルなリングだ。
ただし内側には何やらびっしりと文字が刻まれており、マナを込めると淡く光った。
「これはある程度の距離であれば装着している者同士遠隔で会話できる魔術具でね。
もう一つはモルデオンの協会長が嵌めている。
なにか分かったり助けが必要な時はそれで報告してくれ」
「あなたではないのですね」
不満げに眉をひそめてレディエールが尋ねた。
君とお話したいのは山々だがね、と半笑いで返してきたのでそういうわけではありません、ときっちり断っておく。
「まあこれでも一応、グランドマスターだからね。
そうそう本部を留守にする訳にはいかないし、何より僕が行けば警戒されると思うんだ。
話は事前に通してあるから、あとで挨拶しておくといい」
放浪の吟遊詩人だなんだとふらつき歩いておいて、なにが留守にするわけにはいかない、ですか。
レディエールはじっとりとした視線を投げかけたが、ドリスタスは意に返さず話を続けた。
「もし探しても何も出ず、怪しい様子もなく、ただバゲニーゼが悪人だったという場合についてだが。
これはこれで王に伝える材料になるから心配しなくていい。
いずれにせよバゲニーゼの現統治は終わらせなければいけないからね。
仮に実は裏があって君たちが見破れなかっただけだとしても、潜入して報告し、帰ってきた時点で依頼達成とみなす。
だから真実を追うあまり危険な橋を渡りすぎないように。あくまで命を優先してくれ」
成る程、とレディエールは得心した。
どちらにせよバゲニーゼの命運は決まっているが、証拠もなく急にお取り潰しをすると体裁が悪いから、調査はしたという実績が欲しいだけなのだ。
恐らく自分たちが帰ってこれなかった場合でも、それを理由に攻め入るに違いない。
バゲニーゼが操られているというのであれば、それはそれで大本を潰す必要があるが、取り急ぎ急務はバゲニーゼを止めることなのだろう。
原因など、止めた後で調べればよい。だから調査結果がどちらでもよいのだ。
レディエールが察したことに気付いたのか、ドリスタスが少し口を尖らせた。
「とはいえ手を抜いていいわけではないからね。
やらないとは思うが、優雅な暮らしを体験するだけして碌に調査もせずなにもなかったです、というのは通用しないからね。
そういうのは後々分かるものだから、立場を不利にしたくないなら真面目に取り組んで欲しい」
この言いようにはレディエールではなく、フォリントが眉を吊り上げさせた。
恐らく意図には気づいていないのだろう。
「何それっ、そんなケチな真似しないわよ!
あんたどんな目であたしたちを見てるワケ!?」
「まあまあ、一応釘を刺してくれただけですよ。ねっドリスタスさん?」
アニスは気づいているのか、威嚇する猫が如きフォリントの背を撫で宥めた。
「そうとも。僕だって君たちがそんなことをまさかするはずがないと信じているさ。
だけどこういうのを言うのが僕の仕事なんでね。
まったく、嫌われ者の役割で僕ぁつらいよ。ああ、僕も君たちと同じように旅がしたい!」
大げさに両手を天に掲げたかと思えば、次には真顔になり姿勢を正した。
情緒の安定しない男である。
「心配しているのも本心さ。でも、君たちならきっとやってくれると思っているのも本心。
報告を期待しているよ。さて、他になにか質問は?」
「その、わたし貴族の作法とか詳しくないんですが、それで怪しまれたらどうするんですか?」
「アニス嬢は基本礼儀正しいから、君が思う作法を実践すればいいよ。
それが作法に則っていないことでも、国ではこれが作法だって言って押し切ればいい。
調査している間だけ騙せればいいわけだからね」
そんな適当なことでいいのかと頗る不安になったが、レディエールがアニスの方を優しく叩く。
「大丈夫ですよ。私も多少は心得がありますので、難しいことや余りに目に余る点があればそれとなくお教え致しますので。
前も言いましたが、アニス様は素で品がある御方ですので、そう大きな問題は起きないと思います。
問題なのはむしろ……」
じと、とフォリントを見る。
ドリスタスの意図も汲まず感情のままに怒った先程の様子からも、フォリントがこの手の潜入任務に不向きなことは明らかだ。
美人で人目を引くため、粗も目立ってしまう。いくらお付きの護衛という設定でも、仮にも姫の側近なのだ。
粗野が過ぎるのは問題だろう。
「なっ、なによ。
あたしだって分かってるわよ、育ちが悪いってことぐらいっ。
黙ってればいいんでしょ、黙ってれば。あたしは危なくなったときだけ動くから、調査はあんたたちに任せるわよ」
「まったく。
あなたにはいつかお行儀というものを教える必要がありそうですね……。
時間もありませんし今回はそうしてもらいましょう。余計なことは言わないように」
つまらなそうに口を尖らせながら、はーいと気のない返事を返すフォリントであった。
3
ドリスタスと別れ、部屋を出ると元いた襤褸小屋前に出た。
魔術で隠していたカルドイークと幌馬車も無事だったため、何食わぬ顔で街道へ戻り旅を再開させた。
「にしても、お姫様の歓待よね。きっとすっごい豪勢に迎えてくれるんだわ。
美味しいものもいっぱい出るわよね、綺麗な宝石とかも贈られたり?」
「贈り物はどうかわかりませんが、懸念していることはあります」
レディエールが少し声のトーンを落とす。
不安になるから止めて欲しいと思いながら、アニスが恐る恐る尋ねる。
「あの……懸念ってなんです?」
「バゲニーゼがアニス様の可憐さに惚れてしまわぬかどうか、です」
ずっこけそうになった。
突然何を言うのか。
「や、やめてくださいよ。
わたし、自分が子供みたいな見た目だって分かってますし、流石にそんな事ないですよ!」
「いえ、結構真剣な話なのですよ。
貴族には少女趣味の男性も多くいますから。
バゲニーゼと言えば、欲しいものは手に入れるまで追いかけることで有名です。
もしアニス様をその牙にかけようとするものなら、証拠を見つける前に私が斬ってしまうかもしれません。
いえ、斬ります」
剣呑な雰囲気を出しながら暗い笑顔を見せるレディエールに、フォリントがひゅうと口笛を吹く。
さっすが銀嵐様、かっこいーといつもの軽口を飛ばしながら、二度ほど頷いた。
「でもまあ、考えてみればそーよねー。ていうかアニスだけじゃなくって好みによっちゃあたしたちだってあり得るし。
まあそうなったらなったで、調査しやすくなるんじゃない?
惚れてるなら多少は操りやすいでしょ」
「うええ!?
あ、操るって……わたしそんなことできませんよぉ……」
レディエールは頭の中で、大の大人をその蠱惑的な色香で意のままに操るダーク・アニスを思い浮かべた。
悪い笑みを浮かべ耳に息を吹きかけたり、顎を人差し指でくすぐったりする様はまさに悪女。
アニス様がそんなことするわけないと頭を振って否定するが、ちょっと、いいなあ、と思う自分も何処かにいた。
おっほん、えっほん、うおっほん、とわざとらしく何度も咳払いをするため、何考えてるんだこいつは、とフォリントは白い目を向けた。
「アニス様狂いは置いといて、操るって言ってもちょっとお願いするだけでいいのよ。話のついでにね。
最近変わったことはありましたかーって聞くとか、珍しいものが手に入ったって言うならちょっと見せていただけませんかー、ってね。
ぶりっこしろって言ってるわけじゃないわ。アニスは自然体が一番可愛いんだから、そのままの態度でお願いすればいいのよ。
それなら、そう普段と変わらないと思わない?」
「たしかにそれなら……?
操るんじゃなくてお願いする、ですか。それならわたしにもできるかな……」
ああ……アニス様がちょっと悪い女になってしまった……。
操るのではなくお願いをする。これはほとんど言葉遊びに等しい。
相手の好意を利用して断れないお願いをする。これを悪女と言わずなんというのか。
キッとフォリントを睨んだが、なんと小馬鹿にしたような軽い笑みで返されてしまった。
「あのね、これぐらい普通だから。
あんたはちょっと過保護すぎるのよ。
確かにアニスはピュアな所がいいとこだと思うけど、冒険者やるんだったら少しは女の強さっていうのも身に着けないと」
「そっ、そういうところは私達でカバーすればいいじゃないですか!
アニス様は清廉なお方なのです、あなたと一緒にしないで下さい!」
「何を~!?
そういうところが過保護だって言ってんのよ!
あんたに育てられたんじゃアニスは道も一人で歩けなくなるわよ!」
「ちょ、ちょっと待って、待って下さい!
その話本人の前でします!? と言うより子供じゃないですから! 恥ずかしいですから!」
ぎゃあすか三人で言い合っているのをカルドイークは背中越しに聞き、目を細めた。
旅とはつまるところこういうものだ。時に意見が食い違い口論する。落とし所を探る会話の末、絆が深まる。
今は亡きオリヴィエとルイスも時々こうして言い合っていたことを思い出して、空に思いを馳せた。
安心してくれ、ご主人。娘さんは元気でやってるよ。
類まれなる駿馬カルドイーク。その足取りは軽く、三人が言い争っている間にモルデオンの大門を見出すのであった。
ぶひひん、という嘶きで三人に知らせてやると、漸く騒ぎは落ち着いた。




