第十四話 腐敗蜘蛛
1
「止まれ。
この道はあたいたちが管理してんだ。
どうしても通りたいってんなら三百ティル払いな」
翌朝馬車を走らせていると、粗雑な作りの関所もどきが見えた。
嫌な予感を覚えつつも横を通り過ぎようとした時、どすの利いた女の声に呼び止められたのである。
言うまでも無いが領地が管理している本物の関所ではなく山賊だ。払う義理はない。
レディエールが馬車を降りて鞘に手をかけると、
「レディさん!
お金で済むのなら、いいじゃないですかっ」
などとアニスが言うので目を剥いた。
「アニス様っ、それは……」
「あっはっは、道理のよく分かってる主様じゃないか。
飼い主の言うことは聞かなきゃあねえ?
でも抜こうとしたのは気に入らないね、こりゃ五百ティル貰わないと通せないよ」
その様子を見ていたのであろう、奥から下卑た笑いが響いた。
ちらとアニスを見返せばこくこく頷いていたので、歯噛みしつつ仕方なく山賊女に五百ティルを渡してやった。
「はん、次は最初から素直に渡すんだね。……よし、ちゃんと五百ティルあるね。通っていいよ。
安心しなよ、そう睨まなくても後ろから襲ったりはしないさ。
あたいたちだって面倒事は御免だからね」
そう言われてすっかり安心して通り去る者がどれほどいるだろうか。
フォリントにしっかり後ろを見張るように伝え、その場を去った。
どうやら襲わないというのは本当のことだったようだが、「またのお越しをー」とゲラゲラ笑いながら手を振っていた。
屈辱この上ないとは正にこのことである。
「キ~ッ、なんなのあいつら!
アニスあんたね、あんなのにお金払うことなかったわよ!」
「で、でも払えない額ではありませんでしたし、問答無用で襲ってくる人たちとも違うみたいでしたから、血が流れないならそれに越したことはないかなって」
関所が見えなくなるまで離れたことを確認してから馬を止め、レディエールがアニスに向き合った。
「アニス様。確かに流血沙汰は好ましいところではありません。
私もアニス様には慣れて欲しくないと言った手前お気持ちは痛いほど分かります。
ですがあれを許してはならないのです。あれは略奪です。
私達はたまたま支払えたので問題ありませんでしたが、支払えなかった場合どうなると思いますか?
迂回しろと言われるなら遥かにマシです。身ぐるみを剥がされ、捕らえられて奴隷にされるかもしれません。
命ですら彼らの前では軽いのです。
後追いに関しても、今回は私が剣を抜こうとしたので見逃されただけかもしれません。
支払っても本当に襲わないかは彼らの胸先三寸で決まってしまうのです。
私達ではなく、私達のあとに続く人たちのために、あれは許してはならないのです」
アニスは愕然と目を見開かせた。避けられる戦闘なら避ければ良い、程度の考えであった。
無論その考えも完全に間違いとは言えない。というより、普通であればその場は様子見ということで支払っておき、あとで組合に報告するのがセオリーである。
敵の規模がわからない以上、闇雲に喧嘩を売るのは得策ではない。
が、レディエールは実力者である。今までずっとソロで活動していたために評価の上がり方は緩やかであったが、すでに銀級中位の実力を持ち合わせている。
一方で山賊たちは如何にも烏合の衆然とした貧弱な装備に頼りない拠点であった。
山賊になりたてなのか、ここを通るものが少ないからかは分からないが戦闘慣れはしていなそうであった。
フォリントの弓とアニスの回復魔法があれば、それほど苦戦せずに討伐できただろう。
「山賊の討伐も冒険者の仕事です。
……それに、必ずしも殺す必要はありません。捕らえて組合に引き渡すという選択肢もあるのです。
勿論難易度はずっと上がりますが、そういう選択肢があることも覚えておいてくださいね」
慣れて欲しくないなどと言ったのは失敗でしたね……。
言いながらレディエールは時分がアニスにどうあって欲しいのか分からなくなってきた。
冒険者を続ける限り、切って離せぬ問題である。それに慣れるなというのは今更ながら酷だなと後悔した。
無論本心ではあるが、言うべきでないこともある。
「ごめんなさい……そこまで、考えられませんでした……。
ど、どうしますっ、今から戻って……」
「いや、今回はもう組合に報告だけでいいでしょう。
モルデオンに着いたら私から報告しておきます。どこかの冒険者が対処するはずです」
今の話を聞いてそれでいいのかとも思ってしまうが、それ以上にどこかほっとする自分もいて、アニスはまだ覚悟のできていない自分に嫌気が差した。
もっと強くなりたい。何事にも動じない強い心が欲しい。動き出した馬車の中、アニスはぎゅうと拳を握りしめた。
「……急いで大人になる必要はないのよ。
ゆっくり、できることから始めましょ」
その様子を見て、フォリントがアニスの頭を抱えて撫でてやった。
2
やや空が薄暗くなり始めた頃、目標としていた村に着いた――が、村の中央で村民らが何やら深刻そうな顔で話し合っていた。
訪問に気付いた村長らしき男が、レディエールの胸元に下げられたタグを見て喜色に破顔した。
「皆の衆! なんとこの時分に冒険者の方々が来て下すった!
まさに天啓ぞ!」
おお、と集まっていた村人の視線が一斉に三人に向けられる。何人かは三人が皆女であること、そして三者とも大変美しいことに目を見開いていた。
「村長、これはどういう……?」
「ええ、ええ。よくぞ聞いて下すった。
実はこの村のこどもが一人行方不明になってしまいましてな。
村中総出で探し回ったんですが見つからず、こりゃ森に行っちまったかと、どうしたもんか皆で考えとったんです」
「森ですか……たしかに魔獣に出会しでもしたら……」
「いんや、魔獣はほっとんど出ません。
かわりにここら一帯は、腐敗蜘蛛の住処でしてな」
腐敗蜘蛛! 特殊な酸性を帯び、鉄すら容易く腐らせてしまう猛毒を持った悪名高い魔虫である。
厄介なのは毒を飛ばすだけでなく、殺すにしても剣など出来れば毒が作用して瞬く間に鈍らになってしまうという点にある。
鈍器の類で潰すか、弓で遠くから射るか、魔法か魔術で焼き殺すかなどが対処法として挙げられるが、今のこのパーティでは弓しか選択肢がない。
弓にしたって使った矢がもう使い物にならないため再利用が出来ない。戦う上でのコストが非常に高いことが冒険者達に広く忌み嫌わている所以である。
レディエールがフォリントに視線を送れば、案の定頗る嫌そうな顔をさせた。矢の代金も馬鹿にならない、当然といえば当然の反応である。
「うーん……わかりました、少し話してみます」
助けたいのは山々だがと考えあぐねていると、思案顔で話を聞いていたアニスが急に声を上げた。
「アニス様、話してみると言うと?」
「わたし、虫とはお話できるんです。
腐敗蜘蛛とはしたことないですけど、凍土蜘蛛は素直に話を聞いてくれました。
たぶん、お子さん探しに協力できると思います」
フォリントがさも"今さらっと凄いこと言わなかった!?"とでも言いたげな目をレディエールに送る。
なるほど、虫の魔女の娘であるアニスならそういう事ができるのかもしれない、とレディエールも頭では理解したが、流石に驚きのほうが上回って言葉に詰まった。
同時で、なんでそういう能力を今まで黙っていたのかという不満も抱いたが、これは彼女にとって虫と話せるというのが能力でもなんでもなく普通という認識なのだろうと考えてぐっと抑えた。
「虫と話せる? そりゃ凄い! まるで魔女様みたいだや!
出来るんならお願いしたい、あまりこれといった報酬は出せねんですが……」
「あ、じゃあ今晩泊まるところを探しているんですがそちらを融通していただくことは出来ますか?」
子供探しの報酬としては随分と安く見積もるな、と村長は一瞬呆気にとられたが、続いて大笑いを返した。
「それぐらいならお安い御用ですだ! 夕飯もきっちり用意するけん、よろしく頼んます!」
「よかった。……あ、おふたりともそれでいいですよね?」
トントン拍子に決めてしまった、と少し反省してアニスが尋ねれば、曖昧な表情ながらも二人が頷くので依頼として受諾することになった。
3
「いやもう、アニスにはホントに色々驚かされるわ……。
虫と話すってどんな感じなの? 向こうが何言ってるかとかも分かるわけ?」
松明を片手にレディエールが先頭を、アニスを真ん中に、殿をフォリントが務めて森を進む。
アニスが言うには自分の近くにいれば突然蜘蛛に襲われるようなことはないはずとのことだったので、少し距離を詰めて歩いている。
「ええ、ある程度は。
そんなに驚くようなことでもないんですよ。エルフにはそういう力を持った人が結構いるので。
木の声とか風の声とか、エルフはより自然と寄り添った種族なんです」
話を聞きながら、レディエールはあたりを見回す。なるほど、確かに魔獣の息遣いが全く感じられない。
腐敗蜘蛛の毒を恐れて近づかないのだろう。魔獣にも満たない小動物の類が時折いるのみで、脅威を感じるほどの存在が多少違和感を覚える程度にいないのだ。
「そういうもんなのねえ……愛の魔女様も、人だけじゃなくてそういう声も皆が分かるようにしてくれればよかったのに。
きっと、毎日にぎやかになるに違いないわ」
かつて愛の魔女ベネルディは、世の中に愛が足りないのは相互理解が足りないからであるとして言葉の壁を魔法で強引に取り払った。
その結果、世界中どんな人間や魔族とも意思の疎通を言葉で取れるようになったのである。
この事は魔女が世界にもたらした三番目の奇跡と言われ、人からも魔族からも尊敬と畏怖を大いに集めた。
「全部が全部分かるようになったら、私は気がおかしくなってしまう気もしますがね。
声が聞けるということは意思を聞くということであり、意思とは即ち要望です。
自然界全ての要望に配慮しなければならなくなるなんて、私には耐えられません」
「言葉がわからないからって意思を無視していいことにはなりませんけど……でも、静かにしていたい時があるというのはわたしもそうだと思います」
先程から話し声だけがこの森に響いている。酷く静かで鬱蒼とした森だ。風も吹いておらず、木の葉が擦れる音すら聞こえない。
この静寂さがいっそおどろおどろしい。子供が迷い込んでいるというのであれば、足音の一つあってもおかしくはないではないか。
レディエールの脳裏に嫌な予感がよぎる。すでに蜘蛛の餌食になっているのだとすれば、蜘蛛と話せたところでどうしようもない。
「アニス様、腐敗蜘蛛というのは人も食べるのですか」
アニスもこの質問の意図が分かったようで、緊張した面持ちで答えた。
「基本的には兎や鳥などの小動物を食べる生き物なので、人ぐらい大きい生き物を襲って食べたという話はあまり聞きません。
でも今回は子供ということもあり、もし縄張りに侵入するなどして刺激してしまっていたら……」
フォリントがぞぞっと背筋を震わせて、自分の両方を抱いた。
「……ん? あっ、止まってください!
あそこ、あそこにいる子がそうですよ!」
アニスが大きく声を上げて指さした方を見れば、成人男性の掌を2つ合わせたような大蜘蛛がこちらを窺っていた。
黒い表皮に橙色の細かい毛をところどころ纏わせており、足などは縞模様になっている。
発達した大きな牙からはなにやら透明な液を滲ませており、あれこそが腐敗の毒なのだろう、雫が樹皮に落ちればじゅくじゅくと煙を上げた。
八つの赤い眼は爛々と光っているが、意志の如きものは感じない。ただ、見ている。話せるだけの知性を持っているとは到底思えぬ。
レディエールとフォリントの本能が、今すぐあれを殺すか逃げるかせよと叫んでいる。それほどまでに醜悪で悍ましい異形であった。
「すいません、ちょっといいですか?
……はい、あなたです。実はわたしたち、人間の子供を探していまして。
この森に迷い込んだかもしれないんですが、何かご存知ではありませんか?」
そんな異形である蜘蛛に全くを持って平然と、極々自然にアニスは話しかけた。
まるで隣人とでも話すが如き気安さである。悍ましさ総毛立たせていたレディエールとフォリントであったが、その珍妙な光景にすっかり毒気を抜かれた。
腐敗蜘蛛はというとアニスが話しかけた途端になんだかいきいきと意思のようなものを感じる動きを見せている。
前足をかさかさと動かして揺れる様など、まるでジェスチャーを交えて会話しているかのようであり、なるほど確かにこれは話していると言われればその通りである。
話す、とは言うが鳴き声を上げているわけではない。或いは人間の可聴域にない音を発しているのかもしれないが、多分そうではないのだろうなとフォリントはなんとなく思った。
「……なるほど、わかりましたありがとうございます。
レディさんフォリントさん、子供はまだ無事なようです。
どうも彼らには女王様がいて、ちょうど明日が誕生日なので、そのための豪華なお食事枠にされたみたいです。
新鮮なまま食べたいので、生かしている……とのこと」
「アニス? 言ってること大分えげつないけど大丈夫?」
誕生日を祝う蜘蛛という荒唐無稽かつ悪趣味な話にフォリントは頬を引きつらせた。
ともあれ命は無事ということで、既に亡くなっているという最悪のケースからは一先脱せた。
しかし状況はかなり悪いと言ってよい。明日には美味しくいただかれてしまうことが確定している。なんとかしてその女王とやらから子供を救出しなけれならない。
「アニス様、蜘蛛の女王と話して子供を返してもらえると思いますか?」
「うーん……誕生日を祝う蜘蛛、っていうのが流石に初めてで……。
そこまで知能が高くなってると、単純にお願いを聞いてくれるかは難しいところかもしれません。
会ってみないとわからないです、多分急に襲われるみたいなことはないと思いますが……」
確かに今も腐敗蜘蛛はアニスをじっと見上げるばかりで襲うような素振りは見せていない。
虫と話せる能力とは別に、虫に対するある種の鎮静効果のような能力も持っているのだろう。
それが女王に通用するのであれば、ある程度安全に事が進むかもしれない。
だが、万が一牙を向くようなことがあれば、腐敗蜘蛛の群れを相手に生きて帰ることができるだろうか。
数匹程度であれば問題ないが、女王と呼ばれるような個体がいる場所である。何十何百、下手すれば何千という数の腐敗蜘蛛がいると考えてよいだろう。
「……危険ですね、一度帰って村長に報告したほうがいいと思います。
例えば、子供の代わりとなるような家畜を差し出すとか、そういう代替案を考える必要がありそうです」
「ですが、今もお子さんは怖い目にあってるんですよ……?
早く行ってあげたほうが……」
「準備をせず行った結果襲われてしまっては、子供どころか私達すら危ういのです。
正直、腐敗蜘蛛の群れともなると、情けない話ではありますが今の装備では守れる自信がありません。
アニス様のお力を疑うわけではないのですが、知能の高い魔虫ですと勝手も違うかもしれませんし」
むむむ、とアニスが顎に手を添え思案に耽る。
喫緊の事態であるというのはそうだが、たしかに何の用意もなく向かうのが自殺行為であると言われれば頷かざるを得ないところだ。
アニスは縋るような瞳でフォリントを見た。こういう時頼りになるのが何事にもあけすけなフォリントである。
だが、彼女が提案したのは伝令蜻蛉を使えばよいのではないかというものだったため、これは却下された。
伝令蜻蛉はあくまでこちら側の声を一方的に伝えるだけの魔法であり、相互の意思疎通を図る魔法ではないのだ。
現在子供がどういう事態に陥っているのか、供物を要求された場合用意できるのか。
それらを相談するべく、已む無く一行は村へ帰投した。
来週は多忙のため休載するかもしれません、申し訳ありません。




