逃げる。
どこへいくの、と問うと、彼女は悲しそうに笑った。
彼女の宝を、腕にかかえさせて、
彼女はここから去っていった。
ただ、純粋に笑う彼女をきれいだな、と思った。
* * * *
真夜中。桂は黒いパーカーを羽織り、最低限の荷物をリュックに詰めていた。
学校で伝えた暗号は、上手く彼女に伝わっただろうか。
家の中が静まり返っている事を確認し、桂はそっと自分の部屋を出た。
最終日まで大人しくしていたせいか、今日は監視の気配が感じられなかった。
変わりに和美が帰ってきたから、一応の監視のつもりだろう。
一歩ずつ、慎重に歩く。
気配を殺し、裏口へとたどり着き、靴を履こうとした瞬間だった。
桂の手を、誰かが掴んだ。
全身から血の気が引いていく。
高鳴る鼓動を落ち着かせ、無表情を装い、桂はゆっくりと掴んだ人物へと向けた。
ーーーーそこには。
和美が、いた。
しくじった。計画のやりなおしだ。
いや、まず和美をーーーー
大声を上げると思っていた和美が、何も言わない。
不審に思い、ゆっくりと、顔を上げた。
和美は、ゆっくりと首を振り、囁いた。
「こっちはダメよ。罠が張られてる。---茜ちゃんは?」
桂は呆気にとられた。
和美に預けられたその日から、和美は幾度と暴力や暴言を振るってきた。
その和美が、自分を助けた。
敵か、味方かーーーー
和美は少し笑い、桂を抱きしめた。
「---私の、姉さんはーーーあんたの、母さんは、御子降ろしに当てられた。
なのに、子供のあんたまでーーー
ーーついておいで。終わらせなきゃ。何の罪のない人々を生贄にするこのバカな風習を、やめなきゃ。
どこの世界に自分の大切な姉の宝物を憎む鬼畜生が居るのよ。姉さんの宝ーーーあんたの事は私が守る。私はこの日の為に、村人の信頼を得る為にあんたに辛く当たってきた。ごめんねーー。」
そういうと、和美は桂の手を握り、引っ張った。
「あんたは気付いてなかったかもしれないけどね、今日はお隣さんがあんたの事監視してる。姉さんが御子降ろしに決まったあの日、あんたが御子降ろしに当てられる事は分かってた。だからこの家を借りたのよ。」
和美は座敷で止まり、畳を一枚はがし、板を外した。
そこは綱で階段が作られており、ひゅう、と風が吹いていた。
先は暗くてよく見えない。
「ここを出れば、何本か道が続いていてね。右へ行けば、六尾山中に出るわ。左へ行けば、学校の地下に続いてる。道中危ないから、これを持っていきなさい。」
和美はそう言い、充電式の懐中電灯を渡した。
「・・・これは・・・」
「この村は、文明の発達が遅れてるの。まあ、この5村は、と言った方が正しいかしら。外へ行けばきっと、あんたの病気も治るわ。」
「・・・・!」
気付いてたのか、と言おうとして、飲み込む。
「茜ちゃんとは?」
「・・待ち合わせてある。」
その言葉に和美は頷く。
「餞別よ。あんたの両親の遺産と、私の僅かな蓄え。二人で外に出て、幸せになりなさい。」
桂は思案し、笑った。
「・・・世話になった。」
和美もまた、笑顔で頷いた。
「下に着いたら、この縄を切るわ。懐中電灯を、上に二回向けて。行きなさい。
幸せに、生きて!!」
桂は急いで縄を降りる。
味方はどうやら居たらしい。
急いで茜と合流して、二人で。
生きなければ。
時刻は午前2時。丑三つ時。
少年は、人生最初で最後の逃亡劇へと出た。




