6
「大丈夫、里美は人間だよ。脳をはじめ、主要な臓器は残っているし、生体部分のエネルギーは食事からも摂取できるようにしてある。全部が機械でできているわけじゃない。それに、リミッターがかかっている時は、以前と全く同じ生活が可能だ。それはこの1ヶ月で里美も実感しているだろう?」
「そういう問題じゃないよ! 中身が人間でも、外側は全然違うじゃない・・・。嫌だよ、私、これからどう生きて行けばいいの」
里美は座り込んだまま、涙を流した。
「里美・・・私は宇宙で一番、お前を大切に思っている。だから、失いたく無かった。珠美の分まで、生きて欲しかったんだ」
創士は、そっと里美の頭に手を乗せる。
「それに、里美がそんなに嫌だというなら、今すぐには無理だが、元の生体に戻す方法もないわけではない」
「本当!? 本当に直せるの?」
里美は顔を上げた。涙と、少し鼻水が出ていた。
「ああ、しばらく時間はかかるが、それまで待ってくれ」
「しばらくって、どれぐらい?」
「培養機を復元して、必要な素材を集めれば可能だが、地球では調達できない材料が多いんだ。すまないが、具体的な期間は約束できない」
「わかった・・・それまで我慢するよ」
里美は、袖で顔をごしごし拭った。
「ごめんね、お父さん。私を助けてくれたのに、ひどい事言って」
「なに、構わないさ」
里美は創士の手を取って立ち上がった。
「でも、機械の身体なんて嫌だよ?」
「わかったよ」
創士は、正直なところ、娘が何を嫌がっているのか理解できなかった。
「・・・しかし、問題はこいつだな」
創士はモニターを見つめる。先ほどの、ゲムトスと呼ばれる怪物の映像が繰り返し流れていた。
「現在位置は・・・」
モニターが切り替わり、家の近隣の地図が浮かび上がった。
「どこにいるかわかるの?」
「里美と接触しているからな。これと衛星からの情報を合わせれば探せる」
地図上に赤い点が表示された。同じ位置で点滅を繰り返している。移動はしていないようだ。
「どうやら休憩中のようだ。ゲムトスは、身体に損傷を受けると身を隠して再生をはかるケースが多い。しかし、再生すれば、体組織が以前より強靭になり、一層手が付けられなくなる。放っておけば、また近隣の動物や人間を襲い出すだろう」
「どうにかして止められないの?」
「先ほどの戦闘のデータを解析してみたのだが、奴は平均的なゲムトスよりも身体能力が高いようだ。新型なのか、特異個体なのかはわからないが」
創士は手元の端末を見つめたまま言った。
「残念ながら、この船にはほとんど兵器を積んでいないんだ。元々戦闘用ではないからね。小型の銃器はあるが、シミュレーションを行ったところ、奴に対しては力不足との回答を得た」
「それじゃあ・・・どうすればいいの?」
「シミュレーションを繰り返した結果、方法は1つだ。奴を仕留められるのは・・・里美、お前しかいない」
「え?」
「里美しか奴を倒せないんだ」
「いや! 無理無理、絶対無理だよ! お巡りさんとか、自衛隊に頼もうよ!」
里美はぶんぶんと首を横に振った。
「落ち着いて聞いてくれ。地球人はゲムトスの生態を知らない。警察官がいくら束になっても歯が立たないだろうし、自衛隊が全力で戦えば始末できるかもしれないが、確実に大きな被害が出る。何人も死人が出るだろうし、町や環境が受けるダメージも大きい」
「そうかもしれないけど・・・」
「それに、時間がない。今から110番に連絡して、『宇宙から来た怪物が近所で暴れています』と言って、信じてもらえると思うか?」
「できない、と思う」
「それだけではない。地球外生物の存在が公になると、大きな騒ぎになる。そうなると私も都合が悪い。里美にとっても、その身体の秘密が暴かれる危険性が高まる。つまり、現時点での最善策は、里美があのゲムトスを倒すしかないんだ」
「でも・・・」
里美はもう一度怪物の前に立つ事を想像してみたが、考えるだけでもぞっとした。頭から齧られるか、鋏でまっぷたつに切断されるか。絶望的な結末しか思い浮かばない。
「嫌だよ、やっぱり怖いよ! お父さんは、娘が危険な目にあってもいいの!?」
「父さんはいつだって里美が一番大事だよ。でもね、これが里美と、珠洲原町の住民を危険にさらさない最良の方法なんだ。町を守るためにも、頼む」
金守山の近くには香奈恵の家があるし、その少し先には香奈恵の家もある。2人があの怪物に襲われたら、ひとたまりもないだろう。そんなのは、嫌だ。
「里美は私が必ず助ける。だから、力を貸してくれ」
創士は里美の両肩を摑んで懇願した。
「・・・わかった、やってみるよ」
里美は唾液を飲み込んで、頷いた。
「よく言ってくれた! それでは、さっそく準備をしよう」
創士はすぐに隣の部屋に行き、ロッカーの中を漁り始めた。ロッカーからは大量の、用途が不明な機械が溢れ出したが、創士は構わずに何かを探し続けた。
「お父さんも一緒に戦うの?」
「それは無理だな」
創士は即答した。
「私がついて行っても、何もできない。生身の身体では、あっという間に殺されて終わりだろう。里美1人で行くんだ」
「そんな! お父さんが助けてくれるって言ったじゃない!」
「私はこの船からサポートする。代わりにこれを持って行きなさい」
創士はソフトボール大の球体を放り投げた。里美が反射的にキャッチする。銀色の球体の上部が光りだし、そっと飛び上がった。球体の周りには、土星のように光の輪が浮かぶ。上部の赤く点滅しているランプが、目のようにも見えた。ゆっくりと部屋の中を飛びはじめる。
「これは?」
「無人探査ロボットのベルタオィキグラハだ。周囲の環境や生物をモニタリングして、情報を送ってくれる」
「ベルタ・・・何?」
球体はふらふらと上昇すると天井にぶつかり、よろめきながら降下した。
「全然頼りにならないよ。何か武器はないの? できれば遠くから撃てる銃とかがいいんだけど」
「ゲムトスの生命力、特に傷を再生する能力は驚異的だ。残念ながら、奴を仕留められる程の銃器はここにはない。ランダウムが残っていれば、原始的な武器ぐらいは作れたんだが、ほとんど使ってしまったしな・・・」
「それじゃあどうやって戦うの?」
里美は再び不安になって来た。
「基本的に、素手で戦うしかない」
「それは嫌だよ! 素手であんな怪物に勝てないよ」
「さっき実際に体験しただろう? リミッターを外せば、里美はゲムトス以上の力持ちだ。奴の攻撃も装甲が守ってくれる。あとは、適当に殴ったり蹴ったりすれば何とかなる」
「そんな大雑把な・・・」
「アクション映画の主人公になったつもりで、思いっきり暴れればいい。カンフーとか、よく真似してただろう?」
確かにアクション映画は好きだが、今から戦おうとしている相手は人間ではない。殴ろうとしても、顔まで手が届かないのではないか。
「しかし、それでもゲムトスにとどめを刺すのは難しいな・・・」
創士は腕を組んで考えを巡らせはじめた。
「よし、改造するぞ」
いつも考え込むと長いが、今回はすぐに考えが決まったようだ。里美の手を引いて、手術台めがけて歩き出した。
「え? ちょっと、簡単に言わないでよ!」
「右手を少しいじるだけだ。すぐに終わる」
里美を手術台に寝かせると、ベルトで胴と右手を固定して、いくつもの義手がついたマニピュレーターを頭上にかざした。顔には、顕微鏡のようにレンズの飛び出したマスクを着ける。
「ねえ、本当に大丈夫なの? 痛くない?」
「大丈夫だ。手術が終わるまで、右手の感覚は遮断する」
創士は再びペンライトを取り出すと、里美の右目に近づけ、今度は青い光を放った。
「・・・今、里美の右手をつかんでいるが、わかるか?」
「ううん、全然」
「それでは、始めるぞ」
はじめは、何か柔らかいものを切り裂いているような小さな音が聞こえていたが、次第に硬い金属を削る大きな音に変わった。痛みは感じないものの、回転鋸やドリルの振動が体の奥にまで響いて、気持ちが悪い。右を見ると、創士がマスクを着けた顔を近づけて、色んな工具のついたマニピュレーターを熱心に操作していた。火花が飛ぶたびに、マスクが明るく照らされる。首を持ち上げると、皮をむいたバナナのように開かれた皮膚の中に、金属をむき出した右手が見えた。ドリルが手のひらにゆっくりと穴を穿っていく。改めて、自分の身体が自分じゃなくなってしまったことを思い知らされて、哀しくなった。
「見ない方がいい」
「うん・・・」
里美は諦めると目を瞑った。
創士が、里美の手首の内部にドライバーを差し込み、バルブをひねると、手のひらが光り出した。時折、開口部を削ったり、部品を溶接したりしながら、何度も微調整を繰り返し、その度に里美の手から光が溢れた。
「よし、これで完成だ」
肌色の肉の部分を、金属の骨の上に巻きつけていく。継ぎ目を溶接すると、元通りの人間の手になった。
「右手の感覚を戻すぞ」
再びペンライトを里美の右目に当てた。
急に右手が重くなる。ベルトを外してもらうと、里美は体を起こした。右腕を曲げたり伸ばしたり、指を開いたり閉じたりしてみたけれど、手術前と何の違いも感じなかった。先程、機械になっているのを目の当たりにしたはずだが、今の右腕はどう見ても人間と見分けがつかない。この柔らかい肌の弾力や、産毛はどうやって再現しているんだろう。
「何も変わってないみたいだけど?」
「大丈夫だ、使い方は後で教える。あとは、スーツだが・・・」
そういえば、服があちこち破けていたことを思い出した。明日、学校に行く時どうしよう。
創士は別のロッカーから白い、光沢のある布を引っ張り出し、里美の手に押し付けた。とても軽くて、手触りがすべすべしている。
「これは?」
「宇宙服と同じ素材で作ったスーツだ」
「すごい! さっそく着てみるね」
里美は隣の部屋に移動し、服を着替えた。サイズが小さく見えたが、身体を差し入れると予想外に伸びて、全身がぴったりと収まる。素材がかなり薄く、身につけた直後は体に吸い付くような感覚があったが、窮屈さは全く感じなかった。というより、ほとんど服を着ている感じがしない。
お腹まわりが引き締まって見えて、なかなか格好が良い。服を着ただけで強くなったような気がした。
「どうだ?」
着替えが済んで、手術室に戻ると、創士が声をかけた。
「とても軽いよ! それに、すごいピッタリ!」
「誰にでも合うよう、伸縮性のある素材で作られている」
「体が軽くなった気がするよ! これも、筋肉をパワーアップさせる宇宙の技術なの?」
里美はぴょんぴょん飛び跳ねた。
「いや、そんな機能はない。多分、軽いからそう感じるんだろうな」
「え、そうなの?」
里美の顔から笑いが消えた。
「じゃあ、すごく硬いだけかな? 銃弾も跳ね返しちゃうみたいな」
「残念ながら、里美が期待しているほど高性能なスーツではないんだ。燃えなくて、腐食に強く、伸縮性があるから簡単には破れないが、衝撃はほとんど防げない」
「・・・そうなの? それじゃあ、あまり意味ないんじゃない?」
里美は一気に不安な顔になる。
「心配するな。里美の体に使っているランダウムは滅多な事じゃあ傷付かない。体自体が鎧みたいなものだ。そのスーツは、丈夫な服だと思ってくれればいい。服が破れたら、恥かしいだろ?」
「確かに裸になっちゃったら困るけどさ・・・」
その時、アラームが鳴り、モニターのゲムトスの位置を示すランプが大きくなった。
「ゲムトスの生体反応が大きくなった。じきに活動を始める。すぐに現場に向かってくれ」
「わ、わかった」
しかし、急に里美のお腹が鳴った。
「腹がすいているのか?」
「うん。最近めっちゃお腹が空くんだよね」
「そうか。さすがにゆっくり食事をしている暇はないが・・・これを飲みなさい」
創士はロッカーからチューブのついたパックを取り出し、里美に渡した。
「これは?」
「栄養剤だ」
里美は緊張で、空腹はどうでも良くなって来ていたが、とりあえずチューブをくわえて中の液体を吸い出す。ミネストローネに液体風邪薬を混ぜたような味が口の中に広がった。
「うぇっ。まずいよ、これ。お父さんの星の味覚おかしいよ」
「いや、私も含め、オルバル人のほぼ全員から評判が悪い。だが、眠気を覚ます成分も入っているし、航行中は世話になることが多い。地球人にも、多分効くはずだ」
「大丈夫なのかな」
味を我慢しながら液体を飲み干す。すると、急に身体が熱くなってきた。空腹もどこかに吹き飛び、目が冴える。
「元気になったような気がするけど・・・気分悪いよ」
「薬っていうのはそういうものだ。それじゃあ、またこれを見て」
創士は、再度里美の右目にペンライトをかざした。先ほどより長く赤い光を当てながら、宇宙船のドアを開けた時のように、なにやら呪文のような言葉を唱える。
「リミッターを解除した。今度は時間経過で勝手に元に戻らない」
「これで? 実感ないなぁ」
「ほら」
創士が、部屋の一角に並べられていた、黒い拳大の鉱石を1つ手に取り、里美に手渡した。里美が軽く握り締めると、石はスナック菓子のように簡単に砕けた。
「気をつけろよ、人間を殴ったりしたら簡単に死んでしまうぞ」
「うん・・・。それじゃあ、行ってくるよ!」
里美が、入ってきた時と同じドアへ歩き出すと、創士が止めた。
「船首のハッチから裏山に出られる。そちらから行きなさい。・・・無事に帰って来いよ」
里美は頷くと、創士の指した出口に向かった。後ろから、銀色の球体が音も立てずについて行った。