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 アラームが鳴り響き、女は目を覚ました。目を開けると、目の前の窓から、闇の中に幾つもの小さな光が後ろに向かって流れて行くのが見える。腹のあたりが息苦しい。手で探ると、つるりとした宇宙服の上のベルトに触れた。寝ている間に太ったのかしら、と思いながらベルトを少し緩める。計器の数値に異常が無い事を確認すると、女は再び目を閉じた。

 間もなく、先ほどのアラームとは違う、小鳥が鳴くような電子音が断続的に鳴った。女は無視して目をつぶり続けたが、音はだんだん大きくなる一方で、鳴り止む気配はない。女は顔を歪めて飛び起きた。銀色の長い髪が揺れる。目をこすりながら、たくさん並んだボタンの中から、点滅している赤いボタンを押した。正面に、軍服を折り目正しく着込み、あご髭を蓄えた壮年の男が浮かび上がる。

 「お願い、あと10分だけ寝かせて・・・」

 開口一番、女は呂律の回らない声で言った。

 「何を言っている! 報告時間をとっくに過ぎているぞ!」

 男は目を見開いて怒鳴りつけた。

 「大声を出さないで下さいよ、司令。心配しなくても何の問題もありませんって・・・」

 女は両手を頭の上で伸ばしながら、大きなあくびをした。

 「もっと緊張感を持たんか! ・・・まったく、他に志願者がいなかったとはいえ、君のような人間を派遣することに、不安を禁じ得ない」

 男は直立姿勢を崩さずにため息を吐いた。

 「あら、私の経歴書を見ていないのですか? 数々の紛争を未然に防ぎ、ツァガーンの利益に貢献してきた第1級エージェントである私の輝かしい経歴を」

 「自分で輝かしいなどという人間を信用できるか! 確かに、幾つかの事案を解決してきたことは認めるが、失敗も多いではないか。サーラルの1件では、隠密作戦にも関わらずゼキノスを使い、兵器工場を壊滅させている。おかげで奪取しようとしていた情報も全て灰になったと記録にある」

 男は手元の端末を見ながら言った。

 「あの頃は私も若かったのですよ・・・。ご心配なく、今の私なら平和的に任務を遂行して見せます」

 平和的に、という言葉に力を込めて女は言った。

 「もちろん、必要とあらば武力行使も厭いませんが。せっかくゼキノスも持ってきていることですし」

 「なるべく目立つ行動は避けろ。どうも君は好戦的に過ぎる」

 「リスクを侵さなければ、リターンは得られませんよ。それとも私が引き返して、今から他の人間を寄越しますか?」

 「・・・そのような時間は無い。今回は君を信じてみるとしよう。それでは、現在位置を報告したまえ」

 「時刻03:87:19にエリア678926144、ミノートゥに入りました。目標のユストゲルまで、あと56:71:01で到着予定です。エンジン、空間推進機、燃料、気圧、各種の数値は全て正常です」

 「ユストゲルからの情報は?」

 「ユストゲル時刻で7日前に、新たなゲムトスの反応を検知しました。その3日前と同じように、数時間後にはシグナルが消失していますが」

 「場所は?」

 「始めにゲムトスが出現した場所と同一です」

 「やはりそうか。君の予測もますます真実味を帯びてきたな・・・」

 「はい。ゲムトスの出現場所のごく近隣に、オルバルからのスパイが居住しています。表向きは生物学者ということになっていますが、未開惑星への星間連合の承認を得ない駐在員の派遣は、重大な条約違反に当たります。オルバルの政府が絡んでいる可能性が極めて高いと私は進言します」

 「断定するのは早い。確証が無いからな」

 「それを掴むために、私がユストゲルに行くのです。大丈夫、少し痛めつければすぐに喋りだしますよ」

 「まだ疑惑の段階だ。最初から事を荒げるんじゃあない」

 「なるべく善処しますが・・・それは相手の出方次第ですね」

 「現地人にも怪しまれるなよ。君の正体がユストゲルの人間に知られれば、我々ツァガーンの立場が危うい」

 「お任せ下さい。そのためにユストゲルの言語も、現地の風俗もこの1週間、寝る間も惜しんで勉強して来ましたから。そうそう、ユストゲルのテレビ番組は面白いですよ。特にお笑い番組は、とても興味深いです。自分から熱湯に入るなんて、意味がわからない・・・」

 思い出したのか、女は顔を伏せて笑いをこらえた。男は、冷ややかに女を見下ろしていた。

 「どうでしょう・・・指令も一度ご覧になっては」

 「・・・色々と不安は残るが、君に任せるしかあるまい。失敗は許されんぞ。これ以上、オルバルに出し抜かれる訳にはいかないからな。それでは健闘を祈る! ツァガーンのために!」

 「ツァガーンのために!」



 創士は千穂の右腕に注射針を刺し、ゆっくりと中身を押し込んで行く。千穂は顔色ひとつ変えずに注射針の中の液体が減っていくのを見つめていた。

 「ねえ、この薬って人間の体に入っても平気なの?」

 傍で見ていた里美が創士に問いかけた。薬液の色があまりに鮮やかな青色で、体に良さそうには思えなかったからだ。

 「普通の人間にとってはショック死しかねない劇薬だ。しかし、千穂ちゃんの体はキビューデに寄生されたことで、目に見える部分だけではなく、全身の細胞が変質しているから問題はない」

 創士は注射針を引き抜くと、脱脂綿で傷口を拭った。あっという間に針の跡が消えて無くなる。

 「・・・これなら、何度注射しても麻薬中毒者の疑いをかけられることはなさそうだね」

 「そういえばそうだな。・・・しかし、里美は最近、物騒なことばかり知っているが、一体どんな本を読んでいるんだ?」

 「え? 普通の小説だよ。何人か人が死んだりするけど」

 千穂は右手を開いたり閉じたり、じろじろと見回している。薬を投与する前より、ほんの少し血色が良くなっていた。

 「この1週間、何か変わったことはないか?」

 「大きな問題は無いよ。どうしようもなく腹が減ることも無くなったし」

 千穂は腹をさすりながら言った。

 「人体の栄養素は、普通の食事から摂取しなければならない。空腹を感じなくても食事は取るんだ」

 「向こうが勝手に食べてくれるから、そんな心配はいらないさ。千穂は、家族の誰よりも飯を食べているよ。暇さえあれば菓子類をつまんでいるしね」

 「そうなんだ・・・ちょっと意外だな」

 里美は千穂がそんなに食べている印象はなかった。一応、人前では遠慮しているのだろうか。

 「他には何もないか?」

 「・・・まだ少し、体がだるいような気がする。それに、昼間はとても眠くなるんだ」

 「そうか。経過を見て、薬が足りないようなら量をもう少し増やしてみるとしよう」

 「それより、自分でやるからその薬を僕にくれ。薬を射ってもらうために、いちいちここに来るのは面倒なんだよ」

 「それは出来ない。ゲムート・シアトニルの過剰摂取は、キビューデにも危険だ。素人判断に任せるわけにはいかない。それに・・・君を放置しておけば何をしでかすかわからない。なにしろ、キビューデが人間に寄生するなど前例が無いからな。定期的に経過を観察させてもらう」

 「やれやれ、信用ないなあ。・・・それじゃあ、力付くで奪うことにするか!」

 千穂の右目が赤く染まり、右腕が波打ち始めた。肘から先が、赤褐色の剥き出しの筋組織のような肉塊に覆われて行き、先端からは鋭い鉤爪が飛び出した。右手を創士に向けて振りかざす。

 「千穂、何するの!?」

 里美が千穂と創士の間に割って入ろうとするのを、創士が手で制した。

 「悪ふざけはやめろ。前にも言ったように、その薬液の中には即死性の毒が仕込んである。私がスイッチを押せば即座にカプセルが溶け出し、君を死に至らしめるだろう。仮に、私を殺して薬を奪ったとしても、数には限りがある。せいぜい1ヶ月も生きられないだろう。それが得策ではないことは、君にもわかっているはずだ」

 千穂はじっと創士の顔を睨んでいたが、やがて右手を下ろした。右腕が収縮し、元の人間の手に戻る。制服の半袖の袖口が少し伸びていた。

 「・・・冗談だよ。少しからかってみたくなっただけさ」

 「今後は慎んでもらおうか。私は冗談が理解できない性質でね。それじゃあ、また2日後に来てくれ」

 「ああ。それまで死なないでくれよ」

 千穂は宇宙船の扉に向かって歩いて行った。

 「あ、待って! 途中まで送っていくよ!」


 緑色の淡い光に照らされた螺旋階段を登って行く。2人の足音が大きくこだましていた。

 「・・・さっき、本気でお父さんを殺そうとしたの?」

 里美は、前を歩く千穂の背中に語りかけた。

 「冗談だと言っただろう? 勿論、可能ならそうしたい所だけれど、残念ながら僕の命は奴の手に握られている」

 千穂は振り返らずに答えた。声が残響する。

 「殺したいなんて、冗談でもやめてよ」

 「君に僕の気持ちがわかるか? 僕は、あいつにいつでも殺される立場に置かれているんだ。こちらが殺したいと思うのも当然だろう」

 「あなたが悪さをしなければ、きっとお父さんも危ない薬は止めてくれるよ」

 「どうだろうな・・・僕は信用されてないみたいだから、君の方から説得してくれよ」

 千穂は興味なさげに呟いた。

 行き止まりまで登り、里美が壁のスイッチを押すと、天井がスライドした。階段をさらに登ると、リビングに出る。差し込む西日に目が眩んだ。ろくに片付いていないリビングを抜け、玄関で千穂が学校指定の運動靴を履くと、里美も合成樹皮製のサンダルをつっかけて外に出た。

 「・・・ついて来なくていい。もう用は済んだだろう」

 「いいじゃない。学校じゃあなたと話せないしさ」

 里美は千穂の隣に並んだ。2人の後ろに大小の影法師が伸びる。

 「えーと、千穂っていうと紛らわしいから、あなたのことはキビューデ・・・いや、キビちゃんって呼んでいいかな?」

 「どうでもいい。どうせ君以外、僕に用事がある奴はいないだろうから、好きなように呼べばいい」

 「それじゃあキビちゃん、家族の前では大人しくしてる?」

 「奴らに僕の存在が知られれば、面倒事になるんだろう? 仕方が無いから、千穂が起きている間は黙っているさ。千穂のふりをして行動しようとしたこともあるけれど、姉にばれそうになったから、なるべく控えているよ」

 「京ちゃんは勘が鋭いから、すぐにばれちゃうよ。ていうか、ちゃんと隠れてなきゃダメじゃない。約束したでしょ?」

 「心配しなくても、最近昼間はほとんど眠っているさ」

 千穂はそう言うと、あくびをした。

 「千穂が寝てからは何をしてるの?」

 「そんな事を知ってどうする?」

 「いいから、教えてよ」

 「堂々と動けるのは家族が寝静まった後だから、大したことはできない。自分で獲物を探す気遣いはいらないから、楽といえば楽だが・・・退屈だから、本を読んで過ごしている」

 「え!? 本を読んでいるの?」

 「馬鹿にしているのか? 平仮名と片仮名、それと簡単な漢字ならもう覚えたよ」

 千穂はムッとした顔で答えた。

 「そういうわけじゃないよ、ただ、意外だったから。どんな本を読んでいるの?」

 「百科事典という本を読んでいる」

 「・・・百科事典? あんなの読んで、面白いの?」

 「面白いさ。色んな知識が身に付くし、厚いからとても読みごたえがある」

 千穂は真面目な顔で答えた。

 「それよりさ、小説を読もうよ! 今度、私が貸してあげるから」

 「小説? あれは人間の作り話だろう? 僕には必要ない」

 「いいから! 次に家に来るまでに、面白いものを選んでおくよ!」

 1人で盛り上がる里見を横目に、千穂はため息をついた。



 日の傾き始めた山路を香奈恵は1人で歩いていた。旧道の人通りは少なく、香奈恵の家に続く細い山路は、さらに人が通らない。通い慣れた道でも、暗くなると1人で通るのは心細かった。

 今日は、美術部で惣一とちょっとした口論になった。香奈恵が惣一の描いていた油絵の色づかいに口を出したのがきっかけだが、惣一が今まで言われるままだった鬱憤が溜まっていたのか、過去のこともほじくり返して言い返して来た。爆発する前にお互いが謝り、その場は収まったが、結局最後まで胸にしこりが残った。

 大丈夫なのかしら。一緒にいる時は楽しいけれど、聡一の方からは全然電話もメールも寄こさないし、最近は美術室以外で会ってないし・・・。香奈恵は携帯を取り出して画面を眺めた。メールも着信もない。香奈恵はうなだれて携帯をしまった。

 里美は今日も美術部に来なかった。そろそろ、軒名部長がまた怒り出すだろう。千穂と用事があると言っていたが、最近、あの2人は何やらこそこそと怪しい。自分にだけ何か隠し事をしているのではないだろうか。確かに最近、あの2人と過ごす時間が減ってきてはいるが、私は隠し事は嫌いだ。今度里美を問いただしてみよう・・・。

 香奈恵は考え事をしながら歩いていたが、不意に驚き、のけ反った。香奈恵の視線の先には、派手な格好の女性が、行く手を塞ぐように道の真ん中で倒れていた。


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