Guinea pig
第三話 Guinea pig
その言葉の意味を大介が聞き返す間もなく、大介の返事を聞きたくないといった様子で沙弥子は走り出した。
大介が沙弥子を追いかけようとしたところで、家の前に止まっていた車から女性がおりてくる。。
黒を基調としているタイトスカートのスーツ、それが似合うスラリとしたボディライン。
身長は百七十五センチある大介の鼻くらいまであるのだから、ヒールで底上げしているのだから百六十センチ前後だろうか。髪も染めている事なく、日本人女性特有の艶のある黒髪。肩まであるソレは癖なのか、パーマなのかは大介には判別できないが、大きく波打っていた。
喪服を思わせる黒を基調とした彼女は、確認するように大介に聞いてくる。
「田中大介君ですね?」
「だ、誰ですか?」
女の醸し出す、例えるならば鴉のような、どこか不吉めいた独特な圧迫感に大介は気押されるが、女に敵意は無い様子で穏やかに続ける。
「天童翼子といいます、警察の者ですよ」
女に敵意は無い事は大介はわかっていたが、天童翼子を名乗る女が嘘をついているのではないかという、疑念が心の隅に浮かんでくる。
先ほど話したアニメのキャラの名前をすぐ聞かされたというのもあるのだろうが、女の人なつこい笑顔の胡散臭さを大介は見に覚えがあった。
そんな大介のわずかな表情の変化を翼子は見逃さない。
「おや、疑っているんですか。警察手帳をお見せししましょうか?」
言いながら翼子は胸元から黒皮の手帳を取り出す、皮でできた警察のマークが付けられたソレは、本物を見た事が無い大介にとっては信じるしかないものだった。
「先程あのような事件が起きたばかりでは、警戒してしまうのも無理はありません。心中をお察し致します、目を塞ぎたくなるような状況でしたからね。ああ、自己紹介は必要ありません。職業柄、失礼とは存じますがある程度はあなたの事を調べて参りましたから。田中大介さん」
翼子は丁寧な口調で話をする。
大介の持つ聞き込みをするよような警察のイメージは横柄であったり、陰湿であったりというイメージだったので翼子のその物腰に少し警戒の色を落とした。
「すいません、話を聞くのは明日からって聞いていたので。それに警察の人とこういう話をするって初めてで緊張してしまって」
「無理もありません、社会のルールを守り、秩序を重んじて生きてれば私達のような職業の者と関わりを持つ事は運転免許の更新の時くらいなものです」
翼子は自分で納得するように言葉を噛みしめながらいいつつも、さらに付け加える。
「しかしながら、残念な事に降り懸かる災難が時として私達のような者と関わりを持たせてしまうものでしてね。と、前置きが長くなってしまい恐縮ではございますがあまりお時間を取らせてしまうのもいけません。学生時代というものは勉強に遊びにと、とにかく時間を必要としますからね」
翼子は長い前置きの後に、丁寧な態度こそ変えないものの、二十代半ばであろう年頃にそぐわぬ、静かな迫力を持って大介に尋ねる。
「先程、ここから離れて行った笹島沙弥子さん。彼女に今日は何かおかしな点はありませんでしたか?幼少の頃から仲のよろしかった大介さんなら何かお気づきにならた点などはありませんか?」
その質問の意味が掴めず、大介は特に変わった様子は無いと答えた。
少しだけ言い淀んだ口調と、僅かな表情の変化を翼子は見逃す事は無かったが、翼子はそこをあえて追求する気は無かった。
「なるほど、それは何よりですね。それにしても嫌な事件でした。大介さんは比較的落ち着いているようですが、先程の様子を見てみる限りでは、沙弥子さんはショックが大きかったようにも見受けますね」
その沙弥子にカマをかけるような言い回しに、大介は少なからず不快感を覚える。
そんな大介の感情を察していながら、翼子は大介の感情を煽るような、それでなくても陰惨な事件の話を伺うにあたって不謹慎すぎる笑顔を湛えたていた。
「沙弥子が何か事件に関係があるって言うんですか?」
「いえいえ、倉持氏の状況を大介さんも目にしたのでしょう。あれは普通の女の子がどうにかできるようなものではありませんから。それに倉持氏と沙弥子さんにはあまりにも接点が無さすぎますので」
はぐらかすように翼子は言うが、大介は納得がいかないという様子で、なおも翼子にくってかかる。
「どうせなら沙弥子に直接話を聞いたらどうですか、家はすぐそこですよ。知らないって事はないですよね」
「それはもちろん存じてはいますが、物事には順序というものがございましてですね」
やはり、はぐらかすように言う翼子を無視して、大介は沙弥子の家へ向かって歩き出す。
「ああっ、お待ちなさい」
距離としては百メートルは無い。
角を曲がってしまえば、家さえ目に入る。
足速に進もうとする大介。
しかし、その足が大介の意志とは関係なく止まる。
ぬらり、と梅雨独特に肌にまとわりつくような不快な湿度。
それがまるで意志を持ったかのように、大介の身体を掴んで進ませないとするような感覚を大介は感じた。
それと同時に僅かにただよう異臭が大介の鼻につく、その臭いを翼子も感じたようだった。
予感だけで、何かただならぬ、良くないものが角を曲がった先にある事を理解する。
動物的な本能が進むなと警告し、人間的な好奇心が進めと身体を動かす。
いつしか、本能のからの警告で停止させられていた身体はゆっくりと動きだす。
歩みを再開させる。
ぬるま湯のプールの中を歩くように、歩を進ませる。
錆びた鉄のような臭いと、アンモニアに近い臭いが鼻だけでなく、唇さえも刺激し、唇の粘膜に付着する。
その不快さたるや無かったが、その気持ち悪さを体内に取り込みたくないという無意識が、唇を舐める事を許さない。
すると曲がり角の向こうから、水たまりが広がるように赤い液体が地面を染める。
声にならない声をあげ一歩後ずさりする大介、それでもひるまずに進む翼子。
二人の位置が入れ替わる。
「来てはいけません、見てはいけません」
翼子の言葉は少しだけ遅かった。
翼子が前を行ってしまったから、それに続いて進んでしまった大介は目にしてしまった。
曲がり角の先を目にしてしまった。
そこには一面、肉が広がっていた。
なまじその形を残してしまっているため、その肉の正体を直感的に大介は連想してしまう。
腕、胸、腿、脹ら脛、腰、そして頭、それらが野菜を切り分けるように、いくつかは原型をとどめたままバラバラになっていた。
理科の断面図のように、肉の器に臓器が収まったままの状態の物もあれば、器からこぼれおちた腸が地面にぶちまけられた物もある。
他にももはや肉とし表現できない状態で散らかされているものもあり、ついさきほど命あった者の慣れの果てが何人分なのかは大介にも翼子にも把握できなかったが、少なくとも一人だけという事はないのだけは理解してしまった。
何をどうすればこうなるのか、頭を縦に一直線に割った状態の顔がまるで壁から顔が生えたかのようにへばりついている。
半分だけへばりついた顔は、最後にいったい何を目にしたというか、その瞳を見開き絶望の色がその死に顔に張り付いている。
昼の体育館での事件が霞んでしまうほどの光景を目の当たりにした事による精神的なショックで大介は気を失いかけるも二つの事に気がついた。
一つは、いったい何人分のものかはわからないが。この血の海の中には女の子とおぼしき部品は無い事。
そして、もう一つはこの血が靴底へばりついていたのだろう。
まるで誘うかのように、足跡が向かい側から延びていた。
その大きさは女性くらいのサイズである。
果たして、沙弥子がこの光景を目にして何も感じず、声もあげずに家に帰ったというのであろうか。
物音も何も無かったのは間違いんく、沙弥子がここを通り過ぎた後にコレが起きたという事は考えられない。
ともあれ、この中には沙弥子の死体は無い。
その二つの疑問と一つの安堵のおかげで大介は意識を手放す事を踏みとどまる事ができた。
そんな大介を見て、翼子は関心したように言う。
「大介さん、私が言うのもはばかられが同情させていただきますよ」
意識こそ保てはしたものの、まだ正常な判断力まで取り戻してはいない大介は、翼子のその言葉を半ば夢心地で聞いていた、その抽象的な言葉を大介は理解できなかったが、直後の翼子の行動は理解できた。
理解できたが、身体が動く事は無かった。
大介は声さえも上げる事はできなかった。
大介の目の前には、翼子の手によって突きつけられた黒い穴が映っていた。
直結する死。
それは周りの赤い景色よりも、現実的な恐怖を大介に感じさせる。
「果たして何を持って悪と言えるのか私にはわかりませんが、大介さん。この状況下に巻き込まれてしまった大介さんは間違いなく運が悪かったようですね」
天童は狙いをつけるように、大介の目をみながらゆっくりと優しく微笑みかけながらそう言って。
続いて『パン』という乾いた銃声が静かな住宅街に響いた。




