第4章:我がレオンハルトは銀の道にあり ( 24 )
北の特区に、久方ぶりの穏やかな陽光が降り注いでいた。
カスティア軍一万が銀の道の前に屈服してから一週間。
王都へと続く「銀の道」は、いまや凱旋のパレードルートと化していた。
「エレナ様! レオンハルトの英雄だ!」
「銀の戦乙女万歳!」
沿道を埋め尽くす領民たちの歓声の中、エレナ・ヴァン・レオンハルトは愛馬の手綱を緩め、悠然と進んでいた。
その背中には、伝説となった大剣が誇らしげに担がれている。
彼女の後ろには、テラの連結馬車に乗せられた「魔導兵部隊」が続く。
かつてはただの荷物のように運ばれた彼らも、今は勝利の立役者として手を振っている。
「……やれやれ。戦うより、愛想を振りまく方が肩が凝るわ」
エレナは小声で愚痴をこぼしながらも、民衆に向かって凛とした笑みを向けた。
彼女が手を振るたびに、割れんばかりの歓声が沸き起こる。
だが、その熱狂の裏側、領主館の執務室では、この世の終わりかのような悲鳴が上がっていた。
「か、閣下……。このままでは、レオンハルト侯爵家は破産いたします!」
代官セバスの顔色は、病的なまでに青ざめていた。
彼が震える手で指差した先、執務机の上には、紙の山が築かれていた。
それは、ジャックとカイルが戦時中に資源封鎖を行うために乱発した「預かり証」の束である。
『物資の二倍の価値を保証する』
その甘い言葉は、カスティア軍が迫る極限状況において、民の心を繋ぎ止めるための劇薬だった。
だが戦争が終わり、平穏が戻った今、その副作用が牙を剥いている。
「領民たちが、一斉に証書の払い戻しを求めて門を叩いております。『約束通り、薪の二倍の現金をよこせ』と。……これらすべてを現金で支払えば、侯爵家の金庫は空になり、来年の種籾を買う資金すら残りません!」
アルスは、セバスの悲鳴を聞き流し、窓の外を静かに眺めていた。
そこには、王都から「匿名」で送り込まれた数十人の老技師たちが、測量器具を手に忙しなく、しかし驚くほど洗練された手つきで動き回る姿があった。
彼らは自らの正体を明かさない。
だが、アルスには何となく検討はついていた。
彼らの引く図面が、祖父エドガーが心血を注いで書き上げた未完の書『領勢基本大系』に記された「理想街区」そのものであることを。
(……お祖父様、やはり貴方も見ていたのですね。この道が繋がる未来を)
アルスはアバカスを弾く手を止め、傍らに控える二人の男――商人のジャックと、法務官のカイルを呼び寄せた。
「カイル、現金の払い戻しは行わない。ジャック、王都から手配した大量の『蓄熱レンガ』と、あの老技師たちが設計している『新型集合住宅』の引き渡しを、証書の第一清算とする」
「……現物支給ですかい? 民が納得しやすかね」
ジャックが懐疑的な目を向ける。
「金貨を欲しがっている連中に、レンガを渡しても、そのレンガを投げて暴動になるだけですぜぇ」
「納得させるのではない、計算を提示するんだ」
アルスは一枚の計算書をカイルに手渡した。
「薪を二倍与えても、燃やせば一冬で消える。だが、断熱性能を極めた『集約型住宅』に移住すれば、光熱費は従来の十分の一以下になる。……つまり、この証書は『現金』との交換券ではない。『生涯にわたる暖かさ』への投資権だと説明しろ」
さらにアルスは、地図上の過疎地を指差した。
「同時に、彼らが捨てた不便な土地は、私が証書の対価として買い取り、銀の道の補給拠点として再開発する。……カイル、お前の舌で、この『錬金術』を成立させてこい」
領主館の前広場。そこは、「約束を守れ」と叫ぶ数百人の領民で溢れかえっていた。
殺気立った群衆の前に、カイルはたった一人で進み出た。
彼は剣を持たない。
魔導も使えない。
だが、その瞳には戦場の魔導兵にも劣らぬ覚悟が宿っていた。
「静粛に! レオンハルト家法務官、カイル・ロディンが説明いたします!」
カイルのよく通る声が、広場のざわめきを切り裂いた。
「皆さんのお怒りはごもっともです。しかし、皆さんが本当に欲しいのは『金貨』ですか? それとも『二度と凍えない冬』ですか?」
カイルは、ジャックが用意した新型の蓄熱レンガを高々と掲げた。
「皆さんが預けた薪は、燃やせば灰になります。金貨も、使えばなくなります。ですが、アルス閣下が用意されたこの『権利』は消えません!」
カイルは、老技師たちが設計した新型住宅の図面と、綿密な収支計算書を広げた。
「この特区に建設される新型住宅は、銀の道から供給される廃熱を利用し、一冬を越すのに薪の一束も必要としません。……皆さんがお持ちの証書は、この夢のような家への『優先入居権』であり、未来永劫続く光熱費の免除特権なのです!」
群衆の怒りが、戸惑いに変わる。
「ど、どういうことだ? 金は貰えねえのか?」
「金貨を貰って、また高い薪を買い続けるのですか?」
カイルは畳み掛ける。
「それとも、権利を行使して、カスティアの王族よりも暖かい冬を手に入れますか? これは『支払い』ではありません。レオンハルト家からの『未来への招待状』なのです!」
さらにカイルは、法務官としての切り札を切った。
「なお、入居に際しては、現在皆さんがお持ちの『不便な土地』を、相場の三倍で下取りいたします。……さあ、どうされますか? 過去の灰を欲しがるか、未来の熱を手にするか!」
論理的な説得と、圧倒的なメリットの提示。
カイルの演説は、暴徒になりかけた群衆を、熱狂的な「投資家」へと変貌させた。
「俺は入居するぞ!」「俺もだ! 土地を売ってくれ!」
広場は一転して、未来への期待に満ちた歓声に包まれた。
「……見事だな。あの堅物が、いつの間にか詐欺師顔負けの舌を手に入れやがった」
窓からその様子を見ていたジャックが、呆れたように、しかし満足げに笑った。
「詐欺ではありません。法的根拠に基づいた、公正な取引です」
執務室に戻ってきたカイルは、額の汗を拭いながら、少し誇らしげに胸を張った。
「これで、侯爵家の破産は回避されました。それどころか、旧居住区の土地を確保できたことで、銀の道の拡張工事がスムーズに進みます」
アルスの「逆転の計」と、カイルの「法的交渉」。
これにより、巨額の負債は一瞬にして「都市開発への投資」へと書き換えられた。
老技師たちの驚異的な仕事の速さにより、特区の街並みはみるみる変貌を遂げた。
かつて雪に怯え、隙間風に震えていた民たちは、魔法のように暖かい石造りの集合住宅に移り住み、銀の道が生む新たな雇用に目を輝かせた。
「セバス、顔色が戻りましたね」
アルスが声をかけると、老執事は涙ぐみながら深々と頭を下げた。
「はい……。まさか、借金が街を作る礎になるとは。アルス様は、本当にお祖父様に似てこられました」
レオンハルト領は、この日を境に生まれ変わった。
一介の辺境の僻地から、王国で最も「合理的」で、最も「暖かい」経済特区へ。
銀の道は、もはや単なる物流の動脈ではない。人々の生活、経済、そして未来を循環させる、巨大な心臓となっていたのである。
こうして、戦後の混乱さえも計算に取り込んだアルスの改革は、北の大地に揺るぎない繁栄の礎を築いたのだった。




