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記述主義者がペンを捨てるまで。  作者: ほんの未来
第7章:記述主義者と努力嫌いのための努力論。
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170 「若さがない」を笑い飛ばす6

 でも、本当にそうだろうか?

 巨人の肩に乗れ、という言葉の意味を考えてみよう。

 この言葉の由来は12世紀の新プラトン主義の哲学者、シャルトルのベルナルドゥスまでさかのぼる。のちに万有引力の法則を発見したアイザック・ニュートンが手紙で引用したことで有名になった言葉だ。


 さて、ここで巨人とは何を意味するのだろう? おもにふたつの説がある。

 ひとつは歴史に名を刻んだ過去の偉人たち。

 もうひとつは名を残さなかった、過去を生きた多くの人々。

 まぁ、私はどちらも尊重するので、天秤まるごとかっさらうわけなのだけど。

 過去の偉人たちがいかに偉業をなし、優れた言葉を(のこ)したところで、それを現代まで語り継いだ人々がいなければ意味は伝わらない。大昔であれば言語も別物であり、文化や風俗が違えば似た言葉でも意味を取り違えてしまう。一度でも断絶してしまえば、どんなに素晴らしい遺言であったとしても、暗号文になってしまう。読み解くことは極めて難しく、しかも解読が正しいかどうか確認することができない。


 たとえば、国語の教科書。夏目漱石とか太宰治とか、有名どころの小説家の文体を考えてみよう。おおざっぱに百年ぐらい前の時代を生きた人たちだ。その文章はどうか? そりゃ名文だとも! だけれど、どこか硬く、文語的に感じられるんじゃないだろうか?

 でも、当時としてみればどうだったか。むしろとても口語的であったはずなんだ。言文一致運動といって、書き言葉を話し言葉に近づけようとする運動が明治から大正にかけて行われた。まぁ戦時中は文語体が勢力を増したりもしたが、この時代の小説家はこの運動の影響をおおきく受けている。もちろん、全ての作品がそうではないにせよ。

 百年でこれだけ変わる。数百年ならもう一般人には読めないだろう。まだ日本は恵まれていて、戦争で他国の長期占領を受けたりすると、自国の古語が外国語のようだったり、自国の古語に外国の古語が混じったりなんてこともある。そうなれば、自分たちの歴史(ルーツ)をたどるだけで一苦労ではすまなくなるんだ。

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