168 「若さがない」を笑い飛ばす4
効率という点からして、赤子はとても天才とは言えない。まれな努力家と呼ばなければ失礼にあたるだろう。
「結果1」=「努力10000」×「才能0.0001」
赤子は才能とよべるものはほぼ持ち合わせていない。
あるとすれば、本当にわずかな……「真似しようとする」それは本能だろうか? 依存にも似た、無策を脱するための、生き延びるための決意にも似た、何かなのか?
遺伝子に組み込まれたものか? それとも知覚を持つ生命体が模倣に目を奪われているのか? 生存競争のさなか、それがもっとも省コストかつ有効な戦略ということか?
いずれにせよ、あるいはいずれでもないにせよ。
赤ん坊だった私たちも大人になっていく。言葉をすこしずつ使いこなせるようになる。真似も板に付いてきて、見た目だけではなく、やり方や思想といった内面性についても真似できるようになる。
いや、真似だけじゃない。失敗や手違い、思いつきや気まぐれが単なる模倣の寄せ集めから君を切り離す。
でも、そんな偶然、サイコロまかせじゃ遠くへは行けない。ネズミ花火みたいに、ぐるぐる回って燃えつきるだけ――なんて思ってたら、たまたま、快楽や目的なんてものを手に入れる。方向さえ決まってしまえば、堂々めぐりの無作為が、寄り道裏道探しの作為に変わる。
出会いや、相談。得たのは知識だけじゃない。知識の見つけかたや並べかた、知識をあつかう知恵なるもの。同じことでも、学びかたはずいぶん変わった。
百数十年前、アインシュタインが相対性理論を世に出したとき。それを理解できるのは世界に何人いただろう? 今では物理を学ぶ大学生ならあたりまえに習うものだ。
百年前のオリンピックの記録はどうだ? いまでは下手したら、国内大会の高校生でもそれぐらいの記録を出してくる。
積み重ねた工夫、工夫、工夫! 私たちは世代さえ飛び越えて、より優れたやりかたを追求してきた。
もっといい道具はないか? 姿勢は? 生活は? 栄養は? 学習法は? 指導法は? 環境は? 時間配分は? 費用対効果は? さらに優れた努力論はないだろうか?
それらの方法論は、あたかも生物の歴史を早回しにするがごとく、進化と突然変異とを繰り返していく。この衝動に適応していく。悔しさのことごとくを、はねのけてきた。