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記述主義者がペンを捨てるまで。  作者: ほんの未来
第7章:記述主義者と努力嫌いのための努力論。
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168 「若さがない」を笑い飛ばす4

 効率という点からして、赤子はとても天才とは言えない。まれな努力家と呼ばなければ失礼にあたるだろう。

「結果1」=「努力10000」×「才能0.0001」

 赤子は才能とよべるものはほぼ持ち合わせていない。

 あるとすれば、本当にわずかな……「真似(マネ)しようとする」それは本能だろうか? 依存にも似た、無策を脱するための、生き延びるための決意にも似た、何かなのか?

 遺伝子に組み込まれたものか? それとも知覚を持つ生命体が模倣(ほし)に目を奪われているのか? 生存競争のさなか、それがもっとも省コストかつ有効な戦略ということか?

 いずれにせよ、あるいはいずれでもないにせよ。

 赤ん坊だった私たちも大人になっていく。言葉をすこしずつ使いこなせるようになる。真似も板に付いてきて、見た目だけではなく、やり方や思想といった内面性についても真似できるようになる。

 いや、真似だけじゃない。失敗や手違い、思いつきや気まぐれが単なる模倣の寄せ集めから君を切り離す。

 でも、そんな偶然、サイコロまかせじゃ遠くへは行けない。ネズミ花火みたいに、ぐるぐる回って燃えつきるだけ――なんて思ってたら、たまたま、快楽や目的なんてものを手に入れる。方向さえ決まってしまえば、堂々めぐりの無作為(むさくい)が、寄り道裏道探しの作為(さくい)に変わる。

 出会いや、相談。得たのは知識だけじゃない。知識の見つけかたや並べかた、知識をあつかう知恵なるもの。同じことでも、学びかたはずいぶん変わった。

 百数十年前、アインシュタインが相対性理論を世に出したとき。それを理解できるのは世界に何人いただろう? 今では物理を学ぶ大学生ならあたりまえに習うものだ。

 百年前のオリンピックの記録はどうだ? いまでは下手したら、国内大会の高校生でもそれぐらいの記録を出してくる。

 積み重ねた工夫、工夫、工夫! 私たちは世代さえ飛び越えて、より優れたやりかたを追求してきた。

 もっといい道具(やりかた)はないか? 姿勢(やりかた)は? 生活(やりかた)は? 栄養(やりかた)は? 学習法(やりかた)は? 指導法(やりかた)は? 環境(やりかた)は? 時間配分(やりかた)は? 費用対効果(やりかた)は? さらに優れた努力論(やりかた)はないだろうか?

 それらの方法論は、あたかも生物の歴史を早回しにするがごとく、進化と突然変異とを繰り返していく。この衝動に適応していく。悔しさのことごとくを、はねのけてきた。

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