167 「若さがない」を笑い飛ばす3
さて、これから「稚気を愛する」ことで、「若さがない」から動き出せない、そんな苦痛と向き合っていく。
まずは、私たちが大人になるにつれ、どんな「したたかさ」を身につけたのか、考えてみよう。
「したたかさ」などかけらも感じられない、赤ん坊を想像してみよう。
産声をあげる。泣き声をあげる。そしてひとつの音、クーイングをするようになる。
その次はふたつの音だ。喃語を話すようになる。
そして、1年ぐらいかけてようやく、「ママ」「パパ」などの単語を覚える。
どちらが先かで、夫婦戦争が起こる……かどうかはさておき、こうやって言葉を覚えるわけだ。
赤子は言葉を覚える天才だと言われる。
しかし、はたして本当にそうだろうか?
もし、英語を1年間勉強して覚えた単語が「お母さん」「お父さん」だけであったなら、最低評価1をもらうことは確実だ。
赤ちゃんが可愛いのは分かるけれども、さすがにひいきが過ぎるんじゃないか?
むしろ、赤ん坊が言葉を覚えるのは、すごく時間がかかっている。それは何故だろう?
まず、産声をあげてようやく、呼吸を覚えたということ。泣くことで肺を震わせ、音を出せるようになる。母音や子音、そのいくつかをそれっぽい感じに真似をする。
そして、ようやく身近なものを簡単な発音であらわすようになる。
声を出す。よくよく考えてみれば、肺から息を吐き出しつつ、喉元をなんか良さげな感じに震わせつつ、口を開けたり窄めたりしつつ、発声するわけだ。
さらに言えば、目ではっきりモノを見ることさえ定かではないところから、これをやっている。何を見ているのか、それについて身体からどんな音を鳴らせばいい? そんな何もかも分からないところから人生は始まっている。
これはもう、「とりあえずやってみる」という次元ではなく、「やたらめったら」と表現した方が正しいぐらいだ。
それでも赤子が言葉を話すようになれるとすれば、大量の『余裕』があるおかげだ。
赤子はまだ義務を負っていないし、無責任カードは切り放題である。そもそも、類い稀なる成長期であり、脳はますます複雑に発達するし、身体だってどんどん大きくなる。
人間としての器が物理的に大きくなるのだから、そこには空きが生まれる。発達するための『余裕』は、意識せずとも大量に手に入り続ける。
だからこそ、こんなにも不器用なやり方であっても、言葉を話し始めるという偉業をなしとげる。