141 「幸運がない」を笑い飛ばす
では続けて、「幸運がない」について考えてみよう。
なかなかにふわっとした話題だね。
私や君がツイているかどうか?
根っこのところには純粋な無作為があり、まったくもって不可解だ。だけれども、そのよく分からないものがいくつも絡みついて、幸運や不運という現象が起きる。
幸運をモノにするためには、みっつのプロセスがある。
ひとつ。幸運を見つける。
ふたつ。幸運をつかみ取る。
みっつ。幸運を活かす。
不運に惑わされないためには、これもみっつのプロセスがある。
ひとつ。不運を避ける。
ふたつ。不運をいなす。
みっつ。不運から立ち直る。
どちらも、時間軸で切り分けている。
幸運や不運と「出会う前」「出会うとき」「出会った後」に分けてある。だから過去・現在・未来のみっつになるわけだ。
また、幸運と不運は人による部分がある。人間軸だね。
給食や日替わり弁当・定食のメニューみたいなもので、よほどの大当たり・大外れでなければ、好みで幸運・不運はたやすく入れ替わってしまう。
ただし、皆に愛されるメニューもあれば、いっときの流行りメニューなんかもあるだろう。限定メニューに人は弱いからね。
空間軸に照らしだせば、場所による違いも見つかるね。
地球の半分は日が昇っていて、残り半分は夜だ。平野か盆地か、山間部か沿岸部か、内地か離島か、高地か低地か? 温暖か寒冷か、乾燥か湿潤か、極地か赤道直下か? 活断層は? 浸水地域か? 地雷や不発弾が埋まってたりするか? 紛争地帯か? 戦火に近いか遠いか? それとも埋蔵金でも見つかるのか?
あとは持ち場の広さの違いもあるね。広いのか狭いのか? 広すぎても管理が行き届かなくなるし、狭すぎれば窮屈だ。
それが幸運か不運かは本人のみぞ知るところだが、公平とはとても言えないだろう。