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記述主義者がペンを捨てるまで。  作者: ほんの未来
第7章:記述主義者と努力嫌いのための努力論。
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132 「自信がない」を笑い飛ばす19

 ……なんてお話を考えてみました。

 もちろん、作り話ではあるのですが、基本と応用の関係性は実際こんな風になっています。

 この話ではお勉強限定? って感じになってますが、べつにジャンルはなんでもOKです。

 スポーツでも、精神修養(メンタルトレーニング)でも、職人芸的な仕事でもいい。楽器の演奏でもいいね。なんならスマホゲームの攻略とかでも構わない。それこそ、スポーツと医学を組み合わせてスポーツ医学みたいに、ジャンルまたぎの例はざらにある。

「できる」か「できない」かの話になれば、基本と応用の関係はこのようなカタチであらわれます。

 多重構造主義(筆者のリベラルアーツ)的に、世界はこんな構造してるよね、というお話でした。

 また、私の考える基本と応用の関係性が本当に一般に成り立つのであれば、この話自体が基本レベルの高い話ってことになりますね。的をはずしてなければいいのですが。


 さて、この話をざっと振り返ってみます。

 私たちは、どんなときに「自信がない」と感じるのだろうか?

 ひとつは「行き詰まった」とき。

 もうひとつは「心細くなった」とき。

 で、あれば、さっそく「言い換えの魔法」を試してみよう。


「行き詰まった」といえば、なんだかいやな閉塞感(へいそくかん)がある。

 それなら、「ここはどうやら行き止まりみたいだ」に言い換えよう。これなら、ただ引き返して別の道を探せばいいと分かる。あるいは、基本の基本に立ち返って、助走つけてから飛び越えてやるのも面白いだろう。


「心細くなった」といえば、なるほど、君の前に誰もいない寂しさがあるね。

 それなら、「誇らしさ」と言い換えるのはどうだろう? 君のうしろや、隣にはたしかに人がいる。君が、君の人生のトップランナーであるという名誉(じじつ)に、寂しさを感じる必要はあるのだろうか?


「自信がない」と言いながらも、自分のなかの感覚、なにかしら信じられることはあるはずだ。ちょっとした気持ちの掛け違いを「言い換えの魔法」で直していけば、もう立ち止まらずにいられるのではないだろうか?

 もし、自分のなかの感覚さえ何も信じられないのであれば、「(うつ)状態」がひどい場合、ステージ3とか4とかだろう。それはすでに触れたとおりだ。

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