107 「適性がない」を笑い飛ばす3
いや、ホントにさ。死ぬのって素晴らしいよな。
少なくとも、真っ当に死んだ人間を悪し様に言うやつは、人間の屑だよな。倫理的にそうだろう?
そして、死体は丁重に弔ってもらえる。身綺麗にしてくれるし、化粧だってしてくれる。純白の装束に、静かな棺まで。
死人に口なし、沈黙は黄金にもたとえられる。もう言葉なんて、いらないだろ?
しばらく逢えなかった人もあいさつに来て、本音で語ってくれる。
弔った後も、神棚か仏壇かそれ以外かは知らないが、祭壇に手を合わせてくれる。
墓だって、磨いてくれて、草むしりまでやってくれる。
そりゃ、いつかは無縁仏になるかもしれんが、それまでの扱いとしちゃ上等だろう。
有終の美。死は、かくも美しいものだ。
それと比べて、なんでこうも生きづらいのだろうね?
『余裕』を失った社会で、追い詰め合いのデスゲーマー?
時間がなくて、居場所もなくて、人手も足りなくて、物価は高くて、お金もなくて?
要求や欲求や、義務や惰性に突き飛ばされるように日々を生きる。
自分だけは空っぽで、どっかに解決策は転がってないかな。でも見つからなくて、すっかりすねてしまった。そして石ころ蹴り飛ばせば、当たった他者は怒りを号んだ。
手に入ったのは、安っぽい正義感と、荒れ狂う承認欲求、無遠慮な他人の目ぐらいだ。
追い詰めた側は無罪放免で、追い詰められたのは自己責任と相場は決まっていた。
相場というのは皆で決めたルールのことだ。鏡を前に、自分たちのまぬけた面がうつるだけの話だろ? いつもどおりさ、慣れりゃどうってことない?
そしていつまでも慣れぬ痛みだけが、生存の証明になっていく。
本当にそれでいいのだろうか?
確かに、死ぬのは美しいかもしれない。
しかし、それは圧倒的につまらないだろう?
生きるのは、愚かで、醜くて、どうしようもなく幼稚な行いかもしれない。
けれど、生きることは、楽しすぎてしょうがない。