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記述主義者がペンを捨てるまで。  作者: ほんの未来
第7章:記述主義者と努力嫌いのための努力論。

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92 デッドエンド回避~さまざまな病気に打ち勝つ3

 さて、話を戻して。価値観は今後はどう移り変わってゆくのだろうか?

 世界人口は増え続け、地球はどんどん(せま)くなっていく。環境問題が悪化すれば、食料生産も安定しないだろう。海面上昇は生活領域を削り取っていくだろう。地球がひとつしかないということ。時間にも限りがあるということ。どんなにでかいロケットを作ったって、資本主義(キャピタリズム)号が人類すべてを乗せて飛び立てるわけではない。それでも、宇宙船地球号のなかで、政治的共食いなんてしたくない。

 私たちはこの圧力と、負荷と、限界を前に、折り合いをつけなくてはならない。そんな時代がやってくると思う。

 全ての努力をやりつくすだけの『余裕(スラック)』なんてありはしない。

 だからこそ、報われる努力を選びたい。追い詰め合いのデスゲームからは素直に逃げ出したいんだ。

 だから私は、「努力嫌いのための努力論」を書いている。

 きっと、努力(ストレス)効率(パフォーマンス)の時代が来ると思うからだ。


 さて、そんなストレスであふれかえった世の中であるなら、適切な距離を取ること、空理空論(スラックマネジメント)の意味合いは重要になってくるだろう。

 コロナ禍は社会的(ソーシャル)距離(ディスタンス)という考えを生み出し、アフターコロナでそれを再び調整し直そうとしている。距離感的『余裕(スラック)』をコントロールしようとしている。そういった試行錯誤は、21世紀を通して普遍的な思想になっていくんじゃないだろうか。

 後天的な病のみならず、社会病理に対しても『余裕(スラック)』に想いを馳せることは有効な手はずになるのではないかと期待する。


   †

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