後編
最悪な空気に包まれたパーティー会場から、誰しもがそそくさと退場していく。祝う空気ではなくなったのだから当然だ。卒業を祝う席だったはずなのに、王子に私物化された上にこの国の未来をぶっ壊された。いやまだ壊れるか決まってないけど、相違ないだろう。溜め息しか出てこんわ。
俺もこの事件を家族に報告する為に、迷わず会場を出て──
気がついたら、豪華な部屋の中、正面に皇女殿下が座っている場面に俺は立っていた!
「はっ刃っ破っ波っ葉っ歯っ覇っハッ!??!」
「落ち着きなよ、エルマンノ男爵子息」
「うわぁっ! オルランディ侯爵子息!?」
「人を幽霊のように……」
「も、申し訳ございません!」
なんだこれっ!? 俺、歩いて男爵家に帰ろうってしてたのに、どんな道を通ったらここに来んの?! 来たことないとこに無意識で来るなんて、えぇ!?
「狼狽えるのも仕方ありませんわ。なんの断りもなく転移させましたもの」
「て、転移……」
「さて、前置きはいりません。本題に入らせていただきますわ」
いや、前置き欲しい。なんで俺と宰相の息子が皇女に呼び出されんだ(しかも高度な転移魔法で!)。
戸惑う俺に心構えをする時間をくれる訳もなく、皇女は口を開く。
「オルランディ侯爵子息、エルマンノ男爵子息。貴方たち、ティタニアス帝国にいらっしゃらない?」
皇女の提案に、自覚するほど目が丸くなる。これってつまり、青田買い!? はぁっ!?
宰相の息子は分かる。パーティーでのやりとりから考えて、前々から協力していただろうから。でも、なんで俺もっ!?
「2人とも、この小さな国に置いておくには勿体無い人材ですわ。今回の婚約を受け入れた私の狙いの一つに、“帝国に利のある人材を勧誘する”ことがあります。貴方がたは私の御眼鏡に適ったのですわ。誇りに思いなさい」
「は、はいっ」
「身に余る光栄でございます」
俺もなの!? 俺も帝国に役立てるって判断されたの?! あれか!? “預言者”にずっと文句言える胆力買われた!? それとも格上すぎる令嬢様たちに粘り強く頭下げてきたこととか!? いやそんなことでぇ!?
心当たりがなさすぎて盛大に狼狽えてる俺の隣で、メガネをクイッと上げた宰相の息子が「しかしながら」って続けた。断る気かっ!?
「今回の騒動により、王子殿下の横暴を阻止できなかった私は宰相候補から排除されるでしょう。何より私は“預言者”を裏切り断罪しました。膿を出す為とは言え、裏切り行為に違いはありません。そのような瑕疵のある人材を帝国はお認めにならないでしょう。私自身これからは外交官を志し、願わくば、我が国とティタニアス帝国を繋ぐ役目を賜りたいと考えております」
「あら残念。ですがそれも悪くありませんわね」
「恐縮でございます」
さ、流石宰相の息子。なんも狼狽えてねぇ。前々から考えてたんだろうにしても、だ。てか次俺の番じゃん! めっちゃ皇女見てくる! な、なんて答えよう!?
「……その態度。まるで心当たりが無いようですわね」
「ある方が不思議では」
「つまらない謙遜。今のフェニリン王国における地方の治水基盤を作ったのは、ティート・エルマンノ、あなたでしょう?」
「!!」
な、なんでそのことを!?
「あら、取り繕うことを覚えなければ、付け入られますわよ。私のような人間に」
「っ、な、な、なんのお話でしょう?」
「今更すぎましてよ」
ちくしょう! 腹芸が出来ないから、俺研究職に逃げようとしてたのに!
魔法や魔石が普及しているこの国では、火が欲しい時は火属性の魔石で火をおこし、水が欲しい時には水属性の魔石に魔力を込めれば綺麗な飲み水が得られる。人々の生活に欠かせない魔石は不足することが無いようにある程度国が管理し、各家庭に各種1つづつ必ず備え付けられる。
しかし、4つにも満たない幼かった頃の俺は、何を思ったか、その現象に疑問を覚えた。『水なら空から雨が、川があるのに、どうしてわざわざ石を使うのか』ってな。この世界とは違う世界の誰かの記憶が色濃かった当時の俺は、まずは魔石に頼らない飲み水の確保を試みた。雨水を集め、幼い手で浄水装置を作り、それを沸かして飲んだ。排気ガスで汚れていない空気から生まれる水は十分飲めた。排気ガス?
次は、雨に濡れたくないと考えた。これは平民の方の兄貴のお下がりシャツに薄い結界を施して撥水加工みたいにした。親からは『結界魔法が適正なんて珍しいね』とか『こんな使い方出来るんなら、食うに困らんなこりゃ!』って喜ばれて、メチャクチャ嬉しかった。
そのまた次には、雨が降るとぬかるむ自宅前の道をどうにかしたいと考えた。流石に道自体をどうにかする訳にはいかなかったから、実家(平民の方)の庭の一角をもらって、石床の道と小さい下水道を作った。石床は当然ぬかるむことはなく、下水道の果ての壺に雨水がきちんと溜まったことから、とりあえず成功ということにした。壺の水は晴れの日に自家栽培の野菜にかけた。
この実験を聞きつけた男爵家(実家と男爵家はお隣同士)がご覧になり、数ヶ月のお試し期間を経て、俺は男爵家に引き取られることになったってわけだ。ちなみに男爵家自体は魔石を使わない火起こし器を開発して巨万の富を得てたから、成り上がり自体に俺は関与してない。意外と魔石に使える魔力も無いって人、いるんだよね。石も経年劣化するし。持ち運べるのは優れもんだよな。
そんな俺のアイディアを活用した治水工事は、王都から外れた村から辺境までなされ、この国の水不足はほぼ解消、川の氾濫の頻度は年々減少している。王都は元々人が多くて工事がしにくいってのと、魔石を売りたい保守派の反対があって進んでない。下水だけでも認めればいいのに。浄化の魔法があるといっても、あれ実質ボットン便所形式じゃん。
さて、現実逃避はやめにして。
治水工事のアイディアが俺の不可思議な記憶を元にしていることは男爵家が秘密にするって契約していたはず(どうせ誰も信じないし)なのに、どうして、皇女がそれを知っている? ……なんて、愚問かぁ。男爵家のセキュリティーなんて脆弱ですよねー。俺一応めっちゃ頑張って、結界張ってるんですけど。でも客人を受け入れちゃったら、どうしようもないよね。だって男爵ごときが帝国からの使者を追い返せるわけないし。ついでに入られられたよねこれ。
「確かに、名を連ねてはありませんが、あの治水工事には微力ながら私の考えも反映されております。しかし、私が提示したのはあくまで大まかで雑多な計画であり、それを洗練させ実行に移したのは男爵家及びそれに協力した技術者たちでございます。有り難きご提案ではありますが、実績の無い私は力不足かと」
「あら、私の目に狂いがあるとでも?」
「……」
あ、死んだ。
「おっと。皇女様。彼を困らせないでください。ただでさえ彼は精神的に参ってるんですから。彼のこの4年間の苦労は貴方も知るところでしょう?」
「うふふっ、怯える姿が可愛らしくって、つい」
「つい、で私より背丈のある男を卒倒させないでください」
「うふふふ」
……ハッ!? い、今俺、意識飛んでっ!?
「し、失礼しました。それから、支えてくださってありがとうございます、オルランディ侯爵子息」
「構いませんよ。頭を打たれては困りますし」
俺自身は意識無くしても解けない修練度を誇る鎧結界があるからいいけど、周りにある見るからに高級だろう品のいい調度品に傷が付いた方が死ねるから、本当に助かったわ。
俺がしっかり立てるまで支えてくれてた宰相の息子が、真剣に顔を顰めた。ひえっ。
「しかし、今のでは断ったことにはなりません。きちんと断らねば皇女殿下も帝国に帰れませんよ」
「えっ……」
「そうねぇ。今のじゃただの謙遜。理由には成り得ないから、皇帝陛下に報告するにはいささか弱いですし、無理矢理にでも連れて帰った方が、私の首が飛ばずに済みますわね」
「ヒィッ! そんなぁ!」
「それが嫌なら、それらしい理由をでっち上げなさい」
「私も早く帰らねばならないのよ」と言いながら、皇女は優雅に扇を仰いだ。それが首を跳ねられかねない人間の余裕? 意味分かんねぇ。
てか、理由をでっち上げろって……。んなもん、でっち上げるまでもない。
「……私は、この国の風土が好きです」
「……ほう?」
「流れる川の美しさが、緑が茂る山が、様々な表情を見せてくれる空が、恵みをもたらす土が。命で溢れるこの国の風土が、愛してやまないのです」
行ったことが片手で数えられるくらいの海も輝いてて好きだ。入れば流れる時がゆっくりになってそうな林も、背の高い木々に日光が遮られる深い森も好きだ。家族を笑顔にしてくれるならなんでも大好きだ。
「その美しさを保つ為に、人々が感動以外の涙を流さぬように。私は自然災害を防ぐ、または被害を減らせる方法を勉強し、また編み出したいと考えています。それはこの国、土地でないと得られない学びであり、私はこの機会を失いたくはありません。……何より、私はこの国を、愛しています」
これからは“預言者”ビビアナに頼れないのだから、ますます学び、提案しなければならない。何より、愛する家族が居るこの国から、離れたくはない。
皇女は答えた俺の目をまっすぐ見つめてから、仰いでいた扇で口元を隠した。一拍置いたあと、彼女は「それなら、仕方ありませんわね」と言って扇を閉じ、立ち上がった。
「フェニリン王国に忠誠を誓っている人間を帝国に連れて行っても、ロクなことにはなりませんもの。あなたのことも諦めて差し上げますわ。そうね、狙っていたと口にすることも止めにいたしましょう」
「あ、ありがとうございます!」
「礼儀作法も足りていない人間を連れて行くのも、可哀想ですしね」
「……度々の無礼、申し訳ございません」
うん、行ってたら俺、そこらへんで突っつかれて胃に穴開けて死んでたかもしれんな。
「ああ、そうですわ。エルマンノ男爵子息」
「はい」
「“タミナトレイ”、“ヒタチショウ”という名前に、本当に聞き覚えはありませんの?」
「……申し訳ありません」
初対面でも聞かれたこの名前。あの時も今も、聞くと何故だか胸の内が震えた。けど、彼女以外の口から聞いた覚えもなければ、どれだけ調べても学名は見つけられなかった。別世界の誰かの記憶は、人間関係については自分の名前すら、てか家族どころか全人類の個人情報が黒く塗りつぶされて見えないからどうしようもなかった。なんだこの記憶ホントに。
俺の謝罪を受けた皇女は「忘れなさい」と命令してきた。仰せのままに。
「それではお話も済んだことですし、お開きにします。それではオルランディ侯爵子息、エルマンノ男爵子息。再びお目にかかれることを楽しみにしておりますわ」
ふ、再び!?
最後に爆弾発言(俺にとって)を言い放った彼女は、俺らが返事を言う前に転移して消えた。流石皇女。転移魔法がお得意でしたか。
ところで。
「……オルランディ侯爵子息」
「なんですか」
「ここって、どこですか」
「私の家ですよ。あぁ、道が分からないでしょうし、家紋のない馬車で近くまで送ります」
「あ、有り難き幸せ」
「今更取り繕わなくていいですよ」
「あ、はい」
◇
帝国行きの船が留まる港へ走る馬車の中、私は迎えにいらしてくれたお兄様──ランドルフ皇太子殿下に報告をしていました。とは言っても、“影”が既に報告していましたから、ただの確認作業ではありましたが。
「すまなかったな、マリアンネ。君の貴重な4年間が無駄になってしまった」
「そんなこと仰らないで、ランドルフお兄様。この国の気候は私の肌に合いましたし、自然も歴史的建造物も食文化も素晴らしかったですわ。学園での学びは得難いものがありましたし、国民性や国力をこの目で見られたのです。必ずや帝国の役に立ちますわ」
「そうか。前向きに捉えてくれて助かる」
さらりとした金糸のような髪を耳にかけたお兄様は、同母の妹から見ても色気があり、美しさから溜め息が溢れました。
「しかし、まさか“預言者”が国家転覆を図るなんてな」
「あら、そんなつもりはあの女にはなくってよ?」
「第一王子の婚約者の地位を脅かすとは、そういうことだ。フフッ、わざわざ言わずとも君なら分かっていただろうがな」
「もちろんですわ!」
いくら災害を預言出来るからって、それだけで平民上がりの男爵令嬢が王妃なんて務まるわけがありませんわ。王妃という職務を彼女はいったいなんだとお考えだったのかしら。ただ国民から愛され、贅沢できるとでも思っていたのかしらね。学園で総合順位10位以内なんてお話になりませんことよ。まぁ、罪人にはもう関係のない話ではありますけど。
「それからお兄様。有能な人材を引き抜けなかったこと、重ね重ねお詫び申し上げますわ。お役目を果たせませんでした」
「構わんさ。その彼らがいずれ、この国と我が国を繋いでくれるだろう。そうでなければ滅びるだけだ」
「では、この国に必要以上の混乱を招かなかった私は、有能ということでよろしいですわね」
「ああ。次回もその働きを期待している」
「必ずやお応えいたしますわ」
次回。さて、次の婚約は穏やかに、恙無く果たされればよろしいのですが。
あぁ、そうでした。このことについても謝罪をしなければ。
「それから、ティート・エルマンノ男爵令息の事ですが……。やはりどちらのお名前にも、心当たりがまるで無い様子でした」
「……そうか」
窓枠に頬杖をつき、馬車の外を見るランドルフお兄様の表情は悲しげでした。事実悲しみ、惜しんでいることでしょう。その姿は一枚絵にしたいほど麗しい。息をしていることに神へ感謝を捧げなければ。
「ショウ……」
いとおしげに、しかし悲しみを孕んだ呟かれる、異国の響きのある名前。その呟きだけで不可思議で非現実的な空気が馬車の中を包み込みます。異国どころか、異世界らしいのですが。
「なぜ、私を思い出せない。私の元へ来てくれない。……これでは、この国を滅ぼせないじゃないか」
「……」
そうでしたわ。今回の婚約は大陸1の国土を持ち強大な帝国とその庇護を求める小国の間で交わされた契約。その契約をあってはならない形で破棄したのですから、本来なら法外な違約金を持ちかけ、払えなければ国を乗っ取る算段でした。この国の国家予算より高い違約金や賠償金を吹っかければいいだけの話ですから、そうなるのも当然ですわね。何より、この国を取れば広い海への道が開きやすくなります。
ではなぜ乗っ取らなかったのか。それはひとえに、お兄様の愛する“ヒタチショウ”がこの国に生まれ、この国を愛しているから。
帝国の権威を失墜させない為に、今回の婚約破棄騒動でいくらかは手厳しくいかなければなりません。しかしその加減を間違えれば、お兄様が愛するヒタチショウが苦しんでしまうかもしれません。次期皇帝のお兄様は今後、この国の扱いに頭を抱えてしまうことになるでしょう。……もしかしたら私、第二王子の婚約者にされてしまうかもですわね。ええ、それが一番可能性が高いですわ。あの子いい子ですし。彼となら仲良くやっていけそうですし、易易と傀儡にされてくれるでしょうね。
「お兄様。この国は四季がハッキリしているのに場所によっては夏も冬も過ごしやすいですわ。食文化も我々の影響を受けつつ独自の進化を遂げていますから、親しみを覚えつつ物珍しいでしょう。観光地にも避暑地にもなり得ますから、そういう方面で活用することで、賠償していただくことで落とし前を付けていただけたら? これから災害対策に力を入れていくことでしょうから、安全性も増していきますわ」
「……私は、素晴らしい妹を持った果報者だ」
「光栄ですわ」
私、愛されたがりですし愛したがりですの。お兄様が好きなものなら好きになりたいですし、私の愛するお兄様に愛されたいのですわ。ですから、ちゃんと協力させていただきます。
それに、今言った通り、私は愛したがりですの。私に関わった善意全てに、幸せになってほしいのですわ。
書きたい要素を詰め込んだ(これでも減らした)ら大変なことになりました。
お楽しみいただけましたら、評価のほどお願いいたします!