第七十八話「ボンバー」
戦いの場所が変わってもなお、レイスの絶対的優位は変わらなかった。
「矢よ、貫け!」
「ああもう、しつこい!」
『足元に気をつけて! あいつ、狙いが正確になってきてる!』
距離を取り、剣を右手で持った状態で左手を開いて突き出し、掌から次々と火球をばら撒く。戦いの舞台が屋上のような区切られた地形ではなくなった分ルイがより激しく動きまわるようになったが、相手の逃げる位置を予測して撃てば外れる確率は小さくなるので何の問題もなかった。
『接近してくる!』
「え? うそ?」
「遅いッ!」
剣先が右腕をかする。
「――あつッ! 熱い! 斬られた熱い!」
剣を覆う炎が舌を伸ばしてスーツを燃やし、肌を黒く焦がす。傷と熱に耐え切れず、ルイが距離を離しつつ転がり込む。
「一瞬のミスが命取りだ!」
「くそ、何してくるかまるでわからない!」
要所要所で接近して斬撃を加える事で、攻撃にメリハリを付ける事も忘れない。パターンを単調にせずランダム性を持たせることで、相手の判断ミスを誘いしっかりとダメージを与えていく。事実、ルイの体には確実にダメージが蓄積しつつあった。
「いい加減に――AK!」
「無駄だ――壁となれ、炎よ!」
着弾。
壁。
『蒸発』。
「――ああもう、また!?」
『壁を展開しながら移動できるのか!?』
そして相手の攻撃――『銃撃』とやらは、手にした剣の中に蓄えてある炎を一瞬だけ外に放出し、壁として目の前に展開させてやれば、その攻撃の全てを無力化することが出来た。
炎は自身の体にも纏ってはいたのだが、体と密着している上に纏った炎自体も薄いものであったので、それに頼る事はリスクが高かった。鎧のように分厚くすることも可能であったが、火球を飛ばし剣に炎を蓄えそれをコントロールし、尚且つそこまで徹底させられるだけの魔力をレイスは持ち合わせていなかった。
しかし、そんな事は問題ではない。
後退しつつ高度を上げ、距離を取る。そして十分上昇した所で剣を振って壁を斜めに切り払い、金色の火の粉をまき散らしルイを見据える。
「どうする。まだ続けるか」
「当たり前でしょ?」
「その焦げた手足でか?」
「――ッ」
ルイの二の腕と脛の部分はスーツが破け、むき出しの肌が火傷で黒く変色していた。まだ満足に動かせているのを見るに重傷とは思えなかったが、同時にその動作が精彩を欠いている事はレイスにははっきりと分かった。
今の時点でレイスの優位は変わらない。現状を維持して戦えば、まず負けるような事は無いだろう。
――だが。
「だが、そなたがそこまで言うのなら、私も徹底的に戦うとしよう」
レイスは腑に落ちなかった。
勝っている。圧倒的優勢。だからこそ気味が悪い。
上手く行きすぎている。
何か見落としている事があるのではないか?
レイスの心の底に生まれた疑念が、のそりのそりと肥大化していく。
「ルイよ、私は手加減ということを知らぬ。後で丸焦げになっても、恨み言は言うでないぞ?」
「そんなの、誰が言うもんですか!」
《焦げたら口利けなくなるだろうが》
『それもそうですね』
「ちょっと黙ってて」
「……覚悟は良いか?」
だがレイスは、そんな心の中の疑念はおくびにも出さなかった。
相手に付け入る隙を与える訳にはいかない。弱みを見せれば、待っているのは敗北だ。
「ええ。別にいいわよ。どんどん来なさい」
「大した自信だな……ならば」
そう考えながらレイスが左手を突き出す。
「受けるがいい――炎の矢よ!」
己の恐れを払拭せんばかりに力強く宣言し、掌から火球を生み出していく。
無意識の内に生み出した火球の群れを見つめる。金色に燃え盛る炎の塊。その姿を見るだけで、レイスは自信の不安が一気に燃え落ちていくような感覚を覚えた。小さく安堵のため息を漏らす。
この時、ルイの目が炎よりも小さく、しかし『それ』以上に不気味に輝いた事に、レイスは気づかなかった。
レイスを挑発し、戦場を屋上からもっと広い場所へと移す。そこまでは作戦通りだった。
だがそこから先は地獄だった。
「うわっ! うわっ! うわぁっ!」
領域が広くなった分、動き回れる範囲は広がった。だがレイスの的確かつ予測困難な攻撃は、大悟の五感と隼の監視の目、そしてその地の利を以てしても完全に回避することは不可能だった。
「直接ぶつけるだけが攻撃ではない……覚悟してもらおう!」
レイスのそれは、元より避けられる事を前提とした攻撃であったからだ。
「次は、次はどっちなの!?」
《何が来るかはこちらで伝える! 雑念は捨てろ! お前は回避に専念するんだ!》
『――飛んでくる!』
火球の接近を、大悟が風と温度変化で感知する。
足元に連続して撃ち込まれる火球を全て紙一重で避けていく。地面に当たった火球が弾け、閃光と火の飛沫と熱を大量に周囲に撒き散らし、両の足を靴の上から容赦無く炙っていく。
凄い熱い。汗がどっと吹き出てくる。天高く燃え盛るキャンプファイヤーの火に、反射熱で顔が真っ赤になるくらいの距離まで近づいた時のように熱かった。
「靴! 靴溶ける! 靴!」
《おい、しっかりしろ! 大丈夫か!?》
「やばいです! このままじゃ嬲り殺しでひゃああ!」
『もっとスピード上げて! 背中に食らったら終わりだ!』
「足が痛くてこれ以上走れないのよ! ヒリヒリすんのよ!」
必死の形相で喚き散らしながら、歯を食いしばって死に物狂いで地面を駆ける。レイスは己の嗜虐心を満たすためではなく、攻撃の確実性を増すために敢えて火球を足元にぶつけていたのだが、一思いにやらずじわじわと追い詰めていくようにも見えるその戦法は、ルイからしてみれば只の拷問であった。
地面を蹴りあげる度に両脛が悲鳴を上げる。火傷した部位から、熱を伴ったジリジリした痛みが全身へと伝播し、精神の平静を掻き乱し更に体力を奪っていく。
内側に鉛が溜まっていくかのように、みるみるうちに足が重くなっていく。そしてその鉛は、同時に胸の内の一点から全身へと、その体温を奪いながらじわじわと放射状に広がっていった。
「どうした、ルイ! 先ほどの威勢は虚仮威しか!」
レイスが威圧するように言い放つ。その間も火球は飛び続けてくる。返事をする気力もない。
「ルイよ、そなたはここで終わるのか? 私は手札の全てを見せたわけではないぞ!」
「この……言いたい放題言って!」
もう限界だ。撃ち落とすしか無い。
「そんなもん見せなくていいから――」
足を止めて振り返り、片手でAKを構える。
引き金を引いた瞬間、右手首から先の力が抜け落ちる。
「え……?」
伸ばした肘がガクリと折れ曲がり、AKが手の中から滑り落ちる。宙に浮いた一瞬だけ銃弾を出鱈目にばらまき、その後地面に落ちていくそのAKの姿は、ルイには酷くスローモーションに見えた。
「それで終いか」
「……!」
《くそ、予想以上に消耗が激しい、逃げろ!》
『作戦の繰り上げだ! ルカ、走って!』
声すらもゆっくりと聞こえてきた。ちくしょう。
「……ちくしょう!」
AKに背を向けて走りだす。背後で火球が何かにぶつかり派手な音を立てたが、ルイにはそれは聞こえていなかった。足元に襲い来る火球と、着弾と同時に咲き乱れる火の花が、ルイの思考と体力を削っていく。
「もう散々だよもう……!」
熱い。重い。
上から押さえつけられているかのように、体がずしりと重くなっていく。火球の熱に晒され、網焼きにされているかのように背中が熱くなっていく。肩で息をしなければ呼吸が追いつかない。しかし止まる訳にはいかない。足を止めれば待っているのは敗北だ。
だが絶体絶命の中にあって、ルイの目には光が宿っていた。
「あの場所に……あの場所に……」
《急げ! もう少しだ!》
勝機が消えたわけではなかった。
本来はもっと相手を引きつけてからそれを使うつもりだったが、四の五の言っている状況ではない。相手の攻撃を測り違えたこちらのミスだ。
そこまで行って、ルイは考えるのを止めた。後はただ、勝利の鍵の元までひた走るだけだ。
「近い、近くなってきた!」
「そなた――」
後少し。ここに来てから今に至るまでの間、ずっとその場に屹立していた『それ』に、もう三歩で手が届く。
「ここまで来れば……!」
「何をする気だッ!」
背後から怒声。
背中が燃やされるように熱くなる。
ルイは前へ飛びかかっていた。不意に噴き上がった熱から逃げるように、反射的にそうしていた。
それは必ずしも意図して行われた動作ではなかった。だがもしそうしていなければ、火を纏ったレイスの剣の齎すダメージは、その切っ先がルイの背中を僅かに掠る程度では済まなかっただろう。
運が良かったのだ。
「悪運の強い奴よ……」
背後からの剣による一撃を辛うじて躱し、前方にあった何かに飛びかかりしがみついているルイを見て、レイスが忌々しげに呟いた。その背中には小さい切り傷が斜めに走り、その周囲が黒く焼け焦げていた。
致命傷ではなかったが、これまでに与えた総ダメージはかなりの物になるだろうと思われた。ルイはしがみついたまま、ぴくりとも動かなかった。
「そなた、このまま逃げるだけなのか? これ以上攻め手が存在しないとのたまうつもりなのか?」
発破をかける。反応がない。
「……」
ため息をつき、レイスが剣を下ろす。そして掌を開いて、ルイに向けて左手を突き出す。
「……そうか、とうとう終わりか……これで終いと言うことか」
左手に魔力を収斂させる。金色の力の流れが掌に集約され、内側から膨れ上がって拳大の火球を創りだす。
「そなたは、まあ、よくやった方だ。攻撃は単調であったが、その生存能力は確かに一流であった」
褒めるでも貶すでもなく、自身の抱いた感想を淡々と述べていく。
火球が手を覆い尽くすほどに巨大化する。レイスが目を細める。
「さらばだ――矢よ」
手から火球が離れる。
刹那。
「……待ってた!」
バネ仕掛けのような素早さと唐突さで、ルイがレイスの方を振り向く。
それまでしがみついていた『それ』を両手で水平に持ち上げながら。
「な」
レイスが息を呑む。二人の視線が交錯する。
ルイが笑う。
「――バイバイ」
遠心力を利用して、ルイが『それ』――彼女が生み出し、以降そこに放置してあったバイクをぶん投げる。
火球とバイクが接触する。
その日一番の大爆発が、二人の間で巻き起こった。
レイスが心の中の疑念の正体に気づいた時は、全てが手遅れだった。
次回はメアの方で決着がつきます。
それとこの間、鷹丸たちが何をやっていたのかも書かれる予定です。
……書けたらいいなあ。
次回「決着」
撃ちます撃ちます