第七十二話「タチバナと魔族」
二つ目の正門を開け、真弓が中へと招き入れる。
そこは城と言うより、思いっきり『洞窟』――いや、天然の『ドーム』と言うべき場所だった。
「これは……」
「想像以上かも……」
そこは広大な半球状をしており、横の直径は壁に沿って走れば軽い長距離走の練習になるかと思われるほどだった。天井部分も只管に高く、正確に何メートルあるかはわからなかったが、少なくとも魔族が空を飛べるくらいの高さはあった。そう言える理由は、彼らがここに入った時、その眼前で何体かの魔族が実際に滑空するように空を飛んでいたからだ。
真ん中には赤いクロスを敷いた真円のテーブルと椅子が置かれていた。テーブルは非常に大きく、十人以上が席に就けるサイズを誇っていた。その周りには本棚や木箱が何個も散乱しており、壁に寄り掛かるでもなくその場に直立していた本棚には、本がぎっしり詰められていた。木箱は膝程の高さがあり、縦に二個まで山積みにされていた所もあれば、ぽつんと一つだけ置かれていた所もあった。
周囲の壁にはランプが吊り下げられており、ガラス板に囲まれた中で煌々と火を灯していた。そんなランプを挟むようにして、それぞれ二メートルほどの上部がアーチ状になった穴が開けられていた。
「好きなように見て回っていいぞ。本棚の本を取り出して読んでもいいし、木箱の蓋を開けて中身を取って見てもいい。ただし穴の中にはまだ入らないでくれよ。そっちの方は後で説明するから、今はここを存分に見学していてくれ」
そんなドーム状の空間に圧倒されながら、真弓の言葉に背を押されるようにして四人がてんでばらばらに散らばってその洞窟内を探索していく。そして四人が次第に取り始めた、その戸惑い交じりにドーム内の物を物色していく様子を、真弓は正門ドアに寄り掛かりながら愉しげに見つめていた。
真弓の言葉通りに各々が散らばって物色を始めてから数分後、大悟は直立する本棚の前に立ち止り、その本の背表紙の群れに目を通していた。
「凄い……歴史の本だったり、伝記だったり、いっぱいある」
「そう言うのだったらこちらにもあるぞ。腐るほどにな」
本棚の段の一つに手を置いて大悟が感嘆していると、その本棚の近くにあった上部の蓋の開けられた木箱の傍に立っていた隼が返答するように言った。隼が視線を落とすと、木箱の中には本がぎっしりと詰まっていた。そして視線を戻し、周りにある未開封の木箱を眺めまわして隼が続けた。
「恐らく、他の木箱も同じ感じだろうな」
「ここにある木箱全部に本が入ってるって言うんですか?」
「全部に入っているとはまだわからんが、少なくとも私の目の前にある木箱は、そういう状態だ」
そう言いながら腰を落とし、その中の一冊を手に取って背表紙を見る。
「マーティン・ルーサー・キング・ジュニア……」
表題に会った名前を呟きながら中身をパラパラとめくって、再び閉じる。そして立ち上がり、その本を頭と同じ高さに掲げながら真弓に顔を向けて言った。
「これがツェッペリンの行動の原点か?」
肩を竦めて真弓が返す。
「さすがに鋭いな。でも本当は、キング牧師だけがツェッペリンの動く理由と言う訳ではないんだな――大悟、君の目の前にある本達のタイトルに書かれている人間の名前を、適当に読み上げてもらえるかな?」
「え?は、はい、わかりました」
真弓に言われるままに大悟が目の前の本棚に視線を向け、背表紙に書かれていたタイトル、その中に含まれていた人間の名前を読み始めた。
「ナイチンゲール、マハトマ・ガンジー、平塚らいてう、杉原千畝……」
そして一通り読んだ後に途中でそれを切り、驚いた様にため息をついて言った。
「ひょっとして、これ全部……」
「差別と闘った、あるいは、それを差別する社会に背いてまで己の意地を通した人間達だな」
キング牧師の本を脇に挟み、オスカー・シンドラーの伝記を木箱から取り出しながら隼が言った。
「偉人の記録だ」
「じゃあ、この本を書いた人も、そうなんですか?」
大悟たちの近くで本を漁っていたルカが、一冊の本を片手で持ちながら大悟たちの元へ駆け寄ってきた。隼がその本を受け取り、題名と中身を読む。
ディオゲネス。コスモポリタニズム。
本を閉じ、はっきりと隼が言った。
「……これは違うな」
「あ、違うんですか?」
「ああ。これは差別について説いた物ではなく、世界の在り方についての一つの可能性を提唱した本だ」
「へえ……」
感心した様に呟いた後、再びルカが隼に尋ねた。
「じゃあ世界の在り方について、なんて言ってるんですか?」
「ああ、世界は」
「世界は一つになるべきだと言っている」
隼が言葉を放ちかけた瞬間、真弓がそう口を挟んでニヤリと笑う。半開きになった口を所在無げに閉じ、軽く首を振って隼がそれに返す。
「かなり要約しすぎの感があるんだが」
「内容的には間違っていないだろう?」
やれやれ、とでも言いたげに隼が肩を落としていると、今度はシェリルが固まっていた三人の元へ早足でやって来た。
「シェリル、どうした?」
「他の木箱や本棚も見て回っていたのですが、同じ内容の本が何冊もあるんです」
そう言って両手で抱えていた四冊の本を見せる。それは四冊ともガンジーの伝記だった。
「橘真弓さん一人が読書をするだけなら一冊でも事足りると言うのに、なぜかこんなにあるんです。他の木箱を見てみたんですけど、やっぱりこれと同じ本が何冊か混じっていて……」
「あれ?でもガンジーの本ならこっちの本棚に」
「ガンジーって人の本なら私も見たよ?」
「えっ?」
それを見たルカと大悟が同時に言葉を発し、同時に呆気にとられた様に目を丸くする。シェリルも釣られるように目を白黒していたが、隼は一人「そうかそうか」と合点のいったように頷いていた。
「隼さん、何かわかったんですか?」
それに気づいたルカが尋ねる。隼が何事もないように答えた。
「ああ。こいつらはおそらく、ここに大勢いる誰かに読ませたいから、それだけの数を揃えたんだろうな」
「大勢って、誰に?」
「大勢いる奴って言ったら一つしかないだろうが」
その隼の言葉に、ルカ達が一瞬だけ首を捻る。そして一瞬の感情の空白の後に、三人が揃って目を剥いてその顔を驚愕に染めていた。
「え、まさか」
「ああ、そう言う事だ」
扉から身を離し、狙い澄ましたように真弓が四人の元へと近づいて行く。やがて四人の前に立って真弓が言った。
「それは全部、あいつらに読ませている分だ。もちろん私も読むがな」
「あいつらって……やっぱり」
真弓が天井を見上げる。そして片手を上げて手招きをすると、その天井の陰から一体の魔族が音もなく真弓の横に降り立ってきた。
その魔族の肩に手を置きながら、不敵な笑みを浮かべて真弓が言った。
「魔族だよ」
「――やっぱり」
大悟が納得したように言った。隼は予想通りの答えに満足したように頷いていた。シェリルは目を輝かせ、ルカは顔をひきつらせていた。
「魔族たちは粗暴で戦いになると一段と凶暴になるが、基本的には理知的で本が読めるくらいの思考は当たり前に持っているんだ」
なあ、と真弓が傍らの魔族に同意を求めると、その魔族は何も言わずに気まずい表情をして恥ずかしげに顔を背ける。その様子を見て小さく笑いながら、声もなく立ち尽くしている四人に向けて隼が続けた。
「それだけじゃない。風呂にも入るし睡眠もとる。食事だって人並みにするし、基本的に雑食だ。人肉を食べるとかそう言うことは絶対にしない。最初に述べた横暴な性格だって、人間からの理不尽な仕打ちによって植え付けられた憎しみから来る物なんだ。だから邪推や偏見を捨てて接すれば、こうやって親密になる事だって出来る」
「そ、そうなんですか……でも、真弓さんの言葉を聞いてると、魔族って何だか人間に近いような気がしますね」
「良い所を突くな!」
魔族から手を離し、自分の言葉に対してそう返した大悟に喜々とした表情を浮かべながら詰め寄る。そして突然の事に頬をひきつらせる大悟の目を真っ直ぐに見つめながら真弓が言った。
「そうなんだよ。魔族は外見や嗜好が違うだけで、基本的な生活サイクルは人間と同じなんだ」
「そ、そうなんですか?」
「ああそうだ。同じように眠って同じように食べる。娯楽だって楽しむ。彼らは怪物ではない。彼らもまた、我々と同じく生きているんだ」
「怪物ではない……」
真弓の言葉を反芻するように――どこか嬉しそうにシェリルが呟く。ルカは自身の価値観をひっくり返されたように口を開けて呆然とし、大吾と隼は感心したようにその魔族を見つめていた。
一体の魔族が穴蔵の一つの中から姿を現したのは、まさにその時だった。
事前に打ち合わせをしておいたかのようなタイミングだった。背後から気配を感じ、反射的に四人が全身で後ろを振り返る。
大悟とルカが驚愕の声を上げる。
そしてその魔族も、やがて大悟の顔を見て「あっ」と声を上げた。
「なんだ、知り合いか?」
隼の声は脳にまで届いてはいなかった。ただ目の前の相手を、じっと凝視する。
「あいつ……」
「あの人間は……」
大悟の背中を槍で貫いた魔族。
一番最初にルイに倒された魔族。
記憶のリールが音を立てて巻き戻され、その時の情景をありありとそれぞれの脳内に再生させていく。
「――話を続けてもいいかな?」
だが語調を強くした真弓の言葉によって、一気に意識を過去から現実に引き戻される。ビクリと肩を震わせて目に生気を宿らせていく大悟とルカを心配そうに見つめた後、隼が先を続けるように真弓に頷く。
了解したように頷き返して真弓が言った。
「では続けよう。こいつは……ああ、どこからなんて言ったらいいか……」
それまで硬直していた魔族のそばに歩み寄りながら真弓が困ったように言った。そしてその傍らに立った時、件の天井から降り立った魔族が真弓に言った。
「細かい説明は後にして、まずは要点だけ話したほうがいいんじゃないか?」
「それもそうだな。よし、そうしよう」
魔族とのごく自然なやり取り――人間とするような、ルカたちが違和感を覚えないほどの自然なやり取りを経てから、真弓が四人を見て言った。
「細かい話は後にして、要点だけ伝えようと思う」
「そのまんま言うんですか」
「悪かったな語彙が乏しくて……そんなことはいい。今度こそ説明するからな」
咳払いを一つして、魔族の脇腹を小突きながら真弓が言った。
「こいつの名前は『ノワール』。私がつけた名前だ」
「名前?魔族に名前をつけたのですか?」
「ああ。自分の将来の夫に呼び名がないと、不便どころの話じゃないだろ?」
「……え?」
四人の眼の色が変わるのも知らずに、少し頬を赤らめて真弓が続けた。
「おっと、この話は別にどうでもいいな。とにかく、こいつは『ノワール』。私と同じで『融合体』ツェッペリンの半身だ」
「……」
四人とも、何も言葉を吐き出すことが出来なかった。
その中で、特にシェリルは思考回路がフリーズ寸前となっていた。
融合体。レビーノ最大の禁忌である、魔族と人間の合体。
眼の前の女性は、横の魔族を指して平然とその言葉を言ってのけた。
そこから突っ込めばいいのか。それとも『夫』という単語から突っ込めばいいのか。
シェリルは猛烈な頭の痛みを覚えた。
禁術。
禁術とは何か。
なぜ彼女はそれを使ったのか。
なぜ彼女は魔族と共に行動しているのか。
次回はそれを明らかにしていきます。
次回「フュージョン」
撃ちます撃ちます




