第六十九話「作戦開始」
シェリル捕縛の一連の流れは、一言でいえば茶番であった。
黒子の衣装を借りて黒づくめの格好――外見だけはルイになったルカが、更にシェリルの能力を借りて自身にかかる『重力』を消去し、あたかも魔力によって身体強化した魔法使いのような動きを取って、改めてシェリルと相対したのだった。
台本通りに。
「捕まえた!」
「しまった!」
台本通りにシェリルを空中で捕まえ、台本通りに地面に叩きつけて組み伏せる。
「悪いけど、一緒に来てもらいますよ」
「くっ――離しなさい!私には、まだやるべき事が――!」
台本通りに縄を使ってその体を縛り上げたのだった。
「……虚しい」
《言うな》
全てが成功し、シェリルがエージェント達に連れられていく姿を見ながら、ルカは言いようもない程の虚無感を味わっていた。
そして今、シェリルはガットの本部内にいた。
本部がどこにあるのか、彼女にはわからなかった。黒子に連れられ、どこかの古ぼけた建物の中に入り、その場所の床下に隠されていた階段から地下へ潜った事は、はっきりと見ていたし今も覚えていた。
しかしシェリルはこの世界の地理がわからなかった。もしかしたらそれを承知で、彼らはシェリルにアイマスクを付けなかったのかもしれない。
本部に連れて行かれたシェリルは、その後も台本通りに行動を行った。迷路のような窓のない朱塗りの通路を渡り、目の前の机と椅子だけが銀色に光る真っ暗な部屋に辿り着く。そしてそこでアイマスクと手錠を付けられた状態でエージェントの一人と机を挟んで相対し尋問を受ける――振りをする。
それは彼女にとっては、悪意や欺瞞の存在しない単純な質疑応答だった。質問者の顔は見えなかったが、自分のいる部屋に殺気が満ちていない事は彼女の心をとても軽くした。質問者への回答だって、殆ど自発的に行っていたような物だった。
この時質問者はシェリルから渡された水晶玉を使って撮影を行っていたが、それだってシェリルが真っ先に教えた事だった。起動に必要な魔力は、シェリルが魔力自体の『気配』を『消失』させた状態で送っていた。
奇妙な質問会は三十分ほどで終わった。その後シェリルは拘束を解かれ、完全に自由になった状態で一つの部屋に招かれた。
替えの服は後日用意する。付き添いの男がそう言って扉を閉めるのを見届けてから、シェリルはベッドの上で眠りについた。
敵地のはずだと言うのに、シェリルはぐっすりと眠る事が出来た。
起床、着替え、食事を終え、シェリルは例の篝火の焚かれた大部屋に一人でいた。その顔は緊張でやや強張っていた。
切欠は、混み合っていた食堂で食事を摂っている時の事だった。そこはかつて自分が通っていた学園の食堂と同じくらいの規模を持つ場所であり、三、四百人は収容できそうな広さを持っていた。そしてシェリルが着いた時、食堂は既に人であふれていた。
自分とほぼ同じ構造の服を着込んだ人間が壁に張り付くように設けられたカウンターに並んで料理を受け取り、テーブルについてそれを食べ始める。その中で食事をするのであるから、どれだけガットの中で特異な立ち位置にいるシェリルと言えど、その存在は人並みの中に完全に埋もれてしまっていた。
「食べ終わったら、頭領の元に来てほしい。頭領直々のお達しだ」
だがそんな中で、そのエージェントは迷うことなく正確に彼女の元へと近づいていった。そして狙い澄ましたかのように横につき、小声でそう告げて来たのだ。
シェリルは、そんなピンポイントで自分を狙ってきたエージェントに対して、驚嘆と脅威の念を感じていた。
そして今に至る。
シェリルはまっすぐに立ち、距離の離れた一段高い座敷に座っていた鎧姿の狭山と、その傍らに控えている蝶々と対面していたのだった。
「昨日は、疲れている中ご苦労だったな」
半ば形式ばった挨拶をしてから、狭山が言葉を続けた。
「ここにお前を呼んだのは他でもない。これから我々の行う作戦行動に、お前にも協力してほしいのだ」
部屋の雰囲気。重々しい口調。そして狭山本人の放つ重圧。それらを前にして相槌を打つことも無く、シェリルは黙ってその話を聞いていた。狭山が話し続ける。
「作戦と言っても、そんな大がかりな物じゃない。言ってしまえば、まあ、確認のようなものだな。こちらの用意した人員と共にある人物に接触し、一つの事柄について確認してもらいたいのだ」
「――それは」
そこで初めてシェリルが口を開き、すぐに閉ざす。そして沈黙を通して、向こうがそれを咎める気が無いのを知ると、シェリルが改めて狭山に言った。
「それは、私が出向く必要のある事なのでしょうか」
「……必須という訳ではない」
厳格な口調のまま狭山が返す。
「ただ、お前がいた方が、最終的な判断を下す事が容易になると言うくらいだ。同行を強制するつもりは無い」
「……」
そこで狭山が大きく息を吐く。その肩が僅かに下がり、鎧同士が擦れる音が辺りに響く。
シェリルは場の雰囲気の変化を敏感に感じ取った。全身に圧し掛かる重りが無くなり、体が軽くなったような気分を味わった。
突然の変化に、思わず眉を顰める。
「……まあそれ以外にも、お前にこれを頼む理由はあるのだが」
「――え?」
そしてその雰囲気のまま、それまでとは打って変わって軽快な口調となって狭山が言った。
予想していたが、予想と実感は別物だった。
そのそれまでの威厳をかなぐり捨てたような変貌ぶりに、シェリルが虚を突かれたように目を見開く。
だが奇異の視線を向けられた事に気づきながらも、表面上は気にする素振りを見せずにその調子のままで狭山が言った。
「どうしてもお前を連れて行きたいと、先方が言い出してな。こちらに噛みつかんとするばかりの勢いだったよ」
「は、はあ……」
「まあ、こちらとしても、それを断る理由もないから、お前の同行を承知したと言う次第だ」
「……なるほど」
だが、そんな場の空気の変化に取り残されるままで終わってしまう程、シェリルも鈍くは無かった。戸惑いながらも、変化を肌で感じた時から感覚の最適化は始まっていたのだ。
それは今完了した。
呆けていた表情を引き締めて、しっかりした口調でシェリルが狭山に言った。
「一つ、お聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「うむ。なんだ?」
「その言葉、私を同行させたいと言う言葉は、いったい誰が言った事なのでしょうか?」
「ああ。それはな……」
その言葉を受けて、狭山が彼女の後方にある大扉に目を向ける。するとその視線を感知してか扉が音もなく開き、そこから三人の男女が現れた。
「今回の作戦を行う三名であり、同時にお前の随行を願い出た者達だ」
シェリルが反射的に背後を振り向く。そしてそこに映る人影を見た瞬間に彼女の疑念は瞬時に溶解し、同時に彼女の頬は嬉しさで一気に緩んでいった。
「お前をこの地下に閉じ込めておくのは可哀想だとの事だ。身辺警護も買って出ると自分の方から言ってきた――良い友を持ったな」
「ルカ!」
嬉しさのあまり、シェリルが叫び声を上げる。そして呼び捨てされた事にも気づかないまま、ルカも喜色満面でシェリルの元へと駆け寄り、その手を力いっぱい握り締める。
「シェリルさん!」
「ルカ、ああいえ、ルカさん。昨日会ったばかりだと言うのに、なんだかとても久しぶりな気がしますね」
「私だって同じ気持ちですよ。シェリルさん、元気にしてましたか?」
「はい。御覧の通り、私は元気そのものですよ、ルカさん」
「よかった!私、ここの人たちの事はそれなりに信じてたんですけど、シェリルさんの事で頭が一杯になって、なんだかんだ言って昨日は寝付けなくて……」
「あらあら……ルカさん、私のことを心配してくれるのは有難いですが、それでも夜はしっかり眠らないと、体に良くありませんよ?」
「はーい、次から気を付けまーす」
そう気の抜けた返事を返して、シェリルが友人に向けて朗らかに微笑む。それを見たルカは困った表情を浮かべながらも増々顔を綻ばせ、そしてそれにつられるように、シェリルもその笑顔をより一層深い物にしていった。
それはまさに二人だけの世界。
「とても仲のよろしい事で……青春とは、友とは、かくもこうであるべきなのですね」
羨ましげに蝶々が言うように、それは他人が足を踏み入れるのも躊躇われる、友達同士の世界だった。
「――それで、シェリル?頭領からの要請はどうする気なんだ?」
だからそんな二人の領域に、恐れる事無く土足で踏み入る事の出来る隼を、大悟はとても頼もしく思った。名前を呼ばれたシェリルは一瞬ハッとしたが、すぐに隼と狭山の姿を認めると恥ずかしそうに顔を赤らめ、ルカの手を離しながら狭山の方を向いて言った。
「狭山……様、で、よろしいのでしょうか?」
「いらんいらん。さん付けで十分だ。もしくは頭領だ」
「……では、狭山さん。先の件の事なのですが」
そこで一拍置き、意を決した様にシェリルが言った。
「私も、彼女たちと一緒に行っても良いでしょうか?」
「……うむ」
笑みを浮かべながら狭山が立ち上がる。そしてまっすぐに隼を見据えながら狭山が言った。
「隼よ、子供たち三人の世話、よろしく頼むぞ」
「――御意」
そう答えて頭を下げた隼も、どこか愉快そうな笑みを浮かべていた。
「で、外に出て来た訳なんですけれど」
それから数十分後、彼らは町の一角のブティック――大悟とルカが初めて訪れた店――に来ていた。
そのブティックの片隅、目の前にあるハンガーにかけられた洋服の束に手を突っ込み軽く揺らしながら、横に立っていた隼に遠慮がちに尋ねた。
「いいんですか、こんな事してて。俺たち、その作戦行動とかのために来たんですよね?」
「ん?ああ」
「ここ、作戦とは関係ない場所ですよね?」
「ああ。だが日時の制限は特にされていない。違反行動の内訳も規定されていない」
大悟が手を突っ込んでいた服の束の中に手を入れ、そこから一着の服を手に取って体に合わせながら、隼が言った。
「我々はただ、最終的にこの任務の成否をきちんと報告すればいいんだ。その道中で我々が何をどうしようと、お咎めを言われる覚えはない」
「そんな緩い感じでいいんですか?」
「これでいいんだよ。私もここに寄りたかった所だしな――どうだ、似合ってるか?」
「サイズが合ってません」
服を体に合わせたまま嬉々として聞いてくる隼に素っ気なく返してから、大悟が自身の背後へ視線を向ける。そこには二メートルほどの高さを持った直方体型の試着室と、大量の服の山を大事そうに抱え、その脇に立って頻りに中を窺おうとするルカの姿があった。
試着室のドアがゆっくりと開く。そこには青い着流しではなくフリルのついたスカート丈の短い白いワンピースを身に着け、恥ずかしげに顔を俯かせたシェリルの姿があった。
「ど、どうでしょうか……似合ってますか?」
「うん!うん!シェリルさん可愛い!もう最高!」
「そ、そうですか?ありがとうございます……」
「あーでも、ちょっと迫力に欠けるんだよなあ……じゃあこれ、シェリルさんこれとかどうかな?」
消え入りそうな声で謝辞を述べたシェリルに、ルカがずいと替わりの服を差し出す。そしてそれをまじまじと見て、シェリルが形の良い眉を少し顰めて言った。
「こ、これは少し、派手すぎると言うか、露出が……」
「ううん、駄目ですか……じゃあ、これは?」
「これは……はい、これは良さそうかもしれませんね。でも私としては、こちらの方が気になっているのですが」
「ええっと……これですね?じゃあ試しに着てみますか?」
「はい。貸していただけませんか?」
ルカの持つ服の山から一着を選び、それを受け取って再び試着室のドアを閉める。ルカも、服を受け取って扉を閉める直前のシェリルも、喜悦と興奮で笑顔をいっぱいに花開かせていた。
「な、ここに来て正解だったろ?」
大悟と同じ方向へ視線を向けながら、先ほどとは別の服を手に取っていた隼が大悟に言った。
「あいつらも楽しそうだしな」
「――そうですね」
隼の言葉に素直に大悟が頷く。
ルカとシェリルは、『同じ世界の』友人を得てとても嬉しそうに見えた。それは傍から見ていた大悟まで笑顔を零しそうになるくらい、幸せに満ちていた煌びやかな物だった。
「どうだ大悟、これは似合ってるだろう?」
「サイズが合ってません」
実際、なおも食いついてくる隼に素っ気なく返しながら、大悟は胸の内から湧き上がってくる笑みを隠すことはしなかった。




