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第四十五話「真っ赤な人間のような何か」

「せッ!」


 姿勢を低め、全ての恐れを吐き出しながらルイが突っ込む。予想外の行動に魔族が怯み、一瞬その動きを鈍らせる。


「だからどうした!」


 だが魔族は行動を止めない。狙いを修正し、振り上げた拳を自分の脇を駆け抜けようとするルイの脳天に定める。


「いいか?人間の身体には、いわゆる『急所』と呼ばれる部位がいくつもある。そこを的確に突くことが、戦闘で勝つための最重要要素なんだ」


 だがルイの行動は、それが振り下ろされるよりも速かった。脳内で隼の言葉――『授業』の合間に聞かされた薀蓄話をフラッシュバックさせながら、手元のスライムをパイファー・ツェリスカへと変異させる。そして魔族の膝の裏側――急所の一つに狙いを定めて引き金を引く。


「人間の急所は、そうだな、頭や心臓は言わずもがなだし……後は関節だな。防御も薄いし、何より腕の関節を潰されれば物が持てなくなるし、相手を殴れなくもなる。そして足の関節を潰されれば、満足に歩くことが出来なくなる」


 その瞬間、魔族は自分の右足が何かによって強引に折り曲げられるかのような感覚を味わった。右膝を強引に地面に押し付けられ、視界が上空に広がる満天の星空を捉える。自分の意志ではなかった。

 立て直そうとするが、右足に力が入らない。そこだけ無くなったかのように――。


「――!」


 右の下顎の近くに何かの気配を感じた。

 無機質な、目の前の女から何度も向けられてきた気配。


「それと、顎も急所の一つだ。ここは危ないぞ。非常に危険だ」


 片膝立ちで跪いた姿勢にあった魔族の下顎に、ルイがパイファー・ツェリスカの銃口を押し当てていたのだった。


「ここを全力で殴られようものなら、その衝撃がまっすぐ脳にまで伝わって、言いようのない程のダメージを食らってしまうことになる。最悪、そのまま失神してしまう事さえあるんだ。ボクシングの試合で選手がいきなり倒れることがあるだろう?それも相手に顎を強打されて、その衝撃をモロに脳に食らってしまったからなんだ」


 隼の言葉を思い出しながら、無慈悲に引き金を引く。

 魔族の顔面のすぐ近くで閃光と爆音が木霊する。

 目の前が一瞬だけ真っ白になる。

 そしてそれまでとは比較にならない衝撃が顎に伝わり、それが頭蓋へと到達し脳髄を直接揺さぶる。それはまるで自分の脳を他人の両手に鷲掴みにされ、激しく左右に揺さぶられているような感覚だった。

 初めて味わう感覚だった。それを防御することも知覚することも出来ないまま、ただ自分の意識が刈りつくされていくという事だけがはっきりと認識できた。

 そうして意識を脳ごと潰されつつある魔族が呆然自失と言った体で夜空を眺める中、素早く背後に回ったルイがレミントンを構えてその広い背中に狙いを定める。


「バイバイ」


 ルイの言葉が魔族の耳に響く。だがその言葉も、その後に轟いた銃声も、魔族の脳に到達することは無かった。

 魔族の身体が前に押し出され、フェンスに激突する。そして力なく地面に倒れ伏した時、既に魔族の意識は沈黙の中にあった。





《終わりか?》

「……はい。なんとか」


 銃を元に戻し隼にそう告げてから、ルイは大きく息を吐き出しながら糸が切れたかのようにその場にへたり込む。


「ああああ……!」

《ルイ?どうした?》

「怖かったあ!」

《……そうか》


 心の底から発せられるルイの言葉を聞いて、隼もまた心の底からねぎらいの言葉をかけた。


《お疲れ様。よくやったな》

「えへへ。まあ、これくらいはしないと」

《そうか。お前が無事で何よりだよ》


 子供の様に笑うルイの声を聴いて隼が顔の筋肉を緩ませる。そしてすぐに顔面を引き締めてルイに言った。


《自力で帰れるか?》

「それほど疲れてる訳じゃないんですけど……もう少しここで休んでからでもいいですか?一気に緊張が解けて体が動かなくって」

《ああ。ただし人目にはつかないようにしろよ》

「わかってますよ」


 そう言いながら前方で倒れている魔族に目を向け、ルイが隼に言った。


「隼さん。目の前で倒れてる魔族はどうしましょうか?」

《ああ、それなんだがな。お前や我々が打倒した魔族連中は、全てこちらで回収することに決定した。もう既に部隊が向かってるはずだ》


 そう隼が言い終えるよりも前に、黒装束姿で顔の下半分を黒い布で覆った人間が五人ほど、倒れた魔族を囲むようにしてルイの目の前に現れていた。ルイの視線を気にすることなく、その全身にテープのようなものを巻きつけていく。


「もう来てます」

《そうか。速いな》

「そういうことは最初に言ってくださいよ」

《すまんな。今決まったことなんだ。伝える暇もなかった》

「別にいいですけど。それより回収して何するんですか?」

《色々だ。尋問したり情報を集めたり、まあそんな所だ》

「はあ……」


 どこか言葉を濁すように言った隼にルイは疑念を感じたが、あまり詮索してはいけないような気がして追及する事はしなかった。


「……まあ、深くは聞きませんが」

《それがいい。この世には知らなくても良い事と言う物が少なからず存在するのだからな》


 そう言って一旦言葉を切ってから、再び隼が言った。


《それより、そちらの様子はどうだ?作業は順調そうか?》

「あ、はい。なんかテープみたいなのを巻き終えて、全員で運び出そうとしている所です。やっぱりあの大きさだと一人じゃ担ぎきれないようで」


 そこまで言ってルイが突如言葉を切った。

 ルイの眼前で黒づくめ五人が真上から来た何かによって吹き飛ばされ、そしてそれまで彼らがいた場所の中心に、件の魔族を肩に担いだ『何か』が立ちはだかっていたのだ。


《おい、どうした?何か起きたのか?》

「……」


 不安げに聞いてくる隼の言葉は意識に入ってこなかった。ルイはただ口と目を驚愕に見開いて、目の前の情景をひたすらに凝視していた。

 魔族を抱えながら立っていたのは、細身だが華奢と呼ばれない程度に筋肉のついた長身の女だった。

 足首まで隠す赤いフレアスカート。上半身は縦縞の入った赤いノースリーブで、肩には赤く扁平なアーマーを、腕には赤い手甲を嵌めていた。

 服と装身具は赤いペンキに漬けたかのように真っ赤で、ウェーブのかかった長髪も同様に真っ赤だった。それとは対照的に肌は病的なまでに真っ白であり、そしてその白の中、金色の瞳が一際存在感を放っていた。


《おい!返事をしろ!おい!》

「……!」


 目の前の情景とそこにいる女の存在に呆然としていたルイの耳に隼の怒号が響き渡る。それによって自意識を取り戻したルイが、つたない口調ながらも今の状況を隼に伝え始めた。


「あ、あの、えっと、人が」

《人?人がどうした?》

「真っ赤な人が上から来て黒い人を吹っ飛ばして、魔族担いでるんです!」

《どういう意味だ!?》

「言った通りですよ!変な肌の白い人が――」


 ルイと女の目線が交差する。突然の事にルイが息をのむ。

 ルイを見つめながら女が小さく笑い、背中から蝙蝠のような――魔族が生やしているような翼を現して大きく左右に広げる。


「嘘……」


 人間が翼を生やしている。それは神話の挿絵に出てくる悪魔の如き姿であり、同時にその赤く堂々とした立ち姿は血染めの戦士の如き威厳を持っていた。

 言いようのない畏怖を全身で感じ、ルイは開いた口が塞がらなかった。


「ツェッペリン」

「え?」


 そんな翼を生やした人間と言うあり得ない光景を目の当たりにし、困惑の極みにあったルイに女が言った。


「名前だ。ツェッペリン。覚えておくといい」

「ツェッペリン?」

「また会おう、弾丸某」


 ツェッペリンが膝を軽く曲げ、そのまま上空へとジャンプする。しかし上空で一度停止しそこで翼をはためかせて飛び去ろうとした時に、ルイが立ち上がりながらツェッペリンを呼び止める。


「待って!」

「……」


 ルイの声を聴いたツェッペリンがその場で静止する。そしてその姿を見上げながらルイがツェッペリンに言った。


「あなた、なんなの?人間なの?魔族なの?」

「……」

「ねえ!」


 翼をはためかせ、ルイの方を見下ろしながらツェッペリンが答える。


「……さて、どちらだろうな」


 そしてそれだけ言い残し、滑空するように彼方へと飛び去っていく。


「ツェッペリン……」

《……ルイ、何がどうなってる》

「……私にも、何が何だかわかりませんよ」


 遙か遠方で悪魔のように翼をはためかせるツェッペリンの姿を見つめながら、ルイは半ば呆然と呟いた。


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