第二十話「少女」
その後、大悟が服になっていたという事実を受け入れ、その上で今の自分は何が出来るのか試行錯誤を重ねていた結果、二人が気づいた頃には壁に掛けられた時計は午後七時を指し、窓の外は真っ暗になっていた。
「うわあ、かなり時間経ってたね」
ルカがそう呆れ半分に、未だ服のままの大悟に話しかける。姿が変わってからもうすぐ五時間を越えようと言うのに、ルカ達は変身したままだった。
だがそのことには不平一つ漏らさず、さも平然と大悟が言った。
「そういえばそうだね。すっかり夢中になってて全然気づかなったよ」
因みに、ダイゴの言葉はルカの頭に直接響いてくる物であり、それ以外の人間には聞こえないものだった。これは件の試行錯誤の一環として、変身したまま外を練り歩くという中でわかった物だった。そしてルカは普通に言葉を発することで大悟と意思疎通ができるが、それは傍から見たらただの独り言であった。
そんな頭の中で反響する大悟の言葉を聞きながら、窓の外の光景に向けてルカが言った。
「時間も時間だし、そろそろ戻ろっか。ダイゴもキツかったでしょ?」
「そんな、全然キツくなんかないよ。こっちも色々楽しめたからさ。それよりルカの方こそ、平気?気持ち悪くない?」
「平気だって。そんなに何度も聞かないでよ。ダイゴってば心配性なんだから」
外の光景――ビルの窓から漏れる光や車のライトが宝石のように輝く幻想的な光景を見つめつつ背中を伸ばしながら、ルカが苦笑交じりに大悟に言った。
「今のダイゴってさ、私の着てた服の上から覆い被さってるような感じなんだよね。重ね着してるみたいな感じ?だからダイゴが気に病む必要ないって」
「ああ、そうだった。そうだよね。良かった」
何度交わしたかも解らないやり取りの後、大悟が何度聞いたかもわからない安堵のため息を漏らす。そしてその度に、心配性だなあ、とルカもつられるように笑みをこぼすのだった。
実際ルカは大悟がスーツになって自分がそれを装着しているということに気付いても、さして嫌悪感は沸かなかった。自分でも信じられない事だが、この時点でルカは大悟の事をかなり信頼するようになっていたのだ。
それは大悟も同じだった。しかし、だからこそ、自分がスーツになった時から常に、ルカに対してどことなく申し訳なさそうにしていたのだった。
女性に免疫がなく、つい遠慮してしまうのだ。
そんな大悟をルカは――これもあり得ない事なのだが――可愛いと思い、つい悪戯したくなってしまうのだった。それまでは実験に没頭していた為に欠片も浮かんでこなかったそんな黒い欲求が、ひと段落した今では心の中にむくむくと膨れ上がって来ていた。
そして、ついにそれが発露した。
「それとも、やっぱりさ……ダイゴは私の裸の上から被さりたかったのかな?」
「な、なななななな、ばっ……!」
目に見えて錯乱する大悟の声に、悪戯っ子のように目を輝かせながらルカが言った。
「ふふっ、そんなに混乱してるってことは、やっぱりその気があるってことかしら?」
「ば、馬鹿!ルカの馬鹿!」
自身のやましい感情を吹き飛ばさんとするばかりに大悟が叫ぶ。そして若干怯えた口調になって大悟が続けた。
「な、なんかルカ、前より意地悪になってない?」
「あの時の仕返しよ」
「うぐっ」
「ふふっ」
自分がルカを散々心配させた事を持ち出されて大悟が鼻白む。それを聞いて小さく笑いながら、ルカが窓の鍵を外して勢いよく開け放った。
「ルカ、何する気?」
流れるような足取りでベランダに向かったルカに大悟が尋ねる。丸い手すりに手をかけ、風の流れを頬に感じて気持ちよさそうに目を細めながらルカが答えた。
「ねえダイゴ。変身解く前にさ、一回だけやりたいことがあるんだけど」
「なんだい?」
「空中散歩」
「へ?」
一瞬意味が解らず大悟が変な声を上げるが、すぐにその意味を察してルカに言った。
「いいね。やろうか」
「ありがと」
ルカがそう答えて手すりを握る手に力を込め、、やがて飛び越えるようにして手すりの上に立つ。
「じゃ、さっそく」
ルカが手すりの上で膝が胸につくような体勢を取る。そしてその場で勢いよく膝を伸ばし、大空に飛び出した。
それを見た時、魔族は一瞬己の目を疑った。
ここはレビーノではない。別の世界のはずだ。
こちらにも魔法使いがいるというのか?
遠方、闇夜の中で跳ねるように空を飛ぶ人間を目の当たりにして、魔族はその場で羽をはためかせて呆然と考え込んでいた。しかし、その飛んでいるかのような動作は、よく見ると建物の屋上を足場にして、そこを一足飛びで跳び回っているだけであった。
それでも異常なことに違いは無かった。そこまで考えて、その魔族の頭の中に一つの考えがよぎった。
「まさか……」
あの時。昼ごろ、路地裏で出会ったあの女。
奴だと言うのか。確か奴は黒かった。そして自分が見ている事も知らず、目の前で跳び回っている人間もまた黒かった。
「……面白い」
そう言ってその魔族がほくそ笑む。あの時の女ならば良し。例えそうでなくても、あんな馬鹿な真似をする真人間など存在しない。あの女と当たる前の準備運動の相手としてはうってつけだろう。魔族はそう考えた。
そして獲物を見つけた獣のように目をぎらつかせ、翼を大きくはためかせてその人間の元へと一直線に飛んでいく。
その眼は戦闘欲と好奇心に満ちていた。




