第十九話「光臨!」
その魔族はあてもなく空を飛んでいた。
翼を大きくはためかせ、地上に向けて目を光らせる。
その眼下には大量の人間がいたが、今の彼はそれらに何の興味も持っていなかった。
「どこだ。奴はどこにいる」
あの時突如現れた黒ずくめの少女その存在の事で頭の中はいっぱいだった。
目を皿のようにして、その姿を探し回る。彼の姿を見た人間の何人かが何やら騒ぎ立てていたが、そんなことはどうでもよかった。
「どこだ。でてこい。決着をつけてやる」
決意を言葉に変え、魔族が目を光らせる。それは殺意ではなく、好奇心からくる輝きだった。
輝きが消えた時、それは一人リビングに立っていた。そしてそれはそそくさとリビングと玄関を結ぶ廊下の中ほどにある扉を開け、バスルームと扉で繋がった洗面台に据え付けられた鏡の前に立った。
「やった……」
あの時と同じ全身黒ずくめの姿、銀色の長髪、怜悧な眼光を具えた少女が鏡に映っている。そしてその体躯の中には、はっきりとルカの意識が存在した。
これが、もう一つの私の姿。
「これが、変身した私……?」
生まれ変わった気分だ。
鏡の前で顔や腕を一通り撫でまわし、次いで腰を捻ったり上目遣いになったりと様々なポーズを取り始める。その動作の一つ一つにとても新鮮な感覚を覚え、ルカは自然とその顔をにやけさせた。
「ちょっといいかも……ふふっ」
そう言って小さく笑った後、ルカが一番大事な事に気付く。
「そう言えば、ダイゴは?」
笑顔を消し、急いでリビングに戻る。しかしそこに大悟の姿は無い。
「ダイゴ?」
それまで緩んでいた顔が一気に不安に染まっていく。血の気の失せる思いを味わいながら、ルカが首を振って必死にその姿を探し求める。
「ダイゴ!どこ?ダイゴ!」
「ああ、いるよ、ルカ」
「ダイゴ!」
その時、どこからともなく大悟の元気そうな声がルカの耳に届いた。ルカはそれを聴いて大きく安堵すると共に、未だ姿を見せない大悟を探して不安げに辺りを見回した。
「ねえダイゴ、どこにいるの?」
「どこって、ルカの近くだけど」
「近くって、どこにもいないじゃない」
「いや、本当に近くなんだって。自分で言うのも凄い恥ずかしいんだけどさ……」
「恥ずかしい?ダイゴ、何言ってるのよ」
まるで要領を得ない大悟の言葉にルカが苛立ちを募らせる。眉間に皺を寄せながらルカが言った。
「ダイゴ、隠れてないで出て来てよ。冗談言ってないでさ」
「冗談じゃないよ。本当にルカの近くにいるんだから」
「じゃあどこに居るのか教えてよ。私、結構不安なんだから」
「……言わなきゃ駄目?」
「駄目」
「うううう……」
言いたくなさそうに大悟が唸る。が、すぐに大悟が消え入りそうな声でルカに言った。
「じゃあ、言うけど……驚かないでよ?」
「大丈夫だって。ていうより、どうしてダイゴの居場所を聞くだけで驚かなきゃいけないのよ」
「いや、だってさ……まあ、いいや」
諦めた様に大悟が呟き、そのままの語調でルカに言った。
「じゃあルカ、とりあえずさ、自分の体に触ってくれない?」
「え?体?」
「うん。どこでもいいから」
「う、うん」
大悟の不可解な要求に首をかしげながら、ルカがおもむろに右手で左の二の腕を掴む。
「うん。触った」
「ええ。触ったけど?」
「いや、そうじゃなくて、ルカが俺に触ったってこと」
「え?」
更に意味の解らない大悟の言葉にルカが顔をしかめる。
「もう、冗談はやめてよ」
「いや、本当なんだって。今ルカは俺に触れてるんだよ」
「何言ってるのよダイゴ。今私が触ってるのは真っ黒なスーツ……」
そこまで言って、ルカが驚愕のあまり目を大きく見開く。そして顔から血の気が引いていくのをはっきりと感じた。
「真っ黒な……スーツ……」
『……うん』
「え、ダイゴ、もしかして、え?」
『……変身……俺、そうなっちゃったみたい』
申し訳なさそうに大悟――真っ黒なボディスーツが言葉を発した。
『き、気持ち悪くないかな?』
予想の斜め上過ぎる展開に、ルカは言葉を発することが出来なかった。