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第九十四話「いざ異世界へ」

 隼は苛立っていた。

 突如として衛星からの信号を受信しなくなり、それまでディスプレイに映されていた町の俯瞰図がいきなり暗転し、またヘッドセットもノイズすら流す事無く完全に沈黙してしまったからだ。

 眼と耳を潰され、現場の状況を確認する事が出来なくなっていた。ルイの安否を知る事も出来ない。まさに生殺しの状態だった。


「くそ、どういうことだ……こんな馬鹿な事が起こる筈が……!」


 音声も画像も、全て件の衛星を通じて送受信を行なっていた。そしてこの衛星と、これと通信を行なうために隼が持ち込んだ機材は、双方ともガットの通信システムとは完全に独立して動いている。つまり仮に本部が襲撃されて本部内にあったシステムが潰されたとしても、隼は衛星を介して送られてくる各種の情報を自由に手に入れる事が出来るのだ。

 だが、今はそれが出来ない。

 なぜだ?


「こちらの機器に異常は見られない。こっちの監視システムは向こうとは独立している。止まる筈がない。なぜ――」


 なぜ。

 そこまで考えた時、隼の脳裏に一つの推測が浮かび上がった。


「……衛星を直接潰された?」


 もしくは、外部からこちらの通信システムを乗っ取られた?

 それこそ有り得ない。


「こちらの通信用の周波数は定期的に切り替えてあるし、傍受を防ぐために何重にもブロックをかけている。それこそガットくらいに巨大な組織でも無い限り解除出来ないような代物だ。にわか組織に破られるような防護は施してはいない」


 自分に言い聞かせるように隼が一息にまくし立てたが、それでも心中の不安は完全に拭い去る事が出来なかった。

 今自分達の戦っている敵の前に、それまで自分達の持っていた常識はまるで役に立たなかったからだ。


「……ルイ……」


 キーボードの置かれた台の上に両肘をつき、組み合わせた両手に額を押し当てる。

 体の内から沸き上がってくる何かを抑えつけようとするかのように歯を食いしばる。


「……ッ」


 本当なら、隼は今すぐにでも家を飛び出したかった。戦場へ――必死に戦う二人の元へと駆け出したかった。

 だが、それは出来ない相談だった。


「……まだ、そうと決まった訳じゃない……」


 この機能不全は一時的な物かもしれない。一秒後にはすぐに機能が回復して、ルイが助けを求める通信を送ってくるかもしれない。

 確証はない。だがその可能性はゼロではない。ゼロでないからこそ、みだりに動く事は許されなかったのだ。

 オペレーターは持ち場を離れてはならない。


「……頼む……」


 今の隼には、祈る事しか出来なかった。

 欲求を理性で抑えつけ、絞り出すように隼が言った。


「頼む……無事でいてくれ……」


 祈りながら、隼は自分の無力さを呪った。





「はい、そこまで。作戦成功です」


 尚も戦闘を続けていた鷹丸と『切り札』の元に忽然と姿を現したキリカ・ゼクルスが二人に対してそう言ったのは、二人が戦闘を始めてから五十分後の事だった。

 二人はボロボロだった。爪も剣も刀も酷使によって刃先が擦り切れ、その体には生傷がびっしりとついていた。髪は乱れ放題で艶を失ってボサボサとしており、体力も限界ギリギリにきていたのか、二人は揃って肩で息を吐きながら、それぞれ手にした得物を杖のように地面に突き立てて体を支えていた。

 そんな見るに耐えない二人の惨状を見て呆れの溜め息を隠す事無く漏らした後、キリカが呆れの色を全面に出した口調で『切り札』に向けて言った。


「我々がやるべき事は全て終わりました。もうあなたが戦う理由もありません」

「と、言う事は……?」

「はい。陽動、お疲れ様です」


 目を合わせもせず、前髪を弄りながら労いの調子を欠片も見せずに淡々とキリカが言い放つ。そのような扱いにはもう慣れっことなっていたのか、『切り札』は文句ひとつ言わずにそれを受けて軽くお辞儀を返す。

 そんな両者のやり取りを見て鷹丸が顔をしかめる。


「やはり、陽動が目的だったのか」

「ええ。あなた達をルイと合流させる訳には行かなかったのでね。その点において彼は――『切り札』は良くやってくれましたよ」

「してやられたと言う事か」

「だが、お前のような強い奴と存分に戦う事が出来て、私はとても満足している。縁があれば、また戦いたいものだ」


 そう感慨深げに言った『切り札』に対して、キリカが一瞬だけ生ゴミの充満した袋を見るような侮蔑の視線を向ける。その気配に気づくこと無く――死ぬ程疲れていたから気づけなかったのだ。これは『切り札』も同じだった――鷹丸がキリカに言った。


「全て終わった、と言っていたな? ならば、ルイの方も……」

「はい。あちらでも戦闘は終わらせてもらいました。これ以上やっても無駄ですし、今後の事もありますしね」

「今後だと?」

「あなたが知る必要はありません。敵に塩を送るなどと言う馬鹿な真似は致しませんので」


 キッパリとそう言い切った後、不意にキリカが『切り札』を真っ直ぐに見つめた。


「さて、それはそうと、あなたに臨時の作戦を与えたいと思います」

「わ、私にですか?」


 突然の事に面食らう『切り札』に、キリカが軽く微笑みながら言った。


「はい。とても重要な、あなたにしか出来ない事です――頼んでもいいでしょうか?」


 ――笑った?


「あの、いいですか? 話、聞いてますか?」

「は、はい。私で良ければ、なんなりと」


 キリカの態度の突然の変化に大いに困惑し、どこかドギマギとした調子で『切り札』が返す。それを見てキリカが小さく笑い、更に『切り札』の顔に困惑を重ねさせていく。

 違和感こそあれ、『切り札』はそれを悪いとは思っていなかった。


 それまで鬼のように厳しかった、或いは無関心を決め込まれていた相手にいきなり優しくされると、人と言うのは大なり小なり、決まって慌てふためくものなのだ。そしてその感情の変化に対して人はギャップを感じ、「この人も良い所あるじゃないか」と好意的に受け止め、反発心を和らげてしまうのだ。

それは魔族にとっても同じ事だった。この時の『切り札』が、今まさにその状態だったからだ。


「して、私はいったい、 何をすれば良いのでしょうか?」


 この時の『切り札』は、キリカの命令ならばすんなり聞き入れてしまう、そんな雰囲気を持っていた。全面的な信頼を向けられたと錯覚し、キリカを無条件で信じきってしまっていた。その『切り札』に対して、にこやかな笑顔を崩す事なくキリカが言った。


「はい。実はここでしか出来ない事なのですが……」


 言いながらキリカが両手を背中側に持っていく。


「ああそれと、これは命令と言うより、お願いのような物でして……」

「お願い……?」

「はい。一生に一度のお願いです」


 体を小刻みに左右に揺らし、上目遣いで『切り札』を見つめる。『切り札』はキリカの行動を予測する事が出来ずにその場で立ち尽くし、鷹丸はそのキリカの甘えるような態度に違和感を覚えていた。

 共通していたのは、どちらもその場から動けずにいたと言う事。キリカが『切り札』に言った。


「『切り札』さん」

「は、はッ!」


 無意識の内に『切り札』が背筋を伸ばして中空を見つめる。その『切り札』の前で、キリカが背中に回していた手を再び前に戻す。


「あれは――」


 手に何かが握られている。

 鷹丸がそれを発見する。第六感が身の危険を訴える。

 身を起こそうとして転倒する。

 体が動かない。

 キリカが飛び退き、そのまま勢い良くビルから後ろ向きに急上昇する。


「な、何を」


 風に当てられ、『切り札』がキリカの異変に気づく。

 視線が交錯する。キリカは笑っていた。

 勝ち誇った笑み。弱者を見下す笑み。


「死んでください」


 起爆スイッチを押す。

 ズシン。

 鷹丸達の足元から、巨人の歩行音が聞こえてきた。


「しまっ――!」


 体を振動が襲う。体勢が崩れ、地面に倒れこむ。

 直後、一瞬の浮遊感。続けざまに襲い来る、見えない手によって地面へと引きずり降ろされるような落下の感覚。

 轟音。

 瓦礫が視界いっぱいに迫る。

 暗転。





「ゴミめ」


 完全に倒壊し瓦礫の山と化したビルを見下ろし、キリカが吐き捨てた。そこに先に見せた柔らかな笑みは欠片もなかった。


「楽しかった? また戦いたい? ……魔族の分際で、人並な事をのうのうと、よくもまあ吐けるものですね――死ねばいいのに」


 そして罵詈雑言だけでは飽きたらず、その瓦礫の山に向けて唾を吐き捨てる。そんなキリカの元に、背後から一つの人の気配は迫ってきた。


「――誰!?」


 咄嗟に振り向き、反射的に魔力を込めた右手をかざす。そして目の前に映った気配の正体を見て、ほっと胸を撫で下ろす。


「……なんだ、ユーリか。驚かさないでよ」

「ご、ごめんなさい。キリカさんを見つけたら、い居ても立ってもいられなくて」


 オドオドとした態度でユーリがキリカに返す。その頭をキリカが優しく撫でてやると、ユーリは嬉しそうに目を細める。


「あ、あの、キリカさん」


 不意にユーリが話しかけてくる。頭を撫で続けながら、キリカがユーリに返す。


「ん? なあに、どうしたの?」

「あ、あの、今回の作戦……僕、上手くやれたでしょうか……?」


 そう言いながら撫でられている頭を動かさず、目線だけを動かして上目遣いにキリカを見つめる。

 その不安げな言葉、相手の同意を求める潤々とした視線。優しさに飢えた態度と言動。

 ――うん。やはりユーリは可愛い。魔族なんかよりもずっと可愛い。どうしようもなく可愛い。


「大丈夫よ。あなたは良くやったわ」


 自分の気持ちを目一杯伝えるために――何よりもユーリを安心させるために、彼の細身の体をそっと抱きしめる。

 キリカの暖かさに包まれ、ユーリがその表情を綻ばせる。そしておずおずとキリカの背中に手を回し、自分からもキリカの体を抱きしめ返そうとする。

 キリカはそれを拒まない。むしろ早く抱いて欲しいと言わんばかりに、自分から体を押し付ける。押し付ける度にユーリの体が驚きで小さく震える。

 その初々しさがたまらない。たまらなく可愛い。


「大丈夫よ。怒ったりしない。私は他の奴らとは違うわ」


 そして抱きしめたまま、ユーリの頭を再び撫で始める。


「そうよ。私は他の連中とは違う。あなたを愚図と罵ったり、化物と恐れたりもしない」

「うん……」

「だから、安心して? 何があっても私はあなたを見捨てない。私は……私だけはあなたの味方なんだから」

「うん……っ」


 キリカの胸の中で、ユーリが何度も顔を縦に振る。その動作、そしてその小さな口から漏れ出る相槌の言葉、その全てが堪らなく愛おしい。そして時間を経る度に、ユーリがキリカを抱きしめる力を少しずつ強めていく。その態度がとてつもなく愛らしい。

 ユーリを愛し、ユーリの愛を一身に受ける。この一時こそ、キリカにとって至福の時間であった。

 だが、いつまでもそれを享受している訳にもいかない。名残惜しげにユーリから体を離し、物欲しげなその顔を真っ直ぐ見つめながらキリカが言った。


「ところで、私の所にはあなた一人で来たの?」

「う、うん。作戦終了の合図を水晶玉から貰って、それでキリカさんと合流しようとして、ここまで来たんだ。だけど……」


 そこでユーリが言葉を切って顔を曇らせる。安心させるためにその手を握りながら、キリカが穏やかな声で聞き返す。


「だけど?」

「……だけど、途中で変な人に捕まっちゃって」

「変な人?」


 ユーリが小さく頷く。キリカが続きを話すよう、視線で催促する。


「赤い人だった。全身真っ赤で、背中から真っ赤な翼を生やしてた」


 翼? 真っ赤な人間?

 見たことも聞いたこともない存在を知らされ、キリカは首を傾げた。だがそれ以上の動揺を見せる事なく、キリカが話を続けた。


「それで、ユーリはどうしたの?」

「それで、いきなり『お前が黒幕か』って言われて手首を掴まれたから、帰還させる前に召喚獣をもう一回自分の所に呼び寄せて、攻撃させたんだ。そうしたらその赤い人は驚いて、戦う事もせずに舌打ちしながら逃げていったんだよ」

「そう」

「……怒らないの?」

「どうして?」

「だって、取り逃がしたんだよ?」

「まさか」


 あっけらかんとした口調でそう返し、キリカが笑顔を浮かべる。


「ユーリが無事ならそれでいいの」


 そしてもう一度、愛しいユーリの体を抱きしめる。


「その赤い人間については、後でいくらでも対策が練られる。対策自体も、いくらでも練り直す事も出来る。でも、ユーリの代わりはどこにもいない」

「……」

「だから、ユーリが無事なら、それでいいの」

「……キリカさん……!」


 嗚咽混じりにキリカの名を呼びながら、ユーリが彼女の体を抱き返す。それは今までの中で最も強く、積極的な物だった。


「……帰りましょう」


 ユーリの愛を一身に受けながらキリカが言った。


「二人で、私達の帰るべき場所へ」

「……はい」


 ユーリが静かに返す。そしてどちらからともなく体を離し、手を繋ぎ合って本拠地へ向けて飛翔を始めた。


 ――これから忙しくなる。


 ユーリと二人っきりの時間を楽しむ一方で、キリカはこれからのスケジュール構成を頭に描いてやや辟易した表情を浮かべた。

 まったく、猫の手も借りたい物である。


「……まあ、半分はこちらが皇帝に計画変更を打診したせいなんですけれどね……」

「? どうかしましたか?」

「いいえ、何でもありませんよ――さ、行きましょう」


 まあ、いい。小難しい事は後で考えよう。

 キリカはそう結論づけ、今のこの幸せな一時を心ゆくまで味わおうと頭を切り替え、廃墟と化した町の上を悠々と飛んでいった。





 それと同時刻、召喚術士を捕まえたと思った直後に巨人の群れに背後から襲われ重傷を負ったツェッペリンは、瓦礫の山の一つの中に身を隠し、その瓦礫の隙間から彼方へと飛び去っていく二人の人間の姿を目で追っていた。


「やれやれ、捕まえたと思ったんだが……痛っ」


 毒づきながらも全身に走る痛みに顔をしかめ、肌以外の真っ赤な物がドロドロ流れ続ける首筋と脇腹を押さえながら再び隙間の向こうに目を向ける。

 そこに既に件の人間の姿はなかった。


「あいつら、飛ぶのはやたら速いんだからなあ……」


 そう言いながら、ツェッペリンが即席のトーチカの中で窮屈そうに身を捩る。即席トーチカといっても、本当に瓦礫の山の外から穴を開け、そこから徐々に中の残骸をくり出して人一人入るのに適当な空間を築いただけの簡単な物だったので、耐久性は無いに等しい物だった。

 これはただの時間稼ぎ。この場を凌ぎ、傷を癒すためのカモフラージュだ。だが、例え急場凌ぎの物だったとしても、自分の翼の分だけスペースを余裕に取ると言う発想が思いつかなかったのはかなりの痛手だった。


「……それより」


 そんな杜撰な設計のお陰で窮屈極まりない空間と化したトーチカの中、そこでどうにかして仰向けの姿勢を取って一息ついたツェッペリンが、目を閉じて思考を働かせ始めた。


「これから、どうなるんだろうな」


 町は完全に潰れてしまった。一日二日でどうにかなるものではない。

 これから、この町はどのように立ち直っていくのだろう?

 だがどれだけ考えても、この後の展開をツェッペリンが完全に予測する事は不可能であった。

 召喚術士。巨人。町の壊滅。

 何もかもが非常識的――イレギュラーだらけなのだ。

 もはやツェッペリンはこれから何が起きても驚かない自信があったが、それは逆に、何が起きてもおかしくないと自分の頭が認識していると言う事でもあった。

 もう一度言う。予測不能なのだ。


「予想できないんならさ――」


 だからツェッペリンは、未来ではなく現在出来る事を優先する事に決めた。


「……とりあえず、出来る事から始めようか」


 そう弱々しく呟きながら、ツェッペリンが脳裏に『今自分達が出来る事』を羅列し、箇条書きの形式でリストアップしていく。

 城の防備の増加。武装の強化。罠やセンサーの設置。最悪の場合に備えての避難経路の確保。非常用電気、水道、食料の確保と貯蓄。


「ずいぶん多いな」


 意外と出来る事――と言うよりも、やるべき事は山積みだった。

 しかし、今は――


「傷を治す事に専念しようか……それと、疲れた……」


 全身をナイフに突き刺されるかのような痛みに対して、ツェッペリンの体はもう悲鳴を上げていた。

 肉が裂かれ、骨が軋む。それらは全て幻覚であり、実際には彼女の体にナイフは一本たりとも刺さっていない。だがそのような幻を感じてしまうほどに、今のツェッペリンは倦み疲れていたのだ。

 今すぐにでも意識を手放し、怠惰な眠りの底で体が自然と癒えるのをゆっくりと待ちたかったのだ。

 やがて意識の限界が来た。


「あ……もうだめ、意識が……私もう……」


 休みたい。

 そしてそう思った瞬間、彼女の緊張の糸がブツリと切れた。

 安全やその他諸々の何もかもを投げ出して、精神の平衡を保つ事を選択したのだ。


「……おやすみ……」


 そしてその言葉を最後に、ツェッペリンは海よりも深い眠りの世界へと旅立っていったのだった。





 ベルクに連れられてルイが向かった場所は、事もあろうに件の黒い球体の内部だった。

 そして外郭部分に吸い込まれるようにして入ったその中は、文字通りの暗黒だった。


「え……!?」


 闇。光一つない完全な闇。

 悪の秘密基地――地下洞窟や機械的な内部構造――を想像していたルイは完全に虚を突かれ、予想以上の展開にただ呆然としていた。

 ちなみにここに来た時、ベルクは既に姿を消していた。他に人の気配も感じられない。急に寂しくなった。


「いい顔をしているな。さすがの魔法少女も、この展開にはついて来れなかったか」


 不意に前方から声がした。驚いたルイが前に視線を向けると、そこには意地の悪い笑みを浮かべた一人の男が立っていた。


「あ、あんたは――?」

「おっと、自己紹介がまだだったな。俺はゲイン・カーティスマン。一応、この場所のトップと言う事になっている。そして――」


 そこで言葉を切り、ゲインが手招きをする。するとゲインの後方、完全な暗がりの中から、一人の人間の物と思われる乾いた足音が響いてきた。

 その足音は、こちらに近づいてきているかのように段々と大きくなっていった。最初の内は足音だけをルイに提示していたそれは、こちらに近づくに連れて、やがてその姿形を徐々に明確な物にしていった。

 足音が鳴り止む。それがゲインの真横に立つ。

 その姿が白日の下に晒される。


「――ッ!」


 その瞬間、ルイは目を大きく見開き、声にならない程の驚愕の叫び声を上げた。


「彼女の名前は……まあ、言わなくてもいいか。お前も名前くらいは知っているだろう?」


 その様子を愉快そうに眺めながらゲインが口元を歪める。だがルイの意識は、目の前に現れた一人の少女に全て向けられていた。


「……シェリル……?」


 シェリル・ヴェーノが無表情のまま、ゲインの隣に立ち尽くしていた。


「……」


 無表情だった。ルイと再会したと言うのに、何も言わずにただ黙ってそこに立っていただけだった。この状況に対しても何も言う事無く、ただ人形のように無感動にゲインの真横に立っていただけだったのだ。

 それもルイにとっては不審な点だったが、それ以前に、ルイには何よりも気になる事があった。


「シェリルさん、あなた確か……」


 ――そうだ。


「あなた、怪我はもう――」


 ガットの医療室で療養していた筈の彼女が、どうしてここに?


「動くな!」


 ゲインの一喝が、無意識に体を動かしていたルイの正気を取り戻させる。そして驚き、尚も状況を把握できずにせわしなく首を動かしてゲインとシェリルを交互に見やるルイに対して、当のゲインが勝ち誇ったように言った。


「ルイ。取引をしよう」

「……取引?」

「ああ」


 この時には大分落ち着きを取り戻したのか、ルイはゲインを真っ直ぐに見据えていた。だが時々、チラリチラリとシェリルの顔も伺ってもいた。

 そんなルイの様子を見ながら、ゲインが言葉を放った。


「お前に、レビーノに来て欲しい」


 ルイが一瞬だけ驚愕の表情を浮かべる。だがすぐに真顔に戻ってゲインに尋ねる。


「理由は?」

「お前を研究したい」


 恐ろしい事をゲインがさらりと言ってのける。息を呑むルイに対してゲインが話を続ける。


「お前のようなタイプの魔導士は未だかつて見た事がない。召喚術士やシェリル・ヴェーノとも違う、全く特異なタイプだ。非常に興味深い」

「だから、私を調べたいと?」

「そう言う事だ」

「……交換条件は?」


 そのルイの言葉を受け、ゲインがおもむろに肘を直角に曲げたまま片手を上げる。

 直後、電流が走ったかのようにシェリルの体が小刻みに揺れる。そして無表情のまま、どこかぎこちない動きで右腕をゆっくりと持ち上げていく。

 その手に握られている物を見た瞬間、ルイの顔が恐怖で真っ青になる。


「それは……!」

「マカロフ、と言うらしいな。『これ』は」


 どこか自慢げにそう言ったゲインの横で、シェリルが無表情のまま手にしたマカロフの銃口を自分のこめかみに押し当てる。

 シェリルの顔から生気が抜け落ちる。


「まあ、こう言う事だ」


 上げた方の手に電流を走らせながら、ゲインが胸を張って言った。わなわなと口を震わせ、弱々しい声で縋るようにルイが言った。


「や、やめて……」

「彼女を死なせたくないだろう?」

「お願い、それだけはやめて……!」

「だったら、俺の言う事を聞いてもらおうか。でないと彼女は――お前の大切な『友達』は、この場で自殺する事になる」



 優越感たっぷりなゲインの言葉が辺りに響き渡る。そしてまるで見せつけるかのように、右手に電流を絶えず走らせ続ける。

 刹那、銃を持ったシェリルの手にも電流が這いまわる。


「――え?」


 ゲインの右手。シェリルの手。手に走った電流。

 シェリルの顔に生気が――そして怒りが満ちてくる。

 まさか。


「お前が……」


 シェリルを。


「お前がやったのか……!」

「おや、バレたか……まあ、あれだ。軽い洗脳だよ」


 大した事ではない。とでも言いたげな口調でゲインがさらりと言ってのける。ルイは今すぐにでも飛びかかりたい衝動に駆られたが、


「動くと死ぬぞ」


 ゲインが静かに言い放つ。隠す気も無くなったのか、今度はシェリルの全身に青白い電流が走り、シェリルの引き金に掛けられた人差し指がゆっくりと動いていく。非常に緩慢な、だが確実な動きで、その引き金を押し込んでいく。


「……!」


 ルイがすんでの所で押し留まる。そして歯を食いしばり、一歩を踏み出すのを躊躇い前のめりになるそのルイの姿を見て、ゲインが愉快そうに笑い声を上げる。


「そうだ! それでいい! まったく、聞き分けが良くて非常に助かるよ!」


 そこまで言って、腹を抱えてゲラゲラ笑う。シェリルはその横で、無表情のまま銃をこめかみに押し当て続けている。

 圧倒的な絶望と憎悪の渦の中に叩き込まれ、ルイは気が狂いそうになっていた。

 そんなルイを正気に引き戻したのは、皮肉にも冷静さを取り戻したゲインの言葉だった。


「それで、お前の決定はどうなんだ?」

「――ッ」


 上げた手を降ろし、見下すような目つきで解答を迫る。


「どうなんだ? 俺に従うか、それとも取引を蹴って、彼女を殺すか?」

「……」


 ルイは押し黙って俯いた。出す答えなど既に決まっている。だが、目の前のこの男に膝を折るのが、たまらなく屈辱だったのだ。

 皮肉にもそのルイの背中を押したのもまたゲインだった。


「なにか言ったらどうなんだ? このまま何も言わないのなら、こいつを殺す事にするぞ」

「待って!」


 ゲインの無慈悲な言葉に、ルイが反射的に叫ぶ。そしてこの叫びが、ルイにプライドを捨てさせる決心を付けさせた。


「わかった! わかったわ! あなたの取引に応じる! だから、彼女を殺すのは止めて!」

「……そうか、そうか。それは何よりだ」


 ルイの決定にゲインが満足そうに頷く。だがシェリルはまだ銃を押し当てたままだった。


「ほら、私は行くって決めたわ。取引成立よ。だからもう彼女にそんな事はさせないで……!」

「おいおい、何言ってるんだ。お前だってまだレビーノに入った訳じゃないだろう? 銃を下ろした途端にお前が襲い掛かってくる可能性もゼロじゃないからな。用心しておくに越した事はない」

「……ッ」


 正論だ。同時に抜かり無い。

 ぐうの音も出せずに睨み顔で歯ぎしりをしているルイを尻目に、ゲインが懐から野球ボールくらいのサイズの水晶玉を取り出し、それを口元に近づけて何かを囁き始めた。

 その直後、ルイの眼前でゲインの背後の闇が縦に裂けた。

 その裂け目から、目を焼かんばかりの凄まじい光が溢れだした。


「え――!?」

「これが出入口だ」


 驚くルイに、当然であるかのようにゲインが言った。


「この中に入れば、お前はレビーノへと行ける。なに、一瞬の事だ。ちょっと眩しいだけで、痛みも何もない」

「この向こうには誰かいるのかしら?」

「ああ。研究チームの一団が、既に向こうで待っている。後は、彼らの指示に従ってくれればいい」


 そう言ってシェリルの腕を引っ張りながら、ルイの邪魔をしないようにゲインが脇へと移動する。

 ルイと光を遮るものは最早何もない。

 恐る恐る、ルイが一歩を踏み出す。

 一線を越える。その一歩を踏み出した瞬間、ルイの心から恐怖が消えた。


「さあ、早くしろ」


 ゲインが苛立たしげに催促する。ルイの耳には入っていたが、頭には届いていなかった。


「……ゲインって、言ったかしら」


 その代わりに、ルイが首を動かしてゲインに向き直る。

 そこにあったのは、悪鬼羅刹が如き怒りに満ちた形相。それを見たゲインが思わず鼻白んで後ずさる程の威圧感を放つ恐怖の顔だった。


「お前はシェリルを傷物にした」


 いや――怖すぎる。


「な……ッ」


 人間が出せる恐怖じゃない。


「お、お前は、いったい……」

「――覚えておくことね」


 だがルイはゲインの呻き声を無視してそう吐き捨て、そのまま躊躇う事なく光の中へと体を沈めていく。

 ルイがその身を完全に消すまで、ゲインは指一本動かすことが出来ずにいた。





 あれは。

 あの時の恐怖は、人間が出せるものじゃない。

 そう。

 それは彼が初めて『魔族と出くわした時』に抱いた恐怖感に、酷く似ていた物だった。





 ガットが完全に壊滅したと言う事を隼とツェッペリンが知るのは、この一件から暫く経ってからの事だった。

 ルイがそれを知るのは、かなり先の事だった。


第一部完。

次から第二部、異世界編です。

次回「脱出」


撃ちます撃ちます

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