第41話 令和
3月の終わり。
柏木システムズのオフィスの隅、窓際の二つのデスク。
卒業した翌週から、俺と颯太は、毎朝ここに「出社」するようになっていた。
「湊、三好さんとこの見積書のシステム、改元対応のテスト終わったぞ」
「ありがとう。仕出し屋の予約画面の方は?」
「今やってる。和暦の表示、全部の画面で直さなきゃいけねえから、地味に面倒くせえんだよな」
颯太が、ぶつぶつ言いながらキーボードを叩いた。
――改元。
5月1日に、平成が終わって、新しい元号が始まる。
世の中のシステムの多くは、日付を「平成31年」のように和暦で表示している。役所の書類、請求書、契約書、カレンダー。それを、新しい元号に切り替える準備が、日本中で進められていた。
厄介なのは、新しい元号の名前が、まだ発表されていないことだった。
発表は、4月1日。改元まで、たった一か月しかない。
だから、どこのシステムも、「元号の名前は後から差し込めるように」作っておく必要があった。
三好工務店の紹介で、取引先の小さな会社から、改元対応の依頼がいくつも舞い込んでいた。一件一件は小さな仕事だけど、全部合わせると、まちオーダーの数か月分の売上になる。
◇
「……なあ、湊」
その日の夕方。
颯太が、自分の画面を見つめたまま、妙な声を出した。
「これ、何?」
「何が」
「仕出し屋の予約画面のテストデータ。お前が先週作ったやつ」
颯太が、画面を俺の方に向けた。
予約の一覧画面。日付の列に、こう表示されていた。
『令和1年5月3日 法事用仕出し 10名様』
『令和1年5月5日 こどもの日弁当 20個』
――。
血の気が、引いた。
「『令和』って、何?」
「……仮の、名前だよ」
声が、裏返りそうになった。
「元号、まだ決まってないだろ。テスト用に、適当な二文字を入れただけ」
「適当、ねえ」
颯太は、画面をじっと見つめていた。
「普通、テストなら『新元号』とか、『○○』とかにしねえ?」
「……なんとなく、それっぽい字を選んだんだよ」
「ふーん」
颯太は、それ以上は何も言わなかった。
ただ、テストデータを消さずに、そのまま保存した。
◇
4月1日、月曜日。午前11時半。
柏木システムズのオフィスでは、社員の何人かが、休憩スペースのテレビの前に集まっていた。
画面には、首相官邸の記者会見室が映っている。
「お前らも見ようぜ。歴史的瞬間だ」
柏木社長が、俺たちに手招きした。
俺と颯太は、社員たちの後ろに並んで立った。
――わかっている。
これから、官房長官が、額に入った墨書を掲げる。
午前11時41分。
画面の中で、白い紙に書かれた二文字が、高々と掲げられた。
『令和』
オフィスのあちこちから、「おお」「れいわ、か」という声が上がった。
俺は、何も言わなかった。
――隣から、視線を感じた。
颯太が、テレビの画面と、俺の横顔を、交互に見ていた。
目が、まん丸だった。
口が、ぱくぱくと動いている。でも、声は出ていなかった。
俺は、テレビの画面を見つめたまま、颯太の方を見なかった。
◇
会見が終わって、社員たちがデスクに戻っていく。
颯太は、無言で自分のデスクに座った。
それから、カチカチとマウスをクリックして、あの仕出し屋の予約画面を開いた。
『令和1年5月3日 法事用仕出し 10名様』
颯太は、その画面を、しばらく黙って見つめていた。
それから、ゆっくりと、俺の方を向いた。
「……湊」
「なんだ」
「去年の1月、俺、約束したよな。お前が何を知ってても、もう聞かねえって」
「……ああ」
「聞かねえよ。約束だからな」
颯太は、深く、深く息を吐いた。
「でも、一個だけ言わせてくれ」
「何を」
「お前、宝くじ買え」
――。
思わず、吹き出してしまった。
颯太も、つられたように笑い出した。
「笑いごとじゃねえよ! マジで鳥肌立ったんだからな!」
「悪い」
「悪いじゃねえ! 『それっぽい字を選んだ』とか、よく真顔で言えたな!」
颯太は、笑いながら、自分の腕をさすっていた。本当に、鳥肌が立っていた。
ひとしきり笑ったあと、颯太は、少しだけ真面目な顔になった。
「……なあ。これ、お前一人で抱えてて、しんどくねえの」
――しんどくないわけが、ない。
でも、それを言葉にしたら、何かが崩れてしまいそうだった。
「……颯太が聞かないでいてくれるから、大丈夫だ」
「そっか」
颯太は、それ以上は何も言わなかった。
代わりに、画面のテストデータを、そのまま本番用の設定ファイルにコピーした。
「じゃあ、この『仮の名前』、そのまま使わせてもらうわ。どうせ直す手間省けるし」
「……頼む」
◇
その日の夜。
改元対応を依頼してくれた会社すべてに、「新元号の反映が完了しました」という連絡を入れた。
どこよりも早かった。発表から、わずか半日。
三好さんから、電話がかかってきた。
「相沢くん、もう終わったのかい? 取引先の別の業者さんは、来週になるって言ってたのに」
「準備しておいたので」
「さすがだなあ。……実はね、うちの組合の他の工務店からも、相談されてるんだ。紹介してもいいかな」
「ぜひ、お願いします」
電話を切ってから、颯太と顔を見合わせた。
颯太は、呆れたように首を振った。
「……お前と組んでると、心臓いくつあっても足りねえわ」
窓の外では、夕暮れの空に、春の雲が浮かんでいた。
平成の、最後の一か月が、始まろうとしていた。
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