第01話 午前3時14分
2027年4月7日、午前3時01分。
サーバールームの空調は、春だというのに真冬みたいに冷たかった。
「相沢! まだ戻らないのか!」
スマホのスピーカーから、三上部長の怒鳴り声が割れて響く。
「今、ロールバックを試してます。でも差分が多すぎて……」
「言い訳はいい! 朝の勘定系オープンまでに戻せなかったら、ウチは終わりだぞ!」
通話が切れた。
俺――相沢湊、30歳。三次請けSIerのシステムエンジニア。
肩書きだけは立派だが、実態は元請けの下請けの、さらに下で働く「障害対応要員」だ。
モニターには、赤いエラーログが滝のように流れ続けている。
原因はわかっていた。
元請けが鳴り物入りで導入した、AIエージェントによる基幹システムの自動改修。人間のレビューを「効率化」した結果、深夜の自動デプロイが連鎖的に依存サービスを書き換え、今やどこが壊れているのか誰にもわからない。
「……こんなの、人間一人で直せるわけないだろ」
誰もいないサーバールームで、俺は乾いた笑いを漏らした。
去年からAIに仕事を奪われ、Javaの保守案件は半分に減った。残ったのは、AIが壊したものを夜中に直す仕事だけ。
缶コーヒーはとっくに空だ。最後に家で寝たのは、いつだっただろう。
◇
キーボードを叩きながら、ふと、どうでもいいことを思い出す。
――10年前。専門学校2年の春。
あの頃の俺は、まだ未来に期待していた。
卒業して、ちゃんとした会社に入って、ちゃんとしたエンジニアになるんだと。
現実は違った。
専門卒で入れたのは、名前も聞いたことのない下請けの会社。月100時間の残業。気づけば20代は、全部モニターの前で溶けていた。
後悔なら、数えきれないほどある。
ひとつめ。母さん。
2023年、進行がんが見つかったときには、もう手遅れだった。健康診断なんて何年も受けていなかったらしい。「忙しいだろうから」と、母さんは入院するまで俺に連絡しなかった。
俺はその年、一度も実家に帰らなかった。
ふたつめ。結衣。
同じ専門学校に通っていた幼馴染。2020年の春、緊急事態宣言で会えなくなって、電話のたびに喧嘩をして――俺は彼女の話を、ちゃんと聞かなかった。
風の噂で、結婚したと聞いた。相手は俺じゃない。
みっつめ。颯太。
専門学校で一番の天才だった親友は、仮想通貨に人生を狂わされた。
2017年の12月、あいつは笑いながら俺にスマホの画面を見せてきた。
『見ろよ湊、ビットコイン233万! 俺、億り人になれるかもしんねえ!』
翌月、あいつが使っていた取引所は不正アクセスを受けて出金が止まり、身動きが取れないまま、ビットコインは見る影もなく暴落した。そこから颯太は、取り返そうとして怪しい投資話にのめり込み――やがて連絡がつかなくなった。
233万円。
あの数字だけは、なぜか今でも覚えている。
「……あの時、俺も買ってりゃなあ」
そうしたら、何か変わっていただろうか。
母さんを、ちゃんとした病院に連れて行けただろうか。
結衣の話を、聞く余裕があっただろうか。
颯太を、止められただろうか。
◇
午前3時10分。
視界の端が、じわりと暗くなった。
まずい、と思ったときには、指先の感覚がなかった。心臓が、変なリズムで跳ねている。
それでも、目だけはモニターから離せなかった。
ログの最後に、見覚えのないコミットが表示されていたからだ。
commit 7a3f…
Author: unknown
Date: 2027-04-07 03:14
revert: 2017-04-07
「……なんだ、これ」
誰が書いた? どのリポジトリだ?
2017年4月7日――ちょうど10年前の、今日。
意味を考えるより先に、椅子から体が滑り落ちた。
冷たい床。耳鳴り。遠くで鳴り続ける、サーバーのファンの音。
ああ、そうか。俺、ここで終わるのか。
30年。何も成し遂げられなかった人生だった。
――もし、もう一度やり直せるなら。
今度は、間違えない。
午前3時14分。
モニターの光が、真っ白に弾けた。
お読みいただき、ありがとうございます!
深夜三時です。初めての連載になります。
次回、湊が目を覚ますと――。
本日中にもう何話か投稿します。
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