78. 問題児が勝利した頃 2
部屋にいた三人の脳裏には、ある一つの言葉が浮かんでいた。
『翼』。
それはドラグシア王国に所属する、最強の魔術士6人にのみ与えられる畏怖の称号。
彼らの逸話は人族領だけに留まらず、あらゆる地域に広まっている。
ベレールはある日を境に、レイシスがその『翼』から戦闘技術を学んだのではないかと考えていた。
「すみません。どういうことか、詳しくお聞かせ願えますか?」
「……つい先日の話だ。レイシスが素手で魔法を受け止める姿を見た」
それはレイシスとカールがケンカをした時に遡る。
彼女は現場に到着してからしばらくの間、一部始終を眺めていた。
厳密に言えば、呆けて眺めていた、と言うべきか。
それほどまでにレイシスの見せた技は、彼女にとって衝撃的だった。
「私は十年前、人族領で同じ物を見たことがある」
「それが『翼』だったと?」
「そうだ。初めて見た技術だったせいか、今でも頭に焼き付いている」
「私も覚えているよ。たしかあの男は『豊穣の翼』と言ったか」
昔を振り返るように話す二人だったが、何も知らないセルジはさらに質問する。
「たまたま似ていただけ、という可能性は?」
「無いな。身体の重心も安定していたし、思わず掴んだといった感じでもなかった。それに姿勢が全く同じだったんだぞ? 偶然とは考えにくい」
「ではレイシス君は……」
「十中八九ドラグシアの人間、それも『翼』と接点を持つ人物……ということになるだろうな」
彼女はそう言い放つと、顎に手を当て視線を落とす。
「そういえば、レイシスはフレイヤ様たちが拾ったんだったな」
「娘たちの話では、彼はイデア大樹海で迷っていたそうだ」
「となると『迷っていた』が事実かは知らないが、やはりドラグシアの人間と見ていいだろう」
イデア大樹海はエーリュスフィアとドラグシアを横断するように広がっている。
地理的に見ても、ベレールの考えは間違っていないと言える。
「アーベロン、これで分かっただろう。彼を防衛の要である騎士団に招き入れるのは危険だ」
「ここは一つ、私の観点から意見を述べさせてもらおう」
「団長……?」
ベレールの話を考えれば、誰もがセルジのような反応を示すだろう。
なぜならアーベロンの表情は、これまでと一切変わらない物だったからだ。
レイシスがドラグシアの人間である可能性。
かの『翼』と懇意であった可能性。
どれもエーリュスフィアの脅威になりえる。
だというのに、治安維持組織の長である彼は、まったく表情を変えていなかった。
「そもそも私は、もっと前の段階から彼の正体に不信感を抱いていた」
「ほう、具体的にはいつ頃だ?」
「最初に違和感を感じたのはフレイヤの誘拐事件だな」
彼が言う事件。
それは教師に偽装した人間が学院に紛れ込み、フレイヤを連れ去った事件である。
アーベロンがレイシスを初めて見たのも、まさにその事件が解決した直後の事だった。
「彼の魔力には一切の乱れが視えなかった。身近で事件が起きたにも関わらずだ」
「エルフの目か」
「うむ」
一部のエルフは魔力を視覚的に捕らえることが出来る。
と、世間では言われている。
いわゆる都市伝説の類だが、それもそのはずだろう。
なにせこの能力を持つ人間は、エーリュスフィアが把握してる中では彼以外に存在しないのだから。
「でもそれだけで結論を出すのは、さすがに早計ではありませんか?」
「セルジ君の意見はもっともだろう。私も少し前までは同じ考えだったよ」
彼は一呼吸置く。
「……が、先ほどの試合で確信が持てた。彼はあれだけの剣さばきを見せた上で、一度だって魔力を乱していない。私が視た『豊穣の翼』と比較しても遜色ないほどにな」
「魔法の行使がスムーズだとは思っていたが、お前にそこまで言わせるか……」
やがて静まり返る室内。
最初に口を開いたのはアーベロンだった。
「さて、ここで一つ疑問が残る。これほど優秀な人間が、亜人領にまで来た理由はなんだと思う?」
「エーリュスフィア、ひいては亜人領の内情偵察でしょうか?」
「いや、それは無いだろう。レイシスの経歴には穴があり過ぎる」
偵察……つまりスパイを行う場合は入念な準備が行われる。
それは常識のことであり、どの国であっても変わらない。
ではレイシスの場合はどうか。
学院に入学する前の情報が欠けており、出自や家族構成だって不明。
そのうえ事件現場に顔を見せたり、目立つレベルで生徒とケンカもしている。
ベレールの言う通り、レイシスはあまりに目立ちすぎていると言えた。
「これまでの話を考えるに、レイシスはフレイヤ様を狙っていると私は見ている」
「つまり彼がエリオラ機関の人間であると?」
「その可能性も当然あるだろう。…………いや待て、誘拐事件の際はむしろ助けている……のか?」
アーベロンは二人が頭を悩ませている様子を見ると微笑む。
「レイシス君は我々に害をなす存在だと、はたしてそう言い切れるだろうか?」
「たしかに現時点では難しいが……」
「彼は間違いなく逸材だ。もし手を取り合う事が出来れば、エーリュスフィアに大きな利益をもたらすだろう」
「言いたいことは分かるが、やはり奴は危険すぎる。それに近衛がこの事を知ったらどうするつもりだ?」
「管轄が違うのだから口出しは出来ない。――そうだろう?」
「はぁ……。お前というやつは……」
ベレールは大きくため息を吐くと立ち上がる。
「――今日私はここに来ていない。それで構わないな?」
「そうしてもらえると助かる。迷惑をかけてすまないな」
「一応警告はしたからな。もうどうなっても知らんぞ」
「頭の片隅には留めておこう」
何度言っても、考えを変える気がなさそうなアーベロン。
そんな彼を見たベレールはもう一度ため息を吐くと、静かに客室を後にした。




