38. 異端の翼は確信する
「――!」
一足遅れてフレイヤに追いついた瞬間、目の前の光景に目を見張る。
凶暴なことで有名な魔獣、ファーウルフ。
だが問題はそこじゃない。
ファーウルフは本来灰色の体毛を持っている。
にもかかわらず、目の前のそれは全てが黒い。
こんな場所にいるわけがない、黒いファーウルフだ。
今はフレイヤの魔法で拘束されているようだが……。
「フレイヤ!」
「あ、レイシスさん!」
魔獣は自身に絡みついていた木々を強引に引きちぎる。
さらにフレイヤに向かって跳躍、鋭い爪を振りかぶった。
もちろん彼女に触れさせる気はない。
「《"ガスト"》――!」
魔獣の横で発生した突風の壁。
それは敵を横から殴りつけ、フレイヤへ向かっていくはずだった進路を無理やり変える。
真っすぐ飛んでいく先は俺の目の前。
あれに対して手を抜くのは非常に危険だ。
「潺の書、第三章、第十二節より引用――」
詠唱しながら手のひらを広げ、標的の眉間に狙いを定める。
フレイヤがすぐそばにいる以上、選ぶべきは必殺だ。
「――《"グングニール・コンバージョン"》」
飛んで行く水の球はひどく小さい。
せいぜい親指程度、といったところだろうか。
だがこの状況で一番適している魔法。
地味な見た目からは想像もつかない、殺傷力に特化した軍用魔法だ。
やがて敵に当たった水球が「ぴちゃん」と音を立てる。
例えるなら結露が一滴、地面へ落ちる音だろう。
そんな程度の小さな音。
だがそれはこの一瞬のみ。
次の瞬間、魔獣の体から無数の槍が体を突き破っていく。
着弾点から放射状に伸びた氷の杭だ。
「ガッ――」
魔獣は悲鳴を上げようとするが、突然喉から生えた氷がそれをさえぎった。
俺は氷の壁を生成、勢い余って転がって来る死体を受け止める。
さらに念のため《"フロスト・ルート"》で地面に縫い付けておく。
手ごたえは確かにあったが、警戒しておくに越したことは無いだろう。
「レイシス様……」
後ろから歩いて来たアリシャが囁いてくる。
いまの今まで、バックアップに徹してくれていたのだろう。
「一応本物か確認しておいてくれ」
「分かりましたわ」
続きはアリシャに任せ、まだ木陰で震えている奴らの元へ向かう。
フレイヤが魔法を掛けているが、ケガでもしたのだろうか。
「レイシスさん、さきほどの魔法は……?」
「前に話した司書のバイトは覚えてるか? あの頃に偶然見つけたんだ」
「一体どんな図書館で働いてたんですか……」
「人なんてほとんど来ない、ホコリだらけの広い場所だよ」
厳密に言えばほとんど来れない、だが。
まぁ嘘はついていない。
そうやって適当に誤魔化した俺は、一番近くに座っている男に視線を移す。
「ちょっといいか」
他に同じ魔獣を見なかったか聞く必要があった。
だからわざわざ話しかけたのだが、男は突然大きく後ずさる。
もう見飽きたあの表情だ。
「なんなんだよ! あの化け物も、お前も――!」
この様子だと話が出来そうなのは……アイツだけか。
アリシャに唾を吐きつけて来た奴だ。
顔を見るだけでイライラしてくるが仕方ない。
「お前は他に魔獣を見たか?」
「もっと、もっといたんだ! そこら中に……」
男の答えを聞き、ハっとなった時だ。
フレイヤが突然立ち上がり叫ぶ。
「アリシャさん!」
急いで振り返る。
アリシャはまだ死体の確認をしている途中だ。
その背後の草むらには黒い影が三つ。
影たちはまったく同じタイミングで飛び出してくる。
フレイヤはさらに叫ぶ。
「ダメ――!」
いや、大丈夫だ。
もうアリシャは魔法を張り終えている。
「……とっくに気づいていますわ」
スカートの裾がふわりと揺れた。
次の瞬間、走り出す寸前だった魔獣の首が一斉に飛ぶ。
さらに前足、後ろ足と立て続けに切り落とされ、バラバラにされていく。
「レイシス様に任された仕事が終わっていませんの。邪魔しないでくださる?」
疾風の書、第六章、第一節《"アーカディア"》。
彼女が第零小隊に加わったあと、最初に完成させた研究成果だ。
この魔法を使った彼女に近づくのは不可能に等しい。
やがて魔獣がピクリともしなくなり、魔法が解けたのを見て彼女に駆け寄る。
「ケガはないか?」
「ええ、お気遣いありがとうございます」
「悪かったな。こんな近くにいるのは予想外だった」
俺が戦っていた時、同時に攻撃を仕掛けて来ていてもおかしくない近さだ。
物音ひとつなかったため、てっきりいないものだと判断してしまった。
「わたくしも少し油断しましたから……。ところでこの魔獣の件なのですが……」
「もう終わったのか。結果はどうだった?」
アリシャは一呼吸置くと続ける。
「体の造り、魔力反応、識別コードの存在。すべてが本物であることを証明していますわ」
「やっぱりか……」
想定していたとはいえ驚きだ。
ファーウルフは魔獣の中でも身体能力が高い部類に入る。
また繁殖力も高く、数を増やしやすい。
結果、ある国で兵器として運用する手法が取られた。
それがこの改造・調教された魔獣、黒いファーウルフだ。
『フェロシティ』と名付けられたコイツとは何度も戦った経験がある。
問題はその『ある国』の場所だ。
あまりにもここから離れすぎている。
考えられるのは野生化した個体。
あるいは廃棄された物を回収し、再利用した線もなくはないが……。
どちらにしろ、こんな場所まで持ってくるのはかなり厳しいはずだ。
「ちなみに製造時期は分かりそうか?」
「識別コードを見るに数週間前、だとは思うのですが……」
つまりこの魔獣は間違いなくあの国で作られ、亜人領であるここに投入されたという事になる。
「思っていたより根は深そうだな」
「ではやはり、魔力濃度を変化させる実験を?」
「最悪のパターンだな」
大気中の魔力が急激に変化する現象。
敵は人為的に起こせることに気づいたのだろう。
そして『フェロシティ』の存在だ。
コイツを生み出し、運用していたあの国は一度同じ現象を経験している。
――いや、経験させたと言うべきか。
ともあれ今回の元凶と決めつけるにはまだ早い。
が、あの国が関わっている事に疑いの余地はない。
黒い魔獣を作り出した『ある国』。
それはつい最近まで、ドラグシアと争っていた人族領の国。
「戦争はまだ終わっていない、か……」
そしてアリシャが生まれ、死んだ国だ――。




