35. 異端の翼は方針を練る
猶予は三日、といったところだろうか。
ミーリヤの容態は安定したが、それでもただの時間稼ぎでしかない。
人間は空気にすぐ左右されてしまう生き物だ。
魔力が過剰だと彼女のようになってしまうし、逆に少なくても今度は別の問題が出て来る。
だからといってこの現象が問題視されることはあまりない。
通常であればこんな急激に空気が変わることなどあり得ないからだ。
災害や魔獣、はたまた強力な魔物が原因によるものなど……。
例を上げれば他にもあるが、どれも頻繁に起こるような事じゃない。
むしろ一度も被害に合わず、寿命を迎える者の方が多いくらいだろう。
俺はブレスレットを外してミーリヤの手首に通す。
様々な測定を誤魔化すためにノーラが作った魔導具。
その動作原理はとても単純だ。
装着した人間の魔力を常時吸収することで、放出される魔力量を制限する。
魔術士ランクを偽装するにはこれだけでいい。
一言でいえば、付けるだけで魔力を弱めることが出来る装置だ。
そして魔力酔いは魔力が強い人間ほど悪化する。
コイツを使えば当然症状も緩和することができるはずだ。
「大事な物なんだから、あとでちゃんと返せよな」
俺はスヤスヤと眠る彼女に言葉を掛けて立ち上がる。
ここからは時間との勝負になるはずだ。
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「ういーっす。終わったぞー」
すべて済ませて外に出た俺は、待っていた二人に声を掛ける。
「お姉ちゃんはどうですか?」
「今は気持ちよさそうに寝ているな。これでしばらく大丈夫だ」
「よかった……」
フレイヤは『心底ホッとした』といったような表情になる。
さっきは俺に任せてくれたが、やはり心配だったのだろう。
「念のためミーリヤの顔でも見てきたらどうだ?」
「もう入っていいんですか?」
「もちろんだ」
そう伝えると彼女は小走りで中に消えて行く。
本当はもっと早く行きたかったのかもしれない。
フレイヤの様子を眺め、ドアが閉まるのを確認するとアリシャに向き直る。
「誰か来たか?」
「いえ、わたくしの索敵範囲内に入って来た人間は誰ひとりいませんわ」
彼女がそう言うなら問題無いだろう。
なんせ人払いでミスを犯したことは一度もないからな。
それ以外はまぁ……。
いや、今はそんな事どうでもいいか。
気持ちを切り替え、次に何をするべきか考えていた時だ。
アリシャがなにか言いたげにこちらを見ている。
「どうかしたか?」
聞きたいことがあるなら遠慮する必要はない。
そういった意味を込めて先を促すと、彼女は小さく口を開いた。
「……お使いになったのですか?」
たぶん異端書のことを言いたいんだろう。
ここから中、ミーリヤが寝ている場所までは目と鼻の先だ。
魔法慣れしている人間であれば、なにか魔法が使われたことくらい分かってしまう距離。
しかも相手はアリシャだ。
彼女は俺の魔法を何度も見ているし、なにが出来るのかも知っている。
ミーリヤの症状から、俺がなにをしたのかも予想がついているのだろう。
「必要だったんだよ」
そう軽く返したが、アリシャの不安そうな表情が崩れる気配はない。
「彼女はレイシス様にとって、そこまで価値のある方なのですか……?」
ひどくトゲのある言い方だ。
でも悪気がないことくらい分かっている。
アリシャは『異端書を気軽に使いすぎだ』と言いたいのだろう。
俺だっていつもなら使っていない。
もし彼女が見知らぬ人間なら確実に見捨てていた。
異端書が露見するリスクを避ける、その選択を取っていた。
だが今回の相手はミーリヤだ。
決して見知らぬ相手なんかじゃない。
「前に俺がした賊を追い払った話、覚えているか?」
「ええ」
フレイヤと出会い、ミーリヤと使用人たちを助けた時の話だ。
俺は恩を返すためだけに魔法を使った。
もちろん助けたいという気持ちはあったが、それでも使う魔法は大衆魔法に留めた。
端的に言えば手を抜いた、ということになる。
今みたいな長い付き合いになるなんて、あの時は考えもしなかったからな。
「魔法を使って助けたあと、ミーリヤは俺になんて言ったと思う?」
「それは……」
顔を伏せて言いよどむ。
この手の話を彼女はあまりしたがらない。
アリシャは右手で胸を押さえつけ、なんとか言葉を絞り出していく。
「またいつもと同じ……なのではないですか……?」
「残念、ハズレだ」
突然上げられたアリシャの顔はひどく気の抜けた表情だった。
そのせいで俺の口元が少し緩む。
いや、もしかしたらミーリヤのせいかもしれない。
「真っ先に『大丈夫なの?』なんて聞いて来たんだよ。面白いやつだろ?」
「それはまた……。ノーラさんのような不思議な方、他にもいらっしゃったんですね……」
彼女も表情を崩した時だ。
後ろのドアが開かれ、中からフレイヤが顔をのぞかせる。
「すみません、お待たせしました」
「早いな。もういいのか?」
「はい、大丈夫です。本当にありがとうございました」
お辞儀するフレイヤに軽く返した俺は、すぐさま次の話を切り出す。
一通り考えはまとまった。
あとは行動に移すだけだ。
「さて、今後の方針についてだ」
俺は立てた計画を二人に説明していく。
まず優先するべきはミーリヤだ。
どんな方法でも構わない。
とにかくこの場所から、どこか遠い所まで連れて行きたい。
次に原因の調査と対処だろう。
ここまでの規模と被害。
放っておけば町にまで影響が出ることは明白だ。
でも本当なら俺が動く必要はない。
今より被害が拡大すれば、騎士団が動員されるのは明白だ。
それでもダメなら冒険者に依頼が出される、なんてことだって考えられる。
じゃあなぜ、わざわざ危険を冒してまで動くのか?
それはひとつだけ引っかかる部分があるからだ。
この件については後でアリシャにだけ話しておこう。
フレイヤに聞かせるような話でもないしな。
「とまあ大体こんな感じだ。なにか質問はあるか?」
二人の顔を見て確認する。
アリシャは大丈夫に違いない。
なんなら俺がこんなことを言い出した理由も分かっていそうな顔だ。
対してフレイヤだが……。
「わたしたちだけで大丈夫なんでしょうか?」
不安になるのは当たり前だろう。
フレイヤはまだ魔術士見習い、それもつい最近まで屋敷で平穏に暮らしていた身だ。
俺だって彼女を連れて回る気はない。
危険なのは分かっているのだから、本当なら付いて来て欲しくないぐらいだ。
「安心してくれ。無理なら無理で、最悪騎士団にでも押し付ける予定だ」
というか口には出していないが今回の事件、正直解決する気はあまりない。
あくまで『引っかかる部分』の確認と対処がしたいだけだ。
少しでも逃げるべきだと判断したらすぐ諦めてここを捨てる。
仮に人が住めない土地になったとしても、だ。
俺程度がすべてを救うなんてのは不可能だ。
手の届く範囲、せいぜい顔見知りを助けるぐらいが関の山だろう。
「とりあえず先生になにか移動手段がないか聞いてみるつもりだ。あとは近くの町の状況が分かるといいんだが……」
もし町の方が安全ならかなり早くミーリヤを楽にしてあげられる。
今はそうなることを願っておこう。
「とにかく砂浜に行くか。そろそろ向こうも落ち着いてきた頃合いのはずだ」
治療術士の彼が向かってからそれなりに経っている。
今ならベレールも、ちゃんと取り合ってくれるはずだ。




