112. 問題児はやらかす
豪華というには程遠く、質素というには小綺麗すぎる。
そんな感想が真っ先に浮かんだ宿の一室。
俺は重くもない荷物を隅に立てかける。
すると後から入って来たフレイヤが扉を締め、「カチャ」っという不穏な音が響いた。
Aランク魔術士に挟まれた形での密室。
この状況はまさしく。
「誘拐か」
「ちがうわよ!」
まばたきした次の瞬間には頭を叩かれていた。
驚くべき速さだ。これが伝承に聞く縮地という奴だろうか。
「わざわざ鍵を締める必要なんてないだろ」
「それはフレイヤが勝手にやったの!」
言われて振り返る。
「じ、自分でも分からないんです! 気付いたらもう鍵を閉めていて……。その、場の雰囲気といいますか……。誰にも邪魔されたくなかったといいますか……」
つまり無自覚の狂気か。
「フレイヤ、お前はそんな恐ろしい子だったのか……」
初めて翼と対峙し、ボコボコに殺されかけた一戦。
その記憶を思い浮かべながら後ずさる。
恐怖と絶望、そして無力感で染められたオーラに表情。
うむ。我ながら完璧な演技――。
「えっ……? えぇぇ!? そ、そんなに怯えないでくださいよぉ!?」
完璧な演技なのだが、それ故にフレイヤがいきなり慌て出した。
ちょっとやり過ぎたか。
「って泣くな泣くな。俺が悪かったって」
突然涙を流してしまったフレイヤに近づき、謝りながら頭を撫でる。
「冗談に決まってるだろ」
「分かってはいた……んですよ? でもレイシスさんが世界の終わりみたいな顔で……すごい顔で見返して来たので、わたしも怖くなっちゃって……」
「いや、うん。ほんとごめん」
『女性を泣かせたときは男が悪い』。
別にアリシャの教えに従ったわけじゃないが、流石に今度ばかりは俺に非がある。
「世界の終わりって、一体どんな表情よ……」
「こんな顔だ」
俺はさっきの名演技をミーリヤにも見せる。
当然嘘だと分かっているはずだが、相当顔を引きつらせていた。
「よくできるわね、それ」
「おいおい褒めんなって。照れるだろ」
「多分褒めてないと思います……」
言わないでくれ。薄々そんな気はしてたんだ。
「はぁ、この話はもういいだろ。さっさとシャワー浴びて寝ようぜ」
明日はなにか予定があるわけじゃない。
だからと言って夜更かしする理由もないだろう。
「待って、もう寝ちゃうの!? いつも昼間に寝てるのに!?」
「一言余計だアホ」
俺だって好き好んで居眠りしてるわけじゃ……。
「……いや、少しあるな」
だが待って欲しい。ちゃんとした理由もある。
昼間は学校に拘束される以上、自由に使える時間が夜しかない。
寝不足になるのも仕方ないだろう。
「あーアレだ。今日は早寝したい気分なんだ」
理由としてはこんなもんで良いか。
「それ絶対適当に言ってるわよね」
「言ってますね」
二人そろって睨まないでくれ。
しかしこのままだと埒が明かないな。
放って置いたら本当に夜更かしコースだ。
「とにかく俺はシャワー浴びて来るぞ。そんじゃ」
言いながら着替えを取り出し、さっさと部屋の入口まで向かう。
「あの、シャワーはこっちですよ?」
フレイヤが指差す先は俺の進行方向とは全くの別。
もちろん言われる前から知っている。
「まさかこの期に及んで逃げる気じゃないでしょうね」
「心配すんな、ちゃんと戻って来る。荷物だってそこに置いたままだしな」
俺は制止する声をよそに、そう告げてこの場を後にした。
同じシャワー室を使えば『着替えを見てしまった』だとか、『裸を見てしまった』だの、死ぬほど面倒なトラブルが起こるのは分かり切っている。
わざわざ見える地雷を踏み抜く趣味はない。
よって俺が取る行動はひとつ。
「ういーっす。失礼するぞー」
「なんだロズウィリアか。貴様一体何をしに来た」
肌にうっすらと浮かぶ汗。無駄のない肉体美。
不機嫌そうに振り返るライエンは、たくましい腹筋を向けて来た。
どうやら今まさにシャワーを浴びる寸前だったらしい。
「……すげえタイミングだな」
「なんだと?」
「いや、気にするな。ひとり言だ」
コイツが同性でほんと良かった。
それにしても、意外としっかり鍛えてるんだな。
「いいからさっさと入れ。後で俺も借りるからな」
「自分の部屋で浴びればいいだろう」
「少しは頭を使え。俺の部屋はフレイヤたちと一緒なんだぞ」
同じシャワーを使う危険性を言外に伝える。
「――! なるほどそういう事か! それは羨ま――」
ギリギリだった。
もし最後まで口にしてたら、思わず殴っていたかもしれない。
「――ゴホン! とにかく事情は分かった。すぐに済ませるからそこで待っておけ」
「言われなくてもな」
バツが悪そうに消えていく彼を尻目に、俺は適当な壁に背を預けた。
「ははっ、ほんと面倒な一日だな。…………しかしまぁ、これも悪くない」
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一日の汚れを洗い流し、さっぱりした気分で廊下を歩いていると。
「こんな時間に外出か?」
軽く身だしなみを整えたテルラとばったり出会った。
窓の外はだいぶ暗い。女性ひとりで出歩く時間にしては、やや遅すぎる気もするが。
「少々気分を変えようと思いまして」
「珍しいな。俺もちょうど夜風を浴びようと思っていたんだが、よければ一緒に行くか?」
「いえ、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
どうやら嘘をついた事に気付いているらしい。
だが声が少し、本当に少しだけ震えていた。
まるで意地を張っていた頃のフィリアみたいだ。
「無理しなくていい。そんなに一人が不安だったのか」
「い、いえ。そういう訳では……」
逃げる様に歩き出そうとした彼女の手を掴む。
経験上、こういう時はちょっと強引なぐらいが丁度いい。
「気付けなくて悪かった。すまない」
テルラはずっと一人だった。
周囲に友達はおろか、仲間と呼べる相手さえおらず、四六時中気を張る毎日。
もしそんな状況で生活し続ければ、おかしくなっても不思議じゃない。
いや、テルラは実際おかしくなっていた。
今だってマシになった程度だ。治ったわけじゃない。
そんな事は俺が一番よく分かっていたはず。
だというのに、彼女が抱える孤独感にすぐ気付いてあげることが出来なかった。
表面上は問題なかったせいで、順調に回復しつつあると勘違いしていた。
「本当にすまない」
「ご主人さまは何も悪くありません。それに――」
テルラは振り返ると俺の目を真っすぐ見る。
「このまま頼り続けていては、一生変わることなんて出来ませんから」
「……」
今の彼女からは、さっき感じた不安感はもうほとんど感じられなかった。
それにこうも強く言われてしまえば、これ以上口出しなんて出来やしない。
俺は掴んでいた手をそっと離す。
「なにかあれば、いつでも魔導通信を飛ばしてくれて構わない」
「はい。ありがとうございます」
どうやら今日も寝付く時間が伸びそうだ。
そんなことを考えながらテルラと別れ、気持ちを無理に切り替えて、寝床へ続く扉に手を掛ける。
「ほれみろミーリヤ。言われた通り、ちゃんと戻っ――」
思わず動きが止まった。
というよりは、完全に思考が停止した。
「レイシス……さん…………?」
水色だった。
ちょっとしたワンポイントが可愛らしい、レース地の淡い水色だった。
「た、ただいま……?」
別に見惚れていたわけじゃない。
いやフレイヤが見惚れるほどの体じゃなかったとかそういう意味でもない。ただ単純に突然の出来事で固まってしまっただけに過ぎず、むしろフレイヤの透き通るような白い肌はとても綺麗でそれこそ見惚れるほどに美しい。でも見たくて見続けているという事は断じてない。そこは勘違いしないで欲しい。ほんと誤解しないで欲しい。
……一体誰に言い訳しているんだ、俺は。
「ひっ――――!?」
今さら頭が冷えて来たがもう遅い。
「いやぁああああ!!」
悲鳴を上げながら後ずさり、両手で体を覆い隠すフレイヤ。
「最悪のパターンだ……」
こうなることを避けるため、ライエンの部屋に押しかけたというのに。
最後の最後で気を抜いてしまった。
視界の端で腕を振りかぶるミーリヤが映るが、避ける気なんてさらさらない。
というか、避ける権利なんて俺にはない。
静かに目をつぶる。
やがて脳が強く揺れたかと思えば、俺は一瞬で意識を飛ばされた。




