~第8話~
ガツン、と鈍い音が森の中に響く。
(どうだ!)
頭の痛みを我慢しながら、倒れこもうとする少女に目を向けるハル。
(頼むから、気絶しててくれよ)
心の底からそう願った。
しかし、
(っ!?)
少女は踏みとどまった。
つまり、意識は飛ばされていない。
(浅かったか!)
その瞬間、二人は同時に動いた。
ハルはすぐさま後ろに跳び、少女は右手の刀を振った。
「…………」
「…………」
ハルと少女の間に距離が生まれ、ほんの少しの間だけ、静寂が訪れた。
「……やっぱり、そんなに上手くいくわけないか」
そう呟いたハルの腹から、血が噴き出す。
少女の刀を完璧には避けきれなかったのだ。
「はは……やっぱり痛いな」
脂汗をかきながら腹を押さえるハル。
その横一筋の切り傷はそれほど深くはないが、無視できるレベルではない。
「……痛み分けだ」
顔を上げた少女の額からも、頭に巻いたハチマキが真っ赤に染まるほど、血が流れている。
意識こそ失わなかったが、十分なダメージは受けたようだ。
「……一つ、いいか?」
「? 何ですか」
「何故、氣を使わない?」
低い声で問う少女。
その声色には苛立ちと怒りが含まれている。ハルが手を抜いていると思っているのだろう。
「……俺、育った環境が少し特殊なんで、そういうのが出来ないんです」
そんな少女の心境を読み取ったハルが、慎重に言葉を選んで答える。
「出来ない? ……手を抜いているわけではないと?」
「はい。誓って」
少女の目をまっすぐ見て、ハルは言う。
「……そうか。だったら、私はお前に謝らないといけないな」
「? 何にですか?」
「お前が手を抜いていると思ったことに。それと」
(……空気が変わった)
ハルの背中を冷や汗が垂れる。
「私が手を抜いていたことをだ」
少女の氣が、辺りの空気を刺激して、パチパチと木々が震える。
「悪気はなかったのだが、すまなかったな」
「いえ……」
ハルの汗は、止まらない。
「私の名前は【冬樹五月】。お前は?」
「……天城ハルです」
「天城か……これで、私達は対等になった」
ほほ笑みながら五月は刀を構えた。
「言っておくが、今の私は強いぞ」
「……でしょうね」
この緊張感では、ハルも軽口を叩くことが出来ない。
一迅の風が流れ、小さな枝が二人の中間に落ちた。
「ふっ!」
「っ!」
ハルは身体を引いた。瞬間、左肩から右のわき腹にかけて、一筋の切り傷が生まれ、血飛沫が飛んだ。
ハルの前には、刀を振り切った体勢の五月がいる。
(くそっ、避けきれなかった)
歯を噛み締めるハル。
五月の動きは確かに速かったが、見えなかったわけではない。腹の傷を差し引いても、避けられる攻撃だった。
だが、気圧されたのだ。
(気迫が違う……これが、冬樹さんの本気)
今の五月でも、ルークの半分の力もないだろう。しかし、ルークの半分の力と今の五月が同等か、と言えば、そうではない。絶対に勝つという気持ちが、レベルを格段に上げるのだ。
(これは……一瞬でも気を抜いたら、やられる!)
幸い、今の一撃の傷口は浅いので、動きに支障はない。
五月の刀が、再度、ハルに迫る。
(落ち着け、無駄に昂ることなく、冷静に、自分を見極めろ)
[桜舞]
「!?」
五月の攻撃が、すんでの所で避けられる。
「ふっ!」
ハルの掌低が、五月の顎を襲う。
それを、顔をずらしただけでかわした五月が、刀を横に薙ぐ。
しゃがんで五月の刀をやりすごすハル。
(攻撃が当たらない。あの傷でこの動きか……流石に、やるな)
(やばいな……腹だけじゃなくて、肩の傷も開きかけてる)
何度かそんな攻防が続き、二人は互いに距離を取った。
(普通の攻撃では駄目か……ならば!)
足に力を込め、ハルの頭上に跳んだ五月が、
「[雨剣]!」
連続突きを放った。
「そういうのを避けるのは、得意ですよ」
焦ることなく、舞うようにそれらの突きを全てかわしていくハル。
しかし、この攻撃が避けられることは、五月も百も承知だ。
「なら、これはどうだ!」
「!?」
上を見上げたハルは、≪空中≫で、足に力を溜めている五月を見た。
(あれは、確か『空歩速』だっけか。足に氣を溜めて空気の層を、って……ヤバイ!)
「[一本雨]!」
五月は、爆発的な脚力で空中を蹴り、自分の身体ごと、渾身の突きを放った。
(受け……絶対無理!)
ハルはその場をすぐさま離れた。
一瞬後、五月が轟音をたてて地面に激突する。
衝撃波が辺りに撒き散らされ、周囲の木々が大きく揺れた。
「ぐっ!」
衝撃の煽りを受けたハルが、巨木に身体を打ち付ける。
「はぁ!」
五月は後を追う形で跳びあがり、刀をふるった。
「!?」
足に力を込め、ハルは地面に向かって跳んだ。
直後、巨木が五月の刀で真っ二つにされた。
(よ、容赦無しだな……下手したら、死んでるぞ。って)
「またかよ!」
五月は、先程と同じように、空中で足に力を溜めている。
(しかも、こっちは空中で身動きがとれない!)
「終わりだ! [一本雨]!」
一つの巨大な矢と化した五月が、ハルを襲った。
(くそっ! ……一か八か!)
ハルは目を閉じ、足に意識を集中させる。
そして、五月が一撃目と同じように、轟音をあげて地面に激突した。
「…………」
砂煙が立ち上る中、五月はゆっくりと立ち上がり、下を見る。
そこに、ハルはいない。
(まさか……)
「いって~」
「!」
声のした方を向く。
その先には、木に身体をぶつけたハルがいた。
「……空歩速が使えたのか?」
「いえ。前に何回か見たことはあったんですけど、やったのは初めてです。まぁ、勢い余って木にぶつかっちゃいましたけど」
ハルは苦笑しながら、地面に降りた。
(……私の刀は確かに天城に当たった。だが、その瞬間、私が視認出来ない速さで、こいつは空を移動した。しかも、殆ど溜め無しで、だ。……一体、あの一瞬で、どれだけ爆発的な氣を使ったんだ)
刀を握り締める五月。その口元が緩む。
(面白い)
五月は構え直し、ハルに目を向けた。
「さあ、行く……?」
そこで、ハルが斜め上を向いていることに気付いた。
明らかに、よそ見をしている。
(なん、っ!?)
恐ろしいプレッシャーを感じ、すぐさまハルと同じ方に目を向けた五月が、その人物を見て、
「……最悪、だ」
と呟く。
(同感ですよ、冬樹さん)
先にその人物に気付いていたハルが、自分の運の悪さを呪いながら、五月の呟きに同意する。
「…………」
二人の目線の先では、≪最強の鬼≫が、口元に笑みを浮かべながら、二人を見下ろしていた。