~第4話~
「……あれ?」
見知らぬ天井が、ハルの目に映った。
「…………あ、そっか。ここ、東京だ」
たっぷり数秒使い、今の現状を理解する。
「時間は……七時。……時差ボケなんてものとは無縁だな、俺」
なんて一人で呟き、布団から出た。
「んっん~……さて」
身体を解し、完全に目を覚ましたハルは意気揚々と身支度を始めた。
*****
「おはようございます」
「おはよう、ハル君」
「おはよう」
居間にはすでにミキと千がいた。
「すぐに朝ごはん用意するから、座って待ってて」
「はい。ありがとうございます」
台所に向かうミキと入れ替わるように、ハルは千の対面に座った。
「二人とも、早いですね」
「別に、普通。……それより、試験はいつから」
「確か……九時に桜楼学園集合でした」
「そう」
相変わらず、無表情のままの千。
(朝も変わらないんだな、千さん)
「……あ」
そこで、ハルはあることに気づいた。
(そう言えば……俺、桜楼学園の場所知らないじゃん)
「……何?」
「あ、いえ。……ここから桜楼学園までの道を知らないな、ってことに気付いて」
「そう」
「まぁ、地図を見ながら行けばいいんですけど」
「……この辺りは、道が入り組んでる……地図を見ても迷うことがある」
「そ、そうなんですか」
千の言葉に段々と不安が募っていく。
「でも、私と大家さんも一緒に行く……だから、大丈夫」
「あ、一緒に来てくれるんですか?」
「……昨日、言った」
「そう、でしたね。ありがとうございます。千さん」
「ハルは、意外に抜けてる」
「……返す言葉も無いですね」
「そう」
(あれ……今)
ハルの目には、千が少しほほ笑んだように見えた。
しかし、今は無表情でお茶を飲んでいる。
「……何?」
「あ、いえ……」
本当に気のせいだったのかもしれないが、ハルの顔は自然と緩んだのだった。
*****
東京には、桜楼を含め、五つの学園が存在する。
様々な例外はあるが、東京在住の少年少女は、その≪五学園≫に入る前に、≪中学園≫と呼ばれる教育機関を卒業しなければいけない。楠木兄妹もそこを卒業してから、桜楼に入っている。
そして、東京の外の者は≪特別入学試験≫に合格したら、それぞれの学園に特別入学出来る。
ちなみに、桜楼の特別入学試験は、≪頭脳試験≫と≪実技試験≫に分かれており、ハルが受けるのは実技試験だ。
「わっ、多いですね~」
ハルが驚きの声をあげる。
おおそよ数百人の入学希望者が、桜楼学園内にある施設≪コロッセオ≫に集まっていた。その中には、ハルの倍以上はある図体を持つ獣人や、鎧を着込む者などもいる。
「仮装パーティーみたいね」
「…………」
付き添いに来たミキが可笑しそうに言い、千は興味なさそうにぼーっとしている。
(そう言えば……蓮華さんと健吾さんは来てくれたのかな)
ハルは辺りを見渡すが、人数が多すぎてよくわからない。
「どうしたの、ハル君?」
「ちょっと、人を」
探してまして、とハルが言おうとした瞬間、アナウンスが流れた。
『これより特別入学試験・実技を行います。御観覧をご希望の方は、お手数ですが、観覧席でお願いします』
コロッセオという名前の通り、ここには闘うための空間≪闘技場≫と、それを丸く囲むように≪観覧席≫が設けられている。
「じゃあ、私達はそっちに行くから、頑張ってね、ハル君♪」
「頑張って」
「はい」
ミキと千がその場を離れると、計ったように再度アナウンスが流れた。
『それでは、今年の試験内容を、現生徒会長【風谷里奈】さんに説明していただきます』
アナウンスが終わるのと同時に、二階よりも高い位置に作られた、本来は王族が観覧するための場所に一人の少女が現れた。
荒々しい長い髪に獣耳、整った顔立ちながら鋭い眼をしていて、尖った八重歯が唇から覗いている。
そして、何よりも男の参加者の目を引いたのは、桜楼の学生服を押し上げている彼女の大きな胸だった。
「私が、生徒会長の風谷だ。時間もあまりないし、面倒な挨拶は抜きにして、手っとり早く説明させてもらう」
言いながら、里奈は眼下にいる何百人もの入学希望者を見渡している。
「……今回は思っていたより人数が多くかったから、特別に桜楼の先生方に協力を仰いでもらった」
途端に、闘技場がざわついた。
入学希望者も、嘘だろ、だの、最悪だ、と呟いているのだ。
(? 何だ?)
いまいち状況を理解していないハルが首を傾げていると、黒のスーツに黒サングラスという、全身を黒ずくめにした五人の男女が、闘技場に入ってきた。
「今回の試験内容は『鬼ごっこ』。先生方が、君たちを追う『鬼』だ」
(……なるほど。ざわつくわけだ)
里奈の言葉を耳に入れながら、ハルは黒スーツの教員達に目を向けた。
(流石、桜楼の先生方……全員、かなり強い)
今はただ立っているだけだが、五人から滲み出るオーラは明らかに強者のそれだ。
(特に、あの二人)
ハルは両端の男女に目を向ける。一人はニコニコとほほ笑んでいる、恐らくかなりのイケメンの男性。もう一人は、腕を組み、何故か男物のスーツを着た、こちらも綺麗な女性。
(この二人は、レベルが違う。ひょっとしたら……ミキさんクラスかも)
と、ハルが考えていると、その女性とサングラス越しに目が合った、気がした。
「……ふ」
「っ!」
女性が口の端をつり上げた瞬間、ハルの背中を、何かが奔った。
(おいおい……マジかよ)
苦笑するハルの全身に、冷や汗が流れる。
(あの人とは……絶対にやりたくない)
もしかしたら、昨日の不安が現実のものになる可能性がある。死ぬかもしれない、という可能性だ。
「それから」
里奈が指を鳴らすと、空からハチマキが落ちてきた。
「全員に、それを頭に着けてもらう。そのハチマキが、君達の命だ。それを取られたら、そこでリタイア」
それぞれが頭にハチマキを着けている間、里奈の話は続く。
「ただし、この試験は過程が重んじられるから、リタイアしたら不合格、と言うわけではない。それと、公平を期するため、一応先生方にもハチマキを着けてもらった」
見ると、確かに、黒スーツの先生達も頭にハチマキを巻いていた。
スーツ姿の大人がハチマキを着ける姿は、見ようによっては面白おかしい。だが、参加者がそれを笑う余裕は露ほどもなかった。
「……説明はこんな所か。それでは、お願いします!」
里奈が一際大きな声を出すと、観覧席にいた数人の術者が、闘技場に手をかざした。
すると、闘技場の地面に大きな魔法陣が現れ、それ自体が淡く輝き始めた。
「今から君達には、とある場所に『転移』してもらう。そこに着いた瞬間から、試験開始だ」
段々と輝きが増していき、全員が来るべき試験に向けて準備をしていると、里奈が、
「言い忘れていたが、合否判定の参考として、君達が互いに闘うことも許可しよう。最先端の医療技術と、『医術者』を用意したから、存分にやってくれ」
と言った。
(そんな事、言い忘れるなって!)
と、ハルが心中で突っ込んだ直後、入学希望者と五人の鬼が転移し、鬼ごっこが始まった。