第五話 誘惑の罠
バーの扉が開いた瞬間、背後から明るい声が飛んできた。
「圭介さ〜ん♡」
振り返った圭介は、一瞬ぎょっとして、すぐに苦笑いを浮かべる。
「……おいおい、奇遇じゃねぇか」
そこに立っていたのは、
行きつけのクラブで顔なじみのホステス・みくる。
鮮やかなワンピースに巻き髪を揺らし、
わざとらしいほどの笑みで手を振っている。
「まさかこんなところで会えるなんて〜♡
運命感じちゃいますね♡」
みくるは迷いなく圭介の腕に絡みつく。
凛は静かにグラスを置いた。
「……お邪魔のようですね。失礼します」
立ち上がる凛に、圭介は慌てて声を上げた。
「お、おい待てよ! まだ——」
だが、凛は柔らかく微笑み、軽く会釈しただけで背を向けた。
冷たいヒールの音だけが、扉の向こうに消えていく。
「ちょっ……!」
追いかけようと立ち上がった圭介の腕を、みくるがそっと掴んだ。
「ねぇ、さっきの人、誰〜? すっごく綺麗な人だったけど」
上目づかいで覗き込むみくる。
圭介は鼻で笑い、強がった声を出す。
「ただの知り合いだ。気にすんな」
「ふぅん……。じゃあ今夜は、あたしが“代わり”になってあげよっか♡」
耳元で甘く囁きながら、みくるの爪先が圭介の膝に触れる。
その一瞬で、理性の糸が切れた。
「……上等だ。行こうぜ」
圭介はみくるの腰を抱き寄せ、ふらつく足取りでバーを出た。
*
ホテルの一室。
ベッドに崩れ落ちた圭介は、ワインのグラスを握ったまま意識を失いかけていた。
みくるはそっとグラスを取り上げ、眠る彼の顔に指先を滑らせる。
「ふふ……カッコつけてても、眠っちゃえばただの人形♡」
スマホを構え、シャッターを切る。
無防備な裸の写真。彼の脇には、散らばる書類と名刺。
その一枚一枚が、彼の人生を縛る証拠に変わっていく。
みくるの笑顔は、もはや甘いホステスのものではなかった。
その目は、冷ややかな狩人の光を宿していた。
*
数分後。
ホテルの裏口。
夜風に髪を揺らしながら、みくるは足取り軽く現れた。
待っていたのは、凛。
「終わりました。写真も動画も、全部ここに」
USBを手渡しながら、みくるは満足そうに笑う。
「凛さんのお願いなら、なんでもしますから。
だって、頼られるのが一番嬉しいんですもん♡」
凛は小さく頷き、USBを手のひらで転がした。
「……ご苦労さま。助かりました」
その声は穏やかで、けれど温度を欠いていた。
みくるが軽い足取りで去っていくと、凛は夜空を見上げて小さく呟いた。
「これで十分。——彼はもう、終わり」
月明かりが照らす横顔には、氷のような微笑が浮かんでいた。




